鳥の声とともに凛は目を開いた。漫画本を下敷きに、机に突っ伏して寝ていた自分の姿に気がつく。
「もッ……もう朝ッ!? 嘘! 時間が飛ばされたというの!?」
 驚愕の面持ちで時計を見る。いつもの起床時間より三十分もオーバーしていた。
 急いでセーラー服をひっつかみ、準備をすませて部屋から出る。ドドドドと心臓が激しくビートをを刻む音を聞きながら、階段をおりずに飛びあがり、クラウチングスタートに似た姿勢で着地する。玄関で靴をはいている凛に、後ろから母親が声をかけた。
「あら、凛? 朝食はどうするの?」
「いらないッ。これまで食べたパンの枚数なんて覚えてないし、今日くらい食べなくたってどうってことないわッ!」
「はぁ?」
 読破した漫画のセリフを自分が口にしていたことに、凛は気がついていなかった。
 ドアを勢いよく開けて外に飛びだした凛は、通学路でいったん立ち止まる。
 朝の通学路はいつもより人が少ない。
 三十分違うだけで、景色は結構違うものだ。
 奇妙に静かな気持ちになって、凛は胸にあてる。朝の冷たい空気を目一杯吸い込んだ。
「……この冴島凛には夢がある」
 一度も学校を休まない、遅刻しない。そんな学校皆勤スターに自分はなりたい。
「よし、まずは素数を数えて気持ちを落ち着けるの。1、3、5、7、きゅっ……きゅ、11! まだまだ時間はあるッ……! 絶対に諦めないッ!」
 深く腰を沈め、アスファルトを思い切り蹴る。凛の目に黒い炎が宿る。
 ドッギャーン、と叫びながら走っていることに、凛は気がついていなかった。
 閑静な住宅街を走り抜ける。角を曲がるたびにスニーカーの底がきゅきゅっと悲鳴をあげた。
 こめかみから流れてくる汗を舌で搦めとる。この味は興奮してる味だぜ、とにやりと口の端をあげた。
「我が国のスニーカーは世界一ぃぃぃっ……ぬ」
 角を曲がると、商店街が連なる狭い道路にでて、通勤客であふれかえっていた。これでは走れない、と小さく舌打ちした凛は、ふと漫画のあるシーンを思い出した。
 ギャングが敵のそばでダンスするというシュールなシーンだ。凛は足をすっと肩幅に開く。反復横跳びに似たステップをふむ。人々の間隙にサッと身を滑り込ませた。
「ズッ、タン、ズッズッ、タン……ズッ、タン、ズッズッ、タン……」
「おはよう。凛! どうした。お前も遅刻?」
 人混みをなんとか抜けた凛が赤信号で止まっていると、ぽんと後ろから肩を叩かれる。彼氏の遠山がにこやかに笑って立っていた。
「昨日貸した漫画どうだった? お前、影響されやすいからちょっとしんぱぶふぅっ」
「ドラァ!!」
 裏拳で一発彼氏の面にお見舞いすると、遠山は顔面を押さえて前かがみになる。ちょうど信号が青に変わったので、凛は一目散に走り始めた。
「はぁっ……はぁっ、あんな恐ろしいものを私に貸したあの人は何者? まさか時間操作の能力者!? ひ、ひぃっ、こっちに来た!」 
 立ち上がった遠山がこちらに向かって走ってくる。同じ学校だから当たり前なのだが、凛はそのことに気がつかない。