北方謙三・一番好きな登場人物は?
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俺はブラッディドール・川中や藤木
約束の街・ソルティもいいが個人的には
挑戦シリーズの水野竜一、狼が一番!! 生きてるさ、俺の中で。
たまに思い出してやる、それでいいんだ。 『君に届け』。見た。多部未華子。悪くない、そう思った。 『BECK』。見た。忽那汐里。悪くない、そう思った。 でもそんなの関税ねえ
そんなの関税ねえ
そんなの関税ねえ
はいTPP 目覚めにワイルド・ターキー。
胃を灼く、そして熱いシャワー。
身体が目覚めた。 「行きどまり」の敬二だろ
どんな北方作品の女キャラより萌えたよ 敬二は本質的には女だよ
女っぽい男ではない。男っぽい女の子だよあれは
男の世界で、精いっぱい男っぽく振る舞おうと、無理して荒々しい言動をしてる女の子だ
そういうふうに見えるな
主人公も、敬二をちょっとそんなふうに扱ってる感じがあるよ
\ / .::::::::::::::::::::::::;;:;;::,ッ、:::::: ) く ホ す
\ l ,ッィrj,rf'"'"'" lミ::::::: く れ モ ま
Y ,!ミ::::::: ヽ な 以 な
`ヽ、 | くミ:::::::: ノ い 外 い
|、__ ャー--_ニゞ `i::::,rく か は
``''ー- ゝ、'l  ゙̄´彑,ヾ }::;! ,ヘ.) ! 帰
゙ソ """"´` 〉 L_ っ
/ i , /| て r
≡=- 〈´ ,,.._ i 't-'゙ | ,へ ,r┘
,、yx=''" `ー{゙ _, -、 ; l レ' ヽr、⌒ヽ'
゙、`--─゙ /! `、
_,,、- ゙、 ー'' / ; `、
-''"_,,、-''" ゙、 /;;' ,' / 、\
-''" / `ー─''ぐ;;;;' ,' ノ
// / ヾ_、=ニ゙
坂井に「俺の天使」と言ってしまったがために、
ブラディドールを愛読してる腐女子たちどころか、
ブラディドールを読んだこともない腐女子たちにまで、
坂井のケツを掘りまることしか考えてないホモ猿扱いされてしまった下山
本当の話です 男同士の友情って、女子から見てそうゆうとこあるよね…
腐女子じゃない女子だけどブラディ・ドールシリーズ大好きで
登場する男の人達全部好き
あの世界がわかる男の人や女の人達に
薄皮を丁寧に剥がしたおいしいコーヒー淹れてあげたい…
まあ男も綺麗な女の子同士が仲良いのを見るとチューしてるのを想像したりするしね 謙三の男キャラはさ、「男とは〜!」「男なら〜!」「俺は男だから〜!」とかってやたらと言いたがるじゃん。
でも、それってさ、
そういうふうに言葉にして行動で示さなきゃ自分は男じゃなくなっちゃうって不安があるからじゃないの?
って思っちゃうんだよね。
「男らしい」あるいは「女らしい」ってことに異常にこだわる人たち。
これってむしろ不自然なんだよね。
自分が男である、あるいは、自分は女であるってことをごく自然に、普通に受け入れて生きてる人は、
特に「男とは〜!」だの「女とは〜!」なんて言わないものだよね。
つづく つづき
『行きどまり』の敬二ってのは、表向きは物凄く「男らしい男」なんだよ。
ガサツだし乱暴だし喧嘩しまくるし。空手使いだから強いしね。
革ジャン着て、バイクに乗って
(取りあげられちゃうけど。バイクを取りあげられちゃうってことも象徴的かな)。
仕事だって普通は女はしない仕事をしてる。
人に頼らず、自分ひとりでカタをつけようとする。
でも一皮向けばいじいじ、うじうじ、後ろ向きだし、言いたいこともなかなか言えない奴なんだ。
そして主人公に依存しまくってる。
主人公が自分から離れて行ってしまうのをひどく寂しがってて、
そういうことを心が弱くなるとついぽろっと口に出してしまう。
寂しがり屋なんだよ。主人公に甘えたいんだよ。悩みを聞いてほしいんだよ。
主人公の彼女にだって嫉妬してるんだよ。
でもそんなことを口にしたら主人公に「女みたい」だの「女々しい」だのと言われてしまうだろう。
だから我慢してる。
そして決定的なのは、男なのに男に犯されてしまうってこと。
男性性を否定された。もっといえば女にされてしまった。犯されたあと「女装してもいいぞ」とか言われてたしね。
油断すると、ちょっと気を抜くと男じゃないものにされてしまう。女にされてしまう。だって本来男らしい男じゃないんだし。
それが怖い。
だからこそ一生懸命にひたすら「男とは〜!」「男なら〜!」と頑張ってる。
「男らしい男」を一皮向けばこれなんだよ。
そういう意味で、敬二ってのは北方世界の中でとても面白いキャラだと思うね。
謙三世代の日本のおっさんたちは「寂しい」「甘えたい」「愚痴を聞いてほしい」なんてことを人に言えない。
そんな男らしくないことを男はしちゃいけないとされてきたからだ。
だから悩みや苦しみを自分ひとりの胸におさめ、黙ったまま自殺してしまう。
男であることを貫くのは命がけのことなんだろう。
もっといえば、男であることを貫くと死ななきゃならないんだろう。
なぜか。ここでいう「男である」ってのが物凄く不自然なことだからだ。 映画「太陽を盗んだ男」のスタッフだった人が、
菅原文太に、
「男の中の男・高倉健さんって日頃はどんな人なんですか?」
と聞くと、
文太「あのオカマ野郎…」
と言った、と書いてたよ
だからどうしたって?いや別に… 我こそは日本男児!!
という顔してハラキリした三島由紀夫だってネコ(男に抱かれる方)だったわけから
惚れた男の前では乙女そのものだったそうだから 謙三世代じゃなくても
「寂しい」「甘えたい」「愚痴を聞いてほしい」
そんなん男でも女でもめんどくさいヤツだけど…
それを許してくれる唯一の存在的な女と出会って
その女を守るために命を懸ける…みたいなお話が多いじゃん 「行きどまり」ってさ、
おととしの冬だったかな、
秋田の松林の中で初老男性の身元不明死体が発見されたんだけど、
その男性の所持品の中にこの「行きどまり」の文庫本があったんだよね
所持品はこの文庫本と財布ぐらいなもので、
文庫本の裏表紙のところに、
家族に宛てたと思われる遺書が書き込まれてあったんだよ
その遺書を読むと、どうも自殺らしいんだが
この死体となって発見されたおじさんは、
どんな思いでこの「行きどまり」という本を死ぬまで持っていたんだろうかと考えてしまった
遺書によると、このおじさん、子供の頃から父親と確執みたいなものがあったらしいんだが、
「行きどまり」の相棒もちょっとそういうのがあったよね
(自分は親父がよその女に産ませた子で、もう二度と家には帰らないと心に決めていた)
この「行きどまり」って話は、主人公と相棒がふたりで北へ旅をしたわけだけど、
このおじさんは独りぼっちで旅をして、独りぼっちで死んじゃったのかな
主人公と相棒のように、なんとか生きようと頑張ったけど、力尽きちゃったのかな
独りじゃな
あの相棒だって、主人公が死んで独りになっちゃったら……
なんてことを、考えたことを思い出したよ
長文ごめんよ 突然ですが
文章には、【表現力】というものがあります。
それは
自分が見ているシーンを
読者の方々に
どれだけ鮮明に伝えられるか、というものです。
ぼくは
あることがきっかけで
表現力を意識するようになり
実践しておりました。
するとある時
明らかに文章が変わりました。
表現力が上がると
必ず文字数が減ります。
しかし
より伝わるのです。
ぼくは今現在
三段階表現力を引き上げています。
二段階目は、一文添えることで
三段階目は、もう一度表現力を見直すことで。
今のところ
これ以上の引き上げは考えていません。
最後になりますが
自分の文章スタイルに合わないとお思いの方は
表現力を上げるのは、やめたほうがいいかもしれません。 複数の表現パターン
あるシーンを
文章で表現する時
いつも使うAパターンだけでなく
視点を変えたBパターンを持っておくと
文章に幅が出ます。
もちろん
パターン数が多いほど
文章の面でも
飽きられにくい小説が書けます。
いつ
どのパターンを使うかは
雰囲気で判断します。
雰囲気とは
そのシーンを文章化する時に
どのパターンが合うか、というものです。
雰囲気を五感で捉える、とても大事なことです。 読んでいて
違和感の無い文章を創り出すには
【文の末尾】が重要です。
たとえば、
信長は立ち上がった!
そして怒鳴り散らした!
この文章、
文の末尾が
同じ【た】であるため
違和感を覚えます。
さらに、
秀吉は天空を見上げる。。。
そこには、無数の星々が輝く。
これにもやはり違和感が……。
恐らく
母音が関係しているのでしょう。
そして最後に
上の二つの文章を書き直します。
信長は立ち上がった!
そして怒鳴り散らす!
秀吉は天空を見上げる。。。
そこには、無数の星々が輝いていた。 平成21年12月7日、秋田県にかほ市象潟地内で男性の身元不明死者が発見されました。
現在、身元が判らずご遺族に引き渡すことができません。
発見年月日……平成21年12月7日
発見場所……秋田県にかほ市象潟町関地内の飛砂防備保安林(松林)内
身体特徴……男性、年齢50〜60歳代
所持金品
リュックサック(黒色、「ESPAS」のタグ付)
[在中品]
・財布(黒色二つ折り、合皮製)
・小銭入れ(黒色チャック付き、現金132円在中)
・Tカード(東京都電専用カード)
・筆入れ(黒色布製チャック付、ミッキーマウスの図柄入)
・老眼鏡(銀縁、度数+1)
・腕時計(丸形白色文字盤、3針、金属バンド、Q&Q製)
・文庫本(北方謙三著「行きどまり」2004年7月15日発行)←ーーーーーーー
・その他(100円ライター、爪切り、カミソリ等)
4 死亡推定……死後1〜数年経過(解剖結果)
所持品の文庫本に「母さんありがとう、さち子ありがとう、正彦頼むよ。
くれぐれも親父と墓で一緒にしないでくれ」等との記載あり。
http://www.police.pref.akita.jp/kenkei/soudan/mimoto/211207/motimono2.jpg スレ違いで申し訳ないが、ほかに書くべきスレがないのと、
このスレの書き込みがきっかけとなって読んだ本なので、ちょっと感想を書かせてください。
「行きどまり」の感想です。
この小説は安彦と敬二という21歳の青年たちの話だ。
この二人の関係は精神的ホモセクシャルだと思う。いや、ネタとかじゃなく真面目な話です。
二人は中学・高校とずっと一緒だった。部活も空手部で一緒、
酒を飲み始めたのも一緒、喧嘩も一緒、なんでも一緒。無二の大親友であり、
そしてこの年頃の少年にありがちな擬似同性愛的な関係だったと言っていいと思う。
しかし高校卒業と同時に進路が大きく分かれる。敬二が言っていたように、
二人の距離は次第に遠くなり、思春期によくある擬似同性愛的というか精神的ホモセクシャルというか、
そういう関係はなくなり、普通の親友達同士に落ち着くはずだった。
現に安彦には由美子という彼女ができた。しかも由美子が最初の彼女ではなく、
それ以前にも何人か彼女がいたのだから、
安彦は順調に擬似同性愛から異性愛へと移行していけてるわけです。
それなのに安彦は敬二とは相変わらず精神的ホモセクシャルな関係を続けていた。
普通アパートの部屋の合鍵を友だちに渡すか?彼女ならともかく。
そしてやたらと安彦と敬二が一緒に寝るシーンがある。
序盤から狭い部屋に二人で寝てる。
やがて事件が起きてしばらくのあいだ一つの敷き布団で一緒に寝るようになる。
仕事で地方へ行っても同じ部屋に泊まりこんで寝ながら喋ってる。
そしてラストもやはり一緒に寝てる。抱きついて自分の身体で相手の身体を暖めたりして。
これは北方先生、どう考えても故意でしょう。
それから、一つの煙草をごく当たり前のように二人で回し飲み(回し吸い)したり(間接キッスというやつです)、
下着からシャツからジーンズから革ジャンからサンダルまでお互いに貸し合いっこしたり、
怪我の手当てをお互いにしあうシーンも。マッサージも入れていいかもしれない。
どことなく…性的な匂いがするというか、もちろん何もあやしげなことはして一切してないのですが、
性的なものを感じさせるというか、そういうシーンが安彦と敬二は異常に多いのです。
すみません、続きます。誰も読んでくれていないかもしれませんが。 少年時代にはよくあるんです、
異性と本格的な恋をする前に、
同性に対して恋にも似た感情を抱くというのは。
安彦と敬二は21歳になってもこれが続いていたということではないでしょうか。
後半、「大人になる」という言葉がキーワードとして出てくる。
安彦は大人になることを強い意志でもって拒否した。
大人になれないことよりも、男でなくなることの方が嫌だと言って。
これが結果的に由美子より敬二を人生の伴侶とするという決定になった。
最初から安彦は敬二と由美子の間を行ったり来りしているという描写だった。
敬二に会った後に由美子に会い、由美子に会った後に敬二に会う。
敬二と同じ部屋に泊まったあと、由美子の部屋に寝に行く(この場合はセックスしに行く)。
由美子のためだけにキープしておいた酒を敬二に飲ませ、由美子に激怒される。
敬二は由美子の話をし、由美子は敬二の話をする。
奇妙な三角関係。
そして敬二と由美子は色んな意味で対極の存在として描かれている。
男と女であるのはもちろんだが、お金持ちの女子大生と土建会社の社員。
親がいくらでも金を出してくれてバイトすらしたことのないお嬢様と、
家とは縁を切って汗水たらして働いて自活している青年。
親に買ってもらった外車を乗り回す若い女と、
ローンを組んでバイクを買う若い男。
英語をはじめ数カ国語がペラペラの彼女と、俺は英語が喋れないと喚く彼。などなど
大人になるのなら安彦は由美子を選ばなきゃいけなかったのかもしれない。
そもそもお互いに大人なら親友に対してあんなに世話を焼く必要はなかったのかもしれない。
安彦も敬二も大人ではなかったのだ。
大人ではない若者の純粋さ、潔癖さ、愚かさ、痛々しさ、迸るエネルギー、
そういうものが安彦と敬二には非常に強く溢れている。
青春というものを通りすぎてしまった身にとっては、それがなんとも眩しく、貴く、そして悲哀を感じる。
つまり、安彦と敬二の擬似同性愛あるいは精神的ホモセクシャルは、若さ、大人ではないこと、
そういうことの象徴的な…うまくまとめられませんでしたが、北方先生は意識してそういうふうに描いたと…。 しかしな、終わりの方で安彦が敬二をやや疎ましく感じる描写があるんだな。
二人の間に不協和音が出てきている。
安彦は本来は一人で逃げるつもりだったし、
一人で生きていける強さを持っている男だし、
熟知していたはずの敬二の予想外の行動、
そして敬二の弱さにいくらか幻滅したところもあったかもしれない。
20代初めのうちならまだしも、
この先30過ぎても、中年になっても、
べったりひっついて生きていくのか?一緒に寝るのか?異性愛者なのに?
こう考えるとうんざりするしかなくなるわけです。
だからやっぱりあの二人はせいぜい20代初めで終わるしかなかったのかもしれません。 まあ、男同士ってこういう関係は必ずあるよ。たいていの男にはね。
親友というものを持ったことのある男にはね。
多分、女にもあるけど。
少年期やその延長には必ずといっていいほどあるよね。この時期特有の切ない感情が。
ある種恋人同士のような友情が。
でも同性愛とはまた違うんだよなあ。
仲の良い若い男ふたりの間に若い女ひとりが入ってきたら、
男ふたりが女を巡って仲が悪くなり…というのがありがちだけど、
それだと同性同士の恋にも似た友情の持つ透明感や清潔感や独特の切なさは出ないんだよなあ。
たくさん書き込んじゃってすみません。
お正月なので酒を飲んでます。少し酔ってるみたいです。 以前、表現力について書きましたが
表現力が上がれば文字数が減り
文章量もおのずと減るのです。
たとえば、携帯小説と同量の文章量でも
読みごたえのある小説が書けます。
つまり、文章量が多い・・・プロの小説家。
文章量が少ない・・・セミプロ的な小説家。
というのは、絶っ対に間違いです。 俺もそう思うよ。
しかし、喋りすぎだな、あんたはいつも。
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