>>732
 三十五年を生きて、ようやく自分を過大評価しなくなった。過大評価すらできなくなったと言うべきか。
大袈裟に言えば卑屈、取り繕うなら謙虚になった。消えたのはプライドだ。それほど立派なプライドでもなかったが……。
つまり俺は二十代まで自分を過大評価し続けていた。騙し騙しやってきて、年を経て化けの皮が剥がれた。
「吉瀬さんは、もっと意思表示した方がいいと思う」
 フォークとナイフを置いて、晶子が言った。
メインディッシュが運ばれてきて、ウエイターが肉を切り分けている。
意思表示。彼女はどんな気持ちでそんな言葉を選んだのか。何気ない会話の延長でふと口をついただけだろうか、それとも俺を諌めるための遠回しな表現か。
いずれにせよ、意志表示をしないというのは、卑屈で謙虚、プライドを失った私のもはや「意志」なのだ。
「そんな生き方してたら、まわりに誰もいなくなっちゃうよ」
 晶子が続けざまにそう言う。
 もしかすると彼女は、こう言いたかったのかもしれない。
「だからあなたは三十五歳にもなって独身で彼女もできないのよ。仕事ぶりだってぱっとしない。
主体性もなく、へらへらと笑って誤魔化して、哀れね。哀れでみっともなくてかわいそう。
いじけているんでしょう。プライドが消えただなんて嘘よ。いっそう肥大しているわ。
飲み込まれそうになっているのよ。謙虚だなんて笑わせる。自分じゃわからないの?」
 だが、目の前の晶子といえば、もう私のことなんてどうでもいいと風に、切り分けられた肉を見ている。
確かに私の内面やら生き方、そんなものに比べたら、皿の上の肉の方がよほど価値がある。
私の脳裏にある男の存在が浮かんだ。