群像新人評論賞
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
熊野純彦、鷲田清一、大澤真幸が選考委員になったそうだが
いったいどうなる? 読んだ読んだ。
熊野純彦先生が批評に造詣が深いというのがよくわかるよね。 書いた評論が熊野先生に見てもらえる日がくるなんて夢にも思わなかったな…
絶対投稿しよう 自大大学院の紀要に載せようと思っていたけどボツにしたのを適当に送る、ということをやっていたら通っちゃったりしてな。 【群像11月号】大澤真幸、熊野純彦、鷲田清一を新たに選考委員に迎えた「群像新人評論賞」。優秀作2作が選ばれました。
荒木優太「反偶然の共生空間――愛と正義のジョン・ロールズ」、高原到「ケセルの想像力」。新しい才能の誕生を、ぜひご確認ください。
Twitter gunzo_henshubu (群像編集部) - 21分前 評論を書ける人ってすごいなー
俺には難しくて書けない 熊野氏のカント評論はすばらしいな
あれほどの文章が書けるのだから
アカデミズムから批評界に転向するかもしれんな 第60回の発表はいつ?
発表予定とされていた11月号にはないが。 新たに一冊を読むたびに構想からやり直し
考え、書くのは楽しいが、今から締切が心配だw すばるに新しく評論の賞ができたね。
誰か出す人いる? 新潮の賞は終わっちゃったしな。すばるは掲載はするけど本は出ないみたいだし、応募者少なさそう。 僕の知り合いの知り合いができたネットで稼げる情報とか
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
SYGQQ ゲンロン批評再生塾の塾生を入選させるためなんだろうな。 誰でもできる嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
ST0 過疎だけど、皆さん、書いてますか?
保田與重郎、小林秀雄、加藤周一、江藤淳、福田恆存、吉本隆明、
等に憧れて評論家目指す人ってもういないのかな
なんか日本文学の衰退を如実に示されているようで悲しい…… 私も出しました。
ずっと(10年間)小説を書き続けてきたが、どこも1次落ちなので評論に鞍替えした。 >>31
講師のK氏がツイッターで5月まで執筆モードと書いてるし(明らかに群像評論賞)、たぶん今年はこの人が最有力だろうね
若いし新人という枠にギリギリ入る
でもあずま先生は公平な人だと思うよ
そう信じてる 気が早いが、連絡があるとしたらいつ頃なのだろうか。 人が、あんなに過疎だったスレに、人がいるぞ!
今日が締め切りでしたね 皆さんお疲れ様でした
評論志望の人は、次はすばるクリティークかな?
コツコツと頑張りましょう〜 >>38
すばるクリティークは最終選考委員が必ず全部見るってのがいいよね
正直、下読みはあてにならん
文學界とか下読みなくして全部編集部らしいけど、1人500本担当だから常連以外は1ページ見て捨てるらしいし >>36
ゲンロンの講師というと黒瀬?
だが、それはあまり現実的ではないような。
最近の群像評論賞の宣伝上のデビュー効果
を黒瀬は必要としない知名度を既に持ってる
から。むしろ、今さら感が強すぎる。
加えて、去年の同賞受賞者の出身地が高知県
で黒瀬と同じ。
まあ、黒瀬の応募は無いでしょw >>41
そうかなぁ?
ツイッターみたらありありだよ
知名度はあるから群像新人評論賞とって大学教員コースじゃない? >>41
知名度はあるから今さらデビュー効果はない
でも権威はないから(失礼!)群像とりたいかなと
4月末まで執筆と言ってるし
ただまあもし出して(確実に最終までは行くだろうから)落ちたら名前でてカッコ悪いリスクはある ちなみにツイッターみると、東大卒院生、お茶の水休学ライターなんかが投稿の話してるね
今年は180くらいかな?
平成論とか多そう 5月まで執筆モードって、黒瀬は確か本を書いてるんだったと思うよ。 >>45
あ、そうなんだ!
ならまあ違うか
ただまあ講師レベルじゃなくても批評塾関係者も10人くらいは出しそうね
去年はそういう「ポストモダン」を忌避するかのように平易な柳田論だったが あずまん自体、何となく難しい言葉を使ってそれっぽく論じる「産業」に対して文學界どこかで批判してたが
かつ、自分もその流行を作った一人として反省すると
あずまんはポストモダンを使いこなしてるから良いが、あずまんワナビーはポストモダンに使われて振り回されてるもんな 自分は日本のデリダとかドゥルーズの受容の仕方や取り上げ方が
軽率だったと思うんだよねあ、ニューアカデミズムとかあの辺がさ
あと、ポストモダンどころか、少し前の、現象学、実存主義、構造主義等を
全然勉強してない人が、ソーカル事件口にして分かった気になってるのが良くない
例えばデリダの『そのたびにただ一つ、世界の終焉』
とか非常に真面目に他者の死の追悼している本があるけど、
ニューアカデミズムの軽薄さとか、ソーカル事件とか、
デリダ読まない人が作り上げたデリダのイメージとはかけ離れているんだよね
だから、例えばデリダ一人取っても、友の死に苦しむ一人の誠実な人間だった事を
しっかり考えないで、ポストモダンだなんだって分かった気になってもしょうがないと思う 正直ヨーロッパのようには、ルネサンスも科学革命も技術革命も市民革命も
経験しなかった日本で「ポストモダン」とか言っても前提が全然違うから意味ないと思んだけどね
ヨーロッパが中世とか近代とかの歴史を今だからこそアナール学派みたいな人が
徹底して研究して、歴史観そのものを改めて問い直しているのに、無反省に
「中世」「近代」「ポストモダン」みたいな区別使うのは危険だと思う。 丸山眞男が『日本の思想』で提出した日本人の西洋受容の根本的欠点は、
定期的に丸山眞男ブームが起こっても改まらないんだなと思う
そしてそれが軽率な「ポストモダン」がいつまでも続く原因なんだと思う
ボシュエ、シャトーブリアン、シャンフォール、オーギュスト・コント、メーストル、
ジャック・マリタン、レイモン・アロン、カンギレム、カヴァイエス、
ペギー等、日本が受容出来てない抑えてなきゃいけない筈の
フランスの文人が多すぎるんだよなぁ……
ポストモダン以後だと、ジャン=クレ・マルタンとかジャン=リュック・ナンシーとか
デリダやドゥルーズやってる人でもあんまり読まないで、アガンベンやジジェク辺りを
過大評価するし……
大丈夫かね、本当にさ >>44
平成論かぁ 自分は素朴にデリダ論書いてしまった
東さん選考委員になったし、せっかくだから、と思って
時代論とか書ける人なんか器用な感じがして凄いと思う >>40
批評家育てようとする新人賞が少なすぎるよね
小説家以外は作家にあらずみたいな風潮が苦手
漱石とか太宰とか川端とか三島より、小林秀雄が好きでもいいやんな そういや、三田文学新人賞にも評論の賞あったな
授賞しても後が続かない雰囲気がするけど笑 新人賞取るまでが大変で、l新人賞取った後はもっと大変なのが宿命なのさ >>48
いい話だね
柄谷行人先生が「結局派手に目立ちたいやつしかいない」って言ってたけど、なんか「デリダとかドゥルーズ取り上げときゃ喜ぶっしょ?www」みたいな軽薄な感じなんだよな
あずまんはやっぱ本物だがワナビーはね
あずまんも言っていた気がするが、現状は「大昔の、批判されていたころの大学教員」になってて、だったら今の新しい世代の若い現役大学教員に書かせたほうは100倍マシ
権威主義になってしまうが、中島義道が言うようにやっぱ博士号を足切りにするほうがまだ「マシ」かもとさえ思う >>51
上でデリダ論批判してすまん
平成論みたいなのは新人がやることじゃないと思うよ
たとえば平成生まれが平成論書いても話題性狙い以外の深みがない
タイトルは令和君こんにちは:F市N寿論ってね >>52
だいたい小説も評論も文学だよな
こんなこと言ったら怒られるだろうけどさ
私も小林秀雄や福田恆存が好き
小説も読むけど
あ、あと坂口安吾は小説より評論が好き >>53
むしろ法政の教授とか出してる
受賞さえしたらまあまあ生き残ってる
が、毎年受賞なし 大学が自浄作用?あるいは競争激化?で面白い人を出し始めたのに、文芸批評業界が業界人になって昔のアカデミアみたいに閉じてしまったというのは面白いね >>55
東さんもネットだと馬鹿にされるけど、東大で哲学で博士号取るってのは凄い難しいことですからね
東さんの全ての著書や発言に高い価値があるかっていうと微妙ですが(汗)
デリダでもドゥルーズでもヨーロッパの一流の思想家が今でも生涯考え続ける思想家で、
一時的な流行で消費していい思想家ではないですから
彼らの名を振り回す人に限ってなんか、受け入れ方を間違えてる感じがしますね >>57
フランスだと、戯曲家でも詩人でも小説家でも評論を書く伝統があるので、
評論は文学の一つのジャンルですよ、というよりフランスだと哲学者でも文学批評書くから、
批評は、文学であり、哲学であると思います。
ボードレール、ヴァレリー、ロマン・ロラン、サルトル、ボーボワール、カミュ、
クローデル、アンドレ・モーロワ、ベケット、フーコー、ドゥルーズ、デリダ等、本業の他に優れた文芸の批評書きましたからね
安吾の小説は、地道に推敲すれば傑作になったのに、
推敲に飽きてきて放り投げ、傑作になれなかったようなもどかしい作品が多いですね笑 >>58
それは良いことを聞きました
すばるクリティークの他に三田文学新人賞も書けたら送ってみます みんなは普段群像買って読んでる?
自分は読んでないのに新人賞に送ってるから、ちょっと後ろめたさがある
やっぱ買い支えた方が良いんだろうけど、あまり読みたい内容がなくてな…… ゴールデンウィークだってのに原稿を書き上げて燃え尽きたせいで楽しめないぞ
「燃え尽きたので?」「燃え尽きたので」やや、こいつはコトだ! >>60
馬鹿にされてるの?!
普通にすごいよ
かつ、博士号がすごいんじゃないが、博士取れる学問水準で一般ウケも出来るのがすごい
いまの群像のなんちゃって批評とかは学問の専門家からみたら相当酷いんでない >>61
なるほど、面白いです
日本でも批評と文学を分けてるのはワナビーだけだと思うけどね >>63
まあ、投稿する以上は普通は買うよ
でないと「群像風」に書けないし
天才なら関係ないかもだが、結局傾向と対策よ >>68
今年の芥川賞は2chで当てたよ
かといって評価してるわけでもないが
若い人は今のところ全然ダメだね
批評は柳田論やホームズ論の人はまあありなんじゃない?
小説はどうだろうな、やっぱ宮本輝が一番よく感じる >>68
文芸村の住人の若手批評家はどれも多作だがしょうもない
逆に学問系は最近面白い人増えたが全然商業誌に書かないよね >>69
自分も柳田論の人は変に衒わずに素直な、誠実な文章を書いていて良いと思いました
そして若手の作品の質が低いのも自分も危惧している所です
若いのだから未熟でもしょうがない、経験積んで成熟してくれと思うのですが、
若い時から傲慢さ謙虚さもなく、流行を真似したような文、基礎のない人間が
奇を衒っただけのこけおどしのような文を書いてそれが評価されるのが恐ろしいです >>71
全面的に同感です
中島先生がいうように博士を足切りにするのも一つの手だがそうすると吉本隆明は生まれない(まあ、今なら吉本も博士くらい取りそうだが)
だけどちゃんと積み重ねるものは積み重ねて欲しいよね
文芸村は教養を謙虚に積むべきだし、アカデミアの若手は商業にも挑戦すべき >基礎のない人間が 奇を衒っただけのこけおどし
いい言葉
基礎が大事
小説も古典と並んでどう見えるのかを常に考えなきゃいけない
が、今は「読む人は書く時間がない」(ショーペンハウアー)だからね笑 >>73
偉大な書物に対して敬虔であること、読み手に対して誠実であること
このことさえ守れない文筆家がどれほどいることでしょうか……
あなたとやりとりが出来て良かった
やはり誠実な人間の誠実な言葉が一番輝きを放つのですから
そして、その誠実の輝きが、輝きこそが、世界に信頼を取り戻させてくれるのですから なんだかまた過疎になり始めたぞ……
評論家志望なんて稀少人種なんだから、皆さん、ROMってないで書き込んでくれよな(ただし荒らしはNG)
自分は次は、すばるクリティーク、三田新人文学賞目指して頑張ります >>74
まあ、みんな内心思ってると思うよ
批評塾系サブカル系が結局テキスト読まない感じになった
まず、フランス語読めないんじゃないかな、わりと冗談じゃなく
>>75
すばるクリティークは上にもあるけど最終選考委員が必ず1次から読むってのがいいよね
三田文は慶応出身じゃないと迷うだろうね
最近はなぜか日大ばかりだが >>76
ある程度の大学でも、日本文学の先生なんかは、早慶辺りの大学でも
フランス語まったく出来ないのに、ロラン・バルトを翻訳だけ読んでかぶれたりしますから、
若手がフランス語出来ない確率はかなり高いでしょう
それにそういった若手が、文学や哲学の古典を最低限読まないで、
サブカルチャーについてひどい文章を書きますからね
フランス現代思想の同人誌にもならないような文章を得々として書くからいやになります
年配の大御所が憧れるような存在でなくなったのも批評の衰退には影響があるでしょう
年配も若手も駄目だとなると、本当に人生が育たないものですから
>>75
すばるクリティークには意気込みを感じますね
商業的にはかなり厳しいですから、残念ながら悲しいですが、長続きするかどうか疑問ですが
新潮も昔は評論賞がありますが、結局なくなりましたからね……
三田文は確かに、独特の、高踏的な閉鎖性を感じますね >>77
まあ大学教員はさすがに読めるとは思う
特にフランス文学が専門なら100%
日本文学の人はまあ、日本語と英語くらいでも専門がしっかりしてたらいいんじゃない
フランス現代思想の専門家を自称しながらフランス語読めない(サブカルにたくさんいる)のはかなりまずい状況だと思う ああ、送った原稿読み返してたらちゃんと推敲したはずなのに誤字脱字がちょこちょこある
やっぱり推敲する日を何日か持たなきゃ駄目なんだな
>>78
本人達がそのことについて問題意識を持ってないのが一番よくないですね
そういう人達が軽率なフランス現代思想の使い方や論じ方をして、一般の読者が
偏見を抱く結果になるんだと思います 推敲はすごく大事。
次はおれもすばるクリティークに向けて頑張る。 あんまり意欲的な人来てないね。
これじゃ上手く行って優秀賞レベルだろうな。 >>79
君自身が軽率じゃなければ幸いだがw
「フランス現代思想」なんて言ってる人達こそ、最も軽率な人達だろ。
スレの流れを見てるとゲンロン批評塾の2chスレと雰囲気は同じだよ。
ローカルな言いぐさでwゲンロン批評塾生が批評の将来を担うみたいなこと言ってたが、それは先ずないw
あそこは馬鹿しかいなかったが、このスレにも似たようなのが集結しているw >>82
そうかな?そっちのスレは知らないが、ここはまともだと思ったけどね
真っ当な意見しか出てないしみんな謙虚 まあ、審査は後は審査員と編集部が決めるから話題にしても意味がないのはそうだ
でもって有用な質問したい
電子投稿にした人、投稿完了メールきた?
投稿完了画面にはなったがメールは来ないんだよね
文芸春秋は必ず完了メールくるから心配になった
ちなみに中央公論は完了メールこないけど載る >>84
自分は去年メールで投稿しましたけど、メール何日待っても返って来なかったです
去年の話なのでどこまで参考になるか分かりませんが、凄い不安になる気持が
よく分かるので、一応
自分は去年いくらネットで検索しても、新人賞のメールの返信について
書いてる人いないんで、余計に不安になりました(苦笑)
今年メール投稿した人が返信してくれれば良いですね 地方の文芸賞でもしっかりしてる所は、受け取った印のハガキとか
返信メールとかしっかり返してくれるんだけどね
大手の文芸雑誌が、少なくない時間と労力費やした原稿をいい加減に扱うのは
やめて欲しい >82
ゲンロンは批評再生塾がああいう結果に終わってしまったからなぁ
東さんとか、講師の方々とか、講座の受講者の方とか、ああいった人達の悲しみを考えると辛いね
文学批評の空間やアカデミズムの閉鎖性に刺戟を与えて、
誠実な書き手が世に出るきっかけが増えてくれば良いと思って見守っていました
閉塞した今の状況で努力した人々を、決して茶化すべきではないと思います >>85
ありがとうございます!
メールってかネットのフォームからいくやつですよね
よかった、やっぱメールは来ないのか
今年の人いたら教えてください
群像は「問い合わせに応じません」ってのが強調されているから確認メール(コンピュータで自動)もやらない(メアド分かっちゃうから)なのかな? >>89
間違えました
そうです、メールじゃなくてネットのフォームからいくやつです
ネットで幾ら検索しても、誰もメールが返って来ないことを書いてないので、
去年、余計に不安になりました笑
群像は電話番号も新人賞の募集要項にのっけてないですからね
なにかあったらどうすんだ、と思います
だから、返信メール返さないのも、「問い合わせには応じない」
という姿勢を徹底しているからなのかも知れません
電話番号の方は検索すると普通に出てきますけどね笑
返信してくれる方がおられるといいですね >87
2chスレの批評塾賛成者達はヒデーもんだったよ。
一方で彼等による、東の批評再生塾の始末記についての批判も多かった。
>88
無責任な冷笑も、人の誠実もここには無いんだけど。
>90
そういう群像編集部に対する疑問はむしろ、批判に変えるべきでしょう。
応募者には完璧を要求する癖に、一方で出版社側は無駄に強気に無法を貫く。
これは公正ではない。
何処の出版社も似たり寄ったりでしょうがw >>91
まあ新人賞取るまでは編集社は神様だから仕方がない
逆に一度載り始めれば拍子抜けするくらいどこかで書くってのは簡単 >>91
地方の小規模な文学賞でも、、確かに作品を受け取ったことの連絡は
だいたいしてくれるんですけどね
応募規模が数千、数万とかの規模ならまだしも、
200名前後しか応募者がいない賞でこの対応はちょっとどうかな、と思います
まあ、文学の世界そのものが非常にいかがわしい世界ですけどね
去年の北条氏の作品の持ちあげ方や、盗作騒動の擁護の仕方も
非常に唖然とするものでしたし 数十年前にはノーベル文学賞候補の作家とか、西洋の文学と張り合えるような、
複数いたのに、今はもうこの体たらく……
落差がひどいだけに余計に悲しい 贅沢は言わないから誠実な批評が全うに評価されて、
自分が落ちても納得するぐらい良い作品を読みたいもんだな ゲンロン界隈がコネでねじ込まれたりしないよな?
去年の騒動思い出すとそれが心配だ 心配してもどうにもならねーけどな笑 >>93
美しい顔って自分かと思わせて…ってのが話題性として話に上がってたらしいですからね
なんで顔わかるの?って感じ
知り合いだったのって 前回当選作「故郷と未来」の評価はどうなの?作者の専門が歴史学って批評では相当珍しい気がするんだが。
文章も横文字の思想家・哲学者が全然言及されてなくて、いわゆる批評っぽい文章ではないよね。
選評では評価されてたけど、今時の批評に慣れてる若い世代だと面白くないんじゃない? >>98
上にも書いてあるがやっぱアカデミアの訓練受けてる分、積み重ねは感じる
ただ批評というよりは評論だよね
文学賞から評論賞に変わったからこその受賞で、これはこれでありと思う
欲を言えば、専門もありながら批評ぽさもあればもっと良かったね まあ選評にもあったが現代思想知ったかぶり系はおなか一杯だからそれでないだけで好感度は高い
選考委員も現代思想系(あずまんワナビー)にうんざりと書いていた(意訳)のは興味深かった
選考委員はちゃんと考えてるんだなって >>100
一般人だけじゃなくて、選考委員の方でもやっぱりおなか一杯なんですね
自分は腹一杯どころか胸焼けがしはじめていたので、少し安心しました >>101
でも今年は2/3は変更だけどね選考委員 そろそろ編集部内での下読みが佳境らしい
たまーに出入りしてるもんだから情報が入ってきた
お盆あけの8月最終週か9月前半かドキドキが続く
選考結果は教えてくれなかった >>105
出版はお盆って感覚もないが編集部がバラバラに休みがちだからね
八月最終週か九月前半に連絡、一か月校正して十月前半に最終選考会、コメント書いて十一月初旬に出版だね >>106
ありがとう。
最終選考会前にちゃんと校正が入るのか。期待せず待つこととしよう。 >>107
小説はそうだけど評論は始まって数年だから今も校正があるのかは分からないけどね
どちらも文学賞だったときは校正は1か月だった 誰か傾向と対策で次に何がくるか予想してくれ。
2015年 ロールズ論、ジョナサンリテル論
2016年 シモーヌヴェイユ論、大江健三郎論
2017年 ホームズ論(というかコンテンツツーリズム論)
2018年 柳田国男論
2019年 ??? >>109
受賞はしないと思うが最終に一つくらいは東浩紀論はありそう
あずまんファンはあずまんに寄せたもの書きそうだしそもそも応募作の中にたくさんあるだろうから
受賞は何論でもいいけど面白いのにして欲しい
受賞作でもつまらないの多すぎ 電話連絡なのかな
落選の通知を速めてくれたら三田文学にも出せるのに >>112
群像って落選通知こないよね
地方文学賞とかは手紙で教えてくれるけど
三田文学は10月末だっけ?
10月入るまでに連絡こなきゃさすがに落ちてるから出せばいいじゃん 二重投稿扱いにならないかな
三田文学は10月31日までで群像は11月7日刊行だけど >>114
あー、下手に二次とか残ってたらダメだね
タイトル変えて中身も2〜3割書き直したら ついに9月か
例年の感じだと今日までに連絡こないと最終には残ってない感じだね
最終に残ってた人いますか? 書き直すのもしんどいから新しいテーマで書こう
大幅に直して収拾がつかなくなることが多くて
そうなのか昨日まで連絡ないとダメなのね
下読みで落とされるのつらいな いやあ、まだ分からんだろう(と思いたい。) 106が9月前半もあると言ってたし。 >>118
いや、最終候補は9月に入るまでだよ
二次三次は11月までわからんが >>119
どして内部事情に詳しいの?
連絡は電話なの? 書面? 内部事情なんて知らないけど、この板に常駐してたら知ってるもんだよ
どの文学賞も締切から4ヶ月目の月末連絡、そこから約一ヶ月〜一ヶ月半後に選考会、その一ヶ月後に掲載号が出版
新潮とか文學界とかは下読み座談会やったり作家がインタビュー答えてたりする
実際の関係者はこんなとこにはいないだろう
みんなそういう情報の寄せ集めで知ったかぶりしてるんだよ 106も同様
文芸板はそうやって不安にさせて煽るのが伝統
本当のことは編集部しか分からない 今年は初めて受賞者なしらしい
ツイッターに最終候補者がいた >>127
キミ、嘆くことなかれ。
大澤氏ら選者3人が最終候補5作品を酷評しているのは編集部の大失態。
応募作品すべてが低レベルだったのでなく、編集部の作品審査がお粗末だった可能性あり。
おそらく東氏ら選者3人もその懸念を抱いているはず。「もっとマシなのがあったろう」と。
この賞に限らず、各種文学賞でも編集部の予選審査がいい加減なために良作が世に出ないのでないか?
出版社の編集者が旧態依然から脱しないと、この国の文化は衰退するばかり。 >>128
受賞作の傾向は毎年バラけてるから特定の傾向を帯びた旧態依然でずっとやってる印象は無い。
それより気になるのは、東浩紀と山城むつみが入った途端カラタニがどーのとかいう「批評についての批評」が2つも最終候補入りしたこと。少なくとも賞が独立してからは今年まで1個も無かったでしょ。
選考委員を見てそういう応募作が増えた(そして相対的に優れていた)可能性もあるが、下読みとか編集部が「選考委員変わったからこの辺りを最終候補にするか」とか要らん忖度したんじゃねーのという疑念がある。それで劣った作品を選んじゃったんなら確かに大失態だわな。
ホントのとこは分からんけどね。 どうせ落ちたからといままでチェックしていなかったんだけど、今日見たら一次だけは通っていた。 >>128
なに言ってる?全部の作品を読んでると書いてあるじゃないか。
編集の責任ではない。
我々書き手の責任である。 今月の群像に東・大澤・山城の特別鼎談「いま批評を書くとはどういうことか」が掲載されている。
今回当選作なしという結果になった理由や、彼らが応募者に求める批評像についても色々語られている。
次回以降投稿する予定の者にとっては必読の内容だ。 ここの賞の評論って
歴史評論でもOK?
トンデモ歴史批判で、
原田実氏が書いているようなの。 >>133
ジャンルは問わないとなってるし良いんでは >>135
よし、ここに投稿してみる。
都市伝説やフェイクニュースの検証みたいなの、
需要はあると思うんですが
投稿しようと探してみると
受けつけているところが見つかんないのですよ。
アパグループのやつはトンデモを造る方だしさあ。 投稿したけど中間発表なしだから
11月まで結果分からんのね。 本日しめきり。
新型コロナの影響で
投稿者が増えるか減るか 図書館使えないのは痛いだろうな。泥縄でコロナ論とか書いても成功するとは思えないし。 今年はウェブで応募したら受信メール来た
なんか嬉しかった コロナで仕事にトラブルが続出したり、図書館閉鎖されたりして、
結局書けなかった
気持を切り替えてすばるクリティークに向けて頑張る
送った人は良い結果出るといいですね 俺もすばるクリティーク頑張ろう
去年の選考の座談会読んだけど、だいぶ評価がわれてたね 2015年 ロールズ論、ジョナサンリテル論
2016年 シモーヌヴェイユ論、大江健三郎論
2017年 コンテンツツーリズム論
2018年 柳田国男論
2019年 (受賞作なし)
2020年 ???
去年の選評読むとあまり期待できない感じだがね。東浩紀が選考委員になってレベル下った。 八月までに図書館は復活するかなー
新聞の縮刷版チェックできないのが
思いの外にイタイ 今後の展開次第だけど、現時点では、図書館が再び利用出来るように
なりそうだね
関東は発症者が多いから、ちょっと微妙だけど……地方は大丈夫そう
また使えるようになってくれるとありがたいな >>145
東浩紀は文學界でも受賞作なしにしたし再生塾でも塾生の作品を結局誰も売り出さなかった
候補作を読めないから審査が実際公平だったのかどうかわからんね 群像評論賞とったら、評論家って名乗ろう
名刺もたくさん刷ろう コロナで応募総数が減ったから早く選考が終わる可能性と
コロナで途中選考の下読みが仕事できないから選考が長引く可能性と
どっちが高いかな。 すばるは8月末だからあと2ヶ月くらいしか余裕ないな
社会人になってから時間経つの早いなぁ 3ヶ月ぶりぐらいに原稿を読み返していたら
途中で寝オチした・・・。
最終選考はもう一ヶ月ぐらいかね。 もう半年ぐらい前に書いて投稿した気分だったが
締め切りからはまだ3ヶ月しか経ってなかった。 すばるは無理だな
いそがしすぎてなんもできんかった そうか、敗戦か。
いまから改訂増補して
小学館ノンフィクションあたりに出すか。 以前のこの賞の受賞者の荒木さんが今度岩波新書で有島武郎論を書くみたいだね
受賞者の活躍を祝いつつ、後進が触発されて良い流れが生まれて欲しいと思った 連絡来なかったから
加筆して小学館ノンフィクションに投稿することにしました。 >>169
小学館ノンフィクションは募集要項を見る限りでは、
多様な原稿を受け入れてくれそうな賞ですね
最終選考の連絡時期まで書いてあるあたり、親切だと思います
頑張って下さい >>170
応援感謝。
最終選考候補には九月末に連絡って、
選考のペースがすっごい早いッス。 >>171
賞金額も高いですから選考過程にもお金をかけて、大掛かりにやるんでしょうか
1ヶ月で最終選考まで行くのはかなり早いですね
要求される枚数が多いので書き上げることの出来る人は凄いと思います 今年も落選かよ
ちきしょう
地位と名誉とカネが欲しいんだよ
どうしてわかってくんないかなー 「これ書いた人は地位と名誉とカネが欲しいのか」って分かったら通らないだろ 何年か前の大学の先生の受賞コメントで
引率先の空港で受賞の知らせ聞いたみたいな話があったんで、
最終選考残ってる人には、やっぱお盆前には連絡行ってそう。
>>173
いまから群像応募作プリント
郵便局の夜間窓口行って
すばるクリティークに応募してみてはw。 すばるクリティークなんとか間に合って出すことが出来た
後は10月31日締め切りの三田文学新人賞の評論部門に出すかどうかだなぁ
三田文学のホームページに行ったら、2020年夏季号に
ジャン=リュック・ナンシーの評論が掲載されているのを知って驚いた
ナンシー掲載出来る底力がまだ三田文学にはあるんだね 頑張って欲しい >>179
間に合って良かったですね。
コロナで郵便局の窓口が19時までなのは勘弁して欲しい。
ポストは最後に21時回収とあるけど何となく不安。
そういや三田もありましたな。
半年後の群像の準備よりも、
2ヶ月で何か書いてみるのも良さそう。 >>180
不安になるのは分かります、
自分は不安に堪えられないからポスト投函じゃなくて
タクシーで遠くの郵便局まで出かけて、窓口へちゃんと引き渡しを選びました
大丈夫だとは思うのですが、コロナで色々なイレギュラーが生じて
いますから、小心な自分は用心第一です
三田文学は該当作なしが非常に多いですね
ある程度の分量を苦にせず書ける人なら、上の方の挙げられていた
小学館ノンフィクションみたいな賞のように
ノンフィクションの賞なども視野に入れて見た方が、
色々な可能性が広がりやすいのかも知れませんね
例え直近のどの賞に出すとしても良い経験になるでしょうから、お互い頑張りましょう 信じて待っていましたが、今日まで連絡ありませんでした
期待した分だけショックですね
まだ希望を持っている人いますか? 連絡なかったから
加筆して小学館ノンフィクション賞に投稿したよ。 群像に投稿した時に
制限枚数に合わせるために割愛したため
書き足らなかった部分も多少あったし、
3ヶ月経って考えもいろいろ発酵していたから
加筆する分には苦にならなかったです。 >>181
三田の評論ってどんくらい来てんでしょうね。
「すばる」が50くらいだから、それより少ないとは思いますが。
>>182
雑誌の発売日が絶対動かせないことを考えるに、もう候補者に連絡は行ってるでしょう。
「すばる文学賞」スレで最終候補者のおもらしが話題だけど
情報がまったく出て来ないのは、当然、箝口令敷かれるわけで。
>>184
作家論書いてるとき、なんか評伝的な文章を要約しながら書いてるだけだわと思うところありました。「群像」はノンジャンルだから、広げてノンフィクションもアリでしょうね。 今日はグーグルが幸田文生誕116周年ということを祝ってるね
他の文豪を差し置いて何故に幸田文? 他の文豪もどんどんやって欲しい もう流石に連絡は来ないだろうな……切り替えて来年に向けて頑張るか 自分の論にはまだまだ足りないところがあった=伸び代があったってことで
自分も明るく切り替えます >>189
2年連続該当者なしは無いと思うんで
誰かが受賞してるでしょうね。
昨年の座談会の反映あるとすれば「お勉強系」の人ではないような気も。
>>190
批評は小説よりも改編の余地はあるから
アップデートも意識していきたいですね。 >>191
去年はすばるクリティークも受賞者なしでしたね
今年はどんな作品が受賞するか分かりませんが、
来年以降は、コロナが原因で可視化された問題に対して、
ミシェル・フーコーに示唆を受けた論攷が増えそうな気がします >>193
コロナでスケジュールがイレギュラーかも、ってちょっと期待してしまう気持ちもありますよね 現代思想関係なんか出したらまず落ちるよw
そういうの飽きてるから、審査員。 付け焼刃のフーコーアガンベンでコロナ論じて下読みで討死 >>168
本人ですね
小谷野スレとか色んなところ書き込んで……
あせるのもわかるけどとりあえずはやく在野から抜け出しなよ 三田文学送ろうか悩んでるんだけど、さっき募集要項見たら最低枚数が明記されてないね
群像と一緒で最低50枚以上かと想ってたけど、
50枚いかなくても良いなら、軽い作品論でも書いてみようかな 荒木優太 受賞のことば(原)
イェーイ! 見てる? 見てる? ピース×2! いやー、来ましたね、ついに来てしまいましたね、このアツい展開が。一周まわってむしろサムい、的な? テンション高すぎで逆にイタい、的な? アチャー、へたこいた〜(笑)。実際問題、お前誰だ的な話なわけですけど(あ、「誰だ」って「デリダ」に似てる……わっしょい!)、ま、どうせすぐに消える男のことなんか無視して、いまはこのフィーバータイムをみんな寿ごうぜ。ことほいじゃおうぜ。「寿ぎ」で流行語大賞ねらっちゃおうぜ。K☆O☆T☆O☆H☆O☆G☆I。あと、有島武郎サイコー。そいや!
群像に書かせてもらえないの絶対これのせいやろ・・・ >>199
荒木はもういいよ
そもそも優秀作もらったのもそれまでの経緯から考えたら偶然
どうでもいい 小説の新しい新人賞は定期的に出現するけど、評論の新人賞は増えてくれず悲しいものだ 評論賞分離直後はやや無理して受賞作だしてる感じもあったけど、ホームズ論と柳田論で当選作が出て余裕ができたよね。
ちゃんと当選作が出せることが分かったから「該当作なし」も許容できるって訳だ。今年はどうかな。 みんな落選作はどうしてるんだろう。
ふくらませて自費出版しようかな。
どこも載せてくれんし。 >>206
両作ともアカデミズムの人だけど、
らしからぬ文章が注目された感。
今年はどんなのが受賞してるんだろうね。
例年ならば、すばる〜も選考会が終わった頃。
>>207
見返すと1000字くらいは
いいこと言ってる気もするので
抜き出して次回作に詰め込んでる。
全編の使い回しはしない。 わしは今回も一次予選すら通過せんかったらもう批評家の道はあきらめる
妻にもそう言ってん
塾講師になるゆうとる
一次通ったら来年まで持ち越し
妻からしたら、いっそ落ちろくらいに思うとるのかもしらん
ヒモで申し訳ない思うとる >>209
子供いないなら別にいいんじゃね
働きながらでも執筆できるとは思うけど 仕事もせずに一日中駄文を生み出して続けてる姿を想像したら笑ってしまいました >>209
理解ある女性がいていいですな
一昔前の私小説の大家みたいな生き様ですね >>207
焼き直して学会誌に投稿したら採用されたおれが通りますよ
教師の傍らでやるこっちのほうが楽しくなってきたわ スレチだけど、すばるクリティーク受賞は特に連絡なし? >>215
受賞したら掲載しなきゃならんから受賞者には連絡はいくだろうね。来ないということは… >>216
サンクス。諦めます!!
また来年!!! 落選したとしても、一つの作品を完成させることが次の課題や
自分の可能性や自分の目指すべき領域を自覚的にしてくれるから良いと思うことにする
失敗した完成が次の完成への媒介や触媒にする覚悟がないと潰れてしまう >>222
優秀作の人の名前ネット検索でも一切引っかからないな
ペンネームか、それともまっさらな新人? >>224
タイトルと内容紹介を見ると若くは無いね
素材も今さらだし、内容も新しくはなさそう
柄谷の枠組みを受け継いでそうな感じすらある
そういうのを否定したい選考委員だったはずなのに それとも日本近代文学の若手の研究者とか
ペンネームの読み方を誰か教えてくれ 研究者だったらペンネームにしないだろうから在野の人だろうな みなさんプロファイリングがすごい。
最終選考の候補作も知りたいところ。
>>225
すばるクリティークでも
問題?になってたけど
「批評空間」の重力圏が
いまだ強すぎるみたいね。
>>227
院生くずれおっさんと見た。
現在の職業は塾講師あたり。 >>228
柄谷の泰淳論を今回の受賞作のタイトルと紹介文でまとめると
「事後」的な体系は「渦中」においてのみそこから逃れられうる。泰淳のテクストは常にこうした「二重性」を抱え持っている。しかし我々はこうした分裂に耐え忍ばなければならない。
、、、といった内容になる 一番楽しみなのは選評だな。二年連続当選作なしで、しかたなく優秀作を選ばされたと予想。 群像は小説でも新人賞大賞出せなかったから雑誌としては大変だろうな 当選作無し、優秀作無し、選評全否定
一般的にその翌年の文学賞は、褒め称えられまくった当選作が登場するんだがな 現編集長は評論推しの人だから来年の当選作に期待だな
群像に毎月掲載される評論関係も手堅いけどインパクトに欠けるんだよな
研究者じゃなくて、本格的な物書きの新人を発掘して欲しい
このスレの住人頑張れや >>233
学者にばかり書かせてるからな。手堅いし勉強になるけど面白くない。
みんながんばろうぜー >>234
群像の読み手からすると最近の号は目次がピーク
内容は論文集になってしまってる
こっちは面白い評論が読みたいんだよ
お前ら、頑張れw 最新号読んだよ。
応募総数205点、
一次選考通過以上が28点。
一次選考も通ってなかった。 在野の中高年が選ばれたのは喜ばしいけれど、まぁ当選作じゃなくて優秀作だしな… 最終候補作のテーマ
戦後サブカルチャー(シン・ゴジラ中心)
木下古栗
武田泰淳
プルースト+東浩紀
阿部和重
選評読むと古栗論の個性が強烈だったよう。
受賞者は >>240も書いているように50代の高校の先生。
>>235
論文集化まさに。分厚すぎて読む気がせんのはある。
まだ「文藝」の方が小説だけじゃない雑誌として面白い。 >>241
あくまで前の選考委員の話なんだが
当選作か優秀作かの判断は結局は経歴頼みだった気がする シンゴジラ論で最終候補残ったのは「地方底辺校出身の自分が東大で絶望した」みたいな文章で少し前話題になった人か。研究者としては着実に実績を積み重ねてる人らしいが、選評ではどう言われてるかね。 >>247
東は評価したが他の二人が酷評で一番最初に選考落ち 去年は特定の審査員が個人的に推した作品すら無かったからな。
今回のは山城むつみが推してそう。 こんな感じか。大澤は個別の〇×明示してないから推測だが。
東 山 大
シンゴジラ △ × ×
木下古栗 × △ △
武田泰淳 × △ 〇
プルースト+東浩紀 × △ △
阿部和重 × × × ここの盛り上がらなさが批評そのもののもはや誰も興味ない感を証明してるね まぁそもそも応募が小説部門の10分の一だからな
歴代受賞者も柄谷くらいでしょ有名なの 群像とすばるは妙に連動してるから
今年は、すばる〜でも中高年新人来そう。 東浩紀入れりゃ人気出るだろみたいな編集部の思惑は大外れだったな。
低水準の東浩紀論が集まるようになっただけ。
しかも東がいることで正統的な文芸批評は出しにくくなる。今回の人も東いなけりゃ当選作だったろ。 東が選評で僕は文学に疎いから受賞作は評価できなかったとかぶっちゃけてて笑った。選考の意味ないだろ。 実質は柄谷行人記念群像新人評論賞だろ。
競馬の世界も重賞の名前は長くなるのが流行だがw
文学が分からないのは東以外の選考委員も同様だろ。 もう、大江健三郎賞みたいに柄谷行人賞とか作れば良いんじゃない
年齢が高齢層に偏りまくりそうだけど 笑
出版業界の一部の思惑と違って東浩紀氏はそこまで広い支持や求心力持ってはいない気がする
……まあでもとにかく、何でもいいから良い評論が読みたい、
アカデミズムの片手間仕事やアカデミズムの落ち穂拾いじゃない在野の名文が読みたいよ >>262
まあ、本人のキャラが強烈なせいか記憶には残りやすいね
他の年の地味だけど手堅い作品書いた受賞者の方とかは、正直あんまり記憶に残ってない
個性が有利に働けばそれに越したことはないと思う 来年こういうストーリーで応募します
どう思いますか?
ある国の王女が飛行機にのっていたら
海に墜落して王女以外全員死亡 王女だけが漁師に救出されるが
記憶喪失
王女は自分を取り戻す度にでる
王女が死んだものとおもっていた国側は従兄がのっとりけいかくをはつどう
最後の場面で王女が到着し、華麗に逆転していくってはなし そうか。ここの連中は文藝書籍サロンの人たちと違っていちいち君みたいなの
相手にしないからね?
一応言っておくよ? 評論賞に応募するなら最低限読んでおいた方がいいオススメの
本とかありますか? 群像から逃げてラノベ書いたら文芸人生終了。文章はこちら↓
「お前くらい、俺一人で十分だっての!」
まぁ仕方がないか。
俺も剣を抜いた。
巻き毛が間合いを詰めてくる。
「おらおらおら!」
キンキンキンキンキンキン!
「ははっ、どうした!? 大口叩いたくせに、防戦一方じゃねぇか!」
キンキンキンキンキンキン!
「……守ってばっかりじゃいつまで経っても勝てねぇぞ!」
キンキンキンキンキンキン!
「そ、そろそろ終わりにしてやらぁ!」
キンキンキンキンキンキン!
http://ncode.Syosetu.com/n6683ej/3/ 今さらながら12月号を確認。
予選にも残ってなかったのか… ■第164回芥川龍之介賞 候補作(掲載誌)※作者五十音順・敬称略
宇佐美りん『推し、燃ゆ』(文藝秋季号)
尾崎世界観『母影』(新潮十二月号)
木崎みつ子『コンジュジ』(すばる十一月号)
砂川文次『小隊』(文學界九月号)
乗代雄介『旅する練習』(群像十二月号)★ 来月はすばるクリティークの発表か
予選通過ぐらいはしてて欲しいな 音楽系が珍しいだけで
結局、院生の箔付やん
彼らの就職活動の一環で文芸誌が利用されてるだけ 在野でない学者研究者で賞を取った人って、受賞後、書かなくなるよね。 >>280
書かなくなるね
書けないの方が正解かもしれないけど。
論文の書き方が染みついちゃうと多作できなくなる
ただし一回限りの賞狙いなら
論文調の方が穴が見えにくいから選ばれやすいのかも >>279
院生の箔付けとは言い得て妙だな
その道で食ってこうとする無名の新人がデビューする場所であって欲しいわ 学者とか学者志望の院生が書く評論はもうお腹いっぱいだよね >>279
マジでこれ。院生が出すなとは言わんが受賞したら学者じゃなくて評論家メインにする位の気概を持って欲しい
群像、地味な中年が受賞したけど、シンゴジラ論書いてた東大の院生が取るよりは百倍良かった すばるの審査員からして学者に転身するための箔付の感じがする 批評一本で喰ってる奴なんか今も昔も皆無なんだし、評論賞を業績に大学にポスト得るってのは批評家の王道コースとも言えるんじゃない。無論書き続けない奴には興味無いが。
個人的には既に大学にポストまである人が新人賞ってパターンが一番シラケる。 学術論文のノリで書いた批評はつまらないんだよね
何かそんなのばかりになった気がする
昔は学者であることを隠して評論家メインで名乗ってたんじゃなかったかな
創作板にこんな書き込みしてもしょうがないか、、、 >>286
群像の前の審査員は大学にポストがある、もしくは約束されてる人を評価してた印象がある >>288
単純に審査員がアカデミシャンだからそっち寄りの応募作が多く集まっただけでは。
ただあの審査体制と受賞者の顔ぶれ見て評論賞が研究者の業績稼ぎの機会として注目されちゃった面はあるかも。 柳田国男論とか、柄谷が喜びそうなものを書いとけば受賞するんじゃね? >>286
わかる。肩書きだけもらって終わりな奴ばっかだしな。 最終候補で落ちた人は経歴分からないけど院生どれくらい混じってるのかな。テーマだけ見ると40代位かなって人が多い印象だが。 俺が一番イラつく応募者は、すでに文芸誌とか商業誌で評論を書いてる奴な
もうデビューして文章を掲載する媒体があるのに応募してくる意味がわからん
新人賞は野心はあるけど無名な書き手の登竜門であってほしい 賞を取れば、原稿料が多少上がる可能性があるんじゃ?
業界人じゃないから推測するだけだが。
余り意欲的な人を業界に受け入れてしまうと、迷惑する
既存の批評家達が多くいて、またそういう人達が下読み
をやってる訳で、おかげで意欲的な作品は落選して来た
のではと推測するが。そういう、登竜門の調節弁的役割
を柄谷一派が請け負ってるんじゃないかな。 意欲的なのに最終選考に残れないのはまともなの書けてないだけ
よくある、俺の才能に下読みが嫉妬してるー、理論はあまり使わない方がいいよ
実際実力不足なだけだから >>295
ワロタ
まったく同じことおもた
可哀想だから書かなかったのに >>296
だな。
「柄谷一派」って誰と誰よ。
>>295
編集部の評価もあるだろうから
仮に下読みの一人が「悪意ある低評価」したとしても
選考には残っていきそうなもの。
「すばる〜」の座談会読むと選考委員の間でも
評価分かれていて面白い。 まとめると、意欲的で、しっかり書けて、院生の泊付や大学教員の副業でない、実力ある面白い新人が今年こそ出て欲しい、ってことだな
頑張ろうぜ >>298
大学教員、院生とは全く別の角度から書かれた
新しくて(古き良き?)抜群に面白い
そんな批評が現れるのを待ってます >>295
>>296
嫉妬も何も俺は応募したことないんだがw
お前らがどうかしてるんだよw
まあ、お前らじゃ無理。 >>298
そう考えると、東大で博士号まで取って大学に余裕で就職できたであろうにそうせず、在野の批評を選んだ東浩紀って凄かったんだな。好き嫌いはあるだろうが すばるクリティークの受賞作、好き嫌いはおいといて
たしかに高レベルな批評だと思った
ほかの候補作とかは選評を読んでもよくわからず
なんか気になったのとかある? >>302
全員A評価は気になる。これから読むわ。
選評だけで気になったのは、
・浜崎洋介の教え子のネトウヨ?学生によるリベラリズムミュージシャン批判
・何かのアニメ作品を論じて筆力あるも、大澤信亮が実際アニメを見たら全然別の作品だった。それでも上田岳弘は筆力を評価していたのが面白かった。杉 けど、今回の受賞作が素晴らしいものだったとしても、いわゆる普通の「椎名林檎のファン」には届かんだろうし、読んでも求めてたものと違うと感じるだろうよね。なんていうかそこは断絶してるというか >>305
大衆音楽を享受する層で批評に踏み込んで娯楽を難しく考えたいって層は僅少ってことかい
対象の大衆性を批評は自己に取り込んで読まれるべき知名度を獲得出来ないのは確かだね
アカデミズム的なものと大衆的なものに両足をかける特異な場に生起する孤独な言説が批評なのかな >>305
椎名林檎のファンに届かないのみならず
椎名林檎のファン以外の人にも届かない 去年応募した評論読み返したらただの怪文書でビックリしたわ。執筆中は全能感たっぷりだったんだけど、批評って不思議なもんである程度客観性を回復すると「ああこれダメだな」と瞬時に判断できる >>308
今年も頑張ろうぜ
紙上で出会えると良いな 文芸批評家ってどうやって食っていくの?
本出しても大した金にならないし、原稿料なんかも雀の涙だろ
それで、大学の職につけなかったら、生活保護もらって文芸誌に頭下げて、仕事もらうんだろうか
てか、文芸批評家って仕事なくね >>311
それを変えたのが東浩紀とかやろな
彼を文芸批評家と呼ばないなら知らん 文芸批評家というポジションは無い。
そんなものは何処の出版社も用意してくれない。
あるのは意欲的な批評のテキストへの需要だけ。
このスレの連中の全員にそれが分かってない。
そういう意識の低い奴らの書くものなどしれている。
最初から問題外。 俺は天才文芸評論家と称えられ、小林秀雄を軽く超える
その準備は着々と進んでいるよ。もう構想に二年かけた作品ができるからね
その間、大学もやめ、仕事もしない、そして親にも見放された挙句、生活保護をもらっている
ケースワーカーが障害もないんだから、働けとうるさかったが、俺は熱意をもって「小林秀雄を超える」というと何も言わなくなったよ。
俺の現時点の目的は批評の賞を取ることだが、とれないということはない
それほど、すごい作品なんだ。素晴らしい作品になること間違いなしだ
だから、一足先に、俺は賞をとって君らを待っている
俺についてこい! >>315
突っ込むとこ間違ってるかもしれないけど
二年って少なくね? 佐々木敦
@sasakiatsushi
すっかりタイミングを逸してしまいましたが、すばるクリティーク賞を受賞された西村紗知さんは、批評再生塾の四期生でした。前回も松本人志論で最終候補に挙げられてましたが、遂に受賞。再生塾でも彼女の批評的な着眼と筆力は目立ってました。おめでとうございます。 倉数茂 新作『忘れられたその場所で、』@kurageru
群像新人評論賞休止! (群像の編集後記にそうある)。
午後9:04 · 2021年6月5日 すばるクリティーク応募組いる?
杉田俊介橋川文三連載が集英社から単行本化断られたと。
この賞も今年が最後っぽい気がしないでもない。 3,11関連で今回投稿した者としては、これまでの投稿(すばるクリティークも含め)に「批評」の立場から、震災やコロナを取り上げた
受賞作が全く無いのが悲しい。私のものが「稚拙」と判断されて落ちるのはやむを得ないとしても、誰かこうした問題を「政治」でない立場から論じたものが(佳作としてでも)入選して欲しい。 >>322
現役作家が様々な文芸誌でそれらのテーマにお手軽に言及しては
当事者には届かない小論を大量に生産した結果、真剣な論考でさえ
ある種の既視感によって忌避されがちになっているのかもしれませんね
話が結構それますけれどどうしても義憤や公憤から自分の論考を
世に送り出したいのであれば「MyISBN」等のサービスの利用を考えられては?
例えば親しい極少数の人達にだけに読んで貰うのであれ
活字化や書籍化が気持の上でいい区切りになったりしますしね
不粋な老婆心、失礼いたしました 323の方へ
わざわざお気づかい下さりどうもありがとうございます。とりあえずは11月7日(6日?)までバカ正直に待ってみて
それから改めて今後について考えてみたいと思います。ただ正直に言うと(大変恥ずかしながら)以前も別の方にこの問題をめぐって相談したことがあるのですが、
その時は「言論プラットホームに投稿してみたら」といわれたものの、字数規定その他の問題から諦めた経験があり、今しばらく悶々とした日々が続きそうです。
323さんの言い方をもじっていうなら「当事者の琴線に触れ得る、どこまでも真剣な、徹底的に掘り下げまくった批評」を、だれか知名度の高い人が書いてくれないかなーー
(ああ情けなや本願他力(笑)) >>324
一応小説投稿サイトや「はてなブログ」「note」等のSNSで
小分けにすれば評論などでも投稿することは出来ますけれども、
分量の多い硬質な話題というのは今のネットでは
残念ながらほとんど読まれないでしょうからね
自分の思いを込めた分身のような原稿が受賞しない場合にどう供養するかは
かけた時間や労力が大きい場合は特に大きな心残りになりがちですね
評論のアイディアを圧縮したり変形したりして被災地のマスメディアが行っている
エッセイ、短歌、短編小説などを視野に入れるのもありかもしれません
評論以外の形で世に出てそれから機会を忍耐強く窺って好機が訪れたら
小論や随想を地方のミニコミや新聞のコラム等に寄せるというような
脇道からの挑戦も良いと思います
評論を完成させられるのであれば要求される分量が少ない形式は書けるでしょうから
まあまだ結果発表前ですし、何にせよ真摯な不安の中で待機や宙吊りを続けていく内に
また様々な意欲が湧いてくるでしょうから今は書きあげた自分を労って下さいね
執筆本当にお疲れ様でした すばるクリティークの方は続けて欲しい
大澤さん、杉田さん、浜崎さん
どうかよろしくお願いします 杉田俊介@sssugita
Yさんは何年もコツコツ誌面に批評を載せ、批評特集を組み、その成果もあって「すばるクリティーク賞」が創設された。僕も微力ながらそれに並走してきたつもりでいる。しかしそのYさんもこの夏に「すばる」編集部を去った。去る前に、橋川論の企画書を出してくれた。が、ダメだった。やはり無念です
午後1:06 · 2021年8月30日·Twitter for Android すばる編集長2020.12.27インタビュー記事
昨年、すばるクリティーク賞は僕が引き継いでから3回目の選考があったのですが、残念ながら受賞作は出ませんでした。その段階では賞の継続は決まっていなかったのですが、選考委員の熱い議論を聞いて、4回目もやろうとその場で決めました。
批評の賞の運営は、応募作が多くのジャンルにわたることもあって簡単ではありませんが、僕自身も新しい批評家に機会を与える回路が必要だと思っています。 すばるクリティーク賞の創設にかかわったYさんが去ったみたいだが、編集長の去年のインタビュー読むとまだ続くんじゃないかな
そもそも群像賞が無くなる年に辞めたらそれこそ馬鹿だと思う 教育思想史とシールズ論が選ばれたみたいだけど
前者について、矢野さんが肯定的な意味で「議論整理的」で「安心」って言ってる。
リニューアル後は、学者や院生が学術論文の合間に投稿する賞になってしまったね
手堅くまとめて、間違ったことを言わない論文が評価されてる
下読みする人たちもポスドクや院生たちだったのかな
ここを見たり書き込んだりしてた人達とは無縁の賞だったのかもね って330さんがおっしゃってるけど、元文学研究脱落院生兼今回の落選者としては
正直「?」の部分が少しだけある。
院生時代に指導教官から「おまえの書くものは論文じゃない。評論・エッセイにしかなってない」と繰り返しつつかれたけど、「自分の本当に書きたいこと」を入れて書こうとすると、結局「論文にも評論にも何にもならんのかーー」と今回改めて思わざるを得なかった。
だた、330氏のいうことがもし本当なら、ここで氏のいってることって「群像」だけの問題なんだろうか? 自分の体験ですが、院生として正確な論文を書いているうちに、自分の書きたいことの表現方法が分からなくなった気がします
評論エッセイを見下す教官は、文章を書くことの難しさを舐めているのだと思います
ところで今回の受賞者、どうやら学者や学者の卵じゃなかったみたいです
結構編集部も頑張ったのかもしれません 330さんのいったことに関し若干
私の応募したものはまとまりがないし、細かい点で(おそらくは)間違いだらけです。(純粋にここ十年抱えていた問題意識だけで勝負しました。今本屋から帰ってきたところですが、とりあえず一次だけは通ってました(○はついてません)。
で、受かったものも見ましたが、やっぱりどうしても「前向き」なものの方が評価されがちに思えるのは、負け犬の遠吠えというべきでしょうか。私自身はある時事問題をめぐって(「出来ること」「すべきこと」ではなく)「してはならないこと」について延々と論じたつもりだったのですが、当選した2作品の内特にシールズの出てくる方は「継続的な政治運動」だの「政治的なエッセイスト」だのといった(少なくとも私には)あまりに前のめりな言葉が頻出しており、(失礼ながら)「ああ、白々しい」
「どっからみても「文芸批評」というより「(ある特定の側に立った)政治的アジびらだ」「この人の言う諸々の「運動」が、これまでどれだけ多くの「当事者」を傷つけ、激怒させてきたか、選者も含めてまるで分かってない(というより知っててとぼけてる)」としみじみ思ってしまいました。
今のところ、来年度は「すばるクリティーク」に、今回の落選作を換骨奪胎したものを送ってみようと(無謀にも)考えているのですが、どうかクリティーク側の選者が、今回のシールズ論の「同調者」でありませんようにーー
あれれ、字体が変わっちゃってる(あっしのパソコンだけかな?) 今後のすばるクリティークがどうなっていくのかは解らないけれども
安定した学術的な職業に就いている方々が取り組むような
仕事が高く評価される傾向が続くなら、鬱屈した粗削りの独創性の受け皿がなくなるね
noteとかはてなブログに偶に批評家崩れを見掛けるけれどもあそこはそういう空間じゃないだろうし
自分の絶対的な理解者を出版社や編集者に求めるような、
自分が長期間苦心して作り上げた評論の採用や評価に完全に
自分の人生の意義を委ねているようなタイプの書き手には、厳しい悲報のような結果なのかも すばるクリティーク、受賞された方々は本当におめでとう 335さんへ
スレの内容から察するにおそらくあなたは323さんと同一人物ではないかと思うのですが(間違ってたらすみません)、私にとって疑問なのは(ある意味押しつけがましいのですが)入選作が「シールズ(=政治運動の安っぽい、否若干手の込んだ礼賛)」であって「3,11」でも「コロナ」でもないことなのです。
いささか負け惜しみめいた(あるいはとても気障ったらしい)言い方になってしまいますが、本当に悲しいのは、表舞台で「当事者」の本音が聴けなくなってしまっているという、まさにそのことなのだと思っています。 >>337
どうも323=335です
よく気づかれましたね
自分が納得出来ない受賞や受賞作の傾向に公憤を憶えるのは当然のことだと思いますが
私としては貴方の責任感が虚無感に転化して潰れてしまうことを憂えています
正直、「3,11」や「コロナ」は既に複数回出版社や作家やマスメディアや
著名人が頻繁に取り上げているので、よほど光るものがなければ厳しいでしょうね
当事者の親密な関わりが持ちたいのであればボランティア団体や有志が結成する支援団体や勉強会、
NGOやNPOへの参加等の行動による関与や当事者でフリーペーパーや同人誌を作るなどしても良いわけですからね
正直、今の読者の動きを見ていても、当事者の多くは文芸誌の狭い世界での論考を重視はしないでしょうし
悲しいことにプロレタリア文学等が典型ですが当事者の声が他の当事者を救う力を無条件に与えるわけでは
ないですし当事者も色々な立場があって筆力の不足した安易な取り上げ方では却って反感を買う恐れもあります
自分も当事者ですが、自分の周りでは某作家の「3,11」に関するエッセイや小説は稚拙で読むに堪えないので当事者からは嫌われています
作家は他人には決して理解されない致命傷を負う回数が最も多い職業であって
致命傷が襲いかかる度に自分の納得の出来る速度で立ち直り強くならなければ
寿命を縮めるか人生を台無しにしてしまうかといった悲劇に見舞われると思っています
哀しみで失明しても光を見ようとするような強靭な意志を持てないのであれば今は休まれた方がよいと思います 改めて323さんへ
あなたがいわゆる被災者なのかどうか(失礼ながら)私には確かめる術がありませんし、また確かめようとも思いません。ただ以前別の意味での「当事者」と関わったことがあったので、323さんの言うこと自体が正論(ただし「当事者」以外は表立って言いにくいーー)ことはそれなりに理解出来るつもりです。今述べた過去の経験がな
ければ、もしかしたらボランティアやルポライターを目指していたかもしれません。あるいは(無謀にも)「評論家」を目指したこと自体が「逃げ」であり「虚無」であったのかもしれませんがーー。
私の関わった「当事者」は(私から見ても)極めて刹那的な考えの方で、正直辟易したのも事実です(詳細な事実は差し控えますが、「屍の山の中を歩き回ったことが、この人物をこういう性格にしてしまった理由の一つなのかもしれない」と変な邪推をしたのも事実です)。
重ねがさね非礼な言い方で恐縮ですが、「某作家の小説」(正直パラパラっとしか読んでないのですが)あれを読んで無邪気に感動出来る人も、私にはある意味羨ましく思えます。そうした「純粋な部外者」「無邪気な子供」は、根源的な「虚無」とも「刹那」と一生関わらずに済むのですからーー 議論は読んでないけど被害自慢ならオレできるぜ 3.11当日、家と両親が流された 遺体は今も捜索中 三日後、石巻の避難所から兄一家を訪ねてバイクで女川行った 途中、打ちあがった仏さんが数知れず転がってた 女川の兄一家は建物の下敷きになって波を被った 五歳の従弟も死んだ こんな話は地元じゃできない 自慢どころか、ありふれてんだ。天涯孤独になった人が多すぎる。高波が来たときは九死に一生だった。小高い丘に駆け上がったが、機材に掴まれと怒号が飛び、二十人以上いたのがオレを含め三人しか残らなかった。汚い水を飲み、二日間下痢をたれ流した 340さんのいってることがホントかどうか、これもまた確かめる術が私にはない。
ただ文学的に真に問題なのは、323さんの憤っているH氏が、必ずしも純粋な見世物根性、銭ゲバ意識だけであの「剽窃小説」を書いたとは言い切れないことだろう。
その昔某ノーベル賞文学者が、ナントカノートとかいう「ハンカチ準備ルポ」で吉本隆明にこっぴどく叱られたにもかかわらず、全くはんせいしなかったことが思い出される。純粋な善意がときとして暴力(古傷への塩塗りになってしまうことが、この手の人たちにはどうしても理解できないのだ.) 創作板に書いてんだからホントのわけないだろ
でも書いたのは友人の体験を元にした「もう一つの真実」には違いないのだ 信じようが信じまいが
「美しい顔」が責められるのは剽窃にかぎられるもので、創作動機まで邪推されるいわれはない 素材と「心」の関係は微妙で、坊主憎けりゃ式のすべてを否定し去る意見は凡庸で見っともない >>339
貴方の本当に深い悲しみを共有出来ておりませんので
どうしても表面的な慰めしかなりえないのですが、
そこまでの沈痛な闘志がおありならばいつかは報われて欲しいと切に思います
書くという以外の行為によっては決して達成されない目的がおありならば
やはり書き続けるべきでその点に躊躇や葛藤は必要ないと思います
SNSで瞥見したところSealdsに関する論文は、SNSを活用した政治運動を安保法反対運動まで遡り、そのようなあり方での市民運動の傲慢や狡猾を批判した上で、政治運動や民主主義の今後のあり方や論じられ方を考究しようとする労作であるようですので、私は受賞者が報われて良かったと思います >>333
内容はともかく
「どっからみても「文芸批評」というより「(ある特定の側に立った)政治的アジびらだ」
この感想が重要だと思う あと、批評の批評ではなく、小説作品の批評を求めてると言ってたくせに結局は前者ばかりだった
本当に残念
文芸批評は文学で物を考えることの利点を忘れてしまった
作品に依拠する限り、その批評は多様な人を巻き込めるが、批評の批評では党派制や仲間意識でしか評価できない代物になる 323,340さん両氏へ
一番の問題は文学や運動に垣間見える「善意の暴力」への無自覚、それに比べれば「ウソ」も「剽窃」も、実のところ大したことじゃないと個人的には思います。今日は土曜なので夜更かししてしまいました(笑)なお今までの文のあちこちに誤字脱字を見つけてしまいました。お恥ずかしい限りです。 344・345さんへ
ご同意下さり有難うございます。書き込み中にあなたの文章が先に入っているのを見つけました。 俺が反省会を1人でするとw
ここは一番公平中立で正統に見えるから応募数も多かったけど選考は一貫してクセがある賞だった
外観に騙された人は多い
来年募集のすばるクリティークが楽しみだね
群像組がすばるに大挙して押し寄せて、群像が見出さなかった才能を発掘して欲しい
希望的過ぎるかな?
つまらない論文は群像
面白い批評はすばる
こういった棲み分けができるのを楽しみにしてる
ということですばるに乗り換えますw 大事なことを一つ言っておく
小説における「私」≠筆者あるいは、≒であることが大前提であるのに対して
批評においては
「私」=筆者
でなければ根底から力を失う もし万一この新人賞で入選することがあれば、何らかの形で賞金の半額を福島に寄付することが私の(若干の売名行為を含んだ)ささやかかつ愚かな夢でした。「すばる」の編集長および担当者の方、どうも申し訳ありません(笑)。願わくは、今後のクリティークが批評の立場から時事問題に目を向けた応募作に目を向けていただけると幸いです。たとえ受賞作が私以外のものになるとしても。 323、349両氏へ
もう発表の日が終わってるにもかかわらず、何度も立て続けにスレして恐縮ですが、現実問題として「私=筆者」の公式が全く意味をなさない場合のあることを改めて補足しておきたい。憶測だけでものをいうのは良くないと思って今まで黙ってたけど、323さんは多分この問題で深い挫折を味わった人なんじゃないだろうか? H氏の問題にしても、本当はあの作品はそこそこ出来がいい、でも根本的なところは大嘘(単なる「ウソ」ではない)なのが問題なのに、剽窃の有無(というか過失でやっちゃったかどうか)ばかりが騒がれてる。当事者が「当事者」としてあの作品を非難している内容の本質は、全く顧みられてないーー 私は、批評において
「私」=筆者
でなければ根底から力を失う
と書いたのであって、それは全くの同一ということは有り得ないとしても、筆者である「私」が同一性を信じるか、または俄かには信じられないが極力信じられるところまで論旨を深めなければ、批評としての力は弱まるという当たり前なことを言っただけです 349さんへ
もう遅いので寝ますが、349さんのおっしゃっていることを「全」否定したつもりはありません。ただそれは基本的にあくまでイデアだと思っています。 ご返信ありがとうございます。
元より私はそれほど評論を好む者でないことをもうお判りでしょう このスレには誤って迷い込みました ついでにといってはなんですが、ご教示いただけると幸いです
それでは、小説でなく批評において、「私」と「筆者」に同一性がない、あるいは乖離した方が却って説得力を持ち得る場合とは、具体的にどんな事例が考えられますか?
私の書いた小説が批評されると想定したとき、批評する「私」なるものが曖昧だったり両義的だったり一貫性がなかったら、最初から逃げ道を作っていると思ってムシしますが 349さんへ
問題は3つに分かれると思います。
第一に、349さんの論理を教条的に突き詰めてゆくと番号やペンネームでのやりとりが不可能になってしまうと思うのですが、番号やペンネームだからこそ語り合えるということも現実にはあるってことです(今の私達です)。
第二に(これは323さんとの関係で申し上げているのですが)当事者が「当事者」として語っても、事実上無視・黙殺されてしまうという忌むべき事実があることです。
そして第三に、これは私の今回の落選した作品と関わることなのですが、その中で私の取り上げた小説は、(そこで善玉役の院生と悪玉役の指導教官が対立し、互いに傷をつけあって終わるという内容の作品なのですが)個人的には悪玉役の方が(その主張に同一性・一貫性がないにもかかわらず)善玉より魅力的に思えたという個人的な経験によっています。ただその小説は、その悪玉の一貫性の無さによって実質的に「失敗作」になってしまっているように思われたのも、また事実でした。私は今回その点を若干批判的に取り上げたのですが、必ずしも上手くいかなかったことは(落選した理由が何だったかという問題とは別に)認めざるを得ません。
ご不明な点があれば、また改めてお答えするつもりです。 今回の受賞作は2作ともびっしり注がついてますね。章や節ごとにタイトルがついていることもあって見た目は論文のようです。
しかし確かに批評・評論でしかできないことをやっていている感じがしますね。 活動家が書いた論文って感じかね
活動家っていうか実践家?っていうか
執筆者は友達が多そうだね
俺とは真逆だわ >>355
しつこくてすいません
第二、第三のご回答は当方不案内にて把握しきれません
第一の、番号やペンネームだからこそ語り合える世界というのは自由度が増して愉快ではありますが、まさに「私」はバラけてしまって(文芸的な)評論の力が衰えるのは自明でありませんか? まん中を端折っていきなり結論に飛ぶと、すぐれて面白い(文芸的な)評論には入りくんた論理性よりも作者のブレない個性、もっというとアクの強さが求められる気がしますが、どうせ5chのタワ言です 改めて349さんへ
上手く伝達出来なかったら申し訳ないのですが、ある小説の中に盛り込まれた葛藤や矛盾(それが個人的なものであれ社会的なものであれ)に評論家が向き合うとき、評論家自体の「私」「個性」もまた、しばしばブレざるを得ないケースがままあるというのが、私自身の正直な実感です。「そんなのは言い訳だ!」と反問されれば、正直返す言葉が見つかりません。 >>359
自説に相反する事例をみずから提出するというのも間抜けてますが磯田光一の『殉教の美学』を三島死後に改稿したものなのか…確かめようがないのですが、内在批評といってしまえばつまらないけど、あきらかに磯田はブレていた。しかしそれでもなお自己催眠のような三島礼賛の批評は美しく面白かったのを思い出しました 今一度349さんへ
お早うございます。
私は本スレッドで、323さんと若干のやり取りをしてきました。その中で323さんは自分が東日本大震災の被災者であることを告白した上で、「(被災経験の無い)某作家の小説」について「稚拙で読むに堪えない」と憤っていました。この方が本当に被災者なのかどうか確認することは出来ませんが、文面から察するに少なくとも近しい親族・知人が何らかのご不幸に会われたのは確かなように思われました。そして仮にもしもこの323さんが実名を出して「某作家」を批判したとしても、現実問題としてあまり有効性を持たないーー実際の被災者にとっての生々しい事実よりも、根本的なところを「加工」したシロップの方が、多くの人に受け入れられるだろうーーそんなことを考えていたら349さんのどストライクな正論がのったので、もしもあなたのその正論が私の前述した考えに対する批判を含むものなら、一応「釈明」しておかねばなるまいと思い失礼ながら嚙みつかせて頂きました。 >>361
ハハ。349は批判とかいうものでなく、このスレを小説のほうと間違えて、何やら批評について議論してるな、ワシのひとつ覚えを食らえ! と無差別投下したシロモンです
ところでお知恵を拝借したいのですが・・・
今書いてる小説で小学生の私が「朝鮮人部落」の中で転び「跛をひく」という表現をもちいたら、現代文学のジャンルでもやはり配慮がないという指摘を受けるのでしょうか
話題と関係ない質問で甚だ恐縮ですが 349さんへ
個人的には「部落」も「朝鮮人」も○(ただ韓国では歴史的事象に関わること以外は、「朝鮮」は「北韓(=北朝鮮)」を意味すると聞いたことがあります。「びっこ」はやはりちょっと不味い(少なくとも私のパソコンでは漢字変換出来ないしーー))。ただここでこういう問いをなされたのは、もっと本質的なことを聞かれているのだろうと推測しております。
性懲りもなく私の落選作を持ち出して恐縮ですが、そこで私が全体として問題にしたことは、ある長崎での被爆者と、その弟子と孫弟子の対立をテーマにした小説をモチーフに「実際には(広島・長崎の)被爆者のほとんどは反核運動に参加していない。理由は色々あるがその一つとして「ノーモア・ヒロシマ(ナガサキ)」「ノーモア・ヒバクシャ」という、当事者から見れば決して愉快ではないスローガンの使用が考えられるだろう。今後福島では「ノーモア・フクシマ」なるスローガンを叫ぶ脱原発運動が行なわれることになるのだろうか?」というものでした。無論こうしたことに過剰にこだわると単なる「言葉狩り」にしかならないのですが、今回の評論新人賞受賞作がシールズ運動を基本的に肯定したものだということが分かった時、「ああ、結局俺は落ちる運命だったんだな。まあ一次審査を通過しただけでも「奇跡」というべきなのかな。」と(嘆息しつつ)思ったのでした(笑)。
毎回愚痴っぽくなってすいません。ただ現実問題としてどんなに言論の自由が保障されてる国でも、「私=筆者」を貫くことは(その「私」がどういう立場を採ろうと)なかなか難しい面があるというのが、負け犬としての実感です(笑)。
それとところで、349さんって小学生なの? だとしたら随分しっかりしてるなぁ >>363
小学生だった私が…ですね
やはり数ある表現の中からわざわざ「ビッコをひく」を選んでしまうのは小学生染みているというご示唆なのでしょう
しかし片脚を引きずるとか、いろいろありますが、あの膝カックンみたいな独特な動作を表すには「びっこ」に敵う物はないように思われます。障害をもつ方にはまことに無神経ですが……
ついでに気の毒な地名で思い浮かぶのは阿蘇ですね、アソ。 一時期(大分前足の手術後)松部杖をついてたことと、幼稚園時代びっこだった先生がいてとにもかくにもとても怖がってたこととが思い出される。あと(多分)「あそどっぐ」が嫌いなんですねーー(僕は単純に笑ってるけど)。
このスレッド今後はどうなるのかな? もう打ち止めになるのか、それとも「すばるクリティーク」スレになるのか。 左藤青
@satodex
そういえば群像新人評論賞の最終まで残ったので(惜しい)今月の『群像』の座談会に私の名前があると思います。まだ読んでないですが
午後11:01 · 2021年11月10日·Twitter for iPhone
ミスター
@hahaha8201
群像新人賞を今回とった人って、大失敗時代に左藤と喧嘩していた人じゃないか。
午後4:37 · 2021年11月9日·Twitter for iPhone
ふむふむ もうあとは純粋に良識と文脈的にどうかの問題かな。 昔ある保守思想家(で軽症の「びっこ」だった人・故人)が、「ちゃんとびっこっていって欲しい」って言ってたけど、そういわれたらますます使えんしーー 杉田俊介@sssugita
昨日は5年目となる「すばるクリティーク賞」の選考会がありました。結果などは年明け1月発売の「すばる」2022年2月号に掲載されます
午前11:20 · 2021年11月12日·Twitter for Android
唯一残ってる評論賞
すばるには期待しかない 杉田氏といえばやはり「弱者男性」が思い浮かぶ。先日この件でとても嫌な事件があったが、(こんなことをいうと氏から怒られそうだが)ホンマモンの「弱者」男性にはもう「男尊女卑」「ジェンダー平等」についてあれこれ考える余裕はない。バラエティで「男を格付けするオンナ」を見て苦笑いするのが精一杯だ(苦笑) すばるは表紙リニューアルしたみたいだし
クリティーク賞にも期待だな
来年は応募しよう (同じ集英社とはいえ)まさか「呪術」の特集するとは思わなんだ(個人的には「約束」の方が推しなのだが)。ついでにいうといま「すばる」で連載されているものでは「世界99」の、あのヒリヒリした感じが好き。あの世界観を実写ドラマで描くのはムズイと思うが、出来れば深夜枠でアニメ化して欲しい。
あと一か月で発表かーー >>301
最近あずまんがNewsweekかなんかに書いてたけど、東浩紀って大学のテニュアになれた事一度もないらしいよ
ずっと任期付きや客員しかオファーなくて、教授会にも一度も入れてもらえず、アカデミシャンとは扱われなかったって自分で書いてる
だから仕方なく独立を目指した >>375
損益計算書じゃないんだ?
東浩紀はまあ頑張ってるんだろうけどやっぱり常勤の大学教授になれなかったのが運命の分かれ目だったよね
常勤の大学教授になってればもっと余裕持ちながらゲンロンもやれたと思う
それでも大学外で批評でメシ食えると示したのは偉業で立派だと思うけど 今すばる2月号の表紙だけネットで確認。クリティーク賞は(はっきりとは読み取れなかったが)サブカルチャー論らしい。今までもオタカルチャー論はあったものの、基本的には次点どまりだったので個人的には嬉しい(ただ内容的にどんなものなのかまだ未読なので、受賞者および選者3人にはまことに失礼ながら、「上滑り」や「こじつけ」の延長になってなければという不安も正直若干ある。青臭い言い回しだと自分でも思うが、ぜひ「サブカルから時代を照射する」的なものであって欲しい)。
例年通りなら今月号に来年度の募集要項が載るはずなのだが、その確認はもうちょっと待たねばーー。 いま「批評の手帖」を見た 「すばるクリティーク」もまた、今回でどうやら終わりを迎えるらしい 329さんの言ってた「それこそ馬鹿」な、否悲しむべき事態がとうとう現実になった訳だ 正直私も悔しいが329さん(そして326さん)も文字通り断腸の思いだろう
こういうことを言うと一部からは叱られそうだが、「小説」の場合は映画やテレビドラマ(や深夜枠アニメ)に「変換」させられ得る しかし「批評」「評論」はそうはいかない クリティークは活字媒体から離れることのできない、その意味では厄介な代物なのだ
やや逆恨み的ないい方ともとられかねないが、もう文芸誌に明日はないのではないか? このままだと(無論5年先10年先ならともかく、長期的には)漫画とラノベとSF小説に、完全にとって代わられてしまうのではないだろうか
個人的には3,11(正確には8,6から3,11に至る経緯)に関する批評を発表する機会を完全に失ってしまったのが、本当に無念だ 誰かこの問題に鋭く切り込んでいる既存の評論家がいれば、それはそれで諦めもつくのだけれども >>378
すばるクリティークも終わりなのですか
限られた人間にしか見ることの出来なかった
希望の萌芽の突然死に立ち会っているような悲しみがあります
少なからぬ批評家志望は無言のまま蒙った致命傷に崩れ落ちるのですね……
生き抜きましょう
学問の愛を後悔して罪悪感に変えることなく
今はそれしかいえません 379さんへ
重ねがさね失礼ながら(文面から察するに)あなたは323さんか330さんのどちらかだと思います(おそらくーー)
時事問題をあくまでも「文芸批評」の立場(いわゆる「オピニオン」でない立場 勿論オピニオンの立場で論じるのが悪いという訳ではない)で論じるのが、様々な「当事者」の立場を(完璧にではないにしても)出来る限り慮りつつ、単なるアジびらの延長や素朴な第三者を「感動」させるだけのお涙頂戴でないものを投稿するのが、私の愚かでちっぽけな夢でしたーー
いずれにせよもう純文学には期待は持てない 新人評論家の育成を怠った、つまり批評というライバルが確実に衰えてゆく状況での純文学は、長い目で見れば間違いなく「第二芸術」化するのでしょうねーー >>380
短歌や和歌が既にそうなっているように
批評も内輪向けの秘教的な趣味のようになってしまうのかも知れませんね
その内に純文学の新人賞や文芸賞の廃止、文芸誌の廃刊といった事態が
今後数十年以内に生じる可能性が想像されてしまうのが恐ろしいです 実現する見込みのない希望を達成することが向学心や透明な先人からの至上命令としてありながら
実際はその命令を真に受けた主体が任務を遂行することが不可能な程の社会構造の不備による失敗を
自分の無能力による失敗だと誤認して責任感が自壊に向けて作動してしまい可能性のある主体ほど自滅してしまう
悲しいことです 323さんへ
(変な話ですが)東京の杉並区にある某ミュージアムにその類いの「遺物」が大量に保存されているのですけれども、70年代から80年代のサブカルーーというか中小・零細出版社の出していたアニメ誌のいくつかを見て思ったのですが、(無論文芸誌のそれには及ばないにせよ)当時のアニメに関する辛辣な批評が結構載っけられてました。それでもその後そうした評論アニメ誌はほとんど潰れてしまい、残ったのは大手出版社の情報主体のアニメ誌だけ なんか批評部門を次々となくしていった現在の文芸誌とどこかしらダブって見えるといったら、穿ちすぎでしょうか
「内輪向け」という点ではかわらないものの、前提となる規模はもはやラノベやアニメなどよりも純文学の方がはるかに小さい こりゃどう考えても先細りだなぁーー あれ? 381さんは323さんじゃないのかな? 間違ってたら大変失礼いたしました 自分達で批評誌を作ったり、Webで活動していくしかないのでは。 >>383
サブカルも批評が消えて行った悲しい歴史があるのですね
書く方も読む方も大変だけど利益には繋がらないのが批評なんですね
その辺りのサブカル批評を再評価する仕事とか凄い面白そうですけどね
ゼロ年代に東浩紀氏や宇野常寛氏等がサブカル批評をちょっとだけ
盛り上げたと思いますが結局市場として成熟しなかったことを思い出します
芸術が近代に大衆化してパトロンの役割が教養人や文化人から大衆に
移行したけれども大衆は教養や学問より享楽や娯楽の消費が行動原理だから
結局、学問は市場原理に汚染されることを妥協するか、
自分を支えてくれる権力者や庇護者を見つけ出すか、
自分の独創性で自分の購買層を創出するかしないと生き残ることが出来ないというボードレールが嘆いていた近代の市場の地獄を今沁々と思い返す
SNSの発達が光明になってくれないものか 323さんへ
(基本文芸誌にも拘わらず)椎名林檎や村崎百郎といった「非純文学」的テーマの受賞が続いたことも、もしかしたら休止(=多分廃止)の隠された一原因なのでしょうか?
先(383)に挙げた評論アニメ誌の中に、大江健三郎の「破壊者ウルトラマン」をやり玉に挙げていたものがある つまるところ怪獣映画が子供の暴力性を助長し、被爆者への偏見を煽るなんてのは一面的だ、というものだ
ただそれでもゴジラのケロイド状の皮膚が被爆者を刺激するのは事実だろうし、(それと全く同じ問題ではないものの)大江が称賛した井伏鱒二の「黒い雨」の主人公一家を巡る描写も、少なくとも今日のコンプラ的観点からは引っかかる部分が多いだろう
そしてこうした映画やテレビ、純文学における問題は、いわゆる反核運動(広義には市民運動全般)にもおそらく当てはまる
以下述べることは323さんには異論のあるところでしょうが、私はあの「平成転向論」の原文に目を通してみて、「ああ、こういう人(の同類)が、広島や水俣や福島で、実際に犠牲になった人達に「上から目線のボランティア」や「古傷の塩塗り」をしてまわるんだな」としみじみ思いました
そのことが私がボランティアに関わらないことを「正当化」する理由には、全くならないのだとしても
>>388
我々が議論をしようとする場所やメディア自体が偏向した不平等であって
対等の立場の人間が平等を志向して透明なコミュニケーションを目指す、
という理想的な中立とは無縁のものですからね
議論の場や参観者同士のパワー・バランス自体がどこまでも不条理という喜劇
カール・バルトのような神学的な立場でもラカンやジジェクのような
無神論的な立場でも感受性の衝突自体はむしろ真理や思想の発展に
必要な継起として措定されていますから不快感自体は別段構わないのです
最近は自分の論敵に対してあまりに無反省に開き直って
喧嘩腰で買い言葉を投げつけることがSNSのせいか増えてしまい残念ですが 323さんへ
本当に問題なのは「不快感」で済まない場合だと思います 単純化して言うと、反核(反公害)運動に参加しない被爆者(患者)にとって心底はらわたが煮えくり返るのは、運動に参加して「ノーモア・ヒバクシャ」という自分たちを「否定」するスローガン絶叫している同じ被爆者であり、もっとややこしいのが(これが私が「群像」で落選し「すばる」に送ることのできなかったテーマの主人公なのですが)、自分が被爆者であることをひた隠しにして平和運動に関わった某インテリの問題です(この人物も、その自著で323さんのいう「喧嘩腰」を問題にしてましたが)
以下述べることがあくまで福島限定に留まるのか、岩手や宮城にも共時的に発生してしまうのか分かりませんが、同じ被災者同士の対立(というよりももっと根源的な憎み合い)が、もう始まってしまっているのではないでしょうか? >>390
最近の自分はどちらかというとラカン寄りなので、
「人間はそもそも根本的に憎み合うどうしようもなく醜い矛盾した存在だ」、
という事態に耐えられるようにする為に道コや芸術や文学があるとも考えています
例えばランシエールという思想家は「民主主義は達成されればされるほど、自分の権利が平和な平等という根本的な欺瞞で搾取されていることに気づくことから、民主主義は達成されればされるほど人間は自分の権利の為にお互いを憎み合うようになる」という趣旨の指摘をしています
ラカン的にはどんな人間もそれぞれ醜く、不快で、矛盾している症候的な主体なので、私が他者を不快と捉える時に、そのような混乱した主体としてしか生きることの出来ない他者への根本的な憐れみのようなものが最近は強くありますから、メディアが扇情的に無用の分断や対立や序列意識や被害者意識を掻きたてるのはどうかとも思いますが、私自身どんな道コや倫理でも回収出来ない相互的な憎悪といった風に知覚される世界の様相や様態に対する自分の感情がどれほど妥当であり正当であるのか、最近は自信がありません
眼差しが臨床的になりつあるので、自分の義憤や反撥を今は反省中です
私は無学な好事家に過ぎませんので、どんなに言葉を綴っても
322さんの望むような答えや期待されているであろう受け答えが出来ないことを残念に思います
正直、自分も書いていて青息吐息ですから、自分の論理の破綻や飛躍は御寛恕いただけると助かります(汗)
長文書いて投稿するのも毎回ヒヤヒヤものですし
これ以上はスレチになりそうですから、ひとまずこの辺で失礼します 323さんへ
正直私はフランス哲学(多分――)には疎く(元々日本文学・日本史専攻なので)ラカンもランシエールもよく分かりません ただ後者の述べている民主主義を巡るパラドックス・アポリアは、先の「某インテリ」の説く民主主義とよく似ているように思えます ただ自分自身の被爆体験をいわば「隠蔽」した某インテリのそれの場合、「憎しみ」に関する考察がほぼ完全に欠如していますがーー
本日は長々とお付き合い下さり、どうもありがとうございました 私の今までのレス、厳密には確かにスレチだ でも、まあいっか このスレ自体もう事実上(オレみたいな)文芸評論家のなり損ないのアジールに変わっちゃってるんだし
今「すばる」「群像」に乗ってる人たちだっていつ「箱舟」を追い出されるか分からない ただそれでも「上から目線のボランティア」「エリート臭を感じるネトウヨ批判」なんて批評だけはもうもうまっぴらだということは、今一度いっときたい そんなものは所詮ポピュリズムの鏡像にすぎぬのだからーー まあ、批評じゃメシ食えないもんね
本が売れないから新人賞やる意味なくなったという事だろうね
てか純文学も、芥川賞受賞作ですら重版怪しいレベルなんだけど、よく続くよね >>391
いやー面白いよ
批評スレ他にないしいいんじゃない?
まあうまったら他に批評スレ立てたらいいし >>393
てか批評村ポピュリズムだよね
ポピュリズム批判したら批評村文芸村にウケるだろって感じで書いて、で案の定やったそれがウケるんだよね
東と山城が選考委員になってから加速した 本日改めて「すばる」今月号熟読(といっても目次見て興味持ったとこだけ)
最後のクリティーク賞となった「村崎百郎論」だが、彼の実名およびその実名で発表した著作における「倫理性(=非鬼畜な部分)」には触れているものの、「村崎百郎」という鬼畜系それ自体に含まれたある種の「倫理」(=それは「当時」、少なくともゼロ年代のコンプラには充分抵触してしまう)にほとんど触れていないのが不思議だった(あるいは私が執筆者および選者に比べ村崎を過大評価しているだけかもしれないがーー)
「すばる」も「群像」同様(そして多分他の文芸誌の多くも)396さんのいう「批評村ポピュリズム」に満ち満ちた詰まらない論考がいくつか載ってるけど、個人的には「母」についての女性フェミニスト二人の対談が(私の母がいわゆる「兼業主婦」だったこともあって)若干興味深かった(どうせこんな5ちゃんふぜいの誉め言葉なんか聞いてないだろうけど、コテコテパヨな「名誉男性フェミ」とは一線を画して頑張って欲しい) 【悲報】2100年の世界GDPランキング、日本終わるwww(イギリスLANCET調べ)
【2100年予想(2020年統計予想)】
※人口予想は国連統計
1位 🇺🇸アメリカ(人口:4億2060万人)
2位 🇨🇳中国(人口:10億8560万人)
3位 🇮🇳インド(人口:15億4680万人)
4位 🇰🇷韓国(人口:8440万人)
5位 🇩🇪ドイツ(人口:5690万人)
6位 🇫🇷フランス(人口:7900万人)
7位 🇬🇧イギリス(人口:7710万人)
8位 🇦🇺オーストラリア(人口:4140万人)
9位 🇳🇬ナイジェリア(人口:9億1380万人)
10位 🇨🇦カナダ(人口:5080万人)
・・・
20位 🇯🇵日本(人口:4050万人)
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(20)30677-2/ なして文芸批評欄にGDP予想(しかも80年先)が出るんだ ついでに80年で思い出したけど明治維新から80年で敗戦だから、あと5〜10年でもうどん底なんじゃないの? すばるクリティークの受賞作びっくりするくらいつまらんぞ
こりゃ休止も当然だわ 今の出版社や編集や新人賞にはまったく期待していないが
登竜門が事実上の寡占状態みたいになってるから仕方なく応募するけれども
案の定、受賞作には書籍化される魅力もなく受賞者も使い捨てで消えて行くのに
根本的な選考過程自体の猛省や改革はまったく生じず、
こういった制度的な問題を若手の現役が口にすると干され
応募者や志望者が批判をすると嫉妬や勉強不足に変換されて矮小化され
根本の問題自体はいつまでも残り続けて腐敗が加速していくという最悪の悪循環 (レス388でもちょっと言ったけど)クリティークの過去の受賞者の誰一人としていわゆる「文学者」を論じた者はいない 一昨年の群像評論賞の時は「武田泰淳論」を推す大澤・山城二人に対し東一人が「シンゴジラ論」にこだわってた(ただあずまんの場合「シュミ」としての側面のあることは否定できないと思う) そしてついでにいうと(私事ながら)私の群像賞最終回に送った落選作もいわゆる「作家論」ではない
評論がお荷物になったってのは間違いなくホントだろうけど、文芸誌としてはやはりせめて小説を論じて欲しいってのもあったのかな? ただ(これも半分は好みの問題かもしれないが)今小説そのものに手を付けるとなると基本古典の訓詁解釈しかやりようがない その批評の「面白さ」は「今」とは無関係な「学術論文」にならざるを得ない
率直に言って「評論賞の絶滅」は(確かに私達の責任でもあるが)純文学そのもののゾンビ化でもあると思う よくよく考えてみると受賞作の発表で一定期間待たせるのはともかく、賞の廃止(=もう期待しないで)の発表で1か月とか待たせるのって応募者を根本的に愚弄してるよなーー
なんか特段の理由でもあるの?
コネがないと最終選考に残らない。逆に言うと、コネがあって、とりあえず体裁を整えられるやつなら、だれでも残る。
賞なんてのはすべて意味がない。
コネ。 「コネ」よりも「体裁を整えられるだけの「実力」をまずきちんと磨くこと」、そしてその上であとは募集当時での「流行り廃り」(=パラダイム)や、一番決定的なのはやっぱり「選者の好み」だと思う(すぐ癇癪爆発させる人いるし)
その点すばるが群像と違って選考過程での選者たちの議論をちゃんと公開してたことだけは評価してる(まあ、今はもうどっちもないけどね) >>407
自分がやりたいことを自分以上に巧みにやってくれる人とかいればいいのにね
夢を見続けることは悪夢よりも辛いよ 408さんへ
(笑)ーーってゆうか「夢を見続ける」場所がなくなったってこと
大分以前だけどこのスレで「金と地位と名誉が欲しい!」って喚いてた人がいたけど、そんな人も本当にその3つだけでいいなら、文芸評論家なんて目指さないもんね 私欲もあるけどそれだけでない青臭い「真理」「正義」にどっかでしがみついてるんだよな >>406
大澤信亮の教え子ならすばるクリティーク最終に残れるみたいよ >>409
ジジェクが書いているんですけど、哲学や芸術の言説に必要以上にかぶれると、
社会で働いて稼ぐという行為や恋愛や結婚や育児等のそれ自体は道徳的、
倫理理な側面を持つ社会への関わりを道コや倫理への裏切りみたいに捉えてしまうねじれた罪悪感を植え付けられてしまうそうです
上述のような道徳的にも倫理的にも正当化される当たり前の営みを
<順応主義><日和見主義><エゴイズム><卑怯>等と捉えてしまい
自責的な禁欲的主体になる所に近代の主体の虚妄や致命的な罠があるらしい
どんなに高度の真理悟っても家庭や家族で飯食って稼がなきゃ生きてくの辛いのに、
社会への貢献という側面もある当たり前の日常的な行為を否定的に捉える時点で近代は症候的なのだそうです
理屈や理想追い掛けている内にその土台になる日常的な営みを病的に偽善や裏切りとして
嫌悪しかできなくなる心境には心当たりあリ過ぎるので書き込んでみました
なんか話ずれたかも知れないけど、長生きしてればまた風向き変わってくれて
批評の賞とかまだ出来たりするかも知れないし
若い人達が何か魅力的な雑誌作ってくれるかも知れないからお互い養生しましょう(他力本願万歳)
長々とごめん
322さんもこのスレ読んでる他の方々も上手い飯でも食って元気に長生きして下さい 323さん・408さん両氏へ
いささかマザコンぽい話で恐縮ですが、いわゆる兼業主婦だった私の母は私の小さいころたびたび「お前がいなければ私はもっと出世してた」という一方で「お前は本当にハンサムだ」ともいい、のちに私が大学院進学を希望したとき「応援するけど結婚して孫の顔を見せてね」とも言ってた(結果、守ってないけどーー)
「8,6から3,11まで」ということにずっとこだわってきたことそれ自体への後悔はないけど、親不孝だとは思う 夢と悪夢って結局同じものなんですね
話が飛びますけどいわゆる「おひとり様フェミ」って、自分の親のこと、どうおもってんだろ 412追加
323さんの引用したシジェクで思い出されるのは(まあありきたりですが)「こころ」のKですね
ただ現実には「家事労働」と「賃金労働」の相克に悩む人もいれば、さっさと大学に職を得て「学問と労働の相克」を全く感じない、その意味ではお気楽な人もいる訳ですよね
私は母親の期待を裏切ってしまった訳ですが、ここにレス送ってくる人って大なり小なりみんなそういった「すね傷持ち」なんでしょうね(笑)
とりあえず本日はこれでおやすみなさいです
>>402
そうなんだよね。なんちゅうか、普通に考えておかしいことも取り上げてくれないよね。まあ編集者は忙しいし、批評家は金ないし、大変で色々考えられないんだと思う。
でも、批評専門誌とか最近同人誌レベルではたくさん出てきてるし、やっぱこれからは同人活動になるんじゃないかな。野生時代すら休刊の昨今、もう原稿料が発生する文芸雑誌自体、批評だけでなく成り立たないよ。早晩、原稿料なしで同人やボランティア的に成り立つ雑誌に取って代わられると思うね。 >>403
山城ははっきりと、文学作品を論じてない評論は生理的に受け付けないって色んなところで書いてるね
たぶん選評にもあるかな?座談会できいた気がする
だから小説論じてくれってのはあるだろう
鷲田とかのときはそういうこだわりはなかった
まあ山城と東が壊した賞って部分はあるだろうね
ただ、どのみち批評に先はなかった
山城でさえも、東海大に採用される50後半まではかなり苦しい生活だったくらいだし、批評でメシが食えないから終わったんだと思うよ >>404
そりゃあ編集者が存続のために頑張ったんだと思うよ
粘ってたから時間かかった >>412
てかその批評noteあたりに書いたら?
俺は読むよ
しかも、どっかの雑誌が読んで転載依頼するかもしれないじゃん 私は404です 416氏のレスについてですが、私もできれば416氏の言う通りと思いたいのですが、選考会が行われたのは11月半ばであり、正式な受賞作発表は今月号でいいとしても、休止の通告に関しては先月号でもできたのではないでしょうか 私自身も含め23年度版クリティーク賞を期待していた者にとっては、やはりどこかしら小馬鹿にされているような感じがします オマエらがおめでたいだけだと言われればそれまでですが 415さんへ
鷲田論を読んでしみじみ思ったのは(以前もこのスレでちょっと触れたけど)選者達は「批評の批評」を批判しながら自分らの政治信条に近いオピニオンなら下駄履かせるってこと 個人的に興味を惹かれたのは山城が(最終選考まで残った)「約束のネバーランド」をテキストにした母性論について漫画であるにも拘わらず推していたこと 厳密には文芸批評でなくなってしまうのかもしれないが、顧客限定のオピニオンよりもこっちの方が読みたかった(無論読めたら読めたで色々「?」な部分が出てくるかもしれないが)
417さんへ
「俺は読むよ」のお言葉、本当にありがとうございます ただオスである私が母との関係を振り返っても現実問題としてはインパクトに欠けると思います 私が生まれながらの女でその立場から母との関係を振り返るというなら別ですがーー 話は変わりますが「セクハラ」っていうと「男が女にするもの」という図式がいつの間にか出来あがっちゃってますが、「年上の女性→年下の男性(少年)」っていうケースのは、何で(ほとんど稀にしか)報道されないんですかね ホント不思議だ
何でアンカー付けないの?
今このスレを辿ってみたんだけど
誰の発言か分かりにくくて混乱する
せっかく良いことを書いていても
ものすごく読みにくい
部外者を受け付けたくないならしょうがないけど 420さんへ
どうもすみません でも基本5ちゃんの中で「ウチ」「ソト」ってないと思う 日本人の昔からの「陋習」かもしれないけど、やっぱりどっかハズイだけ ぶっちゃけアンカー云々ゆうならペンネーム義務化すべきだと思うけど、「あなたご自身」はそれに同意されますか?
422追伸
あと、(極めて初歩的な質問で恐縮ですが)もしかしてアンカーって「>>」のコト? もしそうだとしたらそれは単純に私が「機械オンチのアウストラロピテクス」だからです ホントごめんなさい
批評は勉強したからとか、養成塾で育てるとか、ポジティブなライバル同士で切磋琢磨するようなものじゃないと思う。自分で孤独でやるしかないんじゃないか?
群像評論賞について言えば、柄谷行人の過去に取り上げた主題に関連した応募作品が受賞してきたことは否定できないんじゃないかな。逆にそれ以外の柄谷の関心外と思われる分野に関連した応募作品は余り高い評価を得られなかったんじゃ?
芽むしり仔撃ちじゃないけど、柄谷が自分の脅威になりそうな応募者を潰すための賞に何時からかなっていたのではないか?
一度も応募したことのない俺が言うのも何ですがww
何のコネもない俺は一切応募しません。 >>423 ←これ
だってさ
322とか406とか書かれてもそこまでスクロールして戻るの大変だよ
アンカーがないと二人だけの往復書簡がひたすら続いているみたい
まあ、こんな活発な議論も残りわずかかもしれないけど >>418
群像の方は6月には休止ってなってたよね
すばるもせめて10月くらいには言って欲しかったね 425(=420)さんへ
あなたのおっしゃる通りなのですが私はぶっちゃけ5ちゃん(というか2ちゃん)を見始めたときからスクロールで同じようなこと言ってるレスがないか否かという変な癖をつけてしまい、アンカーの付け方については全く学んで来ませんでした(というかそういう風にしないときちんとしたレスポンスにならないと思ってるからなのですが、あなたのおっしゃること自体はわかります) 大変失礼致しました 424(=多分294)さんへ
私自身も落選したから幾分かその被害者意識もあるだろうけれども、選考過程に選者達(下読みも含む)の好みが入るのは間違いないと思う ただ問題を柄谷行人悪玉説にしちゃうならそれはもう陰謀論だと思う 例えば歴史学(ことに思想史)関係にとって今でも丸山真男は「鬼門」だけど、だからといって丸山批判がない訳じゃない ただその批判のスタンスもそれ自体硬直化していることは、杉田俊介の橋川論(の中での丸山批判への反批判)見ても容易に推測出来る 本当に孤独がいいなら(否、「孤独」は確かに必要だけどそれだけでいいと思うなら)ぶっちゃけそもそもなんでレスするの?
追伸 冒頭の部分、また420さんに怒られるな(笑) >>427
アンカーを付けるのは慣れると非常に簡単でネットで検索すれば
練習用のスレッドなどもあるのでよろしければお試し下さい
数分間で習得可能なスキルですから知的な貴方なら大丈夫ですよ >>414
元々今ある文芸誌も文学史に名前が残るような偉大な先人達が情熱や愛から
小規模に出発した物が長い時間を経る内に商業化して発展して利権になったものだから、
業界の不振そのものが同人誌の発生を促してそこからまた何か運動が生まれて欲しいと思いますね >>424
孤独な研鑽は続けている内に自分自身の正当性に確信を持てなくなって
自分の努力を続けるのも努力を中断するのも凄まじい罪悪感に変質してしまう可能性が高いからなぁ
自分を破壊する程の無私の努力を自分の読書経験や感動が絶えず
無限の義務として課してくるんだけど、その無私の努力が報われる方法や折り合いの付け方を見つけない限り、
何年も禁欲して努力と執筆をした揚句に残ったのは自虐的な自殺衝動とボロボロになった人間関係と
老いた両親だけみたいなことになって最後は奈落に呑み込まれたりしないよう気をつけないと行けない
ノーベル文学賞作家のオルガ・トカルチュクが「作家は最も過酷な自営業」
みたいなこと書いてるけど本当にそうだと思う さっき「アンカー」「ネット」で探してみたんだけど見つかりませんでした(船の「錨」とか出てきた) 後日暇なとき改めて探してみます >>432
「レスアンカー やり方」等で検索すれば出てくると思います
……というより
半角の「>」を二つ並べた後に半角で数字を打つだけなので難しくないですよ
>
↑を2個打って
>>
にして、その後に半角の数字を置く
>>432
↑こんな感じです
まあ、初めてだと中々勇気が必要かも知れませんが >>428
ちなみに下世話な話だけどどこまで行って落ちたの?
一次落ちから最終候補まであるけど >>432
アンカーはたしかにつけて欲しいわ
いや俺あなたのレス面白いと思うよ
ただ読者に向けた最低限の配慮はすべき
それでいうと、ある新人賞の下読みが言ってたんだが、省略を……じゃなく…にしてたり。。。にしてたりする作品は即落とすらしいよ。あと、ページ数ないとか、綴じ方知らないとか、改行変とか、評論なら引用規則知らないとか。この辺りは一発アウト。
アンカーと一緒で本質じゃ無いんだけど、本質を見てもらうためには最低限のマナーはあるとか。
そういう表面的なマナーで落ちた作品もたくさんあるんだろうね。創作教室が強いのはこのマナーに強いからでもある。 >>433
いや失礼しました でもスクロール慣れちゃうと逆に基本きちんと確認せずにレス送れなくなるんだよね(笑)
荒木優太とか見てる限りコネがなきゃ受賞できないは嘘だな >>435
その種のミスは多分してないと思うが、送った後改めて確認したら誤字脱字ボロボロ(一旦確認したはずが)これは恥じ入るところです >>439
まあ誤字脱字は全員必ずあるから大丈夫だよ >>434
これについては12月号発売日に一次まで通過とかなり長めのレスしました(333番)皆目見当つかないのはともかくとしてスクロール皆無というのも個人的には「?」(まあ、正直めんどいといえばめんどいけど)
あと共通の話題で複数で話すとき個別にアンカー出すのも個人的にはめんどい(これはワガママかーー) >>438
いや誰もコネなきゃ受賞できないとは言ってないし
そもそも荒木って受賞者ですらない佳作かなんかだし
それも、あのレベルで佳作かっていうレベルで、実際にそろそろ誰か佳作くらい出さなきゃってなったのが選評から分かるし
ツッコミどころ満載
とりあえず言えるのは、「自演乙」 >>442
いや言ってる人いるの(405氏・424氏) 438さんがアンカーつけなかっただけ
荒木雄太今どうしてるかなぁ ロールズ詳しくないからそう思うだけかも知れないけど、よくあそこまでジャンプしたよな 今更このスレが盛り上がってるのは嬉しいような悲しいようなだな >>443
その「言ってる人」含めて自演のイメージ
だって彼はYouTubeとかやってるけど、みてるのは毎回300人くらいの、まったくの無名なのに、謎に荒木に詳しいマンがこのスレとか東浩紀スレとかに出現して宣伝して消えてくんだもん
すばるの大澤より言及多いレベル
自演としか思えん
自演じゃないにしてもいつも流れぶった斬りだからやめた方が本人のためでさえある >>446
「以後鳴かず飛ばず」でもまがりなりにも佳作取った人物が、一方で「賞は全てコネ だから応募しない」なんてレス出すの? 全くあり得ない話でもないけどだとしたらそのベンダサン・パクテヒョクな演技力それはそれで敬服する でも正直チョット信じられない >>447
いや逆
自分はコネじゃなかったってレスじゃん
よく読んで
逆に本人以外、彼が確実にコネじゃないなんて分からない(何なら後に熊野と書店かなんかで対談してたくらいだから外部にはコネにさえ見える)のにわざわざ自己アピール書くの、本人以外にメリットある?
まあその上でいうと、彼はコネじゃなかったと思うよ。コネなら佳作じゃなく受賞したはずだし
でもって、何となく自己アピールしたかったのと、自分はコネじゃ無いと言いたかったから自演したのもまた、間違いないと思う
あるいは本人じゃなく友人かもしれんが >>447
荒木が以後鳴かず飛ばずネタにしてるの知ってる時点で本人かかなり近い平井だろあんた
でもって俺も実は薄ーい知り合い笑
まあ、もうやめよう >>450
平井じゃなく近いね
名前じゃないよ、間違えた いつの間にか「平井さん」になってます(笑) ちなみにイザヤ・ベンダサンもパクテヒョクも実は日本人じゃないかといわれてるユダヤ人と韓国人です いや「鳴かず飛ばず」ってのはこのレス以外でお見掛けしないからなんだけど
あ もう「進撃の巨人」始まる じゃとりあえずバイバイ いずれにしてもA木本人か関係者がいつも宣伝してきてスレが荒れるのは事実
ここ数日すごく良い流れのスレになってたのにここもあっという間に荒れちゃった
自己宣伝しないガチ議論できる貴重なスレだったのに残念だな 荒木の宣伝なんてどこにあった?
俺には見えなかったので
それこそアンカー付けてくれると嬉しい >>454
もういいからきえて
一気につまらなくなった 420さんには感謝してる でも上述の「荒木あらし」に関するレスのやり合い見てるとホントに批判する対象のレスきちんとスクロールして確認してるかとても疑問だ オマエにも責任あるといわれそうだけど、逆にいえばレスをきちんと熟読せずにすぐアンカーつける人たちがいる限り「○○あらし」はなくならんと思う
あと私が「322」という番号をずっとつけてるのは、今までレスのやり取りした人の中に(なんとなく文面から)「この人、さっきの人と同じなんじゃ」という場合が何度かあったから 無論ほとんどの人は私みたいなことしないし「そうしろ」なんて強制出来ないけど、正直やり取りした人の中には「また同じこと繰り返してる」と思った人もいたんじゃないかと思う >>455
さっき初めて書き込んだ俺に何言ってんの? 書店イベントがどうのとかごちゃごちゃ言ってる奴が一番荒木に詳しくて草 >>458
知り合いって言ってるからね
近いもの同士で戦ってる感じ
本人かは知らないが >>433 (=420氏)
やっぱ「あらし」(ってかあらしをめぐる怒鳴り合い)がある限り「マナ―としてのアンカー」ってちょっと疑問だ そういう人たちって逆にいちいちスクロールして「追い掛けて来ない」し まあ確かに第三者排除になってしまう面もあるけど、失礼ながらこれからはアンカー付けは原則一部に限定します >>435
上(460)に同じ まああらしなんか気にしないって人もいると思うけど ところであなた以前にも私にレスされました? >>435
失礼 アンカー付け失敗したのでもう一度レスします 内容は461をご覧ください >>460
420 ですが、>>425の発言はしましたがそれ以外は私ではありません
ただ私以外の人たちもアンカーをつけて欲しいと思っていたようです
それとアンカー付けるのはスクロールして辿りやすくする補助手段なので、読まずに済ませるためだとは思いません
322さんはおそらく発言が一番多いので自分の書き込みがどれだか分かり、それ以外の書き込みとの区別が付くのだと思います
しかしたまに覗くと50レスくらい増えていて、322さんが宛名をつけた人たちとの区別が付きませんでした
そもそもこのスレはIDがないので、、、 たぶんこのスレで何人くらいが発言していて、識別できているのは322さんだけでしょう
4,5人だと思いますが、単に覗いている人はもう少し多いでしょう
すばるが消滅し書き込みが増えたのでアンカーが必要になった
それ以前ならアンカーは必要なかったです
群像すばるがなくなりショックを受けてる人も少なからず多いと思います
書き込まずに覗いてるだけの人もなるべく排除せずにスレが続いて行くことを願います コテハンつけるのが一番楽な解決策と思うのだがどうなんだろう。 という訳で >>466 さんの助言に従って当面このコテハン使ってみます
>>464(=多分420)さんや >>465 さんの言うこと分かるけど、やっぱりあらしをする人たちって「斜め読み」だけで見当違いな因縁つけたり、はては「おまえ○○(実名)だろ」とか言ったり(正直私は笑っちゃんだけどこれはどう考えても○○さんに失礼)してて、アンカーはそのための「やり」になっちゃってる面があることは否定出来ない
今後もアンカー使うけど、やっぱり無作為に用いると結果的にイやな思いする人出てくると思う(個人的に「完全ブロック」とかはいやだしーー) 467番で出したアンカーがなぜか届いてません 恐縮ですがご確認のほどよろしくお願いいたします >>464
誠に恐縮ですが467番の内容、ご確認の程よろしくお願いいたします >>467
その〇〇だろってのは、それこそアンカーで近いの書き間違いで平井(すると近い近いになっちゃうから書き間違いじゃなく誤変換で手が滑ったんだろうけど)になったって書いてあるよ
その発言からしても分かるけど、やはりアンカー付けたり、返信を開いたりしないと、流れを読めないんだと思うよ
とはいえ個々人好きにやればよいと思うけど、5chにいてアンカー知らないのは少し奇異ではあるね コテハンに関して。
(任意の名称をここに代入)#abcdefgh
と、名前欄に入れて投稿すると
(任意の名称) ◆/Pbzx9FKd2
と、スレッドに表示される。
半角#の後に、任意の文字列を入力すれば、トリップは自動的に表示。
但し、#個人情報 は非推奨。ミスってトリップ入力したら個人情報が晒さる。
トリップは特定の個人を証明する、キーワード。
スレッドの名前欄をコピー&ペーストしても
◆が◇に変わり成りすまし防止にな流。
(例)任意の名称 ◇/Pbzx9FKd2
数字・英字・記号・カタカナ・ひらがな・漢字・スペース等何でもOK。(絵文字は知らん)
大文字・小文字・全角・半角、どれでの入力出来ますが結果が異なる。
#abc、#Abc、#ABC、#abc、##abc、…全部別の結果になる、というわけだ。 >>470
>>471
>>472
色々ご説明頂き皆様どうもありがとうございます
「なりすまし」やだけど「個人情報駄々洩れ」もやなので単なるハンドルネーム(ペンネーム)にする
アンカーは原則付けるけど、やっぱり自分自身とやり取りした人とかで「これは付けると相手にとってまずい」と思ったら付けない(てか場合によっては匿名にする) そのことでの批判はしないで欲しい
○○さんはどうやら実在しないみたいだけどホントに実名さらしたりとか不必要に憶測したりとかはやっぱりやだな(どうして私が荒木の「知り合い」になってんだ? )
あと前にも言ったけど私は基本機械オンチ ずっと指スクロールだけでレス内容を確認し、そのことに何の抵抗感も感じなかったアウストラロピテクスに「こら猿人! ちゃんとしたホモサピエンスに進化しろ!」と言われても正直困る ただ(たまたまかも知れんが)アンカー付けるようにした途端変な「あらし」に巻き込まれた(荒木雄太、何とかして!) 473補足
あと(ひどい言い方になっちゃうけど)正直そんな初歩的な誤変換やらかす人がいるとは思わんかった 確かに「C」の有無で違っちゃうけど、漢字変換のとき気が付かんのかね これはアンカーの有無の問題とは関係ないと思う >>471
いい人すぎ泣いた
ここほんとににちゃんですか?笑笑 >>474
誤変換はたぶんスマホで書いてるんだと思う
パソコンの誤変換だともっと「cgかい」みたいになる
スマホはフリック入力すると予測候補が出ちゃうからパパッと押すとわけわからん単語になりやすい
たとえば「今日街でさ」が「今日間違いでさ」みたいになる人がいるのは上記理由だよ
まとめサイトとかでよくあるじゃん まあ「あらし」ってる人たちに、オウチかネットカフェで座ってかけなんっつても無意味なんだろうね 「スマホ脳」なんて本が出てるけど、これでまたスマホ悪玉論に拍が着いちゃうワケだ(笑) もう意味ないかもしんないけど、今年秋の「三田」の評論部門に(ダメもとでも)応募しようと思ってる人いますか? もう10年近く受賞者出てないけど、差支えなければそういったドン・キホーテたちの「テーマ」だけでも聞いてみたい ちなみに私のは以下の私のレスをご覧ください >>322 すばると群像がやらなくなった以上、そっちから流れてくる応募者は間違えなく増えるだろうし、
質の方も上がるーーとなると、選考する側もマジになって受賞者が出てくるかも?>三田文学 改めてスレ見直してみる 三田新人賞について皆気にしてるのは、過去10年「該当作なし」が続いてること以外に@慶応出身者以外のハードルの有無 A賞を取ったあとそこそこ批評家としてくってけるか @に関しては慶応以外の人が選者になってる事実に期待するとしてAの問題はもう初めから期待しない方がよいだろう 現実問題としておととし「武田泰淳論」取った人もその後何も書いてないし(すばるではラップの人が確か二度目の原稿載っけてたけど) 文字通り「書きたいから書く」ってことになると思う >>480
そいや武田泰淳のおっさん書いてねえな
群像もせめて書評担当させるとかして書き手として育てりゃいいのに 評論賞独立後、受賞後に2作以上書いてるのはリテル論の高原氏だけじゃないか。評論集も出たし。
大学教員組は受賞後もう1作だけ書いて退場してる印象がある。 受賞させない回はコネのあるやつがいなかっただけのこと。 >>483(多分以下3つのレスも同じ人)
>>294
>>405
>>424
また繰り返しコネって言ってる いや確かにそうした側面や選者の好み(=偏り)が最終的な決め手の主だった部分になるんだろうけど、そこだけ何度も強調するだけなら「実力不足」以前にただの陰謀論的オカルティスト どう考えても群像(あるいはそれ以外)の賞に応募して私同様落ちたとしたとしか思えん しかもその事実を昇華するだけの自己相対化が出来ないから、私のようにどういったテーマを抱えてるかについては全く語れない 本当に心底納得出来ない、自分に非はないというなら、もう少しその辺をきちんと言うべきだと思う 「単なる」グチだけのレスは正直もういいです >>482
大学教員組の就活の手段にさせられてダメになった賞かもな >>483
それマジで違いますよ。私自身は出版関係者でもないただの凡人ですが、知人で最近賞を取った本人はコネとは無縁の暮らしをしています。
知識の積み重ねと努力で貰えた人に失礼では? あ、知人の獲った賞は某エンタメ系の小説のやつです。やっぱり猛烈に努力してましたよ。
落ちたら何で落ちたのか自分なりに分析したり。少なくとも「コネがないから出さない」なんて言い訳はしてませんでした。 >>487
やっぱりそう思う? ただ落選者として一言だけ「釈明」させて貰うと、エンタメの場合ほぼ純粋に「実力(=面白いか、売れるか)」だけがものをいうのに対し、基本競争原理に乏しい純文学の世界は選者の「好み」を忖度しないで応募すると不利だという「不純な現実」は間違いなくある
ただそれを理由に自分に催眠術かけて硬直しちゃうことの言い訳だけにはしたくない(もっとも、大手出版社の新人文芸評論賞ってもうみんななくなっちゃったんだけど(笑)) 過去ログに入ってる「コネじゃない新人賞」ってスレ偶然みつけて見てたら、(確か飲み屋で)ずっと自費出版の小説出し続けてるってゆう友人から「俺が賞取れないのは俺にコネがないからだといってくれ そしたら俺は作家の道を諦められる」と泣きながらいわれたってゆう作家の話が出てた 無論その作家がこの友人にそんなこと言っても彼は決して諦められない 極端な言い方すればこの「泣き」の究極かつ最悪のものが「死刑になって構わない」と言った(3年前の)京アニの犯人だろう
だとしたら私は先(>>484)の「グチはもうやめろ」というレス、撤回せざるを得ない 実際にはコネだけで受賞者が決まるとは思えないとしても、グチだけで済むならその方がずっとマシだ
>>483 >>487 みんな、公募の意味分かるよね。
コネが関係ないということ。
だが、近年は創作、批評共にコネ受賞による汚染が目立ち過ぎて出版業界自ら、公募新人賞を潰してしまった結果が、群像とスバル新人評論賞の消滅。 事情通ぶりつつ実力の無い自分をよしよしできる便利ワード。それがコネ。 >>490 >>491
またコネグチが出てる(ほぼ間違いなくこのレスこれまで何度も同じ趣旨のレスした人に同じ) まあ集英社や講談社で(京アニみたいな)無関係の人間巻き込むバカ騒ぎするよりはずっとマシだけど(ただ東大はじめ日本のほとんどの大学がアメリカと違って縁故入学が通じなくても、否通じないからこそ「東大に入れない=死ぬしかない=大勢の人を巻き添えに」って問題も起きちゃうんだよね)
もっともコネの問題が現実にあったのも事実 具体的にはすばるクリティークの受賞者は群像と違って30代の受賞者がメインだったし(=年齢制限)、「群像」最終回のシールズ論は、どっからみても「パヨーー否サヨク」の内和ウケでしかなかった(あの「批評」のどこをみても、シールズやあのての市民運動に批判的、あるいは興味の無い人を「巻き込む」という意思が感じられん)
コネ批判それ自体はいいと思う でもコネの内容を全く説明しないグチこぼしが何かの偶然で何らかの賞取ったりすると、今度は逆にコネ批判の批判はじめんだよね もうそのあたりでコネ話やめましょう。
それぞれの考えも間違えてないですし、正解は結局、皆さん自身の心の内で決まってることでしょう。
コネは存在すると思いながらも、書き続ける人、そんなもんねぇよ、と書き続ける人、どっちでもいいです。面白い作品が読めたら一読者としては嬉しい限りです。 >>493
「一読者」の立場からの発言としては全くその通りだと思う ただ正直に言えば、ここはもともと文芸評論賞のスレ (=舞台裏)であって「観客の立場を採る人」が首を突っ込むところではないとも思う
○KB出身の○○みなみが「報われない努力はない」と何度も言ってるけど、本当のところ「努力はして当たり前、それじゃまるで報われなかった人がただの怠け者みたいじゃみたいじゃないか」と思ったのは私だけじゃないはずだし、「報われなさ」をコネ批判にすり替えるようなヤツも、結局自分自身を全否定してしまってるだけだとしか思えない
確かに「正解は各々の胸の内で決まってる」 そしてその各々が簡単に並立出来るものなら、そもそも文学なんてもの自体が人間の歴史に長く刻まれることなんかなかったと思う
今日はこれでお休みなさい
あと、コネ話で思い出したけど、三田新人賞応募予定の慶応出身者ってどれくらいいる? (あんまり多いようなら現実問題として応募諦めるしかないので)出来ればレス送って欲しい >>494
「あなたの首を突っ込むとこではない」失礼ですが、外部からの意見も聞ける余裕が必要かと存じます。
個々の心の内はみなさん自身が持っていて良くて、並列化してもいいとは言っておりません。
しかし個人の考え、思いを理解することは評論家になる上では大切な要素かと。
あらゆる視点から物事を見て考察を重ねることが評論家です。応援しています。 >>496
表現の一部に誤解を招きかねない点のありましたことを深くお詫びします
ただ(今から述べる人達がこのスレ見てるかどうか分からないけれど)ダメもとで「三田文学」に送ろうと思ってる人で、評論部門での受賞作が長らく空白のままなこと、そして私のように慶応出身でない者が、そういった問題(=コネにまつわる具体的事実)を気にしないってことあり得ないと思う まあそんなつもりはないっていうと思うだろうけども、やっぱりコネ話そのものの否定ってどこか「第三者的な言い方」に聞こえてしまう 舞台裏に入るならそこにある種の卑俗さ、猥雑さのあることも理解して欲しい
それとあなた以前このスレにレスされたことあります? >>496
表現の一部に誤解を招きかねない点のありましたことを深くお詫びします
ただ(今から述べる人達がこのスレ見てるかどうか分からないけれど)ダメもとで「三田文学」に送ろうと思ってる人で、評論部門での受賞作が長らく空白のままなこと、そして私のように慶応出身でない者が、そういった問題(=コネにまつわる具体的事実)を気にしないってことあり得ないと思う まあそんなつもりはないっていうと思うだろうけども、やっぱりコネ話そのものの否定ってどこか「第三者的な言い方」に聞こえてしまう 舞台裏に入るならそこにある種の卑俗さ、猥雑さのあることも理解して欲しい
それとあなた以前このスレにレスされたことあります? 補足
仮にそれを「コネ」という言い方をしないのだとしても、各々の文芸誌における「選考基準のクセ」みたいなものはある程度把握しておくべきだと思う もう「三田新人賞」以外(つまり「すばるクリティーク」「群像評論賞」の場合)事後的なものにしかならないけど、それでも単純に「落選」(=「自分の至らなさ」「才能だけでは応募出来ない」)という短絡的図式に基づく「果てしない絶望」からは免れられる もっともこんなことは応募者・落選者でない「単なる一読者」にとっては不快なものでしかあるまいが >>500
偏向した透明の矛盾した不文律はどの世界でも存在しますけれども、文芸は真理や精神等とも
関係が深いと見做されがちですから選考制度そのものの批判という発想が中々生まれにくいかもですね
本音と建前が分離しているのはある意味健全だと思うし純文学もそうだと思うけれども
文豪の作品に書いて純文学を目指す人はこの分離を認めることが出来ないんですよね
今残って読み継がれてるような文豪ってどこかしら・何かしら
非常に純粋だから、彼らの純粋を出版社や編集者に誤って転移してしまって本当に辛くなることが多い
自分を支えてくれるような感動を提供しれくれた文学とその文学を出してる出版社への現況への幻滅という
否認や抑圧をしてしまいがちな矛盾的な状態を言語化して距離を置けるようになるまで本当に辛いんですよね……(汗) すいません、致命的な誤字を発見したので再投させていただきます、すみません
偏向した透明の矛盾した不文律はどの世界でも存在しますけれども、文芸は真理や精神等とも
関係が深いと見做されがちですから選考制度そのものの批判という発想が中々生まれにくいかもですね
本音と建前が分離しているのはある意味健全だと思うし純文学もそうだと思うけれども
文豪の作品に感動して純文学を目指す人はこの分離を認めることが出来ないんですよね
今残って読み継がれてるような文豪ってどこかしら・何かしら
非常に純粋だから、彼らの純粋を出版社や編集者に誤って転移してしまって本当に辛くなることが多い
自分を支えてくれるような感動を提供してくれた生き甲斐のような文学とその文学を出してる出版社への現況への幻滅という
否認や抑圧をしてしまいがちな矛盾的な状態を言語化して距離を置けるようになるまで本当に辛いんですよね……(汗) >>502
大学時代(学部時代)にお世話になった先生にある中堅の学術出版社出身の人がいたけど、飲み屋で同席する度に出版社時代の思い出を楽しそうに語る一方、その会社の抱えている問題についてもさり気なく付け加えてた
私が今まで読んだ本の著者には、その本の版元についてあれやこれや批判している人が何人もいた
出版社も人間の作っている組織なんだから「ある程度の」コネ云々は正直当たり前だと思う 相手を根拠もなく理想化して結果的に自分を追い詰めてしまうのも、反転して自分の未熟な部分を全て文芸誌の選考基準のせい「だけ」にする自閉的なエゴイズムも、等しく無意味なのだと思うし、それらに同意しないということが直ちに不寛容のあらわれだとは思わない
私が投稿を止めないのはただ単に(これまでも何度か述べたように)「8,15から3,11へ」というテーマを文芸批評の立場からきちんと取り上げた人がいないから、それだけ
あ、それから先の「お世話になった先生」って確か慶応出身の人なんだけど、これコネにならんかな(まあ、卒業後ずっと会ってないからダメか(笑)) すいません 私もミスしました 上記の「8,15から3、11へ」を「8,6から3,11へ」に訂正します >>503
貴方が受賞されたら是非読みたいですね
三田文学新人賞頑張って下さい 「三田」改めて読み返してみたら5年前の佳作「火を囲う者たちへ」に「キリヤマ」という人物が出てきててちょっとびっくりした 私がSFオタなせいかもしれんけど往年の某SFテレビ番組に同姓の人物が登場してて、しかも各々の作中での役回りも若干似ているのだ この佳作小説のラストでクラークの「2001年宇宙の旅」に触れているところがあるのだが、もしかしたらこの作者、あのキリヤマを元にしてこの小説書いたんだろか? ま、基本的にどーでもいいことだけど 新聞見たら西村賢太の訃報記事が載ってる 先日も石原の大往生があったばかりだが、体調不良で病院に担ぎ込まれたらしく享年54 これはまだ早い 暴飲暴食繰り返してたんだろうか 今年もかーー もっとも、去年まではみんな(オレも)正直「三田文学」に送っても、過去10年誰もおらんしって、始めっから問題にしてなかった(諦めてた)けどーー(笑) ありがとうございます(笑) でも、というかある意味「矛盾」するけど、どうしても発表したいことがあるってゆう全ての人、(今年の結果も考えると受かる可能性正直低いと思うけど(笑))「頑張れ!」 てかそもそもワタシが群像評論賞やすばるクリティーク終わらせたワケじゃないし(溜め息) 322は創元SF短編賞にいるレスバ好きな工学部のおばちゃんか ADHDのマインドワンダリングとか統失の連合弛緩って文章に出るのかな 高橋源一郎がかなり前に「文学が漫画に対して唯一優っている点があるとすれば批評がセットになってることだ」って言ってたはずだけど(「文学はなぜ漫画に負けたか」)、もう「三田文学」除いて「無効」になってしまった訳だ
創元SFに関するレスなんてのがあるのか (前にもあったけど)どうやら今度は私個人に向かってあらしが吹きまくってる まあブロックとかは正直ヤだしこの姑息な無言電話どもには耐え忍しかないか(トホホ)
それともうすぐ三田文学賞雑誌発表だけど、評論受賞者いないからこのスレ過疎ったまま、あらしだけが吹きまくるんだなあ(ヤレヤレ) >>520
言い換えると、批評なしでは文学は成り立たないということ。
これが、創価には分からない。 僕は群像の評論に最終選考まで行ったことあるけど
高尚なこととか何とか言わずにちゃんと論じることが近道だと思います
それなしに自分の主張やイデオロギーを前面に出しても、読む側としては飽きれるだけなんで 523さんの言うことその通りだと思うのだけれど、最後の受賞作になったシールズ論(鷺田論)はどう考えてもあの運動に賛成する人達のためだけのもの、文字通り「イデオロギー」丸出しのものでしかなかったと思う 523や524の自分アピールの虚しさが分からないでは批評を書く素質はないだろう。 >>522
ただ現実問題として純文学そのものが出版界のお荷物になってしまってる状況じゃ、悲しいながら批評は文芸誌にとって真っ先にリストラの対象にならざるを得ないーー
>>513〜>>525 あらしという形でしか自己アピール出来ない文章力皆無の輩に何言っても無駄だが、他人を不快にすることだけが生きがいになったら、人間としてはもう終わりだ(犯罪者に落ちぶれるよりはマシだけど)
>>526
それはあなたの批評に限っては言えることでしょうな。
あんたには批評を書くことは不可能だ。 新聞見たら教科書をめぐる「論理国語」「文学国語」に関する記事が出ている その記事によるとこの場合どうも「文学」が「小説」に、「論理」が「評論」に対応してて、4年前の「羅生門」検定の問題をめぐるあり様も取り上げた上で、「小説」と「評論」の区分けの可能性について論じてる
そもそもこの二分化が決定した時、確か「論理性の名による文学軽視だ」という批判があったように思うが、大手文芸誌の場合での評論(賞)では真逆の事態になってしまったのは、何とも皮肉な話だ
今になって考えてみると、「論理」なしには「文学」は成り立たないが、論理だけで文学は成立しないし、そもそも論理の根本は非論理だってことを、こうした国語教育から学んだ記憶がないのだが、私は健忘症なのだろうか? (てか私は採らなかったのだけど)大学の論理学でやることなのかな? 大体が今の日本の文芸批評界隈の問題点が東や大沢、山城らの選考委員達に分かってない。
それに柄谷の好きなロールズや柳田を取り上げた作品が受賞するのもお馴染み。
実質は柄谷行人記念評論賞だろ。
昔の作家の作品論をこつこつ書いたところで賞をやる程のもんじゃないわな。演劇教育論とかもマイナー過ぎる。山城「彼は今後、多数の読者を獲得するであろう」とか、嘘臭すぎる。
第65回に限って応募総数が発表されてないのは余程少なかったんだろう。 柄谷って確か湾岸戦争のとき浅田とかと一緒んなって反戦護憲声明出してたはずだけど、今度のウクライナ危機に関し岸田ソウリが「もう日米核共有はタブー視しない」って言ったことについては何の抗議もしてないよな(まあ浅田や大江もだけど) もう潔く諦めたのかそれとも自分達の方に風が吹くのを待ってんのか
このスレでも一定期間をおいて(風が吹いたかどうかは知らんが」ほぼ全くおんなじ内容のディスレス(しかも具体的根拠を示さないヤツ)が繰り返されてる まあ5ちゃんだからある意味当たり前なのかもしれんが、単なる憶測の域を出ないものを批評スレに出すことに、一体何の意味があるのやらーー >>531
>>もう潔く諦めたのかそれとも自分達の方に風が吹くのを待ってんのか
このスレでも一定期間をおいて(風が吹いたかどうかは知らんが」ほぼ全くおんなじ内容のディスレス(しかも具体的根拠を示さないヤツ)が繰り返されてる
君の文章は何のことを指してるのか分からないんだよ。
話にならないレベルなんだ。
君は君自身が消える薬を飲んだ方がいい。 ↑ (爆笑)ホント分からん 何故ここまで無差別な誹謗中傷レス繰り返さずにいられないのか
もう5か月も前になくなった賞相手に感情的な憎悪をたぎら続けてんのか 確かに話にも何にもならんレベルだ まあSNSって基本匿名の世界だから基本何言っても責任取らなくていいし、それはディスられる側にも言えることではある
>>260以来ほぼずっとおんなじ罵詈讒謗し続けて、しかもその根拠は曖昧なまま 「賞取ったヤツはのほとんどはコネ」なんて一体どうすりゃ分かるのかね?
まあそこまで批評が嫌いならこのスレに顔出さなきゃいいのにってだけの話なんだけどね
>>534
>>>>260以来ほぼずっとおんなじ罵詈讒謗し続けて、しかもその根拠は曖昧なまま
お前馬鹿だな。
多少というか、かなり根拠があるから群像新人評論賞が終わったんだよ ↑ (大爆笑)
いずれにせよ「コネ受賞」なんて大問題については(無論多少はあるんだろうけど)「断言」するならきちんと「証拠」出すべきなんだよね 証拠があるならともかく憶測だけでモノ言ってる以上所詮単なる妬み嫉みひがみでしかないんだよね 証拠出さない以上は
そしてそれは曲がりなりにも真面目に努力した受賞者(もちろんそうじゃないのが明々白々なのは論外)に対する根本的な人権侵害 本来なら名誉棄損モノなんだよね まあそれが分かってっから5ちゃんスレにデマ流すんだろうけど
そういえば「批評嫌い」を公言しつつ磯田光一にだけは敬意払ってたレスあったけど、あれもしかしてオマエか? あ、いくら何でも磯田の愛読者がこんな下品な言葉遣いしねーか
>>536
お前はただの創価だ。
だから、批評が全く分からない。 昨晩三田の春季号見る 批評2作はいずれも該当作なしだがいずれも◎付き 来年度こそせめて佳作だけでも出て欲しい
三田もしばしば慶応コネが取りざたされるけど、よくよく考えたらコネ万能なら10年間受賞なしなんてこともない訳だ(それはそれで残念だけど)
いずれにせよ評論賞の新人を育てる土壌がほぼ壊滅してしまった現状では、評論家の大家とのコネなしにその道を歩むことは出来ない訳だ トホホ(まあ↑のような他人の努力を蔑む批評嫌いにはある意味喜ばしいことなんだろうけど) >>538
>>いずれにせよ評論賞の新人を育てる土壌がほぼ壊滅してしまった現状では、評論家の大家とのコネなしにその道を歩むことは出来ない訳だ
結局お前はコネを大いに認めてしまった。
カクヨムなどの投稿サイトで認められたリ、個人的に出版社に持ち込むルートは世界中のライターが昔から用いてきたにもかかわらずだ。
卑怯者のお前が生意気抜かすな。
俺は白石のぼるの九州文学賞受賞を評価したもので、努力したライターを蔑む人間の正反対の者だ。
現在の日本の文芸批評の難関を真剣に捉えてる者は俺しかいない。
さらに、お前のように出版社の御機嫌ばかりうかがってる者には日本の批評を良くすることは不可能だ。
簡単に言うと、文壇と無縁でなければ、言いたいことは言えないんだよ。 ↑ 「ほぼ全ての」あらゆる評論賞受賞者(の努力)をコネ呼ばわする「憎しみ」の動機が、特定作家への単なる病的偏愛に過ぎなかったとは
白石のぼるについて詳しくは知らんが、結果的に彼自身(の文学への研鑽)が他人を貶める口実に使われてたことになる訳だ(彼がこのスレ見てないことを願う)
もうこの上の人のディスレスについては、それが私以外の具体的な第3者を巻き込むものでない限り相手にしない ↑ 「ほぼ全ての」あらゆる評論賞受賞者(の努力)をコネ呼ばわする「憎しみ」の動機が、特定作家への単なる病的偏愛に過ぎなかったとは
白石のぼるについて詳しくは知らんが、結果的に彼自身(の文学への研鑽)が他人を貶める口実に使われてたことになる訳だ(彼がこのスレ見てないことを願う)
もうこの上の人のディスレスについては、それが私以外の具体的な第3者を巻き込むものでない限り相手にしない >>542
>> 「ほぼ全ての」あらゆる評論賞受賞者(の努力)をコネ呼ばわする「憎しみ」の動機が、
その箇所を指摘してみろ。 (少し時期遅れな話だが)すばる5月号に金石範の一昔前の政治小説が再録されてる ただ韓国自体が民主化して保革が泥仕合的な対立を繰り広げてる今、こうした「絶対悪(=軍事独裁政権)」の存在した時代のものを取り上げる理由って何なんだろうか
まあ、より国際的に視野を広げれば、香港やミャンマーでは今でも社会主義政権による人権抑圧が進行形ではあるけど 再録ではなく新作では?
まあ書いてる内容は昔と変わらないけど
>「絶対悪(=軍事独裁政権)」の存在した時代のものを取り上げる理由
ウクライナ戦争の件で思うところがあったのかもしれん。プーチン。 >>539
>さらに、お前のように出版社の御機嫌ばかりうかがってる者には日本の批評を良くすることは
読者様にはうちの版元のご機嫌もうかがってほしいなあとおもいます。
名前が出たから言うのもなんですが。 >>547
大きな意味で言えば、白石の作品「足の間」の冒頭の5行はノマディズムへの挑戦だ。あるいはノマディズムの吟味への要求だ。
これはもっと注目されていいだろう。
取り敢えず、俺が出来ることはこのぐらいだが、こういう吟味は世界的には1930年頃から1960年頃まで行われたが、構造主義とポスト構造主義を挟んで、それ以後から再び世界的に吟味が再開されたような。 第一回からずっとコネ受賞者しかいないよ、こんなもん >>544〜>>546
どうせ新作なら4,3虐殺事件の舞台となった済州島がもともと独立の王国だったこと、それゆえ韓国の本土人から(日本人にとっての沖縄のように)差別され続けたこと、虐殺の発端が李承晩に反対する同島「左派勢力」の武装蜂起にあったことなどを徹底的に掘り起こして欲しいが、この作者の過去の言動振りかえる限りでは、正直(北朝鮮べったりにはならないだろうけど)公正中立は期待できないだろう
実際、民主化後の韓国政府で4,3事件の見直しやったのって金大中や文在寅とかいった「左派政権」だけなんだよな だから日本での沖縄戦のように「国民的悲劇」にはならない
あ、もう3時だ じゃ、お休み >>548
お読みいただきありがとうございました。
うれしいです。 >>541
ごめん見ちゃった。
でもよく話の流れわかってないです。 >>552 >>553
誠に勝手ながら私が一方的なことを言っても仕様がないので、もし気になるようでしたらヒマなときこのスレ全体(特に>>260番以降)見直してみて下さいとだけ申し添えます
あっ でもちょっと待てよ 白井氏って今確かタイに居るんじゃなかったけ? まあこの「のぼるちゃん」ってコテハンの様だけど
>>554
だいたい読みました。
つうかコネどうこういう前に、なんで最近の
文芸批評やる人は翻訳やらないのかと思いまし
た。
翻訳やればいいじゃんコネとか関係ないし。 ↑(笑) 自分自身に限っていうと、恥ずかしながら正直当方「翻訳アレルギー」です ついでに言うと自分のテーマがずっと「(8,6から)3,11」なので、基本翻訳をやるモチベ―ションが湧いてこない ある意味とても傲慢な言い方ですが、このテーマで「もう自分にはこれ以上のものは書けない」と思えるような批評が出て来ないことに、誠忸怩たるものを感じております
あと動画見ました 2週間なんて短いと思えば短いですよ 気の持ちようだと思います >>557
自分のやりたいことしかやりたくないんだったら
自分でお金出して自分の作品リリースするしかない
ですねー。がんばって。
> あと動画見ました 2週間なんて短いと思えば短いですよ 気の持ちようだと思います
気はもっても金がもたないです。
当時感染者数200人の東京で十四日分の宿泊費がいるわけですから。 ↑ (コロナでなかなか見つかんないけど)とりあえずバイトさがすしかないです 白石氏はおそらく(少なくとも翻訳関連では)応用力大の優等生タイプなんでしょう 羨ましい限りです
あと「2週間」については学生時代麻疹でぴったり2週間実家で寝込んでた時のことしか念頭にありませんでした これについては失礼しました あっ でもよく考えたらこんなご時勢に出入国ってやっぱ特段の理由なしにすべきことじゃないかもな
少なくとも何の説明もなしに担当の役人に「殺意を感じる」なんていわれても、郷里への墓参控えてる身には、やっぱ違和感が…… >>559
あ、でもいまKDPあるから作品リリース
お金要らないかも。 就労実績が認められなくて就労ビザが切れたとしか見えないんだよ
日本政府を批判するのがよーわからん 親がうんたらかもしれないけど、どっちにしろテメェの都合
全入国者が同一の検疫だった >>562 >>563 とも私のレスじゃないです 私も出来るだけ地元の都道府県に留まるべきと思うけど、こんなヘイトまがいのことは言いたくない あっ でもよく考えてみたら白石氏の動画での言葉使いとちょっと似てるかも……(「殺意」とか「テメー」とか) このスレもうホントに一般的な5ちゃんスレになりつつある 前は批評スレ特有の独特な感じがあったんだけど(まあ、私にも責任の一端はあるな……) アメリカのある高官が台湾有事の際は「ウクライナ方式」採るべきと主張してる でも台湾有事は沖縄には波及しないって前提、ちょっと楽観的過ぎないか
「群像」が本気で「文論両立」でゆくなら、この問題ちゃんと考えた論考載せるべきだと思うんだけど やっぱ「正論」「WILL」みたいなとこが保守的立場だけから論じるってことになっちゃうのか 以前「群像」誌面で香港の民主化運藤を取り上げた際、彼らの間ではしばしばトランプ前大統領が民主主義の象徴的存在とされている旨の論考(ってか記事)が載せられてた 本当はこうした「保守・リベラル」の二択の枠には当てはまらない事実こそ重要なはずなのだが、こうした問題はあくまで「報」に留まり「論」にはならない この種の「隠蔽」は「群像」だけじゃなく「すばる」を含んだいくつかの(大手)文芸誌に共通する問題だろう 「Nの回廊」で保坂が、彼の奥さんに、西部の生前、西部が病死した妻の後追いをするだろうっていわれてたと書いてる
江藤淳のときもそうだったし、不謹慎かも知れぬがさもありなんといったところだろう
ただそうだとすれば、なぜ西部は介護で家族に迷惑を掛けたくないなどと言い残したのだろうか 無論自死そのものは決して褒められるものではないが、それでも遺族の側からすれば、迷惑云々などといわれて死なれるよりは、まだましなのではないだろうか 「病死した妻」→「不治の病となった妻が万一の事態になれば」 かなり昔(評論部門が文学部門と一緒だった頃)の、文学部門での受賞作 それ以上のことはちょっと 前のレスからもう一か月 過疎ってんなw
新聞の新刊批評ページに「母親になって後悔してる」って本が取り上げられてる タイトルといい内容といい実にイヤなものだ 子供の頃私が母に言われたことまんまだw
大分前にもちょっとレスったけど、特殊スキルが求められる仕事先での職場結婚だった母は、その後もずっと(育児・家事と割り振りしながら)「趣味、生き甲斐としての仕事」をフリーで続けてた(父はそんな母を少し小馬鹿にしてた) そしてしばしば「結婚しなかったら、お前が生まれなかったら、私はもっと仕事での自己実現が出来てたかもしれない」とボヤいた
それがあんまし長くなると、私は「ボクは生まれなきゃよかったの?」と聞き返し、すると母は私をよく駅前近くのおもちゃ屋やらレストランやらに引っ張っていった
この本多分私は買わない(てか多分私には読む必要のないものだろう) 憂国放談で安倍銃殺と統一教会ズブズブ問題が取り上げられてる (少なくとも浅田については)オウムのとき中沢とオウムの関係庇いだてといて、正直勝手だなってしか思えん >>572
その作品を俺は知らなかったが、文徒アーカイブスというところが
記事にしてる。長く言及してるので該当の箇所全部は載せられないが、
一文だけ載せる。
小幡亮介の「永遠に一日」は開高健の代表作である『夏の闇』に酷似
した部分があったと新聞などで指摘され大騒ぎとなったのである。 >>576
続けて言うと、文徒アーカイブスの記事で挙げられてる盗作事件は全て、講談社に関わるもの。講談社の大好きな人が立てたスレで572が尋ねたのは野暮だったな。
盗作問題の渦中にいた小幡亮介はその後、群像1981年7月号に「欲望」を、1991年9月号に「森の中で」を発表してる。盗作事件のその後としては割とレアなケースではないか?
盗作が話題になって、ショックで書けなくなってしまう新人作家が大方の気がするが。
創作板のワナビの多くと違って、小幡亮介は新人賞を非常にクールに見てるんだよ。三田村誠彦は小幡のことを上手過ぎるとまで1984年発行の「新しい書き手はどこにいるか」で
評してるが。小幡はワナビでも中二病でもないんだよ。いわゆる純文学をエンタメみたいに見てるんだろう。 新人剽窃騒ぎで思い出したが、○条裕子のあの例の作品、(大分前だが)盗作云々以前に内容が稚拙だってレスが来てたよな ただその意味でなら○江健三郎の「ヒロシマ・ノート」「静かな生活」も、結局ぺダンティックなだけで、当事者にとっては無神経なシロモノだよね 昨夜の「朝生」にはホント失望した 昭和の終わりんとき「オリンピック」テーマに掲げながら途中で天皇問題に変えたように、今回も「戦後77年」掲げつつも、少なくともさしあたっては本来無視出来ない「安倍元首相銃殺と統一教会」に変更するのかと思いきや、結局そのまんまだった
確か天皇問題ンときは、批評家の西部邁が、激昂して退出しようとする栗本慎一郎の袖引っ張ってたが、せめて「カルトの問題、より広義には日本共産党(=スターリン)に対抗しようとした自民(の右派)が統一教会ズブズブになってくの取り上げないのはおかしい!」って怒るのだーれもいない やはり野坂や西部といった、多分に文学畑でありつつも政治にクビ突っ込んでくるようなタイプの論客がいなくなったせいだろうか
否そうじゃない それが文芸畑・批評畑がどうかはともかく、カルト関係に詳しい論客は確かにいる 結局、朝生自体が○HK化してしまっただけなのだ
田原総一朗、正直もう引退した方がいい かつてオウム取り上げながら、今統一教会取り上げられない朝生で喋ったところで、見てんのは所詮回顧趣味の高齢者・中高年だけだ(しかもみんな溜め息交じりだ) 今朝の「サンジャポ」「ワイドナ」のいずれも、深夜枠の朝生よりもきちんと統一教会問題取り上げてる
ただ、かつて「憲法を世界遺産に」なんて言ってた太田光「今度の統一教会報道じゃ銃弾一発が報道・世論の流れ変えるなんてことになってるが、それは良くない」なんて綺麗ごといい、ひろゆきも(カルト規制しろと言いつつ)「山上容疑者極刑に!」なんて付け加えてるが、いずれもそれこそ「非文学的」なものだろう 少なくとも今回のケースの場合、山上のテロが統一教会の高額献金と反共政治家っとのズブズブに耳目を集めさせたって現実は、もう変わらない
それにしても、ワイドナやサンジャポでも文学者・文芸批評家にはお目にかかることがない 要は内向きになって批評を切り捨てた(正確には「三田文学」は違うようだけど)今日の文芸のあり様象徴してるってことなんだろう 統一教会問題での自民・維新・国民の弁明(特に自民のそれ)聞いてると、かつてのリベラル・パヨクインテリのヤマギシやオウムへのズブズブ(鶴見俊輔や中沢新一、島田裕巳)しみじみ思い出される ドイツのように反共反ナチ反カルト徹底規制して、表現の自由に若干支障きたすのも(=闘う民主制)、それはそれで問題だがーー 明日で77度目、核(原子力)70余年
ところで「夏の花」ってGHQの目を逃れるための題だって説があるけど、続編の「廃墟から」のときはもう忖度する必要なかったのかな? 実際プレスコードってどこまで機能してたんだろ のぼるちゃんさあ、あのツイッター記事、消してくれませんか? 迷惑しています。
警察とかに相談したくないのです。 土屋顕史のツイッターやyondaのブログを見たけど、彼が昔、創価信者だったことがあって、
現在は多分そうじゃないということが、文藝編集長の彼への対応と関係してるかもしれない。
文藝の部数や定期購読者の数が3倍増えたり、10倍に増えたりしたというが、それの朝日や
日経の記事がいずれも、増えて何部になったのを書かないというお粗末さww。これらの記事
を書いた記者の恥ずかしさを思うとww
こういう不自然に部数が増えてる理由には創価が組織として信者に購入を勧めてる可能性があ
ると思う。 このスレもう「批評スレ」には戻らんか
にしても(プライベートに立ち入る気ないのでツイッター見てないが)白石のぼる氏一体何書き込んだんだろう 正直「警察沙汰」云々ってのがちょっと引っかかる
自民にも共産にも友人のいた父のもとに、後者から(私が子供の頃からずっと)「あかはた」が送られ続けてきてた その知人の死後父宛に購読依頼の電話が来たが、確かタバコの吸い過ぎで療養所入りしてた父に代わり、「父は支持者という訳じゃないので」と断わった(てか断わらさせられた)記憶がある(高校の頃だったかな?) 統一教会の壺売りや献金ノルマは確かに突出してるが、そういった点は創価にせよ共産(の赤旗ノルマ制にせよ)基本変わらんのではないか
そういえば共産党の故・宮本賢治って、元々「白亜紀」(だっけ)っていう文芸誌出してたんだっけ 共産(の赤旗ノルマ制にせよ)
→共産(のあかはたノルマ制)にせよ 今日は長崎原爆の日 文芸的には「長崎の鐘」や「この子を残して」の永井隆が思い出されるが、基本反共カトリックだった永井はしばしばアホパヨクのしょーもないイデオロギー批判に晒されてきた
最近でも(といっても1年以上前になるが)高原到がネチネチ絡んでたなぁ
週刊ポストの今日付け新聞広告に「山上容疑者とは大違い 安倍元首相と統一教会2世信者の蜜月」って趣旨の見出しが躍ってる 無論記事の中身それ自体はそんな単純なもんじゃなかろうが、少なくとも見出しだけみてると、2世信者や脱会信者の大半が、いまだ熱心なカルト信者であるかのようにも読めてしまう 無論実際にはそんなことはない 他のカルト2世や「共産党員2世」「朝鮮学校2世」でも多分おんなじこといえると思うが、そうした宗教(イデオロギー)2世や元信者の中には、「もうカルトこりごり」「共産主義うんざり」と思いながら、信者の親との付き合いやらなんやらで、イヤイヤ関わってんのも少なくないだろう
残念ながら5ちゃんにあっても、このての見出しもっと「露骨」にした悪しきヘイトレスが散見される そしてそういうレスの発信者(「事実の単純化」って面で)実のところよりファナティックなのだ
ここはあくまで批評関連のスレ せめてこのスレだけでも、思い込みに基づくディスじゃなく「具体的かつ明瞭な事実に基づく批判」に限定されることを切に願う
サルマン・ラシュディ刺される 確か昔、「悪魔の詩」訳した日本人が暗殺されたことがあった 無論ムスリム全てがこういうテロに同意してる訳じゃないが、逆にいえば彼らがこの行為を否定しないことも、イスラム・フォビアの原因になってる 現代世界でテロを肯定する宗教をカルトと看做すのは、もう欧米だけじゃないって事実を、彼らが受け入れることはあり得るんだろうか
統一教会が今一度クローズアップされてることもあって、いわゆる「宗教2世」の問題が報道されるようになった 中には心ない中傷スレスレのものもあるが、境遇に対する同情の声も上がってる
これに対し同性婚2世の場合はどうだろう 単なる事実婚じゃなく「正規の同性間婚姻」を認めるってことが、結果的に父(母)に日常的に会えない子供を大量に産み出すって現実は、子供の側からみれば一種の人権侵害ではないのか 長い目でみて自分と血の繋がらぬ「もう片方の親」は、「養子達」とノーマルな関係を築けるんだろうか
まあこういった意見に対しては、(文芸誌に巣くう)リベラル・パヨクから激しい感情的反発が出るんだろうけど 昨日付け朝日に、大島新(大島渚ジュニア)が、NHKの統一教会・安倍銃殺報道は日和見だってコラム書いてる
でもそれ、朝日新聞系列の某テレビ局が某深夜討論場組で統一教会スルーしたのとどこが違うの? 彼のいうこと多分ホントなんだろうけど、そのこと「だけ」を朝日でいっても正直しゃーないと思う 昨日の「サンジャポ」で大田が、過日の山上容疑者批判で受けた多くの反論(うち一人には紀藤弁護士も加わってる)について弁明してる まあ「憲法を世界遺産に」なんていってるのから見れば「あらゆる暴力は悪」ってことだろうけど、正直シラジラしい
言い換えれば、改憲論者の安倍がこういう最後だったのは、ある意味「已むなき暴力」って考えを身をもって証明したといえなくもない このことで統一教会問題に再び焦点があたったのは事実なワケだし(ゲストの鈴木エイトが「私は、安倍銃殺のお蔭でテレビに出るようになった人と言われ続けるんだろう」って言ってたのが、何とも皮肉だ)
にしても、文芸批評家ホントなんにもいわんな じゃ、お休みなさい 今日は終戦(敗戦)の日 全ての日本人にとって終わりと始まりの日 だがプーチンや金正恩のこと考えると世界史上の「終りと始まり」はやっぱ8月6日
全然関係ないけど、以前はこの日までに連絡なけりゃ落選だって騒いでたんだよなw
昇ちゃんの「○○を許してやることにしました。」は許したことにならんだろw ここ連日旧統一教会に関する報道の止まぬ日はない そしてその理由は、誰が何と言おうと安倍が殺されたからってことが事実
にしても皮肉なのは「家族の価値」を強調する統一教会が実際は多くの家庭をメチャクチャにし、これを激しく批難するリベラル(=パヨク)連中が「価値の多様性」なんて美辞麗句で、「結婚しない自由」主張してること(実際の非婚者の大半は「結婚しない」じゃなく、「したくても出来ない」だけだ 現実に即してもの言え バカw) 文芸誌はインチキリベラルなんぞに媚びへつらうのじゃなく、「結婚しようにも出来ない非婚者」(=格差社会)にきちんと目向けて欲しい 先日「キングメーカー」観て来た まあ映画だから結局そういうことになるんだろうけど、明らかに偏った(進歩系寄りの)内容だった
一番ヘンなのは、朴正熙側に寝返った主人公が選挙対策として(慶尚道と全羅道の)地域対立蒸し返したみたいな描き方してたけど、実際はこの問題、映画の中では徹頭徹尾善玉扱いの金大中が、のちに金泳三と対立した原因の一つでもあり、実際は結構根が深い(韓国が今でも反日な理由と、多分連動してる)
映画の終幕で金大中が金泳三との対立反省する弁述べてたけど、いくら何でも理想化しすぎだよな、アレ 四方田犬彦の「戒厳」も、細かく見れば荒探せるんだろうけど、ここまでじゃなかったと思う
「お花畑発言」にまたLGBT運動家が噛みついてる ったくアホらしい 正直発言内容をきちんと精査した上でモノ言ってんのか疑問だ (あくまでも報道されてる限りだが、発言内容を読んだ限り)LGBT関連でもこれがおんなじ自民関連の「生産性発言」と全く違うのは明らかだ これでは「多様性」はもう、パヨク連中による魔女狩りの単なる代名詞も同然だろう 太田光代が自分の生い立ち述べた上でダンナ庇うもの言いしてたけど、そもそも安倍銃殺の件で山上批判出来んのは、やっぱ旧統一教会の脱会信者とアッキーだけなんじゃない? 教団が原因で自殺未遂まで経験したテロリストに通り一遍の「暴力反対!」なんて言い張るご亭主様、どう考えてもタダの偽善者(でなきゃカルト被害の深刻さまるで分かってない世間知らず) てかそもそも、カルトが悩ましいのは信者が被害者と加害者を兼ねてる場合があるって現実
銃弾ぶっ放した山上だけ悪くて壺売りに関係してただけなら免責なんてことには絶対ならない なんであんたの日記帳になってんのさ
わきまえろよ爺 またヘイトレスだしてやがる 多分アイツだ
このスレ覗いてるかもしれない第三者のために言っておくと、607のレスは、このスレで「群像評論賞とったヤツはみんなコネ受賞(でなきゃ単なる選者のご機嫌取り)」って誹謗中傷レス繰り返し出し続けてるクズです 私以外の人達からも批難されてましたが、群像評論賞がなくなってこのスレが0勢いになると、私を目の敵にしてヒマツブシしてるみたいです 嘘ついてんのか ホントに違うのか まあどっちにしても(アイツでないとしても)あらしはあらし 以下黙殺 どうせ事実上0勢いなんだから、「評論」「批評」に興味のないクズにあれこれ言われる筋合いなし ここのスレ主はハンセン病に良く言及してたが、ハンセン病とくれば、笹川平和財団だろ。 【DOS-V COVID-19】 新型コロナ仕掛人ビル・ゲイツ
://mao.5ch.net/test/read.cgi/pc2nanmin/1588751058/l50
「朝生」終わる ひと月遅れで旧統一教会特集(兼国葬問題で)
他のスレでもいわれてたが反統一3人衆一人ぐらい出して欲しかった
また(個人的には)かつての朝生に見受けられた「何にでもクビ突っ込む文学者(評論家)」いないのが淋しい(せいぜい古内とあずまんぐらいか 今日は出てないけど) じゃ、おやすみ 若干のやっかみも込めて言うと、やっぱ戦中派や学生運動挫折組にはかなわんのか 東浩紀は文芸評論など全く出来んだろ。
東から文学賞選考委員などすべての肩書を剥ぎ取って素っ裸にして、この阿保馬鹿の酢豚野郎を放り出すべきだろう。 宇野やあずまん以後、批評の対象にサブカルも含まれるようになった(これはすばるクリティークの選者にもいえる)
純文学が社会的に愛想つかされたからともいえるが、そのときはもうサブカルオタも(数少ない)純文学マニアも、批評そのものに愛想をつかしてた(嘆) 産経の阿比留とかいう人が山本七平の「空気」(=同調圧力)論持ち出して、統一教会問題で安倍擁護の論陣貼ってる 正直、カルト批判を宗教狩りと同一視するようじゃ、日本の保守論壇、その存在意義根本から疑問視されてももう致し方ないだろう この阿比留氏、くしくも山上減刑運動批判してる点は、護憲(=非暴力)の立場から山上批判してる大田光に通底してる なんとも皮肉な話だ
前にもいったけど、「ミギ・ヒダリ」抜きの議論を大手文芸誌に求めるのって、幻想なのかな もう20年以上前の群像に鎌田哲哉の「知里真志保の闘争」という論考が載ったことがある(ちなみに知里は、現在「100分で名著」で特集されてる知里幸恵の弟で、アイヌの言語学者・民俗学者)
この論考で知里真志保は(姉の幸恵が専ら昔のアイヌを自然と調和した暮らしを営んでいたとするのに対し)、アイヌに伝わる言い伝えには日本人や北方諸民族との争いが含まれていたことを強調していると鎌田は語っている
つまり鎌田は、弟の真志保は姉と違ってアイヌ(の歴史)を不当に美化することなく、あくまでも等身大の視点で論じていたと評価するのだが、よくよく考えればこの弟への評価自体が、鎌田が最も嫌悪するところの「安易なエキゾチズム」にも繋がってしまうのは何とも皮肉だ
付け加えれば、この鎌田の論考を、土人発言で顰蹙をかった浅田彰が激賞しているのも、重ねがさねイロニカルだろう その礼賛は結局、アイヌに対する「土人視」と表裏一体のものでしかないのだから
あっ もう2時過ぎてる んじゃお休み
バス園児置き去り事件で理事長が亡くなった園児の名前間違えて顰蹙を買っているが、(謝罪会見でのこの理事長の、「なにぶん歳なもので」的言い分がホントなら)まじめな話、70歳以上の人間が責任ある地位に就くに際し、健康状態チェックしないのってどうなのかな? アクセス規制のとばっちりか自宅からの書き込み不可 以上 ネットカフェより 322 浅田が鎌田を誉めたのは、弱弱しく卑劣にも傾く皮肉な表象に対して、雑誌「重力」主宰の鎌田の「怒り」の
ストレートな物質性のメリットを認めたからだろう。だが、そのようにストレートに明解に鎌田を浅田が誉め
れば、蓮實や柄谷が不愉快や傷心を感じるので曖昧な誉め方をしたのではないか?
俺は鎌田のその本も浅田の書評も読んでないから推測するだけだが。 >>587様
特に何も削除してないんで適当に探っていただければいいと思います。
https://twilog.org/whitestoner あっ やっとレスれるようになった
>>625 >>626
確かにおかしな書き込みはない もしかして私が見落としてて、その中に(第3者にはともかく)女性の方には看過できない内容のものがあったってこと? 松浦・田中・沼田の鼎談でウクライナが取り上げられてるが、結論はF・フクヤマもハンチントンも間違ってたってことだけだった
ワタシ的には、(純戦無派世代としては)軍事独裁国に一方的に侵略されてる国に「通常」兵器支援しちゃいけない理由がよく分からない
もっとも、統一教会問題抱えた今の自民じゃ、確かに自衛権明記した新憲法なんて提案する資格ないんだけど >>628
そんなこと私に聞かれても困るので
この話は終了。よろしく。 三田文学秋季号が先季号に続いて「ウクライナ・ロシアからの声」特集してる
「何も覚えてはいない、怒りと憎しみ以外は。」(ヴラーゾフ)
「しかし敵よ、あなたの死は楽なものとはなりません。」(ゴロワ)
原田義也訳のこれらウクライナ詩人の詩は、「群像」にも「すばる」にも、多分載ることはないんだろうな
このスレ事実上0勢いだから言っちゃうけど、証言≫598から察するに、思いのほか女性の方が怒ったのであわてて該当の書き込み消したってのが真相だろう
もっとも(あからさまにウソ(?)ついたことないけど、似たような経験個人的にあるし、最終的にはどうするかは被害者(多分)女性の決めることなので、もうこれ以上は踏み込まないどく >>632
女じゃなくてネカマなんですけどね。
2年前に許してやってそれからコメントしてないし
する気もするような内容もありません。
なので部外者に何言われようが終了。 一応「論」重視のはずの「群像」「すばる」のいずれも、統一教会だけには触れない(コロナやウクライナには触れてるのに)
(どこまで本気かはともかく)貧困の末に最終手段取った山上の存在は、米欧で起こってる問題が決して他人事ではないって事実を突きつけてるのに…… ジャーナリズムこれまでずっと無視し続けてた統一教会問題大々的に報道する一方、山上には単なるテロリストのレッテル貼ってる
(大手文芸誌)貧困テロの問題取り上げずジェンダーやアイヌ・在日取り上げても、何の意味もない 群像新人評論賞に5回くらい応募してた者だけど、時期的に思い出して今日久しぶりに「群像新人評論賞」「群像新人評論賞 休止」ってググってみた
そしたら1番上にすごく若い慶應の准教授のブログがあった
なんでも何年か前に最終候補になったらしい
なんかそのブログが暴力的なくらい真っ直ぐで、たぶん本人は苦労人ぽくていい人みたいなんだけど、なぜかそれ読んで俺は1次落ちの悔しさフラッシュバックして精神にきた
その先生は悪くなくて新人賞に1次落ちしまくった俺の心が悪いんだけどね
それで何年かぶりにこの板に来ちゃったよ たまたま群像では落ちたけど、他に評価してくれるところがあったって内容だっけ?
自分の落選作の内容的な稚拙さはともかく、やってるテーマ自体は他に類似品を見ないものだって思ってしまった時の歯痒さーー
これは第三者には分からないものだと思う >>637
そうそう。訴えられた嫌だし名前書かなかったけど実は名前ググっちゃって記事やらYouTubeやらみてたんだよね。最終候補作自体もググったらネットにあったし。
たしかにその人のも類似品はない感じ。というか完全に文芸評論ではなくて社会評論と政治評論と経済評論の融合みたいな不思議な感じ。
でもそれよりもなんか日々頑張るみたいな雰囲気にやられた。俺は日々飲んでばっかりで図書館で文学作品読んだり批評読んだりするだけで腐ってくのかなとか。
まあたぶん俺が病んでるだけだ。 僕は最後の年に一回だけしか応募出来なかったけど、5回ってことは、評論賞が独立してから毎年応募してたってことになる
仮に今群像評論賞が復活しても、僕自身の場合(少なくとも)今はもうなんにも書けない
5回にも亘ってお疲れさまでした >>639
あごめん。群像新人文学賞評論部門だったときからって事。評論賞できてからは二回か三回かな。
だいたい二年に一回投稿してたから十年って感じ。
色々と他のところに出したり同人誌には載ったりもしたんだけどね。
最後のところよくわかる。そんなたくさん書けないよね。 あ、まだ5時か
そう、もう1年経つんだった
去年の暮は、全面的な新作はムリでも来年度のすばるクリティークに書き換えで応募しようって思ってたし、クリティークの方はまだ続くって思ってたオメデタが、私含め何人かいたっけーー さっき三田の評論部門に出してきた(今日締切)
まあ群像もすばるもダメだから三田ってのも、ある意味図々しいと自分でも思う 内容的にも全面的な新作には出来なかったし
ただ、あえて言い訳めいたこというと、今日出してきたのとおんなじ趣旨の内容での批評がすでに発表されてたら、正直潔く諦めてたとも思う 中島岳志が自分のブログで吉本の「南島論(=沖縄論)」取り上げてる
失礼ながら、正直辟易したといわざるを得ない なぜならかつて田場由美雄がこの論についていってたこととほぼそのまんまだからだ
実は私は(吉本の「共同幻想論」や「思想家論」には目を通したものの)「南島論」は読んでいない
というのも、「共同幻想論」等には興味深い部分もあったものの、そこでの「大衆の原像」なるものは、丸山真男の「近代西欧」同様、あくまでイデアルティプスでしかないとしか思えず、中島(=田場)がこの南島論に基づいて熱っぽく「沖縄」を語り、あるいは沖縄を縄文に結び付けている姿勢は、どっから見ても単なるそのバリエーションーー「時間的オリエンタリズム」ーーとでも呼ぶべきものでしかないとしか思えなかったからだ
鎌田哲哉は「知里真志保の闘争」で「本来のアイヌ語(アイヌ文化)」を取り戻そうとする知里の姿勢を称えたが(>>620)、それは現実には、アイヌ語を話せない現代の現実のアイヌ民衆を置いてけぼりにしただけのエリート主義でしかなかった
丸山や吉本を批判していた鎌田は、どうやら中島や田場と同じ立ち位置にしかいないらしい(嘆) 今日ほとんどのアイヌがアイヌ語を話せないという現実の中で知里真志保を称えるシ和人などというものは、所詮「単なる凌辱者」でしかない
今回改めて中島のブログに目を通して、ナイチャーの堀場清子の「琉装復興運動」を思い出した 正直「ああ、またかよ」の一語に尽きる 先程改めて中島のブログを見返した つくづく思うのは、彼が(佐々木守や笠井潔や宮崎駿、そして岡本太郎と違って)「縄文」をダイレクトに現在の「アイヌ」「沖縄」に結び付けることの問題性に何ら気づいてない(あるいはそのフリ?)こと
それは「知里真志保の闘争」(「群像」平11、4月号)での鎌田が、知里を称揚するその結果、「アイヌ語を話すことの出来ない現在のアイヌ一般」を実質的に置き去りにしていることと何一つ変わらない
もっとも、このように言っても中島も鎌田も、多分私の言ってることはほぼ全く理解出来ないだろう
無意味な差別語狩りが猖獗を極める一方、日本を代表するインテリに、少なからずこうした「イデアルティプスの皮をかぶったオリエンタリズム」に呪縛されている存在のあることを、本当に悲しく思う
もっとも佐々木守の場合、「お荷物小荷物」のときは基地問題などと絡め露骨に沖縄人やアイヌを登場させている(その際のアイヌの衣装は明らかに時代錯誤であることを、当人が認めている)
ウルトラセブンの「遊星より愛をこめて」がいわゆる欠番になってしまったのも、被曝した宇宙人が人間の子供の血を狙うという設定のためだった 宮崎は確かドワンゴの社長から「四つん這いのゾンビ」を見せられた時、まるで障碍者じゃないかと激怒していた
反核反戦のために被爆者を「この地上で最も恐ろしい化け物」(byクシャナ)にしてしまうのは、許されるということだろうか
あっ まだ5時だ >>562
ああこれ俺が言われてんのか。
就労ビザは2017年に会社辞めてから所持
してません。
2019年から1年半は就労できないビザで
滞在しておりました。
日本政府批判なんかしてないですよ。
確認電話に対応してるだけでしょ。 「就労できないビザ」って それでグチっぽくなってたのか
半年経ってようやく理由が分かったけど、個人的事情知らない立場なんで、コロナ禍で帰国してきてあれこれ言われても困ってしまう
無論「テメー」とか言い出すのも論外だけど >>653
大丈夫。名無しさんにお返事してるだけなんで。
というかなんでここにのぼるちゃんの名前出て
来るのかわからん。
群像評論部門なんて20年以上応募してないし、
一次選考にかすりもしてないのに。 ↑のレス、文意から察するとなりすまし?
まあ群像評論賞自体はもう終わってるし、何書き込まれても、当事者以外もう誰も怒る人いないだろうけど まあ本人だとすると、半年前このスレで元々白石氏を高く評価してる書き込みがあったことに、のぼるちゃん自身がレスったのが始まりなはずなんだけど もう忘れてる?
あっ もう8時だ >>655
なりすましてませーん。
>>656
なんか名無しさんと固定ハンドルさんがご
っちゃになってすみません。 w 要するに白石氏が半年(正確には7ヶ月弱前)気づかなかっただけってこと
○香さんのときも、大分後になってから書き込まれて、正直面食らいました
(全くではないですが)このスレで白石氏がことさらに批難されてるってことはありませんよ
(前にも一度観たけど)茶色の月ってホント面白いナ とうとう「Nの回廊」が最終回を迎えたが、病気を抱えた高齢者の自殺を肯定するかのようなもの言いには正直違和感が残る
>>570でもちょっと述べたが、少なくとも親族のいる老人の場合、「残される側(の喪失感・虚脱感)」のことも少しは考えて欲しい 佐川光晴の連載が3回目だ ただ正直「ヒロシマ」がキーワードになっている(?)ことが引っ掛かる
大分前、実に中途半端な形で広島で被爆したある著名な被爆者についてのメタフィクションを著わしたことがあったが、どうもその時の二の舞になりそうな予感がしてならない 「すばる」「群像」の巻末に文学賞関連のページを見つけた (完全にタダの逆恨みだけど)思わず溜め息
あっ まだ5時 もいっぺん寝よ
二度寝しようと思ったら、日本人義勇兵がウクライナで亡くなったってネット記事見つけた まだ20代だったそうだ
謹んでご冥福をお祈り申し上げます >>661
どういうこと?
全然チェックしてなかったけど復活すんの?
なんで逆恨み? w 「群像もすばるも文学賞(小説部門)の方はまだ続いてるんだなぁ 応募者たちが羨ましい」ってだけのこと
蛇足ながら、先日公募ガイドでまだ群像評論賞が続いてるかのような記事見つけて講談社に確認したら、「(やっぱりだけど)誤報です」(嘆)
すばる群像本誌自体にそんなこと記載されてないんだから、まずあり得ないよなと思いつつ電話してた >>664
そういうことか、、、
つーか、寝たんじゃなかったのかよw >>664
どっかのコンクールに頼らず、自分でリリー
スする気持ちとかはないんですか。
たとえばKDPとかで。 >>666
かなり前別の方(Xさん)にこのスレで、(KDPじゃなく)NOTEに書いたらって言われたことがあった ただそれについては確か(他人の意見に左右され過ぎと思われるかもしれないのだけれど)エンタメ志向じゃないモノを書きつけても、誰も見ないだけになるのではと別の方(Yさん)に言われて諦めたことがあります
実は(個人的に)「3,11」関連の著書を出してる方(Zさん)に個人的に手紙を出し、ある言論プラットホームに送るべき旨のご返事を頂いたこともあったのですが、字数規定の問題で断念したこともありました(まぁこんなんで諦めてること自体、私の臆病さのあらわれに過ぎないと言われればそれまでだけど)
それと(直接関係ないけど)以前文芸志望の連中なして翻訳しないのかって趣旨のレス出してたように思うのですが、映画評論家の町山智浩がことあるごとに戸田奈津子の字幕(の細かい間違い)にケチ付けてるの見て、「翻訳業は心臓に毛が生えてないとできねー」ってビビったこともありました(やっぱ、臆病ですねw) 「個人的に」っていう言い回し間違えて2度書いちゃいました どっちかとってお読み下さい 一昔前なら「自費出版」「私家版」になるところだったのが、「NOTE」「はてなブロウ」「KDP」で代行できる時代になったワケだ 一部の例外除いて読み手がいないのも同じ(?)
ーーションベン済んだしまた寝るか 北海道と東京でコロナ1万人突破
いよいよ第8波到来だろうか? 重症化数少ないのがせめてもの救いだが、やっぱ不要不急の県外移動や出入国は控えるべきだろう
あと全然関係ないけど、今聴いてるエンタメ系のラジオで大森一樹死去のニュースやってる 平成版のゴジラでは静岡や福井や東海村の原発襲われまくってたな そう、まだ「3,11」完全には終わってないんだった 昨夜(今朝)の「アナザーストーリーズ」(再)観ててフト思ったのだが、今回のでは力道山取り上げた時と違ってるのはなぜだろう 遺族の意向なら仕方ないが ゼレンスキー、なんでポーランドに頭下げないんだろ あんな風に居直ってポーランド国内のウクライナ難民にとばっちりがくるとは思わんのかね
前にこのスレで通常兵器支援ならしてもいいんじゃといったが、誤りだった 日本製ミサイルでポーランドその他に死人がまた出たら、マジシャレにならん ここで連投している政治クサイやつって
応募作に政治思想・自分のイデオロギー入れて、文芸批評になってなくて落ちそうだな
性根かえなきゃ努力しても無駄だと思うよ 前にも似たようなこともっと丁寧な言い方でいってたレスあったけど、今度のこのもの言いだけだと自分とおんなじ「絶対的真理(=イデオロギー)」でなきゃダメって意味か、文芸は政治とも社会とも一切繋がってちゃいかんって意味にしか取れない
前者のような人とは正直関わりたくないし、後者の発想だと結局文芸批評の「第二芸術化」正当化するだけだと思う 重田園江が昨日付けの朝日「耕論」で加藤典洋取り上げて、彼の批評には「女性がいない」って言ってる って言っても重田は単純にフェミゴン的イデオロギー批判をしてる訳ではない 加藤が女性差別主義でないことを認めつつ、ハンナ・アーレントの「自立的思考」取り上げる加藤が、アーレントのその考えは「女性思想家であること」と結びついてるはずだと言い、それは平成初期にあって必ずしも女性蔑視でない人物でも問題にしようとはしなかったと付け加えるのだ
この重田のもの言いには、それでも政治主義批判だという反駁が起こるような気もする てか実際、同じことは「エスニシティ」「障碍」その他もろもろにも言えるはずだし、加藤を批判する重田にそうしたものへの関心がドコまであるか、正直少しばかり疑問にも思えてしまうのだ
もっとも今日、加藤が生きていたとして、こういう批判を(感情的にならずに)受け止められるのかどうかについても、やはり疑問が残る かつてトランプが大統領になったとき、加藤は心底突き放した言い方で「罵倒」してたが、その文面を見て私は、「結局この人はリベラルエリートなんだ トランプを支持したプアホワイトの問題のことが全く念頭にない」としか思えなかった
重田の批評の題名は「変だと思う感覚の大切さ」となってる が、インテリってのは往々にして「自分が変だと思う」こと以外のことを「変と思う」自由を許さない すぐに政治主義のレッテル貼りを始めるものなのである 「耕論」→「政治季評」
「「自立的思考」取り上げる加藤が」
最後の「加藤が」を「加藤に対し」に
夕べNHKでウクライナ・ロシアでの(当事国の言葉による)戦時下の俳句を扱った番組やってた
(公共放送ってこともあるのかもしれんが)戦争をめぐる「嘆き」「悲しみ」の句は取り上げられても、そこに当然付随してるはずの「怒り」「憎しみ」に関する句は全く紹介されない
権力による検閲は批判しても、コンプラ・ポリコレによる自主規制には事実上ほおかむりしてることになる
文学は必ずしも政治全般を語るものじゃない でも政治のある部分(特に日常生活と結びついたところ)を予めカットしてしまうのだとしたら、それはもう文芸とはいえないのじゃないか 大江や柄谷が沈黙を続けてる現在、文学者(あるいは哲学者)が露骨にイデオロギーに基づくもの言いする典型が、田中康夫と浅田彰の「憂国放談」だろう
この二人のタチの悪いところは、そのプーチン寄りの発言が単純に彼を支持してるからじゃなくて、そうすることが憲法擁護になるって思ってる浅はかさだ
プーチンに親しかったってだけでゼレンスキー批判する森喜朗もはなはだ困り者だが、そもそも現憲法の制定にはユダヤ系アメリカ人(のリベラル)も深く関わってるのに、ユダヤ人であるゼレンスキーを個別具体的な問題(例えばポーランドミサイル着弾でのショーモナイ居直り)以外で罵倒するのは全くどうかしてる >>674
文芸批評が何かはよく分からないけど
最近の評論は、政治やイデオロギーの対立軸に乗っかったものが多くて辟易する
上手く乗れたもの勝ちみたいな世の中になっちゃったね そもそも文芸批評って初めっから政治的対立含んでる 小林秀雄ロクに読んだことのない私でも、現代批評の始まりが「様々なる意匠」が宮本ケンジに「負けた」時からだってことぐらいは知ってる
時流に乗っただけの単純にイデオロギッシュなもの言いは、ほとんどが後には残らない
新聞(確か毎日)のアンケートで、河野太郎が総理にしたい人のトップなんだそうだ
でも岸田首相がどんなに問題だらけとしても、マイナカード問題にみられるような「説明責任なしの即断即決」なんて、個人的には真っ平ご免こうむりたい
単純に文芸批評のイデオロギー性批判してるだけの人は、(大金持ちか完璧篭り人かは知らんが)コロナやウクライナでそれまでの生活が変化したってことがないんだろう
どんなにイデオロギーがイヤでも(てか基本私もヤだが)、そもそも一般庶民は政治経済からは逃れられない 自民の反カルト法案に霊感商法に関わってきた弁護士団が苦言呈してる
まあ(他のことならともかく)公明党と連立してて党内最大派閥が安倍派じゃ、自ずと限界あるな 「霊感商法に」→「霊感商法問題に」
最近福田恆存読んでて、「この人チャタレー裁判に関わるの、ホントヤだったんだな でもそれでもあえて関わったんだな」って改めて思った
あっ もう3時、まあ明日(今日)祝日だからいっか 「着弾ロシアから」の通信記者がクビに
ゼレンスキー、もう(ポーランドに)頭下げるしかないだろう
いずれにせよ、このままだと「ウクライナ支援しなきゃ新冷戦になる」だったのか「スラヴの兄弟喧嘩に巻き込まれたくない」になってしまうかもしれない このスレの最初の頃、確かフランス現代思想の最先端原書で読めないようなヤツは評論賞になんか応募すんなってレスがあったように思う だが実際、そんな思想バキバキの受賞作は一度もなかった(あえていえば色々お騒がせだった荒木雄太のが、若干それに近いかな)
最後の受賞作だったシールズ論読んだとき、コレホンマに「政治文書」だなぁ 別に政治問題扱うこと自体はいいんだろうけど、この文章丸っきし「経済」とも「社会」とも「文化」とも無関係だなぁとしみじみ感じられた 帝京大学のある教授が、ゼミ採用で女子優先枠設けたことが問題に
一見女性風の名前の男子学生にもメール送ったためにバラされたってっから呆れる(この「男性」教授「なんで女みたいな名前なんだ」って逆ギレしたそうだ)
フェミゴンの人達はまた「女子大生の商品化」って騒ぐんだろうけど、これは実際この男子大生に対するれっきとしたアカハラでもある 森友学園文書改竄訴訟棄却 岸田首相のコメントが何とも白々しい これでは赤木敏夫さんの霊も浮かばれないだろう ネット検索してたらシールズ論が講談社から出版されて、著者の小峰が新木優太や杉田俊介と対談してたことが出てた
一昨年の泰淳論がそれっきりになってること考えると、やっぱり何のかんのいって、もうクソマジメな文芸批評は必要とされない 「古典」の訓詁解釈より「政治的オピニオン」(=イデオロギーに毛が生えただけの文章)の方がまだ需要があって、パヨク同志(あるいは保守派同志)で集まって騒ぐだけなんだって、改めて思えた 若干なりともワタシの知ってる範囲でいうと(好き嫌いは別として)福田恆存や竹内好の場合(古いねw)、彼ら自身のよって立ってるイデオロギー性に回収されない言説にこそ味があったのだけれど 小峰や杉田の文章読んでると、「なんにもしてない」って非難されてもデガージュマンの方がまだマシだって(個人的には)しみじみ感じる
ただ、オルテガが社会主義者を評していった「肉体労働者への見せかけの同情」って文句だけを思い出す
あと、691の「新木雄太」は「荒木」の間違いです すみません >>691
大丈夫だよ
このスレを見る限り、あなたも十分にそっち側の人だから >>694(>>683)
この極楽トンボ やっぱコロナ後もウクライナ後もそれ以前のマンマだ 完璧石頭ヒッキー
こういう「政治嫌い石頭」と「コテコテイデオロギー批評家」の、そのどっちとも正直関わりたくない
馬耳東風な点だけは共通してる >>674
>>680
>>694
これら3レスとも、あらしが3人いるんじゃなくて、多分おんなじ石頭だな
相手のいうことムシして一方的に決めつけてくるだけなら、こっちもこれ以降は黙殺 崔洋一死去
個人的には「月はどっちに出ている」が面白かった
他に「カムイ外伝」も観に行ったけど、正直「カムイ伝」の方がもっと観たかった(まぁ、内容的に難しいだろうけど)
合掌 住基ネット情報漏洩で逮捕者(依頼人は暴力団関係だそうだ)
マイナカードといいハンコ廃止といい、河野太郎はホントに保守政党の政治家なのか
説明に基づく合意形成なき政策決定ばっかり 「Saki」のコラボポスターにクレーム 文句付けた尾辻かな子議員(立民)は、改憲反対で同性婚支持 バリバリのリベラル(ってかいわゆるイリベラル・レフト)
立民よりも維新の方が自民批判の受け皿になってる最大の理由は多分コレ
ひと昔、否ふた昔前のパヨク運動家が「戦争マンガ」「不健全図書」を目の敵にしたのとおんなじ発想する輩のいる党には、正直入れたくない
先日オミクロンワクチン接種してきた 新聞で接種後のショック死が報道されてたのでちょっと心配だったが、今んとこ何とか生き残ってる
ヤマトQみたいなのは全く支持せんが、ショック死したあと「速やかに処置がなされたとしても、多分助からなかった」っていい訳じゃ、遺族も納得出来ないだろう(そういえばこの理屈、「白い巨塔」でも使われてたっけ)
新聞見てたら出生前検査受けた「母親」のことが出てて、「産まないためじゃなく、障碍児を産む準備のためにこそ検査は必要」って訴えてる
(フェミゴン含む)リベラルが罪深いのは、「中絶の自由」「同性婚の権利」の名の下子どもの権利、赤ちゃんの人権全否定したことだろう この世にリベラル(って名のイリベラル・レフト)が存在する限り、社会の分断はなくならない 佐川一政死去
「佐川君からの手紙」ってのは知ってたが、彼自身も作家になってたとは知らんかった
彼に対しては石堂叔郎や西部邁が激しく非難したけど、正直後者に限っていえば「食人」も「自殺」も、私にとっては「非常識」の世界だ
謹んでご冥福をーーとはいえないわな 堀越高校校則合憲判決 これやっぱ芸能人グループの「恋愛禁止」と連動してんだろうな 田母神俊雄のツイッターが炎上してるってんで見てみた
小学校のときの体育の授業で、体育館に吊ってあった綱に掴まって振り子のようにブンブンやるってのがあって、それが嫌でイヤで仕様がなっかったの思い出した
徒競走でワープとかやるのもどうかと思うが、言ってることがあまりにも昭和だ 正直、この人選挙で落選してくれてよかったと思う (昨日は全部見てないのだが)「サンジャポ」でホリエモンが宗教2世について、自己責任論で切って捨てたってネット記事が出ている
(番組中、私の見たところでは)太田性懲りもなく「どんなに悲惨な環境で育ったからといって、それが安倍暗殺を正当化することにならない」って言い張ってた
(あくまでも結果的にだけど)この二人でカルト被害者は下位カーストに甘んじろって主張してるワケだ
その夜みた推理ドラマで、盗撮写真で脅してきた男殺した犯人に、主人公の探偵が涙ながらに「どんな理由であれ殺人は正当化されてはならない」って訴えてたが、正直全く説得力が感じられなかった 命の価値に格差ができるとき、殺人はもはや刑法上の違法行為でしかない ブアマンの「ザルドス」(リバイバル)観て来た
実際SF映画で不死の実現したユートピアで、永遠の命ゆえに無気力な人間発生するってよくあるパターンだけど、実際ホントにそうなるんだろうか?
病気を患った高齢者の延命治療が問題になるにも拘わらずそれでもそうした治療がなくならないのは、やっぱ人間はどこかで永遠を目指してるからなんじゃないだろうか 単純に「不死=無気力」って命題の立て方は、なんか違うようにも思える
カルト被害者救済法成立 なるたけ多くの人救って欲しい でなきゃ小川さんも橋田さんも、そして山上容疑者も報われない 高原到の連載始まる(今回のネタは「同志少女よ敵を撃て」)
以前は靖国否定論ぶってたのに、今回は「普遍主義だけの国家はのっぺらぼう」なんて言ってる
次回以降、この「矛盾」について踏み込むんだろうか 安倍暗殺否定することがカースト下位に甘んじろに脳内変換されるなんて
お前もそろそろやらかしそうだな ↑ なんだこのあらしレス
太田みたいな石頭護憲論者(=非暴力絶対)か統一関係者?
それとも反共優先でわが日本国を外国のカルトに売り渡した自民タカ派のエセ愛国者?? そんな揚げ足取りは、安倍国葬反対した人達全員に言え そいや一昔前の刑事ドラマとか、追い詰められた犯人が「私のやったことは法に抵触するかもしれんが、後悔はしてない」って言いつつ崖から飛び降りるみたいの結構あったよな(今は大抵お縄だ)
710みたいなのが騒ぎ立ててコンプラがうるさくなったせいかーー 救済法案可決 ニュースで小川さんが、このままじゃ2世救済にはならないって訴えてる
ただそれでも、あのとき安倍元首相が九死に一生得てたら、そして保守だけでなくパヨクジャーナリズム巻き込む形で、悲劇のヒーロー扱いになってたら、救済法案の可決にすら至らなかっただろう
大手主要文芸誌、今もってこの「テロ」事件タブー視し、ジェンダーだの在日だの「だけ」騒いでる
実に「文学的」「非政治的」だ 草 >>715は>>710の自己レス(?) そもそも安倍が殺されてよかったなどと、ワタシは一言もいってない(アンタ(ら)が勝手に決めつけてるだけ)
>>713でもいったが、こういう短絡的コンプラ思考のせいで、刑事ドラマや推理モノが今一つ盛り上がらなくなった
大分前にこのスレに「山上こそ真の民主主義」って極論書き込んだのがいたが、それは2ちゃん限定のレスだった
「安倍銃殺とその後の山上逮捕が、救済法可決への契機」って客観的事実受け入れられないあらしは、書き込み2ちゃんオンリーにして欲しい
事実認識に対し、「それは事実じゃない」じゃなく、誹謗中傷繰り返して、結果そっち側へのアクセス規制とかかかって、それに巻き込まれんの真っ平 杉田水脈、一連の発言について「一般人時代の発言まで蒸し返されたくない」
明らかな居直りだが、これを批判する塩村あやかも、一般人時代さんまのトークバラエティで「女は男を格付けする」って発言w
長崎地裁で被爆2世の賠償請求棄却
実際、これはムズイ問題だ 不確定要素を含む「遺伝的影響」を全面的に認めたら、それはそれで長崎だけでなく、広島や福島の風評に間違いなく影響してしまうのだ ノーマスクで飛行機に乗ろうとした大学職員に執行猶予判決
罪の内容は暴行容疑 こういう人がいると、ホンマにマスク着用で呼吸困難になってしまう人まで白い眼で見られる 日本製品が第三国経由でロシア製ドローンに軍事転用
平和憲法も武器輸出三原則も、結局歯止めにはならんのか 北朝鮮がまたミサイル発射
正直増税は困るけど、どうしてもやるなら使い道の詳細はっきりさせて欲しい 先ほど年末のニュース特番で、統一教会系の「世界日報」の記者が裏切り者よばわりされ、その後殺されかけたって事実掘り起こしてた
やっぱ山上が安倍殺したことで、こうした教会関連の殺人未遂ふり返るのがタブーでなくなったんだな こいつ多分>>715だな
前にも言ったように荒らしたいなら2ちゃんに書け
まあ、カルト信者に何言ってもムダかーー 統一信者か自民の安倍派関係の支持者だから、そのてのネタ取り上げたときだけインネン付けて来る?
どっちにしてもイデオロギーコテコテには違いない 草 じゃ お休み アメリカ政府が日本でのサミットの際、バイデン大統領の長崎訪問を打診したそうだ
まあ、戦争を仕掛けたのは日本からだから、謝罪してくれるとは全く思わない
ただ日本人の一人として素朴に嬉しい(トランプじゃムリだw)
ウクライナでクリスマスイブを西暦の12月24日に祝う人が増えてるそうだ
これまではロシアと同じユリウス暦の日で祝ってたそうだが、今度のことでロシア離れが加速したんだそうだ
これじゃもう、仮にロシアが勝っても(ウクライナ人を皆殺しにしない限り)プーチンにとってはまるで意味がないことになる
そのロシアで村上春樹の本が発禁になるらしい 彼の小説に同性愛者が登場するためだそうだ
正直同性婚には断固反対だが、それと同じぐらい「同性愛者のいない小説」もイヤダ 先日「DRコト―」の劇場版レイトショーで観て来た
正直離島(過疎地)医療の問題ここまで掘り下げた文学、寡聞にして全く知らない(やっぱり文学はマンガに負けたのだ)
ラストシーンの曖昧な描写が一部で顰蹙買ってるが、個人的には自分自身の病をおして大量の患者を治療し続けDRコト―が、死にゆく末期に見た走馬灯の幻影のようにも思える
数学者の森毅が、生前「マンガを現代文の試験で取り上げて「最も適切なのどれ?」とかやったら、皆マンガ読まなくなる」って言ってた
活字離れってゆうより、受験アレルギーが文学離れ促してるのかもしれない 結局、原発の再稼動と増設が決まった
直接の原因はプーチンの引き起こしたウクライナ危機のせいだが、石油に頼る火力やまだまだ試験段階の再生可能エネルギーよりは、原子力ってことか
また大地震が起こらなきゃいいけど 女子の技能実習生に対し、「妊娠したら辞めてもらう」って事前通告
無論これは海外実習生の問題だけじゃない 「仕事=男」を前提にしてきた日本社会の体質、そして「女性の自立=中絶の自由」でイクメンを真面目に考えようとしないフェミゴンババァにも、等しく「罪」がある
、 杉田水脈更迭 これを機に、杉田批判してた「男格付け」発言の塩村あやかも、議員辞職、でなきゃせめて謝罪発言ぐらいして欲しい 田母神俊雄が杉田水脈更迭について、「多様性を否定する主張を含めて認めないと、真の意味での多様性が見失われてゆく」と発言
この発言だけ取り出して考えるなら、それはある意味正しい
てか、ある人々の権利を認めることが、結果として別の人々への人権侵害になり得るってことはよくあるし、それは同性婚にも当てはまる
あ もう3時 イスラエルで建国史上最凶の極右連立内閣成立 閣僚にユダヤ至上主義者・同性愛差別論者
もう国旗をダビデの星から鉤十字に変えてしまえ 草 イスラエルによるパレスティナ抑圧への非難決議に中露は賛成、米英独は反対、日本は棄権
ウクライナ侵略で正義の味方面してた西側諸国は一転悪役に、わが日本も尻すぼみ 草 三田新人賞スレで、「もう最終候補決まっただろか ならオワタ」って諦めの声(本日付)
群像新人賞が潰れすばるクリティークも潰れ、三田新人賞今年も評論部門受賞なしってのからもう1年 振り返る期間は短く感じるが、待つ期間は長い
昨年2月同様の「該当作なし」が、今年もこのスレで報告されるんだろうか
(おんなじこと繰り返すけど)私の応募作が落ちること自体は致し方ない ただそれでも(私が応募作のテーマにした)「3,11」(でなければコロナやウクライナなど)を「批評」の立場から語ったものが、この際奨励賞でも佳作でも何でもいいから受賞して欲しい あ 今さらだけど741は「322 群像評論賞最後の落選者」です 度々失礼
三田新人賞スレでの「オワタ」レスは、昨日付けの書き込みだった 帝京大経済学部「女子優先」教授、とうとう解雇
でも、この手のアカハラジジィ、他の大学にもたっくさんいる 木村花さん母ディスしたのがとっ捕まる
「固有名詞」に対してディスしない5ちゃんあらしの方が、まだましというべきか(いずれもバカには違いないけど) 中村文則が安倍銃殺を振り返り、「元首相の近くに教会との関係を諫める人がいれば」と発言
実際には安倍の母親が「あまり深入りするな」って言ってたそうだ
その意味では「親不孝者の自業自得」ということにならざるを得ない これまでもしばしばいわれてるように、山上哲也は政治的に保守であり、集団的自衛権にも賛成してる
産経とかが山上叩くのだとしたら、それはもう外国カルトに「身売り」してるとしか言いようがないだろう もしも保守論壇が本気で改憲主張したいんであれば、まず自民内タカ派と統一教会の繋がり徹底的に追求しなけりゃならないだろうし、そうしてこそ「確信犯」たる山上を真に批判することも出来る
ただの上っ面なテロ批判に終始してる限り、北朝鮮が何発弾道ミサイル飛ばそうが、改憲のお膳立てはムリなのだ
評論の賞って才能あるやつが出ないから終わったんだよな
なんかで読んだけど今は既存の書き手をスカウトするみたいだね
賞自体は残しておいたほうがいいと思うんだけど、いつまでも才能があるやつが出ないとなるとやりがい自体がないのだろう 前にも言ったけど、このままいけばいつか小説(純文学に関する)の賞も消えて批評とおんなじように「守りの姿勢」に入るんだろう
いわゆる文芸誌自体も次々と消え(1誌ぐらいは残るかな?)、マンガと(ラノベ含む)エンタメ小説だけが生き残るんだろう 多分 両方とも見当違いってこと? といいつつ自分の意見は言わない 両方とも見当違いってこと?
と言いつつ自分の意見は言わない ブラジルでもアメリカと同様の襲撃事件
日本でも60年前同じことがあったが、旧ソ連・社会主義国寄りの立場から事実上暴徒化した学生や、それを煽った大学教授が明確に責任問われることはなかった
だとすれば自民内の統一教会系議員もまた、ウヤムヤになるのだろうか このスレでも大分前話題になったけど、少なくとも群像評論賞の場合学者や院生(あるいは院生くずれ)らしきのが圧倒的に受賞してる(そして受賞後は書かなくなる)
学者・研究者目指さずに評論一本で食ってくべきって怒ってたのが複数いたけど、実際それはムリだ
蓮實にしろ山城にしろ、結局大学人としての身分保障前提に文芸批評やってる状況では(てか実際それでしか生活成り立たない)、後進の批評家育たないのも致し方ない面がある
文学者だって同じだっていう反論もあるだろうけど >>758
食えるか食えないかは度外視して
研究者や院生が書いた作品が、学術論文と大差無いことに対して批判をしたつもり
論文と批評は別物だと思ってる
同様に、学者と批評家は別物であってほしい 学者は批評家を見下し、批評家(正確には学者兼ねた評論家)は自分の方がエライって思ってる
(無論一概にはいえないし誰が評価するかにもよるけど)ちゃんとした論文書けるならちゃんとした批評も書けるって思ってる
これはもう交わらんかもしれんが…… ただ「論文」としてしか書けないこと、どうしても「批評」って形取るしかないケースなら、紛れもなくあるとも思う 俺が言いたいのは、
小説も批評も芸術作品だが、論文はそうではないということ
どっちが偉いかではなく、ジャンルが違う
したがって求められる能力も違うはずだ
そういう気概で頑張ってきたが、なかなか上手くいかない
俺以外にもそういう人がいるかと思って書き込んでみた あんまし深く考えずにある批評家(兼国文学者)の院生だった頃、その教授の配ってくれたいくつかの自著はどうみても「批評」「エッセイ」なのに、ワタシには「批評、エッセイじゃなく論文書いてよ」って𠮟りつけ、正直とても困ったことがあった
教授からすりゃ修論(博論)書かせなきゃいかん訳だから当たり前なんだけど、配付されるテキストがどうみても「批評」だからついそれに沿って書いてしまう訳だw
矛盾して聞こえるかもしれんが、批評と論文は確かに違うが、その実明確に分けられるものでもない あえて言えば論旨の一貫性やら何やらで数値化(=点数化)出来るのが論文で、芸術の一種たる批評は違うってことだろうか(ただこの規定には、美大卒のワタシの親族から待ったがかかるかもしれんw)
ありゃ もう2時 芸術っていう言い方がまずかったかもしれない
ただ、論文は文学作品として扱われないのは確かだと思う
「君の書いた論文は、批評でしかない」は院生あるあるネタだが、俺はその手の話が苦手だ
真剣に怒ってしまって笑えないのだ
もしかしたら、俺とあんたは全く別のタイプかもしれない
しかし、同じ境遇を耐え忍んでいるようなので、書き込んでみた 学部時代歴史専攻だったせいもあるが、現実には批評と論文の区別って難しい
これが歴史系のものなら、例えば同じ歴史学者が新人物往来社に書くのと「日本歴史」「歴史学研究」に書くのとは全然違う が、文学の場合そうはいかない
前に挙げた指導教授の同僚の、別の教授のゼミに出たとき、持ち回りの発表で例によって「もっと科学的に分析して」と言われたことがあるが、正直ヤレヤレって思ったのはその数日後にその教授の言ったある一言
そっちのゼミでは梶井基次郎やってたんだけど、そのもう一人の教授が言ったことって「まぁ、梶井なんてのは現代文の試験で出すのには向かないんだよね」
批評は批評、論文は論文ってのは、あくまで原則論だと思う 少なくとも現代文の試験として出すのに不適切な文学ーーまぁ、梶井の他には小林とか保田あたりかなーーについては、基本「エッセイ」「批評」しか書けないと思う だから、少なくともその意味で院生の評論賞受賞作が学術論文と大差なんて批判は、少なくともワタシには口が裂けてもいえないw >>766
ここまでのレスで、すでに登場人物が多すぎる。
自分の指導教員が、という言い方をしないで、誰それがこう言っていた、と書いて欲しかった。
そうすれば、こっちだって、その先生はこうでしょうとか、あの先生はああでしょうって、反論できるのに。
ただ、そこまで具体的な会話は匿名掲示板でしたくないかも。
俺は身バレしたくないし
抽象論に落とし込んで、一般的に研究では、という文脈か、もしくは自分の意見のみを書き込むしかないな w まあ、匿名掲示板で本人の許可なしに名指しであれこれゆう訳いかんし、抽象論や結論だけなら「ああ、そう」で終わってしまう
ワタシ的には、基本この隔靴掻痒に耐えるしかないと思ってる
あ もうすぐ8時 準備しなきゃ でも改めていうと「批評」と「論文」は厳密には分けられんし、少なくとも文学研究の論文が「文学でない」って言いきるのには、やはりムリがあると思う バイデン大統領に機密文書持ち帰り疑惑
一瞬トランプがまたやってたのかと思った とんだブーメランだ
池田大作創価学会名誉会長、ウクライナ危機で緊急提言発表
そいやこの人、もう10年以上表舞台に出てきてない 見極めはムズイが、視野狭窄のあらしはなるたけスルーしなけりゃね 「分かり易いあらし」は初めっからイッチャッてるから、安心してスルー出来るが 松野官房長官が「安倍銃殺は卑劣な行為」
一昔前、「TVタックル」で拉致被害者家族から「社民党は北朝鮮の政党」って批難されながらもオロオロするだけの福島瑞穂見て、「社民支持は非国民」ってしみじみ思った
今改めて、自民支持——特に安倍派支持ーーのネトウヨは、反日カルトに魂売った国賊だとしみじみ感じる 「サンジャポ」で「山上は下級国民の神」って声を紹介
てことは大田光や(山上減刑運動の統一教会2世非難する)鈴木エイトはまさに「上級国民」 山上に批判されるべき点があるとすれば、統一教会を韓国人全般と同一視してる点(なぜならそれは、歴史問題が表面化する度に韓国在住の日本人に嫌がらせする一部の韓国人と変わらないから)
鈴木エイト 減刑運動の2世政治的とか言ってたが、その(タテマエとしての)非暴力主義もまた、破綻した民主主義取り繕おうとする政治主義 鈴木や太田にとっての民主主義って、結局「金持ち」が「貧乏人」に恵み施す温情主義(=権威主義) 正直ムシズガ走る ドナー提供不足で亡くなった子供の臓器(で役立つ部分)を、遺族が提供することを承諾
実際に役立つかどうか分からんが、ワタシ自身は保健証更新のたび○付けてる
原発支持の「合理主義者」吉本隆明が臓器提供に反対だったこと考えると、この問題に関する日本人の非合理性ーーてかアレルギーの凄まじさ感じる 忠臣蔵といい2,26といいいずれも安倍銃殺よりもはるかに組織的・大規模なテロ行為だ
しかし前者は今や忠君の義士であり、後者も昭和初期の貧困を前に決起した憂国の志士ってことになってる
日本人は「動機の正しさ」をバックにした惨殺を、根本的には否定できない
歴史を長いスパンで考えた時、はたして「山上批判」って真に有効なのか いささか疑問だ
「前者」「後者」のあとに「に関わった実行犯」入れてね マイナカード一本化問題で、いわゆる性同一性障碍者のカミングアウト「義務化」
関係団体は善処を求める構えだが、ぶっちゃけ玉虫色の解決になることだろう
この一本化、実際に実施されれば他にも様々な問題ーーただしあくまで小規模のーー引き起こすに違いない
かつて三田マサヒロとスガ秀美が、パヨクの中山千夏を批判して
「問題なのは「見せかけの民主主義」なんかじゃない むしろ「本物の民主主義」で少数派切り捨てることだ」
っていってたけど、安倍銃殺は日本の民主主義が正に本物だったこと
そして少数派が自分の声届かせるためには、ときとしてテロに訴えるしかないって現実あぶりだしてしまった マイナカード一本化問題で、いわゆる性同一性障碍者のカミングアウト「義務化」
関係団体は善処を求める構えだが、ぶっちゃけ玉虫色の解決になることだろう
この一本化、実際に実施されれば他にも様々な問題ーーただしあくまで小規模のーー引き起こすに違いない
かつて三田マサヒロとスガ秀美が、パヨクの中山千夏を批判して
「問題なのは「見せかけの民主主義」なんかじゃない むしろ「本物の民主主義」で少数派切り捨てることだ」
っていってたけど、安倍銃殺は日本の民主主義が正に本物だったこと
そして少数派が自分の声届かせるためには、ときとしてテロに訴えるしかないって現実あぶりだしてしまった 北九州非常勤職員自殺、パワハラ認めず
自死したのが、離職してから「もう2年も経ってるから」だそうだ
「まだ2年しか」って考えられないのだとしたら、この判決出した裁判官完全にどうかしてる 「統一教会系」の井上議員「彼らがカルトには思えなかった」
霊感商法問題忘れてしまった、無関心であり続けた私たちの罪は、山上に勝るとも劣らない 旧優生保護法訴訟で熊本地裁が賠償命じる判決
当然のことだけど、一方で「ジェンダー平等」の名の下障碍胎児の中絶は事実上黙認 デヴィ夫人、渡航禁止勧告無視してウクライナに乗り込み直接人道支援
前に北朝鮮寄りの発言してウヨに批難されたのに 元政治家夫人の頭の中はやっぱ複雑怪奇 庶民には難しいが、なにがしかの考えあってのことなんだろう 特捜部が追い込む「三浦瑠麗の夫」
弁護士は統一教会の現役信者で訴訟代理人の福本修也弁護士だった 旧統一教会寄り・自民安倍派寄りの発言する有名人
@宗教学者の島田裕巳
オウムのときもさんざんオウム擁護して大学辞任に追い込まれたのに、教会についても「コンプラ宣言してるからまあ大丈夫」なんて言ってた(もっともオウム限定でいうと、今でも中央大教授に居座ってる中沢新一の方がより悪質かもしれん)
A太田光
ただこの人の場合は「教会寄り」というよりも、「護憲論者に特有の身勝手」というべき 憲法9条の非暴力の理念称える輩は、非暴力の理念に反する振る舞いした人間(つまり山上)に対し、彼がそうせざるをえなくなってしまった状況(高額献金による家族崩壊)無視した、すさまじいまでのヘイトスピーチ執拗なまでにぶつけ続ける
B三浦瑠璃
彼女の会社は一応夫とは別だし、弁護士が教会関連だからっつって三浦が信者だとまではいえない だがそれなら、なぜここまで教会寄り・安倍派寄りの発言続けるんだろうか まあどっちにしても、今のところ太陽光発電は実現のめどたってないってことは明らか 三浦瑠「麗」
ただもうこの人に「麗しい」の字は相応しくない 三浦瑠麗さんは、統一教会の顧問弁護士だった高村正彦氏と共著を出版。
三浦瑠麗さんの夫の弁護は統一教会の顧問弁護士の福本修也氏。
三浦瑠麗さんは、統一教会献金問題を《競馬でスったって同じじゃないですか》などと擁護 三浦瑠麗の発言一つひとつを個別に考えるなら、正直それほどヘンとも思わない
献金と競馬を同一視することも、宗教や賭博に熱中する余り家庭を顧みない点はおんなじという意味なら、それはそれで筋が通ってる(ただこの人の発言全体を振り返ってみると、明らかに統一寄りなのだ)
あと(前にもちょっとレスったけど)旧統一教会批判してんのが無条件に正しいってのも大間違い
安倍銃殺後、三浦が一番に批難したのは、比較的早くから教会批判してた福島瑞穂(社民党)だったけど、この福島かつて拉致被害者家族に「社民党は北朝鮮の政党」って言われても、何一つ反論出来ずオロオロしてた(パヨの統一批判には、多分ウソまたは誇張が含まれてる) 三浦の言ってるので一番おかしいのは、安易な統一批判は在日差別になるってゆう主張
それだと拉致被害者家族の運動もヘイトになってしまう そもそも自民のナショナリスト政治家、なんでこんな韓国至上主義のカルトと引っ付いたんだろう
戦前、日本人はヨーロッパの模倣しかできないって言ってたヒトラーとくっついたのと、おんなじといえばおんなじだけど 鈴木邦夫氏死去
一水会の反米主義には正直ついてけなかったけど、「右翼は決して外国人拝斥なんていわない」って言って、別のウヨと事実上対立してたことがあったっけ 合掌 ゼレンスキー、戦争支持しない条件でのベラルーシ・ロシア両国選手参加承認したIOCを批判
正直、今の状況で前述2国の選手の参加をルカシェンコやプーチンが認めるかどうか疑問だが、スポーツを政治に従属されてる点は、ゼレンスキーも同じだ
ドイツ、ウクライナへのレオパルド提供を容認 万一台湾有事の起きた時、韓国は我が国の台湾援助どこまで認めるだろうか 金子恵美が加藤浩次の「職場に子供連れて来る女ムカつく」に反論
正直(今すぐはムリとしても)50年か100年先には、男も女も仕事場に子供連れて来れるイクメン社会になって欲しい 金子恵美が加藤浩次の「職場に子供連れて来る女ムカつく」に反論
正直(今すぐはムリとしても)50年か100年先には、男も女も仕事場に子供連れて来れるイクメン社会になって欲しい 五ノ井さん 自衛隊セクハラ問題で国を提訴
ただ現実にはなかなか表沙汰にならないが、年長女性上司の年少男性部下へのセクハラってのも、現実にはあるんじゃないか いよいよ2月
昨年通りなら初旬に最終選考 確か下旬にHPで正式発表だ
(前にも書き込んだけど)私のが落ちてしまうのだとしても、今度こそ誰か評論部門でなにがしか(奨励賞でも佳作でも)に引っかかって欲しい もう時期遅れだが、(5ヶ月ぶりにアク禁が解けたので)レスっとく
三田新人賞には落ちた
ワタシの送ったものは、基本「広島から福島に至る」風評被害に関してだった
選者の一人に被爆2世の原爆文学作家がいたのだが、最近「すばる」で、放射線障害にも関し(自身が2世であるにも拘わらず)下手すると偏見の助長にになりかねないような発言をしてた
彼がワタシのものに目を通したかどうかは知らんが(多分通してはいまい)、初めから期待すべきじゃなかったのだ… ただ、10年間文学部門受賞者オンリーだった三田で評論受賞者が2人も出たことそれ自体は、(所詮他人事ながら)嬉しい
(アク禁のため遅くなってしまったが)お2人には改めて
「おめでとう」
と申し上げておきたい 福島での処理水放出どうなるんだろうか
賛成派も反対派も風評心配する福島の人達なおざりで喧々諤々なのは、12年前と変わらない
まだ4時前か ホンマトイレ近いナ
明日発売日だけど、終戦特集またやんのかな
するとしてもウクライナ危機どうすんだろ 結局
「非暴力」「平和主義」
って、見て見ぬふりが正しいってことでしかないワケだし ネット検索してたらハフポストの昨日付配信に「なぜ原爆が悪でないのか」の著者インタビューが出てる
なんでも著者は長年アメリカの大学で原爆概論の講義をやってた被爆2世だそうな
著書ん中ではアメリカ人の原爆認識が貧弱なの、核実験場付近での「アメリカ人被爆者」達がなかなか声挙げないからだと言い、暗に彼らに「言挙げ」促してる
一概には言えんけど、こういう「無思慮なものいい」まさに(当事者でない)2世ならではのものか?
アメリカ人被爆者が声挙げんのは「日本人被爆者同様」で、その結果好奇と偏見の目に晒されんの恐れてるからに決まってる(言い方替えりゃ、日本人被爆者で反核運動やってんの、被爆者全体の中のごく1握りに過ぎない)
要するに軍国主義的な押し付けがましさなら反対だが、平和主義的な押し付けがましさならいいってことかね?
まあ、日本の1部パヨクインテリ そんなんだから現下の状況でウクライナにプーチンと対話してさっさと戦争終わらせろ(=降伏しろ)って言えんだろう 草 群像今月号で、BTSが多様性と結びつけられて語られた論考載ってる(もうナチ制服騒ぎも「原爆解放」もどうでもいいらしい)(嘆)
あと、すばるで李琴美が同性婚云々でまた吠えてる (多少オブラートに包んではいるが)同性婚認めないのはこぞって差別主義者で、みんな死ねばいいんだそうだ
かつて「ここがヘンだよ日本人」で混血の問題が取り上げられたとき、参加した混血児のほとんどが
「私(達)は子供を産まない」
って言ってた
李に限らず同性婚主張する輩、その家庭には必ず子供持つ家が出て来ること、そしてその(同性婚家庭の)子供、混血児同様決して「幸せ」手に出来ないってこと、どう思ってるんだろうか?
多様性の行き着く先、単なる社会的分断だけでなく子供も犠牲んなる
片親とはぐれたままの子供、親のエゴで遺伝子組み換えられた子供、同性婚(とシングルマザー、裕福な見栄っ張り親)が作り出す… >>816
>>李に限らず同性婚主張する輩、その家庭には必ず子供持つ家が出て来ること、
同性婚なら、子供は出来んと思うが。 精子バンクや「借り腹」してでも子供作るってのが出て来る
大分前そういうレズビアンカップルテレビのバラエティに出てきて、他の出演者から
「あなたたちのことは応援したい でもそれじゃ子供可哀そう」
っていわれて、2人とも黙りこくってた(いまはもうこの議題取り上げること自体、テレビじゃタブーだろう)
少なくともワタシは同性「婚」には反対 朝のニュースでまた北朝鮮の弾道ミサイルやってた
とうとう処理水放出始まる 改めて思うところがあったので付け加えとく(と言っても、もうほとんど見てるのいないだろうけどw)
「同性「婚」が正式に認められた社会」と(ジャニーズみたいな)「小児性愛セックスハラスメント批判」って、はたして両立するんだろうか?
国際結婚の産物としての混血児達の
「私達は子供作らない」
って声もそうだが、将来同性婚家庭に育った子供達の中から
「私達は父と母のいる家庭に育ちたかった」
って声が上がったとき、その声は公に取り上げられるんだろうか(それとも事実上隠蔽されることになるんだろうか)?
少なくともワタシには、小児性愛暴力と同性愛家庭の子供の場合とでは「ダブスタ」が適油されるんではないかと推測してる
もう「ここがヘンだよ」みたいな、混血児の声真っ向から取り上げた番組って、なくなっちゃったしね(「朝生」とかでも全然やらん…) 適油されるんではないか→適「用」されるんではないか ↑ パヨク気違い登場 ワタシが統一なら、コイツジャニー喜多川の関係者 草 まあ、結局「多様性」って暴力だな
「正しい 多様性」一元的に押し付けて来るだけなんだから ↑ こういうの殺しとくのが一番❓ 少なくとも自分とおんなじでなきゃ、殺される⁇ ほっとくんじゃなかったの 草
少なくとも李琴美みたいに
「殺してやりたい」「死ねばいい」
って喚いてる気違いファッショが襲ってきて逆に殺しちゃっても、せいぜい「過剰防衛」だわな
「頭が鈍くてガンコな」アブノーマル絶対主義キチさんw これだから>>829みたいな変態オカマ(?)ってヤダ
いや失礼 マトモなヘンタイ(ってか「性的少数派」)なら、こんな(プレ・ジャニーみたいな)自己本位な人達なんかと一緒くたにされたくないって怒るだろう (歳がばれるけど)ワタシがガキんとき夢中になってたヒーロー番組の主人公の1人に、とても彫の深い顔立ちのイケメンがいた
先日亡くなられたが、生涯独身のままだったそうだ
結局、国際結婚はその子供から婚姻の自由「奪う」(≒著しく狭める)
同性婚での子供達も、多分そう イヤ、再放送の可能性あるからオッサン確定としても、それ以上は断定出来んぞw
ただ834は50越えてんの間違いない
もう「ヘンタイの権利」とか言わんの?(>>817 >>829)それとも別人⁇
明記してないけど実は再放送で「歳がばれるけど」とか書いてたらおもろいかもな (当然のことだが)もうほぼ新人評論賞スレではなくなりつつある >>817も>>829ももう沈黙してんな
さすがに同性婚や国際結婚の下での子供達のポテンシャル語れないから、スルーしか手ないんだろう(ある意味悲しいことだが)
スレ読んでないし横だが、一般の同国籍異性婚家庭より同性婚国際結婚家庭の子供の方が家庭を持つことに悲観的という話?
片親とか共働きとかも含めて? つまり労働力を増やすには移民が一番効率的ってこと? 今まで寝ぼけまなこで「文科系トークラジオ」聴いてた
>>839
(「その子供達」の将来のこと、少しでも考えんなら)ぶっちゃけ、同性婚だけはこれからも禁じられるべきって思う
>>840
少子高齢化進んでるから、労働力確保のことだけ考えんならそうなる
でも、ヨーロッパでアフリカ系移民の子がどうなってんのか考えると、効率的かもしれんが単純にいいこととは言えないって思う
日本でのいわゆる「新移民」の人達って、はっきし言って在日の人達からも見下されてるんじゃないか(昔、在日の監督が撮った社会風刺映画で、在日のバアチャンがフィリピン人「土人」扱いしてんのあったけど、あれあながちフィクションって言えないって思う) これ>>829かね❓(前には「〇DHDのクソオンナ引っ込め!」ってのもあったな 草)
まあ(文芸批評の)現状どうなってるか考えると、それ関係のスレでこういうショーモないあらしのレス、もう防げないけど >>843
829以前に828 の「こういうの殺しとくのが一番❓」が問題だろうが。
誤魔化すな。 ヘイト気違いにヘイトしてもヘイトにはならない 以下スルー >>846
お前は頭が悪過ぎるんだよww
評論賞とか、笑かすなw >>839
もう一日経ってるけど、ヒマだし思いついたこと補足しとく
結局、日本の(否日本だけに限らんかもしれん)フェミ運動で、「イクメン」が掛け声だけで終わってリプロばかり主張されたのが、もとからあった社会の少子化傾向さらに促進したと思う
同姓婚にしろリプロにしろ、結局(極端に言えば)
「子供はつまるところ親の所有物 成人するまできちんとした人権はない」
っての前提にしてると思う アリス・クーパー LGBTに関する発言を理由に化粧品会社から契約切られる
発言内容がヤフージャパンで報道されてる通りだすれば、もうタダの魔女狩り
すばるで李琴美の言ってた
「同性婚反対論者 みんな死ね」
とおんなじか? 精子バンクや代理母厳禁し、違反者極刑ってことにすんなら、実はワタシ同性婚認めてもいいって思ってる
でもまあ、そうはならんわなw
「親のワガママ・身勝手」で「生まれながらに不幸な」子供達がまた増える 産経新聞昨日付配信で
「ジェンダーレストイレ」「多目的トイレ」に女性の不安の声っての上がってる
同紙は元男性のトランスジェンダーの「理解得られず残念」って声も紹介してるが、ぶっちゃけ元女性のトランスジェンダーどう思ってんのかな?
まあ、どっちにせよ(国際結婚家庭や同性婚家庭の子供達と違って)「オトナ」は抗議の声挙げられるだけまだいいわな
多様性ってやっぱし、沈黙者は「いないことにされる」社会導き出すんだな
じゃお休み 【子ども家庭庁】シングルマザーと年収500万円以上の男性をカップリング、ベビーファースト運動 [511335184]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1693818210?v=pc >>852
年収500万って要件に「弱者男性切り捨て」のレスも来てるがこれは仕方あるまい 子供が出来た途端男のほうは雲隠れってことになっちゃ話にならんし もっとも、年収はないが「主夫」能力の要件満たしてる男性まで排除になるんだとしたら、その点は確かに問題かも
いずれにせよ、こうした動きを単純に「壺ウヨとおんなじ」とか言うだけじゃ、「子供嫌いフェミパヨ」って言い返されても仕方あるまい 「社会的生産性がない」って「差別発言」に怒ったLGBT連中も、少子化に関する対策案全く出してない状況じゃ、こうした運動は必要
ああ、でもよく考えたらコレ「ベビーファースト」じゃないな(あくまで「当面の少子化対策」でしかない)
身近にそういう関係者複数いるからそう思わざるを得ないのだけど、「シングルマザー」のほうとの間に第2子生まれた場合、「年収500万円以上の男性」多分その2人を等しく愛することは出来んだろう
てか実子の場合でも大人んなってから、
「オマエばっか可愛がられて」
って言い合い起きるしナ… 子供が出来た途端
→子供の養育費 想定外に高いと分かった途端 世の中には「シングルファーザー」だっているのにそこのとこは配慮されないってのは、確かに旧態依然
その意味じゃ保育所新設とかのほうがいいんだろうけど、多分足踏みになるからこういう発想になってしまうんだろう ↑ この言い方「だけ」じゃ、(前にも言ったけど)「子供嫌いフェミパヨク」ってことんなる ただ「「主夫」能力のある男性」「シングルファーザー」排除なら、結局伝統的家族観(ホントは明治以降だけど)にこだわってんの間違いないけど ただそれでも、少子化対策なんにもしないくせに年金は欲しがるのはもっと図々しい
ある著名な女性キャスターが亭主に浮気されて騒ぎんなったことがある どうもこの人、家事育児は「主夫」の亭主に任せて自分がバリバリ仕事してたようだ でもって、📺でしばしば亭主について喋ってるときの態度なんだけど、ほぼ完全に「名誉男性」だったように思える
無論本当にホントのことは分からんし、浮気したダンナのほうが最終的に良くないのは明々白々だけどね 京アニ大量虐殺事件初公判始まる
どんな理由があれ、彼のしたことは決して許されることじゃない
ただ、このスレにレスった人達であの被告を全くの他人と思える人はいないだろう
もう、文芸評論に関する新人賞は消滅してしまったのだから そいや元いじめられっ子の声優が「死ぬんじゃねーぜ」って本出したことがあったな
でもって4年前、青葉んコト怒りを込めて「許せません‼」とか言ってたな
そりゃ確かに許せん行為だけど、正直このある意味とてもハズイタイトルの本読んで自殺思い留まった中高生が、大人んなってやっぱ失意の内に拡大自殺とかやらかしたら、またやっぱ許せんとか言うんだろうか?
すばる今月号で、性懲りもなく李琴峰がまた同性婚で吠えてる このクソアマ(?)にとって「同性愛者の人権」にとって「同性婚」は欠くべからざるもので、反対すんのは狂信的保守の宗教信者も同然なんだだそうな 草
(前レスでもちょっと言ったけど)父と社内結婚し、その後も1時的に(基本あくまでフリーランスでの)共働きやってたウチの母、もうワタシが幼稚園の頃から何かというと
「オマエを産んでなきゃ、ワタシは会社に残って、(父同様)もっと出世してたかもしんない」
って愚痴話繰り返し、その意味でキャリアウーマンへの未練抱き続ける一方、夫婦別姓については
「子供作っといて同棲時代のマンマじゃ、子供が可哀そうじゃない そんなのヒドイ」
って、ある意味「矛盾」すること言ってる
しかし今や夫婦別姓どころか同性婚が憲法に違反しないってされてしまう時代になってしまった
それはもう「別姓のままじゃ、子供は非嫡出子も同然」って問題どころじゃなくなってしまうってのに
非嫡出子への遺産相続での差別は違憲だって判決と、夫婦別姓の容認ってのも、やっぱどう考えても矛盾してる もう10年近くも前のことだろうか
クリスマス前後にサンマがサンタクロースに扮して、応募者の葉書見てその年にヒドイ目にあったかどうか判定し、「合格」した人にプレゼント贈るって企画があった(確か今でも年末にやってるはず)
うち一人に、知人に痺れ薬飲まされ、男同士で「強姦」されたって人が(自分の体験面白可笑しく)紹介して、サンマゲラゲラ笑いながら、「合格」判定出してた
こういう社会的状況じゃ、ジャニーとっ掴まらんの当然だわな
同性婚家庭の子供がこの番組に葉書送ったら受かるのかな?(否、多分もう受からんだろう…)
にしてもジャニーが生前ほぼ全く問題んなんなかった(罪確定後もなお)のは、単に事務所の影響力だけでは説明出来ないと思う
やっぱ(フェミ連中筆頭に)
「性暴行は男が「女に」するもの」
って固定観念が社会全体覆ってたからじゃないか
あるいは同性間同士での暴行問題にすること自体を、LGBT連中が(被害者意識で)反発したのかもしんない
デヴィのバアチャン 未だに芦田愛菜とCM出てるとこみると、あるいは今でもその固定観念続いてるのかもしんない
朝〇が岸田の「女性ならでは」って発言批判してるが、「ジャニー不問」の前提が「性被害は女性限定」 前提で、朝〇自身その一翼担ってたこと考えると、マスコミの権力批判ていっつも「土俵割り」なんだなあって、改めて思う
それに、そもそも閣僚に登用された女性達の副官(お目付け)が全員オトコってほうが、もっと問題なんじゃないか… カミングアウトしてないだけで見た目はジジイだけど性自認女の閣僚もいるかもよ? かつて同性愛はタブー以外の何ものでもなかった
もっとも、あからさまに迫害したのはヒトラーやスターリンみたいな独裁者や、イスラムその他宗教上の縛りがきついトコだけ 日本ではずっと「黙認」だった
反面、性暴力の告発はタブー視され、ことに同性愛のそれはタブー中のタブー ウーマンリブやフェミ、LGBT関連の団体も、実質的な「タブー視の共犯者」だったといえる
その意味でも同性愛者の人権認めるのは本来当たり前なんだけど、そこに同姓「婚」が入ってるくるなら話は全く別だ
(代理母や精子提供で産まれた)同性婚家庭の子供、夫婦別姓で両親の名前が違う子供、常識で考えりゃ(入園・進学時に)イジメのターゲットになる確率 極めて高くなるのもう必定
(広い意味じゃ国際結婚での子供、特に異人種間の混血児もそうなってしまうけど)大人の「エゴ」が「人権」の名によって正当化されるとき、社会の不合理・矛盾がこうした子供達に押し付けられることになる かつて同性愛はタブー以外の何ものでもなかった
もっとも、あからさまに迫害したのはヒトラーやスターリンみたいな独裁者や、イスラムその他宗教上の縛りがきついトコだけ 日本ではずっと「黙認」だった
反面、性暴力の告発はタブー視され、ことに同性愛のそれはタブー中のタブー ウーマンリブやフェミ、LGBT関連の団体も、実質的な「タブー視の共犯者」だったといえる
その意味でも同性愛者の人権認めるのは本来当たり前なんだけど、そこに同姓「婚」が入ってるくるなら話は全く別だ
(代理母や精子提供で産まれた)同性婚家庭の子供、夫婦別姓で両親の名前が違う子供、常識で考えりゃ(入園・進学時に)イジメのターゲットになる確率 極めて高くなるのもう必定
(広い意味じゃ国際結婚での子供、特に異人種間の混血児もそうなってしまうけど)大人の「エゴ」が「人権」の名によって正当化されるとき、社会の不合理・矛盾がこうした子供達に押し付けられることになる そこに同姓「婚」が入って(る)くる
カッコの「る」とってね
そいや昔、丸山眞男がゲーリングを麻薬中毒症でヒムラーのこと同性愛者って「批難」してたな
のちに別の思想史学者から、
「そういう発想でのナチ批判こそまさにナチ的」
って嫌味いわれてたけど… フランスでトランスジェンダーの学生イジメた少年が教室で逮捕されたって本日付朝日の国際面に出てる
教室での逮捕疑問視する声も上がってるが、何らかの処分があんのは当然だろう トランスジェンダーは自分がトランスジェンダーであること「選べない」のだから
そしてそれゆえ思うのだが、同性婚の実行者、特に「代理母」等で子供作った(作ろうとしてる)カップル、1人残らず、否1匹残らず殺処分されないのはなぜなのだろう
ホントに子供のこと思うなら、初めっから同性愛の立場で子供作るべきでないはずだし、かかる常識理解出来ないエゴイストに、「同性愛者の人権」言われても、正直白々しいだけだ ヒロシマの平和公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹提携に当たって、謝罪の棚上げしたことについて1部から批判の声
こんなこと言い出したら、向こうも向こうで事実上奇襲攻撃だったことについて批判の声が出るだろう 「謝罪ありきの和解」だと、ぶっちゃけ日韓関係みたいにこじれるだけだ 夜のニュースで女性専用車両に立ち入った男の報道やってる
ただそもそも、女性専用車両なんてもんが考案されず、始めっから「未成年者(およびその付き添い)専用車両」ってことんなってたら、ジャニーのごときエロオカマが跳梁跋扈することもなかったんじゃないだろうか 夜尿で起きたw
朝のニュースで、性別適合手術しなくても法律上の性製変更認めるって判決やってる
まあ、多目的トイレ使うだけで、「異性のトイレ」入って来ないなら、確かに問題ないと思う
でも、同性婚で代理母・精子バンクで子づくりってのだけはね… 883続き
もうすぐ11月
10月末には三田新人賞締切だけど、ワタシ以外にも両方送ったバカいるかな
ま 選考基準かなり違うようだけど とうとう日本でも同性婚家庭の精子提供が始まる
生まれながらに不幸を背負った子供達が また増える 豊田有恒死去
大学んとき何回か飲み屋に連れてってくれた慶應卒の先生が チョクチョク彼の話してたっけ
合掌 すばる1月号の「世界99」(村田沙耶香)で
「被差別者の差別主義は誰からも非難されない」
って主旨のセリフが出てる
で 「群像」の1月号では東が
家族そのものを否定することは出来ない 同性婚を認めるならそれに合わせて家族のあり様も変えてくべき
なんて言ってる
まあ これがリベラル派の限界というべきだろう
ダブル(ハーフ)の子供達の「現実」マジメに考えた上でなら 同性婚(同性「愛」じゃなくて同性「婚」)は「厳禁以外あり得ない」のだから
「ヘンタイ」の子供達がダブル以上の偏見に晒されるの 分かりきっててみんな見て見ぬフリ
でも 「被差別者の差別は誰にも非難されない」からどうしようもない… 同姓婚での親こそ 自分達の子供を(一方では深く愛しつつ 他方では)差別する
精子提供や代理母出産で生まれた「フランケンシュタインの怪物」として ローマ教皇が同性カップルを「祝福」
その内同姓婚も代理母出産も祝福するんだろうか 元日早々地震と津波
福井の原発群 大丈夫だといいが 今月の新連載「天皇機関説タイフーン」読む
ラストに
「戦争中の男は卑怯だった」
って台詞があるが、今むそれいうだけなのもやっぱ卑怯者だろう
今後また違った展開になるんだろうか もともと歴史(現代史専攻)だったワタシが畑違いな評論賞に応募したのは 広島から福島に関する風評被害問題についての投稿が学会誌(歴史評論や同時代史学会など)から全く受け入れられなかったからだった
基本的にパヨパヨな歴史学会にあって 反核運動や反原発運動に風評を悪化させる側面があるという指摘をすることはいわば逆鱗だったのだ
もっとも 事実上最後となった群像評論賞でも結局は一次止まり
査読担当のパヨ学者怒らせただけのときよりは まあマシだったんだろうかw 村崎百郎論で最後のすばるクリティークとった人が自分の落選作一覧ってのNoteで出してる
どうも彼の中ではサブカル論自体が「特例」で椎名林檎論での受賞者がいたことに合わせたものみたいだ
サブカル論で落選した立場でなんだが 個人的には他の「オーソドックス?」な落選作のほうにより興味がわく レズビアンのクリスチャン・スチュワートが卵子凍結
ああ また生まれながらにハンディキャップ背負わされる子供が… 《転載》
以下、学会員の書き込み
どうも学会の被害者が板にいて、ネットストーキングしてる学会員が
学会の力で新人賞の選考過程に介入して、受賞を阻止すると脅しているらしい
ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bun/1522944867/117
117 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 2024/04/22(月) 10:46:50.14
バカだな
お前の素性はすべて丸見え
どれだけの傑作を書こうが、お前は一生、小説新人賞を受賞できない
余計なことを言わなければいいのに
ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bun/1522944867/119
119 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 2024/04/22(月) 14:27:04.49
脅迫?どこが?
これは老婆心ゆえの
第三者からの注意喚起でしょうに
なんでも悪い方にとってはいけません
自分はなんにも関係ないですよ 確かすばる連載だった「燕は戻って来ない」がテレビドラマ化
前に同性婚で騒ぎ立ててた連中コレ観てんのかな 立て続けにすばるの話になるが6月号の村田さやか「世界99」の最終話を読み終えた
正直難解なところもあったが
「この世に偏見を抱かずに生きる人間などいない たとえマイノリティだったとしても差別はするのだ」
ってテーマには深く共感した
先だって〇日新聞の社会面時評に
「子供の頃の自分は偏見のカタマリだったが今はそれを克服している」
って純文学のL氏が書いてるのにも目通した
何とも羨ましい限りだ 経団連が夫婦別姓促す提言
まず父が ついで母が家庭から遠ざかるとフロイドはいったそうだが
残された子供はどうなるんだろう 今さらだが昨年12月号の群像で
「再エネどんどん使いましょう」
って言ってた
再エネなら環境破壊起きないってマジで思ってるみたい
とんだ放射脳 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。