【旅に出よう】 二十歳の原点4 【高野悦子】
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>>200
言いたいことは理解できるが、
恋愛と性行為を矮小化するのは間違いのもとだ。
若い青年男女にとって恋愛は極めて重要なファクターだ。
恋愛のために生き、恋愛のために死ぬ人だっている。
他者との本質的交流へのドアなのだ。 >>199
あなたの指摘な正鵠だ。
胃の中にほとんど食物が無い状態での服用でもあるし。
深刻な睡眠不足でもあった。 20錠飲んで2時30分、深夜。
日記の最後の記述です。
半日は確実に眼が醒めなかったし身体は全く動かせなかったと
推測します。まず足腰が全く動かないのです。薬が身体から抜けるにを
待つしか方法がなかったのでしょう。 この人あんまりお風呂に入ってないイメージ
清潔感ないのも毎回振られる要因になってそう プロバリンを実際に飲んでた私から言わせると
20錠くらいでは、そこまでふらふらにならない 23日高野三郎さんはいうもの通りアルバイトと失格者の弁で述べられています。しかし
秋田ガラクタ箱の管理人は20時10分前頃エレベーターから出てきた。と記憶されています。
多分遅れてとの意味にとれます。原点案内のホテルマンの証言ではグリルアラスカでお水飲ませタオルで
濡れた髪を拭いてあげています。酒に酔っていると証言されています。前夜の睡眠薬の影響と考えるのは
えるのは不自然でしょうか。 二十歳の原点案内 にある以下の悦子さんの様子は睡眠薬の影響かもしれない。
自殺する四--五時間前の出来事。省略あり。
うつろな様子で立って外からこっちを見ている。
どうも変だ。
外は弱い雨で彼女はぬれた様子だったので、私は店から出て、「どうしたの」
と彼女に声をかけた。彼女は何も言わなかった。
とりあえず肩を貸して彼女を店内に入れ、店のテーブル席に座らせた。
店の奥さんがもってきたタオルで拭いてあげた。
彼女は何も言わなかった。
「何かもらおうか」。私は彼女に言った。
しかし彼女はテーブルに顔を伏せて、だまったままだった。いろいろと話しかけて
みたが、やはり何も言わなかった。
それから少したって、彼女が突然、顔を上げた。
「死にたい」
元従業員:「○○(私の名字)さん、死を考えたことある?」。
彼女は言った。
しかし彼女は何も言わず、再びテーブルに伏せたままだった。
彼女は伏せたまま、かれるような小さな声でつぶやいた。
「死にたい」。
少したって、彼女はもう一度つぶやいた。
「死にたい」。
“これは酒に酔ってるな。相手にしていても…”と思った。 >>207
あのね
本当に睡眠薬をガブ飲みしたのなら
外出など出来ないから
下宿からアラスカまで歩いて行ったと考えるのが自然だけど
眠剤飲んだらそんな距離は歩けない
眠剤に誇大妄想すぎるwww おさらい
6/22 日記最後の日(眠剤を飲む)
夕刻、ホテルでの目撃情報あり(自殺するように見えなかった)
6/23 夜10時頃グリルアラスカ
6/24 未明 自殺
22日の夜に眠剤を大量に飲んだのならば、
23日はお昼頃まで寝ていたかぼーっとしていたと思われる
問題はこの昼からアラスカまでの行動
Uさん証言によれば、お酒を飲んでいたように感じられたとのこと。
その後、タクシーで帰宅し、未明2時頃家を出る(自殺)
タクシーで帰宅してから2時間くらい、彼女は何をしていたのか
それが問題
また23日に中村氏の件で決定的な何かが起こった、とも考えられる >>209
>>タクシーで帰宅してから2時間くらい、彼女は何をしていたのか
鋭い問題設定だと思います。
タクシーで下宿に戻ってから疲れ果てて寝てしまったと思います。
そして、起きた時に最悪の冷静な気分になり、自分がいかに寂しく孤立し
絶望的状況にいるのかを客観的に理解できてしまった。
そのときに、これから出かけて鉄道で死のうと決めた。バッグはいつもの
習慣で無意識に持った。
中村に会いに行こうとしたとは思えない。
すでに絶望感は僅かな灰色の期待の余地さえ残すことなく、キャンパスの
全面を真っ黒に塗り替えていた。絶望の限界を超えていた。 自分で自分を追い込むのが好きというか癖がある。
今で言うところの 自虐性 にも通ずる思考と価値観か?
日常的な生活の隅々まで客観性とか倫理感でチェックマークで
確認してる感じ、あるいは自分に正義の照明を当てている感じ。
部落問題研究会という、難しくもデリケートな問題を扱うサー
クルを選んだ彼女の価値観や性格にもそれあある。
たまたま部落研に入ったのではなく、他に底辺研も候補に入れ
ていたという。
そしてその自虐性、客観性思考、あるいはマイナス思考、の傾
向は当時の学生達に、とくに学生運動をやっていた人達に共通
していたのではないか? >>210
うん、それで問題は「その時」なんだよね
どうやら酒に酔っていた形跡があるらしく
そのバックを途中の道で落としていて拾っていない。
正常な感覚ではなかったのだと思う
2時間の間に再び眠剤を飲んだとは考えにくいから
(当時でも購入するのは氏名など必要だから簡単に買えない)
やはり、酒に酔ってと想像するのが一番ぴたっとくる 母親を京都駅で見送ったあと、死ぬまで1週間近く何も食べていない、とか、
3日も4日もきちんと寝ていないとか、その間に酒に眠剤とか。
そんな状態が続いて正常でいられることはまずないわな。 https://withnews.jp/article/f0170127004qq000000000000000W03j10101qq000014616A
ここの記事にも出ているが
当時、睡眠薬を飲むことは「遊び」だった
(今で言うシンナー遊びと同義)
だからこそ、彼女が本当に死ぬ気で飲んだとは思えない。
それに今と違って規制されてないとは言え
薬局で購入には氏名などの記入(届け出)が必要だった 中村が二十代半ばでで病死したのが事実なら
それは罰が当たったんだろうな。
学生運動やっていて、退学するかどうかの微
妙な状態のお嬢様と一度関係を持ってしまい、
付き合いきれずに逃げまくった。
そんな精神状態の女子大とも知らないことも
あったんだろうが、きちんとフォローする優し
さが無かった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%A0%E3%83%AF%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%83%AB%E5%B0%BF%E7%B4%A0
しかしながら、日本の1950〜60年代の第二次自殺ブームの主役となった薬であり、
多くの若者がこの薬で自殺を試みた。毎年約4000人が臭化物中毒で死亡し、
ブロムワレリル尿素によるものが最も多かった
で、ここで語られている過量服薬(OD)とは一回に100錠ぐらいの量を
摂取することを言う
だから20錠程度では「遊び」としか言えない量 >>214
睡眠罪を買ったのは奥浩平の影響だと思う。
買った時点では、まだ手首を切るカミソリを買って
こわごわソッとスジを付けてみた、そんな感じ。 さて自分なりに考えてみた
彼女は元々「誰か」を探していた
自分を理解してくれる誰かを。
しかし、それは多くは裏切られ(時代の世流のせいなのか)ていた。
そして、彼女は現実から逃避するために酒を飲み
たばこを吸い、挙げ句に睡眠薬まで手を出してはみたが
結局、逃げられないのを自分で自覚したのではないだろうか。
小山田さん証言の中でもはっきりしているが
彼女は「ただのアルバイト学生」にしか過ぎず
いくら中村氏を啓蒙しようとしても無駄なのは、彼女自身も薄々気がついていた。
自分のブルジョア制を否定しても否定できない自分がいた。
それを彼女は真の意味で目覚めてしまったんではなかろうか。
結局、己に絶望するしかなかった。
それが自殺の大きな理由だと思う あと
彼女は亡くなる一週間くらいは何も食べてないと主張する人がいるが
たぶん、彼女の母アイさんの証言によるものと思う。
ただ、彼女が自殺したあと、しっかり病理解剖を経て
胃の中に残留物はなかったと言い切れるのだろうか
単にアイさんの証言だけを鵜呑みにしてるんじゃないか?
母親だから、そりゃ子供は可愛いし亡くなればショックだろう。
だからとこそアイさんの証言だけを鵜呑みにするのは危険だ 凡人は天才を理解出来ないものだ
だから、自分の矮小な経験や考えの範囲に切り取って理解したつもりになる以外にない
しかし、そのようにして切り取られたものはもはや高野ではない
凡人の矮小さに収まらない部分にこそ本質がある >>217
悦子さんは実際に自傷行為をしていたことが日記にも書かれている。
カミソリをあてて思いっきり引っぱった。赤い血がみるまに滴となっていった。チリ紙でそれを吸いとって左手の人さし指を眺めた。
そして傷口の消毒としてマッチの火であぶった。炎の二センチぐらい上でも、徐々に我慢のならぬ程に熱くなる。
耐えられるだけ耐えてユックリと手を離す。痛みもそれでいくらか薄らぐ。舌で指先をなめると、傷の切断面と舌の細かな突起が
笹の葉をたてにこするような苦い痛みを感じる。巻いたほう帯からにじみ出ている赤い血、美しさ以上に生生しさを感じる。(1969.2.5)
何をしてよいのかわからなかった。ほおをピシャリと打った。胸を拳で思いっきりなぐった。(1969.2.6)
二、三日前、太宰を二、三頁読んだ後でポットのコードを首に巻いて左右に引張ったりしました。(1969.3.8) >>221
しっかり包帯も用意してたとはw
それとも、たまたまあったんだろうか リストカットをするような面倒な女と関係を
もってしまった中村。
しつこい女はきらいだ、と小山田に言ったと
ある。
中村も彼女への対応に困っていた。
中村は悦子さんに言った、君はどうかしてる、
と。
悦子さんは書く、突き放された、と。
悦子さんは書く、アナキズムの本を渡すんだ
と。
実際にかなり面倒な女子大生だったんだろう。 「後でわかったことですが、亡くなる一週間前、訪ねていった私と朝ご飯を食べたのを最後に、あの子はほとんど物を食べてなかったんです。疲れ果てていたんでしょうね。〜」Views 95年9月号のアイさん
これ以外に証言できる人なんてまだ居るのか? >>221
>二、三日前、太宰を二、三頁読んだ後でポットのコードを首に巻いて左右に引張ったりしました。(1969.3.8)
このへんの行動もすでにかなりやばいというか、向こうの世界にいってしまっているというか… >>224
>>「後でわかったことですが、亡くなる一週間前、訪ねていった私と朝ご飯を
>>食べたのを最後に、あの子はほとんど物を食べてなかったんです。疲れ果て
>>ていたんでしょうね。〜」
後で、とは司法解剖など医学的検査があった後で、と解釈するが、他に何か
確認する方法があったのか? あるいは日記にそれらしきことが書かれていた
のだろうか?
二十歳の原点案内を読むと
悦子さんのお父さんとお姉さんは、悦子さんの自殺後に実際に京都まで来て
日記にある関係者を訪ね歩いていたんだね。
小山田さんが事件後に女子大生が訪ねてきた、というのはお姉さんかもしれ
ない。
嵐山で同じ下宿だった彼女ではなさそうな感じがする。 >>227
司法解剖をしていれば「後で」とはならない。
遺体対面時に報告されているはず
「あとで」というのはアイさんなりに日記を読んだ感想としか
言えないのではないか?
それに彼女はバイトの時は社食を食べるのが常だった。
眠剤を飲んだ日も社食を食べていた可能性は高い 小山田さんは悦子さんをいつも下宿まで送っていったと言っている。
その回数はわからないが、悦子さんの人生の最終盤で彼女の人生の
流れを変えることができた可能性があった人物として小山田さんが
いた。後からふり返ってみればだが。
小山田さんがもう少し悦子さんに近づけば、悦子さんの関心は中村
から小山田さんへとたやすく向いただろう。
悦子さんは鈴木から中村へと一晩で心変わりしている。
悦子さんの関心が中村に向いていたのは、そのときに中村が一番近く
にいたからというに過ぎない。
小山田さんなら彼女をフォローできたように思える。組合活動をして
いたというし、話しも合っただろう。
しかし、中村とは違って簡単に手を出すような人ではなかったのだろ
う。 中村との関係も知っていたし。
悦子さんを暖かくギュッと抱きしめたり、嘆きを聞いてくれる異性も
同性も、自殺へと急展開するその時期にはいなかった。
下宿を変えたことで物理的に話し相手がいなくなったことが招いた不
幸でもある。 >>229
お母さんが、後でわかったことですが、とはっきり書いているわけで
なにかキチンとした根拠があったのでしょう。
そんな風に感じたとか、思ったという書き方ではないので。
それに、司法解剖をするとすれば、それは遺族による遺体確認の後だ
と思う。 カット無しの、二十歳の原点 オリジナル完全版 を出版すれば
数万部は売れそう。
ただし、個人名だけは仮名で。 1月に実家の庭で撮影したViewsの記事写真(庭石の上で笑顔でガッツポーズしてるヤツ)を改めて見ても、半年後の悲劇は家族も全く想像できんわな
自分の身近にはいないけど、コロナの病変で亡くなった人のご冥福も合わせて祈ります 大学生にとっては暗い時代だったんだろう。
無理して社会も自分自身も暗く描いている感じ。
エリート意識とコンプレックスのサンドイッチ。
YouTubeで映画の導入部を観ることができるが、
音楽からして不気味に暗い、オカルト映画が始
まるのかと思うほど。
映画を不気味にするのが流行ったのか?
実際にある意味でオカルトそのもの。
映画の悦子さん役は美人過ぎてリアリティ無し。
といっても、映画を観たことないので出だしから
の先入観だけなのだが。
どうしたら映画を観ることができるんだろう?
だれか、どっかにUPしてください。 悦子さんも死ぬこたぁなかったのに。
以下勝手にコピペです。書いた人とは無関係です。
いちご白書 荒井由実
https://www.youtube.com/watch?v=b6IdXQWaIeM
onsen-meguri
1 週間前(編集済み)
学生運動がはやっていたね。留年も退学もたくさんあった。その中で、私たちはともに過ごした。
「いちご白書」を見に行った。
それが、二人の美しい思い出として残っている。髪を切ってきたあなたは、まるで別人で、二人の
恋も終わりを告げた。就職を決めたあなたはあの頃を、うまく乗り切っていた。あなたは、真剣に
私を愛してくれていましたか。 津川あずさ
2 週間前
学生時代の青春の映像と思い出がよみがえってきます。バイトに明け暮れながら、
熱く、暑く、涙とともに流れていきます。😢😭二度と忘れない❗👊 荒井由実 - あの日にかえりたい
https://www.youtube.com/watch?v=e_YEUlxC680
あの日にかえりたい かと問われれば ちょっと考えて否というだろう
甘酸っぱいが あまりにも 苦しい あまりにも 盲目 あまりにも 灰色 青春の後ろ姿 ってなんだろう?
学生時代に好きになった人に会いたいなんて絶対に無いな。
もう爺さん婆さんだもの。
だって、少なからず幻想によって美化された相手なんだから。
もし偶然に会ったら、神様やめてよ冗談は、と泣きながら笑い出して
しまうことだろう。 悦子さんがホテルでバイトさえしなければ死ぬことはなかっただろうか?
バイトしても中村と会わなければ死ぬことはなかっただろうか?
中村と会ってもスナックに行かなければ死ぬことはなかっただろうか?
スナックに行っても関係を持たなかったら死ぬことはなかっただろうか?
すべてが1969年6月24日の自殺へと向かって動いているかのように見える。
生まれてから死ぬまですべて予め決められているかのような、
シミュレーションかゲームの設定であるかのように。
日記は亡くなった後に公開される設定のアイテムであったかのように。
すべてのイベントの時間と場所はその場限りで終わるものではなく、
過去とつながり、それは未来へとつながっていく。
悦子さんは中村と会うべくして出会った、それは過去から繋がった必然
と偶然の中に折り込まれた運命だった、そしてそれは自殺へとつながって
いく。すべて予め決定されていたのだ。誰が決定したのかと言えば、それ
は・・・悦子さんのなかに繰り込まれたアルゴリズムだろう。 以下の投稿はまったく無関係の人のものです。コピペしてごめんなさい。
https://www.youtube.com/watch?v=e_YEUlxC680
三浦秀樹
11 か月前
スマホもパソコンも無い…公衆電話、固定電話(宅電)手紙…直接会わなければ想い
を伝える方法は電話、…相手の顔を見なければ、何故か素直に話せたあの頃…私の大
好きだったクラスメイトの女の子が転校することになった…でも私は口下手だったの
で、好きな気持ちを伝える事が出来ず、想いを手紙で綴った…夕陽射し込むオレンジ
色の部屋の中で一生懸命考えて当時の私の考えられる力と勇気を振り絞って…ラジオ
からはユーミンのこの曲…結果は想いは届かず…(苦笑)ほろ苦い思い出の曲となり
ました…あれから40数年…この曲を聴くたびに あの頃に帰れます…純情だったあの
頃へ… ほとんどの人の人生は時間と歴史の中で無名のうたかた、泡として
消え忘れ去られていくだろう。
一方、悦子さんは違った。
私達はあなたの人生を知っている。
あなたが感じたり語った喜びや悲しみを知っています。
私もそれほど遠くない時間にそちらの世界に入るのでしょう。
でも、私はあなたに会っても知らぬフリをするでしょう。
何故って、ここで悪口いっぱい書いたから。
私はあなたのようにはならないしない、自殺などしない。 ひとはみな わすれてしまう 青春のうしろすがたを
あの頃の私にもどって あなたにあいたい
戻っても そもそも あなたが いない私はどうなるの?
もうごちゃごちゃした 恋愛もどきや 失恋もどき の想い出はけっこうです。 https://i.imgur.com/3abO1Gl.jpg
>>耳たぶのほてりを感じると・あの愛撫がなつかしくなる・・・ >>241
知っているって
本人は死後こんなことで20年間を晒されたくなかったと思ってると思うよ
そういう言い方止めたら?
死者に失礼だ >>244
この本を読んだあなたも >>知っている 人のひとりでしょ。
姪だからって別格なの?
悦子さんのお父さんが実の娘の生き様を、美も醜も誉れも恥も含めて
あらゆる反響を覚悟の上で書籍という形で公開した蛮勇を忘れてはい
けない。 悦子さんが酒を飲んで男と寝るような
軽い女だと全国に広がりましたねw 悦子さんは自分の飲酒を反省してるが、
酒を飲んでだらしなくなったり乱れる
自覚があったんだろう。
小林のときも、中村のときも、酒があ
った。
理想的なことを書くが、実際の生活は
それとは開きがあった。
だからこそさらに理想的なことを書く
ようになる。
そして、普通みんな躁だよな、私達も
同じなんだわ。だから共感できる。 kakkoの失敗をみて
私と同じだと自分を慰める
違うのは彼女は死んでしまっていて
私は生きているというだけなのに
そんな薄っぺらな後出しジャンケン的優越感で
批判めいたことを書いている私 原点の最初のページにある写真みると
前歯の上に要らない歯が生えてるね >>249
写真に向かって左側の上の歯に白っぽいのが見えるね。
それに、右側の眉毛のちょっと奥の上にホクロのような
黒いものが見える。
この写真、美人なんだけど、それ以上に知的で聡明な感
じのほうが上回る。たんに可愛いだけなら近づき難くは
ないが、美人で知的でお嬢様ときたら貧乏男子学生から
は高嶺の花になっちゃうだろうな。
誰からも手を出されない高嶺の花の気持ちになればそれ
はそれで寂しいのかも。
それならタバコ吸っちゃうぞ、成人映画観ちゃうぞ、
酒飲んじゃうぞ、眼鏡かけちゃうぞ・・不良になって
やる、ってか?
実際は写真よりも細顔で可愛かったと証言がある。 2005.11.19(土)13:00〜16:00
高野アイさんとの対談記録
6月17日はワンピースと靴を買ってあげた。鞄は買いなさいと3千円あげた。
下宿に寄ってちゃぶ台の上に食べ残しのオカズがあったのを見た。
ワンピースと靴は最期に身に着けていました。
6月25日下宿に行くと小銭やお札がそこらじゅうに散乱していた。布団は片づけてあった。
ちぁぶ台の上は乱雑に食べ残しがありサケの切り身が6月17日のままだった。
鞄用の札は筆箱の中に仕舞ってあった。日記は10数冊がきちんとまとめて机の上に積んであった。 >>252
重要な証言資料ですね。
6月17日に母と朝食をとったが、そのおかずの鮭の切り身が6月25日も
そのままだったことから、お母さんは私と別れてから1週間ほど何も食べ
ていなかったと考えたのか?
それが、後でわかったことですが、という発言になったのか?
それでは1週間食べていないという証拠としては弱いような。
1週間ずっと鮭の切り身を片付けずに暮らしていたのは、
かなり神経が弱っていたのか、それともやさしい母が用意し
た料理を捨てることができない、母との別離のような心理に
なったのか?
母親に大学を辞める話しをして、母も仕方ないね、というこ
とになったようだが、仕送りも断った可能性が高いと思う。
それによってさらに自分を窮地に追い詰めることになった?
>>日記は10数冊がきちんとまとめて机の上に積んであった。
これは間違いなく、意志的に残したのだろう。
これが本当の私ですというメッセージ。家族への遺書。
わからないのは、紙幣やコインがそこらじゅうに散乱して
いたということ。
もしかしてタバコを自販機買いするために出かけたのだが、
フト、線路を見て死を早めることになったのか? >>252
鮭の切り身だけでは証言としては弱い
だからアイさん証言だけでは真実に欠けると(ry
肉親というのはバイアスが掛かりますから
それも自殺した直後ではね。
食べ残しがあったんだから、何かしら食事は取っていたはずだから
「ほとんど食べてない」とイコールにはならない。
小銭とお札が散乱してたのは
酒に酔った状態で何か捜し物をしてたのかな >>254
何でそんなに食べてたことにしたいの?
何かあなたに利点あるの? >>255
違う
「何も食べてなかった」から連想される体が弱ってたとか
悦子可哀想とか、そういう思い込みの強さを批判してるだけ >>日記は10数冊がきちんとまとめて机の上に積んであった。
普段から10数冊を積んでいた可能性もある。
いずれにしてもこれだけ日記に拘る人もめずらしい。
書くことが好きだったのでしょうね。 書くのが好きというのもあるけど
本音は日記の中でしか言えなかったんでしょう
色んな方の証言を読むとそんな気がする 証言を読むと実際の悦子さんは一様に「大人しい」という言葉が出てくる
けれど日記の中での彼女は結構過激で激しい言葉も度々使うし
自傷行為もやってのけちゃうw
「自分」というものを日記の中でしか曝せなかったんだと思う
だからこそ日記は彼女にとって大切な物だった >>254
京都大学で司法解剖してるから、胃腸の内容物から死の直前数日ほとんど食べてなかったことが分かったんでしょ。
食べた食べないはさておき、ちゃぶ台の上に一週間前の魚があったり、金銭が散乱してたりと、まあまともな精神状態では無かったということでしょう。
おそらく鬱病になっており、(中村の視界に入りたい一心で)かろうじてバイトには行っていた状態。
当日は睡眠剤とアルコールで意識がおかしくなっており、職場の先輩に抱えられて中村に会いに行くも会えず。下宿に戻って日記を積み上げて「死のう」と思い立ちそのまま線路へ・・・というのが最も考えられるストーリー。 >>261
「京大で司法解剖した」とは、どこにも書かれてませんがw
親御さんは霊安室で対面しただけです
ただバイトで22日に会った方は
「死ぬように見えなかった。美味しそうにたばこを吸っていた」
との証言があるので、23日に何か決定的なことが起こったと見るのが
良いのではないでしょうか 当時の睡眠薬は市販されてたとはいえ
氏名・住所を書くのが必須でした。
22日に20錠を飲んだのだから、残りの所持数はほとんどなかったと思います。
別の薬局で買う、という手段もあったでしょうが、
よそで買ってるのが分かれば、入手は難しかったと思います。 ふと思ったけれど
彼女の実家は線路のすぐそばになった。
そして嵐山の下宿も線路が近くにあり、御前の下宿も線路が近かった。
彼女にとって「線路」というのは懐かしいもの・家庭的な物の
象徴ではなかっただろうか。
(嵐山の下宿にいた時にも夜中にトンネル近くに行っている)
もしかしたら、疲れ果てた状態で、そういう懐かしく温かいものに
戻りたい、帰りたいという気持ちで線路に行ったのかもしれない。
そして、そのまま戻らぬ人になった。
機関車の運転手によれば、
警笛を鳴らした瞬間にふと我に返ったような感じで
そのまま線路に横たわったそうだから
突発的なことだったのかもしれない。
(自殺をするならノートは焼いて〜という記述もある) 6月23日はいつも通りバイトに出勤した、という父の証言(バイト先の聞き込み)
がある。
22日の夜に眠剤を飲んで、翌23日にそのまま(部屋は乱雑なまま)出勤した、と
考えられる。(これは眠剤の後遺症)
この日の同僚の目撃情報は自殺するように見えなかった。
そして、夕方か夜に帰宅して、着替えてアラスカへ?
(バイト先にワンピースを着ていった可能性もある)
この空白の数時間が気になる 6月23日秋田ガラクタ箱の管理人は夜8時10分前頃エレヴェーターから出てきた。
バイトは夕方から始まりいつも最初に出会ったときは「おはよう」と挨拶をした。
皿洗いをしていたその日は挨拶をした記憶がなかったので「今日最初からいた?」
と聞いたら「ううん」と答えて中に入って行った。様子がうつむき加減で元気がなかった。
9時ラストオーダー9時30分仕事完了だった。
多バイトは遅れと来たと証言している。 >>261
>>京都大学で司法解剖してるから、
具体的な情報ですが、それはどこから? 当時の新聞でも自殺報道されているし、機関車の運転手の証言も自殺。事件性は無いし
司法解剖なかったと思われます。 映画を観ると轢かれる寸前で驚いてる
飛び込んだのか、線路を歩いていて身を任せたのかどっちなの? >>261
>>おそらく鬱病になっており、(中村の視界に入りたい一心で)
>>かろうじてバイトには行っていた状態。
鬱病かそれに近い状態だったでしょうね。
そして、(中村の視界に入りたい一心で)という表現はそのも
のズバリ。
恋愛についてもこだわりが強く、好きになったらその人しか見
えなくなるタイプ。私もそのタイプだったからよくわかる。
ある意味で不器用そのもの、正直どんくさい。
思想的な考え方や部落研やワンゲルでの熱心さや没入度は普通
ではないレベル。
中村から拒絶された辛さと同時に、自分から学生という属性が
なくなったら、仕送りがなくなったら、そんなことを考えてい
るうちに強烈な不安に襲われたのでしょう。
学生運動なんてなかったら、あるいは深入りしてなかったら、
失恋だけでは自殺までいかなかった可能性が高い。
彼女だけではなく多くの学生が同じような状態になっていた。
学生にとって異常な時代だった。時代の犠牲者だと言える。
無自覚の自発的な犠牲者。 飛んで火に入る夏の虫。 2005.11.2
「えっちゃん」 証言 日記から
「・・・・・高野さんは23日の午後11時頃下宿を出た。最後に話をしたのは自分だったと下宿の
オーナー川越さんは言われました。 よお 頑張ってるか! と高野さんに声を掛けたとき一言
ぐらい返事をしただけでもう誰ともしゃべりたくないような感じだった」
下宿からぶらぶら歩いて男子寮に向かう途中でアラスカでU氏と会いました。
「えっちゃん」は原点ファンの女性、現役の東京消防庁の消防士で一児の母です。
高野アイさんとも会われています。 >>267
お父さんによる後書き「失格者の弁」より
「翌日、赤旗なびき騒然たる京大医学部に安置された遺体を引き取り・・」
とある。
案内サイトには
「1969年6月25日(水)朝、・・父・高野三郎は・・直ちに京都へ向かい、京都府西陣警察署で本人の身元を最終確認した。
6月26日(木)、三郎と、悦子の母・アイは、京都大学医学部霊安室で悦子の遺体を引き取り・・」
とある。
普通に考えて、当日は警察で身元確認、翌日は京都大学で司法解剖という流れでしょう。
監察医による検視だけであれば、警察署からわざわざ京都大学まで遺体を移す必要はない。 >>273
警察で身元確認したのは落としたバックと万年筆だけだと思う
警察には遺体を安置する場所なんてないと思う >>273
丁寧に読んでいて、しかも記憶力がいいですね。
驚きます。 >>273
お父さん、残念な母校訪問になってしまったわけだ。
赤旗なびく、なんて表現はリアルだな。 >>274
大きな警察署にはふつう霊安室がある。病院に運ばれなかった事故遺体はふつうここに直行し、検視をうける。その結果、必要あれば司法解剖に回る。
京都大学という特殊な場所に運ばれた理由は司法解剖と考えるのが自然であろう。
当日のうちに司法解剖に回されたのであれば、警察署では所持品による身元確認だけだった可能性は、確かにある。 西陣警察署(現在、上京警察署)でググると
上京は中規模の警察署だそうだ。
統合して上京になったから西陣では司法解剖出来なかったと思う
いずれにせよ
憶測の域を出ないが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BA%AC%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E7%BD%B2 >>278
規模の大小を問わず警察署では司法解剖をやりません。
やるのは通常、大学医学部の解剖室。あるいは東京や大阪であれば監察医務院です。
ですので、カッコちゃんの場合、司法解剖であったと思われます。 https://www.yoriso.com/sogi/kenshi/?utm_content=yellow&utm_campaign=renewal&utm_source=yoriso&utm_medium=organic
自殺だったのか明らかなので
京大病院では検死をしただけかもしれない
解剖まではしてない可能性が高い 280のサイトや他のサイトだと
解剖をした場合、遺体は2〜3日してからじゃないと引き取れない
悦子さんはすぐ引き取られたので解剖はしてない 具体的なことは言わないが、
親の身になったら、やっぱ悦子さんは親不孝の極み。
親の気持ちになったら耐えられないほどの苦痛だわ。
もう悦子さんも二十歳の原点もサヨウナラだわ。 282じゃないけどウチの二人の娘は、滑り止めの立命蹴って高野さんより賢い学校行って就職したんでとりあえず一安心 もうすぐ得体のしれない男に持っていかれるんだから、許してやれ >>280
>>281
検視だけであれば、大学医学部に送られることはない。警察署内で検視官と医師が行う。
大学医学部に送られたということは司法解剖が必要だったということ。
夜間の事故であること、目撃者が運転手だけであることから、他殺(暴行されたうえ線路に置かれたなど)の可能性がゼロとは言い切れないので、解剖する可能性はじゅうぶんある。
事件性のない事故死の場合、司法解剖自体はすぐ終わる。他殺の可能性なければ遺体はすぐに遺族に戻ります。
特に当時はDNA検査も無かったし、肉眼的な剖検所見に異常なければ即返却だったでしょう。
よって、カッコちゃんは司法解剖された可能性が高いと思われる。 続き
遺体を受け取った場所は「大学病院」じゃなくて「大学医学部」だからね。
医学部の霊安室というのは法医学と解剖学でしか使わないからね。 ちなみにカッコちゃんが20錠飲んだと推測されるブロルワレリル尿素系睡眠剤
wikiによると
「急性中毒では、見当識(いつ、どこ、だれの認識)の障害、言語障害、
歩行障害などをきたす。呼吸抑制も生じる。服薬中止や輸液により数日から、
遅くて数週間で回復」
とある。これ、自殺当日の「アラスカ」およびその後のカッコちゃんの言動そのまま。
20錠を一括で飲めば、その後数日はこのような状態であるのはむしろ自然かと。
自殺の直接の引き金は睡眠剤だったということかな。そのベースには失恋と学生運動の行き詰まりがあったとは思うが。 >>285
まあ最近は親子の確執による殺人も頻発してるし >>289
だから〜
20錠くらいじゃそんなにならないよ
100錠くらい飲めばそうなるけど
いい加減、眠剤に無知なんだから辞めろ >>291
当時市販されていた睡眠薬がブロムワレリル尿素系が主流なので、カッコちゃんもそれを飲んだという仮定で。
「ブロムワレリル尿素の極量は1回2g,1日3gであり,経口成人中毒量は6g,経口成人致死量は20〜30gといわれている.」
以上、日本中毒学会ウェブサイトより
添付文書によると
「不眠症には、ブロモバレリル尿素として、通常成人1日1回0.5〜0.8gを就寝前または就寝時経口投与する。」
とある。
カッコちゃんは6月22日の日記に
「買ってきた睡眠薬は不眠症には2錠が適量だという」
と書いている、そして「20錠飲んだ」とも書いている。つまり常用量の10倍だ。
常用量が0.5〜0.8gで、中毒量が6gということは、10倍飲めば中毒量に達する。
しかも初めて服用するのだから耐性は生じておらず、よく効く。
したがってフラフラになってまともに歩けなくなったり、意識朦朧としていたのは不自然ではない。 >>291
あと、「無知なんだから辞めろ」というのは良くないね。
相手は玄人かもしれないんだし。
仮に無知であったとしても、だから意見を言うなというのは、カッコちゃんが最も嫌う考え方じゃないかな。
未熟であることを自分の原点とし、下手でも絵を描き、歌を歌う、と宣言するような子だからね。 たった一ヶ月半で中村に燃え上がり過ぎてて変だな
それまでは鈴木のことばかり書いてたのにね >>294
鈴木の前は渡辺でした
カッコちゃんの浮気者w http://plaza.umin.ac.jp/~safeprom/pdf/JSSP12(1)-TakizawaPaper.pdf#search=%27%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%B3%E9%8C%A0%27
しかしブロバリン錠やカルモチンは、ブロムワレリル尿素の含有量が
一錠あたり0.1gと少なく市販され続けた。
経口摂取されたものは20〜30分で効果を発揮する
1錠で0.1gなら20錠を飲んでも2gにしかならない
http://jsct-web.umin.jp/shiryou/archive2/no3/
致死量は20〜30gがその値
2gなら大したことないねw 大したことないって、2gでも極量ですよ?
しかも人生初の服用で。
翌日ケロってわけにはいかないでしょ。
主治医の竹内医師も睡眠剤服用が自殺に影響した可能性を指摘しています。 小林との性体験後、欲望に火が付いちゃったんだよ。
男とまったく同じ。 もともと悦子さんはあの時代の女性にしては性に対して開放的な考えを持っていたというか、
セックスの快楽に溺れやすいタイプだったのでは。中学のころから自分の自慰行為について
ちょくちょく日記に書いているくらいだからね。 母親と話し合い京都駅で見送った後に悦子さんは
不安でいっぱいになった。
だから母親がつくった朝食を1週間もそのままに
した。片付けることができなかった。
それは大学を辞めることを母に伝えたことから
始まった。おそらくは自立するとまで言っただ
ろう。
母は受け入れたようだが、仕送りのことまで話
し合われたかは不明。
その力も無いのに革命運動論に影響されて一人
前に立派なことを言う悦子さんなんて信じずに、
手を差し伸べ続けるべきだった。
大人扱いしてはいけなかったのだ。
大学生ではない私って?
勉強とか闘争とか恋愛もない生活なんて耐えられ
ない、三十歳まで生きても仕方ないと書く。
将来展望を失った悦子さんに、さらに中村の拒絶
という打撃が襲う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています