ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【113】
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90点〜99点 未知の領域!
満点は創作者が思い描く美しい夢!
評価依頼の文章はスレッドに直接、書き込んでもよい!
抜粋の文章は単体で意味のわかるものが望ましい!
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それ以上の長文は別サイトのURLで受け付けている!
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前スレ
ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【112】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1539327337/l50 ここも潮時か……
昔のような荒らしのいない時代には、もう戻らないんだね フランス革命の国民会議で議長席から見て右側にジロンド派が座ったことから右翼、つまり保守 >>12
いえ、そういう意味ではなく……
保守木数子と保守ピタルは語感の似た言葉を重ねたものですが、保守ピタゴラスイッチだと保守とピタゴラスイッチを足しただけじゃないですか 埋める作業の時だけは設定君が役立つ!
さて、寝るか!(`・ω・´) >>16
で、三人称一元のカメラ役は誰なの?w
カメラ役が存在するなら、それは神=作者視点なんだがなw で、そもそもがカメラ役が居るのなら、わざわざそんな背後からしか映せないとかの制約を付ける理由がないからねw
それなら、そんな制約が無い神視点を使った方がよっぽど良いわけなんだわw つまりは、俺が言うように三人称一元は、視点キャラ自身が語り手のやり方ってことだよねw 具体的な文章がどんなものかようわからんのですが
設定さんのいう三人称一元視点ってのがあるとしたら、
説明を見た限りでは三人称主観視点って呼びかたになりそう 三人称一元視点を簡単に説明する!
三人称を使いながら一人の内面を表現する!
主人公を固定しないで他の視点に変えることもできる!
通常は改行や場面転換後等を挟む!
一元の時に顔等の描写ができる部分は俯瞰による三人称であって、
必ずしも神視点(作者)であるとは云えない!
作者によって書き方が異なるので細かい部分を云い合っても意味はない!(`・ω・´)ノシ 神視点は二人以上の内面を表現する時によく用いられる!
客観的な三人称を神視点と呼ぶことがあるのかどうか!
それは定かではない! ワイが小説で使う技法の一つは、
俯瞰による三人称で一人の心の声を反映するものである!
または誰の内面も表現しない純然たる三人称を好んで使う!
作者が決めたルールを守りつつ、内容も活かす!
そのような人称が望ましい!(`・ω・´)ノシ >>20
そうやって呼んでる奴も中にはいるだろなw
てか、三人称キャラ視点とかにしたほうが、わかりやすいかもなw >>20
てか、あるとしたら、ではなくて、あるからなあw >>22
だから、そんなごちゃごちゃわけのわからん制約を付けるなら、制約が無い神視点でやればいいだけだろw >>23
俯瞰=神(作者)から見た俯瞰=神(作者) が語り手=神視点なんだがw まあ、>>28を読んでもさ、三人称一元が視点キャラ自身の主観視点なのがわからないのなら、相当なアホだから、仕方ないわなw >>27
>俯瞰=神(作者)から見た俯瞰=神(作者) が語り手=神視点なんだがw
途中で目が覚めた!
神視点は二人以上の内面を同時に描写する時に使われる言葉である!
俯瞰が神視点と云うのであれば「三人称=神視点」と云うこともできるが、
三人称は独立した視点として確立されているので設定君の図式には当て嵌まらない!
設定君の主張を簡単に説明すると、主人公以外の視点は全て第三者の視点となる!
その中に三人称が含まれている! 神視点は二人以上の内面を同時に描写する時に使う用語である!
うむ、少し読み易くなった!(`・ω・´)ノシ 早く寝なければ! >>30
だから、物語の登場人物以外のカメラ役とかがさ、物語の登場人物のことを客観的に見て語ってる時点で、それは神(作者)がカメラ役になって、語ってることになるだろw
それが、神視点ってことだからねw
ワイも、頭が悪いんだなw >>31
頭の問題では無く、君の説明が単に下手なのでは?(`・ω・´)ノシ てか、普通の三人称は、そういう第三者から見た俯瞰視点なんだから、第三者=神(作者)視点での語り手なんだわな
つまりは、三人称=神視点なんだわw
で、三人称一元ってのは、視点キャラの主観視点だから、三人称ってよりは、一人称側のやつなのね >>32
だから、物語を俯瞰で見て語ってるのは、物語の登場人物以外の第三者だろ
その第三者は、神(作者)なんだから、神視点なのなw
つまりは、客観的なカメラが浮遊とかしてる時点で、それは神視点なんだわなw 視点の話はもう終わりにしようぜ
用語の定義なんか大した問題じゃないんだから
英語の試験だって「助動詞について述べよ」なんて見たことないだろ >>28
明確に間違い。引用で説明しましょう。
> 四号車に入り、通路を進む。自動扉に入ってすぐの、左側の席の男が足を組み直したところだった。そこに木村の身体がぶつかる。
> 装着したサプレッサーの分だけ長くなった拳銃は紙袋に入れてあったのだが、それが男に引っかかった。揺れた紙袋を大事そうに、木村は引き寄せる。
「大事そうに」「木村は引き寄せる」というのは、第三者が見ている視点ですね。しかも浮遊カメラ。
つまりマリアビートルを設定君の定義に当てはめると、三人称一元ではなく神視点。
この場面は「左側の席の男」を含むアクション映像の描写なので、主観から離れて浮遊し、俯瞰しているんですな。
視点の区別は物語世界のルールの別ですからきわめて重要なのですが、ワイさんのおっしゃる通り絶対的な正解はないため、
自分にとってより利便性の高い定義を使えばいいわけです。
ではなぜ区別するのか?
それは読者にどういう世界の楽しみを提供するかの違いがあるためです。
一人称ならライ麦しかり喋りそのものを楽しむ事ができるわけだし、三人称なら他人行儀になり、そのぶん客観的に描写ができますね。
中でも一元なら個のキャラクターに近い視界、多元なら神に近い視界となる。
それぞれに面白さが違うので区別があり、ねらいが違うため書き手は意識的になる必要があるんです。
そこで設定君の極端すぎる定義に従うと、世のほとんどの三人称小説が神視点になってしまうため、区別の意味をなしておらず、まったくのアホになるんですな。 おはよう、諸君!
三人称一元視点は大まかに分けると二種類!
・一人称で見える範囲内を三人称で語る! 同時に一人の内面を書くことができる!
ほとんど一人称と云えるが、目に見える範囲内であれば個々の説明が容易!
視点(人物)を変えることができる! 通常は改行や場面転換の後に行なう!
・俯瞰の三人称(カメラ浮遊)で語る! 同時に一人の内面を書くことができる!
先の一人称寄りの視点ではなく三人称寄りの視点となる! 故に自身の容姿について書くことが可能となる!
俯瞰で見える範囲は限定的! あまり範囲を広げると神視点(作者)に成り易い!
前者と同様に視点(人物)を変えることができる! 改行や場面転換を挟んだ方がよい!
この前者と後者を混ぜて議論すると話が纏まらない!
作者によっては前者後者が混ざっている場合もある!
二つは峻別しなけれがいけない、と云うルールはない!
一人称寄りの三人称一元視点に神視点(作者)を挿入することもあるだろう!
読者に違和感を与えなければ、どのような書き方をしてもよい!
ワイからの三人称一元視点はこれまでとする!(`・ω・´) >>38
二つは峻別しなければいけない、であった!
今日は鍛錬の一環として山に登る!
スレッドに書き込まれた内容に対し、
即座に答えることができないと先に断っておく!
さて、出掛けるか!(`・ω・´)ノシ >>39
>今日は鍛錬の一環として山に登る!
趣味も鍛錬と言い換えればかっこよくなるな!
しゃあ俺も、鍛錬で公園に走りにいく! 前スレ、921の課題文の者です
山ですか。もう紅葉してるところもあるのですかね
晴れて良かったですね。お気をつけて
前スレ
>>942
他の箇所に違和感がなければ、三人称一元視点文は書けたと思って大丈夫ですかね
自分なりのカメラワークを見つけようと思います
ありがとうございました
前スレ
>>946
ありがとう
視点に違和感がないという情報大変助かります
>ジョジョ好きの設定くん
ちょっとは楽しんでくれた?w >>37
そこは、伊坂のミスなだけだよw
そんなのは、大事そうに、しか、突っ込み所が無い時点でわかるだろw
で、あとは全部主観視点で書いてあるからなあw >>37
だから、俺の定義だとちゃんと区別出来るけど、お前らの定義だと、区別自体が曖昧で意味の無いものになるだけなんだわw
俺の定義=普通の三人称は第三者が語り手の神視点
三人称一元は、視点キャラ自身の主観視点、で明確に区別出来てるわけよね
で、お前ら勘違いマンの定義は、三人称=神視点
三人称一元視点=浮遊カメラ視点=浮遊カメラの時だけ何故か神視点w
だしなw
それなら、お前らの定義なら、わざわざ神視点の劣化版の三人称一元なんてのを使う理由が無いわけよね
そんなことすらいまだに理解出来てないから、お前らはアホなんだろなあw >>38
だから、その俯瞰の浮遊カメラ視点ってのは、神視点なんだわw
バカ乙w >>36
いやいや、視点の話はむしろ基本の型の話だから、大事だろw
それは、たとえば何かの流派みたいなもんだわね
伊坂のやり方なら、伊坂の流派だとか、東野圭吾のやり方なら、東野の流派みたいなねw
で、ここの勘違いなアホらのやつは、たんなる勘違いな、自己流wだから、おかしいわけよねw >>41
だから、カメラワークwとか言ってる時点でさ、カメラマン=神(作者視点)だってことに早く気付けよなw
そしたらそれは、三人称一元ではないからなw >>41
ジョジョネタとしては、全然ダメなレベルだったねw 伊坂にも、たまにはミスはあるからなあw
これも、伊坂の三人称一元だから、読んでベンキョーしてみろよなw
https://booklive.jp/product/index/title_id/135337 だいたいが、俯瞰の浮遊カメラってのが、神(作者視点)じゃないのなら、誰がカメラで写してるんだよwとなるからねw
そんなのだと、視点のキャラが、超能力で写してるのか?とかの話にもなるしねw
つまりは、俯瞰の浮遊カメラが存在する時点でさ、それは神(作者視点)になるわけだわw >>48
読まずにざっと見ただけだが、鈴木視点だったのに、鯨視点の部分があるぞ。
三人称多視点だな。 普通の日本語として考えると、一元視点というのは視点が一つしかないということなので、
ある人の視点と同調していたのが別人の視点に切り替わるというのは一元視点ではないはず。
なんというか、読者が混乱しないように視点変更を避けるという話が、
どこかで理由が消えて視点変更は悪というイデオロギーとなり、
それでも視点変更があってかつ面白い作品が出てくる現実に対して、
屁理屈で現実を歪めた結果が設定くんがいう「三人称一元視点」なのかなあという印象があります。 要は、三人称の基本は神視点
それを一人称に近づけた物が三人称一元視点
その近づけ方にも段階があるから、どのレベルを採用するかは作品ごとに選択すればいいだけだし、
どこからを一元と呼ぶかは人それぞれで、厳格に線引きをする意味はないということだ
転スラなんか、主人公がいる場面は一人称、いない場面は三人称という滅茶苦茶な手法だけど、それで売れている以上誰も否定できないもんね 設定は一元視点とはこうで、それ以外は神視点だと主張するけど、じゃあ別に神視点でいいよってだけの話だもんね
今回のお題も、ワイさんがOKって言うならそれでいいってだけのこと >>50
だから、それは視点変更してるだけだろw
知能低すぎてワロタw >>51
だから、一人称で視点変更をするとわかり辛いから、その問題をわかりやすく解消したのが、三人称一元なんだわw
バカ乙w >>53
だから、浮遊カメラでやりたいなら神視点を使えばいいだけなんだわw
それを、わざわざ三人称一元として言い張ってやるのがおかしいってことなw >>41貴方のジョジョが一番面白くて、声出して笑いました。 >>53
ワイさんがおkって言うならってさ、そのワイ自体が三人称一元をわかってないから、問題なんだろw
バカ乙w >>57
それはジョジョが別にあるから笑えるだけであって、作者の能力ではないからなあw
結局は無能な奴がそうやって、他者のネタをパクるってことだよねw 結局、三人称一元が、浮遊カメラとか言ってやってる奴は、自分が神視点でやってることに気付いてないだけよねw >>59
パロディ漫画というジャンルがあってだね……。 >>52
いくら売れてたって、手法がめちゃくちゃならどこかでバカにされてるわなw
お前にしたって、それを見て手法がめちゃくちゃだと認識してるわけだしね
で、それがめちゃくちゃな手法で無ければもっと質が良い物としてみんなに認められるわけよな >>61
そんなのは、ジャンルではないだろw
それこそ、作者に許可でも取らなきゃ訴えられるわなw ジョジョのセリフを使うにしてもさ、厳しい作者なら、勝手に使ったら訴えられる可能性もあるわなw
ジョジョなんかは特にセリフの認識度が世間に広いから、ヤバいわなw >>60
だから単に呼び方の問題だっつうの
>>62
滅茶苦茶だろうがどこかで馬鹿にされようが、売れたらそれは手法として認知されたってことなんだよ
つまり、書き方にこうでなければならないなんて厳格なルールはないってこと ワイが海岸沿いに住んでるのか、山の中に住んでるのかをはっきりさせようぜ。 >>67
難しい手法を使うと書きづらかったり、表現できないことが出てくるが?
普通に書けば何でも容易に表現できる。 要はそれっぽかったら、それでいいんだけど
馬鹿は一々頭で考えて、それでもわからなくて頑張って書いても変になるんだよな。
やっぱり読書量が足りない。 >>68
まず、鰻が背開きであるのか腹開きであるのかを聞け。それだけで日本の半分が候補から消える。 武士道を記す
1、町街道
町街道を歩く侍一人。
通りかかったのは斬捨御免の辻斬り十七人。
生きるのは腕試しと襲いかかってくる。
斬捨御免十七人 対 我武者羅一人。
我武者羅曰く。
「武士道とは、みね打ち、ただそれだけである。」
我武者羅は、辻斬り十七人をみね打ちで次々と気絶させて、打ち倒した。
勝負はひと時もすると決まり、我武者羅の勝ちであった。
「強いですな。お茶をどうぞ」
通りのおばばがいう。
「こんなことが起こるはずはない(有り難い。ありがとうのこと)」
と我武者羅はお茶を飲んだ。
見ると、街道に立て看板があった。
「日本は鬼に占領されている。
日本男児はみな侍である。
武器を持って、今まさに立ち上がり、この国から鬼を追い出すのだ」
「檄文か」
我武者羅は腰に八握の剣(やつかの剣)を挿して、隠れ里へ向かった。 2、篝火
神社の篝火は武士の詰め所である。
戦争の時に武士は篝火に集まり、敵を退治する。
我武者羅が篝火に行くと、女がいった。
「どこから来たのか」
「おれはまつろわぬ民だ」
「ふん。異国者でも、篝火に集まったら武士。明日香村へ行け」
「ああ」
「これを食え。吉備団子だ。全員の分がある」
我武者羅は、生粋の日本男児であったが、身分を隠すのは忍者の常識。
自分がまつろわぬ民を名のったことが忍術だとわかったのか、わからなかったのか、といぶかしがりながら旅に出た。
地上の月「明日香村」に我武者羅は着いた。
斑鳩に行くと、御所があった。
「立入禁止」と書いてあったが、王に会うために押し進むと、御所の中の女人兵、なぎなた部隊と戦いになった。
なぎなたは女の武器であるが、刀を持った武士は勝つことはできない。
それを知っているなぎなた部隊は、狼藉者に襲い掛かった。
迎え撃つ我武者羅は、八握の剣でなぎなたの柄を斬り、次々となぎなた兵を戦闘不能にしてしまった。
そして、我武者羅は御所に押し入り、王に謁見した。 王は、女だった。女王である。
女王卑弥呼(日巫女)、統べる者「すめらぎ」であり、太陽帝国の皇帝。
日本は、本当の名前は「日ノ本」。英語では、SUN BOOKLAND(太陽と書物の土地)。味古乃国。陽国。東雅。
女王はいった。
「荒くれよ。密命だ。鬼退治に行ってくれ。」
「わかった」
「お主の名は今から、岩猿(言わざる)だ。後はたけかんむり、くさかんむりに聞いてくれ」
我武者羅は、たけかんむりについていくと、一緒に行く仲間が三十人くらいいた。
「岩猿とはなんだ」
「三猿を知らないのか、まつろわぬ民よ。見ざる、言わざる(岩猿)、聞かざる(着飾る)の三猿で攻めるのはサムライのよくある兵法だ」
たけかんむりは続けた。
「おまえたちはこれから見な、隠密となる。隠密は、忍者と侍で組織される」
日本の兵法は二つある。忍者と侍だ。
忍者は盗賊団。盗賊の術は、王朝を滅ぼす技である。
侍は警備員。守りの術は警備員である。警備員は王族貴族の密談を聞いてしまい、政治家よりも拠点の事情に通じてしまう。警備員は、国を守る要かなめである。
我武者羅と一緒に同行する者は、他に、名無しの権兵衛、通りすがり、影武者、匿名希望、へのへのもへじ、正体不明などがいた。たぶん、みんな、忍者だ。 3、鬼ヶ島
隠密たちは、空飛ぶクジラに乗って鬼ヶ島へ。
鬼ヶ島の首領の名前は酒吞童子。
手下の鬼たちは、ぎざぎざだ。
鬼たちは、髪をぎざぎざに切り、服をぎざぎざに破り、武器はぎざぎざののこぎりだ。
隠密たちは、鬼たちに襲いかかった。
我武者羅は、「武士道とは、みね打ち、ただそれだけである。」とみね打ちだけで戦い、奇妙な剣士といわれた。
隠密たちは鬼たちと激戦をくり広げた。
鬼の親分の酒吞童子は、四十八手、禁じ手、奥義、極中秘の技をくり広げて戦っていた。
まつろわぬ民の我武者羅が酒吞童子をみね打ちで倒すと、奥に木札が立っていた。
「主天童子」と書いてある。
「この看板は何だ」と隠密たちが聞くと、
「なあに。この国をとってやろうとでっちあげたのさ」
と酒吞童子がいった。
鬼ヶ島の宝が見つかった。
「不老酒」と書いてある酒樽だ。
「これを飲むと不老長寿になるのか?」
「そうだ。異国の秘宝だ。不老酒を飲んだ古代の大和やまとの王族がまだ生きていると聞く」
不老長寿の古代人か。恐ろしい。
それをたけかんむりに報告すると、「不老長寿の王族は極めて危険。鬼退治もやっかいごとだが、不老長寿の王族相手となると、万が一にもまちがいのない人選をしなければならない。おまえたち、鬼退治の隠密はみな解雇する。国一番の手練れを集めるとしよう。
我武者羅たちは、司令部の命令など聞けるかと、隠密を辞めた隠密くずれとなった。 4、月で
我武者羅たちは、天舟に乗って、月へ行った。
月にある黄金郷「神無月」。
黄金宮殿にいたのは、九頭竜くずりゅう。
九頭竜は、地上からやってくる生贄を待っていた。
「うおおおお。勝負だ、九頭竜。日本を支配する鬼めえ」
武士道とは、みね打ち、ただそれだけである。
我武者羅は月にある緋緋色金ひひいろかねの剣を手にして、みね打ちした。
九頭竜は、長い首を一本落として、首が八個になった。
九頭竜が本来の姿、ヤマタノオロチの姿を現した。
荒振神だ。
勝負が決すると、ヤマタノオロチは負けを認めた。
「すまなかった。実は、ヤマタノオロチは大和の王家なのだ。八つの王家、頭を操る髪の毛かみのけであり、神の家かみのけなのだ」 >>72
わざと変に書いてるのかなって感じでした。 ショックかも知れないけど
>神社の篝火は武士の詰め所である。
○(こんなもん)篝火があるのは武士がそこに詰めている証だ。
△篝火のある所に武士は集まる。
篝火=武士の詰め所、ではない。
ここで読む気がなくなってまともに読んでいない。 >>78
太平記に篝火は鎌倉武士の詰め所と書いてあるです。
>>79
感想くれるとうれしい。 >>81
私は詳しくはないが、古い言葉は「うつくし」=可愛い、美しい
などと意味が変わっている
なので、お前が古文と古語を完全にわかっているのでないなら、
もし古い文献にそういう表記があっても真似しない方がいい。
篝火のある所、の方がわかりやすい。
例えば銀行の小説なのに突然古めかしい言い回しが出てきたら雰囲気がぶち壊しだ。
そもそも読み手に配慮するなら意味が分からんことは書かない方がいいが、古文なんて今どきの若者は誰も知らない。 当たり前だろそんなこと。一々言わせるな。
とにかくこのスレを建設的なものにするために、古文の文法やら語彙に基づいた詳細な説明を待ってるけど
お前俺を馬鹿にしようとして引っ張り出してきただけだろ。そんなのなら帰れ。しっしっ。 このスレで一番語彙のある俺が分からんのだからやめた方がいいと思う。
この説明で納得出来ないんだろうな。ある程度わかってる奴がわからないんだからさ。 >>81
というより
「神社の篝火は武士の詰め所」
まで書いてあっても、「である」とは書いていない。明治時代の文献みたいな言い回し。
だから引用するなら慎重にすべきだし、
「である」と組み合わせていいのかという、大事な問題があるのに
それを十分検討していないなら話にならない。
検討したのかよ。してないだろどうせ。適当に語尾だけ変えただろ。 >>81
面白いは面白いけど、鬼ヶ島やヤマタノオロチなどの使い古されたネタは入れない方が良かった
そこが惜しい
徹底的に先の見えない展開で、読者を頭痛と眩暈とゲシュタルト崩壊に導いて欲しかったです >>86
太平記じゃないの?
太平記って1200年ぐらいの(かなり大雑把だが)書物じゃなかった?
ちょっとググってくるわ。 そもそも、ごく限られた少ない例外があっても
「こういう例外があるんだからいつでもこうやっていいんだ!」
と主張するのは不可能だぞ。
論理的にもの考えろお前ら。変な書き方をしているごく僅かな例外を持ってきても論拠にはならないんだ。 ましてやひっかけ問題のようなものを作って俺を引っ掛けるために提示して見せても意味はない。
お前らが客観的になって、引っ掛けるために恣意的に持ってくるだけで説得力がなくなる。
まあ難しすぎて意味分からんかお前らには。 いつもお前らに分かるように平易に話すようにしてるが
難しい表現が必要なこともある。
高校生レベルだけどな。お前らはほんと小学生か、下手したら幼稚園児レベルだからもう絶対わからんよな。
馬鹿だな。なんでこんな知能で作家を目指すのかが分からん。 結論ありきで「お前は間違ってる」と言って俺に有利な事例は隠すなら一方的な議論になるのは当然だからな。 >>92
おまえがガイジだというのが、こねスレの共通した認識なのだがw このスレ共通の、ならいいけど
このスレに共通した、などとむやみに擬人法を使うな。下手くそ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています