なんでこんな小説を書こうと思ったのか。

 これは間違いなく小説である。小説に決まった形式などなく、決まった形式に囚われないのが小説である。
 分類すれば私小説ということになろう。太宰も書いている私小説だ。
 だが内容は月と鼈(すっぽん)、こんなに下らないと人に見せるのも恐ろしい。というのは私は、既にこの小説が書く前から下らないものになるであろうことを予測しているからである。
判っていても書いてしまうのは、物書きの性(さが)であろうか、それとも人間の原罪が私にそうさせるのか。しかし、くよくよ悩んでいても仕方がない。
書き始めたものは完成させるのがいっぱしの小説家というものであろう。

 ドーレードーソーレー、ドシラーシーレーソーソー。
 最近小説を読む時も、ソフトと囲碁を打つ時も、いつでもこの曲が流れている。
 これは神姫プロジェクトと、その十八禁バージョンである神姫プロジェクトRの「マイページ」、つまりクエストとクエストの合間の休憩時間に流れるテーマ曲である。
戦士達の暫しの憩い、しかしその間も鍛錬を積み、精神を研ぎ澄ますことを忘れぬ仲間達。さあいざ行かん戦場へ。我らの未来は明るい。そんな印象である。
 そんな印象はどうでもいいとして、とにかく暮らしの全てが神姫プロジェクトRに従属している毎日だ。何よりも神姫プロジェクトRを優先する生活。最近はそれが続いている。
 主と従が、完全に逆になっている。生活より神姫プロジェクトR。何よりまして神姫プロジェクトR、なのだ。
 ゲームの画面を飛び越えて、魔物達が私の生活を蹂躙しているかのようだ。
 元々魔物がそこいら中にいる世界観、アリサ達は私が出撃を命令しなければ魔物達に怯えて暮らしている筈なのだ。ならば命令するよりあるまい。
 システムの話をすると、APというポイントが一定量ないと、各クエストに出発することはできない。そしてこれは、一定時間で回復する仕様である。
私が許せないのは、このポイントが無駄になることだ。
 ということは、
「満タンになった状態で現実の時間が無為に経過すること」
 これがいけない。そうならないように、一定時間毎にSPクエストという宝物を手に入れるクエストに出撃しなければ、私は死ぬことになる。すぐに死ぬことはないが私はおそらく死ぬだろう。
また、APが回復しないクエスト(SPクエストは会話がなく、ひたすら魔物との戦闘である)の最中に放っておくこともできない。
 食事ができた、または火事だ避難しろと言われようが、あるいは今すぐ部屋から出ないと死ぬぞと言われようが、関係なくAPのことを気にする毎日である。
 ガチャというものも、一日一回必ず引く。機会損失になるからだ。
 そう、廃人である。
 私は課金をしない。一定の収入が得られるまでは、絶対にしないつもりだ。
 また、睡眠時間は十分に取る。それを削ってまでやろうとは思わない。
 だが私は廃人である。
 笑ってくれ。思うに、私の几帳面さと、完璧主義の性格が災いしている。
 もし私がクリアし、もうこれ以上はよいと満足する前にサービスが終わったら、私は発狂するだろう。するに違いない。
 うぎゃあ、ぐぎゃあ、むぎゃあ、ひゃあ。
 そうなったらそうなったで面白いな、そう思っている君。

 これは小説である。多少誇張している。お気になさらず、君は君の生活を優先してくれたまえ。
 それにしては、描写が淡々としすぎている。また無駄がなく、簡潔にすぎる。
 事実なのか、それとも嘘なのか。それを調べるのは探偵の仕事だ。

 とりあえず、私はまだ生きている。それだけしか言えない。私小説には時として、オチがない。だがそれでいいのだ。とにかく私は、生きていく。
もし私が無事で生きて、Hシーンのあまりの多さに腎虚にもならずにいれば、また別の小説を書く。

 散々なようだが、結局、こういう風に何かに熱中して生きていくのが人間本来の姿ではないか。私はそうも思うのだ。何もかもに夢中で、部屋に入ってきた母親に
喧嘩を売ってはものの数時間互いに一歩も引かず喚き散らしていた昔を思い出す。あの頃があったから今の私があるのだ。そう思うと、感慨深い。
若さというのは、決して失わないよう努力せねばならないものだ。最近そう思う。しかし、私のような半端者の思惟など、何の役にも立つまい。