34歳職歴なしワナビの恐怖の人生
今はもう、ワナビって言わないのかな。
作家志望者の事を指す言葉だよ。
取り敢えず語るよ。
言いたいことは一言。
ワナビになるなら、働け。
俺は今、精神病院のベッドの上にいる。 何から語ろうかな。
子供の頃からにしようか。
三歳半の時、一歳半の妹が死んだ。
お風呂場に張っておいたお湯に溺れて。
帰って来た母さんが、父方の祖父の腕に抱かれている妹の死体を見て、買い物袋を取り落とした。
その日の事は、布団から起きた瞬間まで覚えている。 それがきっかけで、母さんと父さんは離婚した。
父さんは優しかったけど、酒ばかり呑んで遊び暮らしている人だった。
血は争えないのか、俺もそう言う人間になっちまった。
俺は母さんに引き取られた。母さんの実家。 保育園児の頃は、字を読むのが早かったから、あと算数が出来たから学者さんって呼ばれてた。
ぼく「ゼロより少ないとマイナスになるんだよ!」
先生「すごーい、学校いかなくていいんじゃないの?」
それでいい気になっていた。今から思えば、あの時からお調子者だった。 子供の頃の話じゃないか、と言われればそれまでだけど。
また保育園児の頃、切り紙の工作の時間。
他の子が、小さい狐の切り紙をつくって誉められていた。
俺はバカだから、小さいものを作ればいいんだと思った。
それで、
「ねーねー! 小さいナイフー!」
ただの切れっぱしだよ。当然先生は誉めてくれなかった。 疲れた。気の向いたときにゆっくり書くよ。
スレが落ちるかもしれないけど。
反応あったら、嬉しい。 小学校の頃は、そんなにおかしくはなかった。
あ、一年生の時、風鈴を作るのに茶碗を持ってきたんだけど、割っちゃってさ。
回りの皆が声かけてくれたよ。小学一年生って皆素直だよね。
皆「大丈夫ー? 欠片拾おうかー?」
俺「うん。でもね。ただ立ちたいってだけの子は立っちゃダメ」
なんでそんなこと言っちゃったのかな。いつも一言多いんだよ、俺。 三年生の頃、授業で電池自動車を作ったけど動かなくて泣いたなあ。
不器用なんだ、俺。 ワナビをやるくらいだから、本を読むのは好きだった。といっても、小説らしい小説を読んだのは、小学四年生の頃だ。
そう、あの魔性の小説。
神坂一、「スレイヤーズ」
当時八巻か九巻くらいまで出ていた。
俺は一日で、五冊読んだ。
立ち読みで。(買えよ) 読んだやつは分かると思うけど、あれ、誰でも書けそうで、絶対に誰にもあれ以上うまく書けない小説なんだ。
そして読んだ俺もこう思った。ぼくだって頑張ればこれくらいの小説が書けるかもしれない。
ベストセラーでうはうは生活だ。
正直、ベストセラー云々はどうでもよかった。ただこんな面白い本を書いて生活できるだけお金がもらえるならなら最高じゃないか、と思った。
それから二十五年近く経った。俺は文章で一円も稼いだことはない。 それからライトノベルを読むようになった。神坂一と同期の冴木忍――今手元にカイルロッドの苦難があるけど、随分とまあお粗末な作品だよ。
当時は楽しんでたけどさ。
一円も稼げなかったヤツが「お粗末」なんて言えた筋じゃあねえけどな。 スレイヤーズ以外で一番面白かったのはやっぱり魔術士オーフェンかなあ。
センスが素晴らしかった。スレイヤーズより好きかもしれない。
って言うか、ファンタジーってセンスがものを言うジャンルだよね。本気で書こうと思えば知識もいるんだけど。
センスの勝負だから、自分にはセンスがあるって勘違いしたらその気になっちゃうんだよ。
そして俺には、センスがなかった。 中学生になった。中学の時も、まだおかしくはなかったよ。
いや、おかしくなり出してたか。俺、不器用でいじめられっ子だったからさ。スポーツ苦手だし。
あ、小学一年生の頃、サッカー部に入ったけど、幽々白書のアニメ観たくてやめたんだった。オタクだな。ははは。 中学三年生になってから柔道を始めたんだ。喧嘩に弱かったし、気も弱かったから。
でもね、ぜーんぜん強くなれなかったよ。 中学生の頃、新書の銀河英雄伝説を
読んだ。いやあ、すごい作品だった。
あれを読んで「やっぱり作家なんて無理だなあ」と思えればよかったのに、「これより面白い作品を書いてやる! スレイヤーズや魔術士オーフェンよりも!」
馬鹿だよな。馬鹿だよ……。 疲れた。ナースセンターで眠剤をもらって寝るよ。また明日。 ボクも独り言をさせて貰うね。
人生っていうのは君の思うような高尚なモノじゃない。
周りを見渡せば分かるさ。社会の秩序が弱者の淘汰を否定したがためにボク達のような無能でも辛うじて生きる事ができるんだ。
秩序に守られてなかったら間違いなく死んでるね。 それこそ100円の刃物でだって簡単にあの世行きだよ。人生をもたらす命なんて、想像以上想像以下の重さしかない。
まあ何が言いたいかと言うと……
成果を挙げられる保証なんて何処にもない。ってことだね! 人生の全てを費やしても結果が出ない時もあるってこと!!
名だたる文豪だってそうさ、彼らは作家の中から現われ出でた数少ない成功者なんだよ。
けれど、彼らに迫る作家がいた事をボク達は知らない。後世に伝わらなかった作家の血の滲むような努力もボク達は知らない。
人の生なんてそんなモノなんだ。
けどボクは名を知らなくても尊敬するよ。成果を挙げられなかったとしても、書き続けたその誰かを。 反応があって嬉しい。
高校のことを語る。
高校から、おかしくなった。 簡単に言うと、クラスに馴染めなかった。オタクな人間の居場所がなかった。
みんなリア充のウェイウェーイな奴らだった。
圏内一番の進学校だった。
俺はなんとか馴染もうとした。作り笑顔でごまかそうとした。
でもダメだった。なんか変なやつってことで、妙な噂をたてられたらしく、皆から嫌われた。一年生の頃。
佐々木ルミって女子と挨拶をとちったのが原因かもしれない。
俺はアスペルガーらしい。あと、今入院しているのは統合失調症で、だ。 高校でも柔道部に入った。いじめられたくなかったから。
でも、柔道部で強いやつらもリア充だった。
俺はそこでもいじめられた。
佐藤と大久保って奴が一番強かった。
ある日、二人が大久保の彼女について会話しているのを聞いた。
「あいつ、胸がなくてさあ」
自分の彼女なんだから、冗談でいっているんだろうと思った。
その彼女と知り合いだったから、何の気なしにその会話を伝えた。冗談がきついよな、ってノリで。
佐藤と大久保から、烈火のごとく怒られた。
俺は冗談だとしか思っていなかったんだ。 俺は謝った。だがけして許してくれなかった。
数日後、彼女からとりなしがあって、ようやく許された。軽蔑されながら。
でもおかしいのはおまえらだろ?
何で自分の彼女の悪口言うんだよ。しかも聞かれたらまずいことを人前でしゃべるなよ。 先にも書いたけど、俺はスポーツが全然ダメだった。
だから体育の授業が憂鬱でしかたがなかった。
いや、そんなもんじゃない。
皆のなかには入れないと言う悪夢だ。
サッカーが下手だったからなあ。 柔道部の話に戻る。
俺は弱くてオタクだったから、バカにされていた。
谷本チエってマネージャーがいた。ある日、すれ違った。その時俺は吃りながらも挨拶をした。
「こ、こんにちは」
谷本はダッシュで逃げた。外から聞こえる会話。
「あいつわたしにこんにちはって言ったの!」
「ちーたんのことすきなんじゃないのー?」
「イヤアアアアアアア!」
ほんとの話だよ、これ。 谷本は他にも、俺が着替えているのに部屋の電気を消して出ていったりした。徹底的に、俺をないもの扱いしていた。
何であんなに嫌われていたのか、わからない。 女子に嫌われ、クラスに馴染めず、俺の高校三年間は終わった。
そして大学で、また失敗する。取り返しのつかない失敗を。 大学一年生の五月に、母さんが自殺した。
高校の頃から、少しずつ心を病んでいた。
俺が入ったのは教育大学だ。母さんの薦めで入った。教師は公務員だから安泰だって。
でも俺は、小説家になりたかった。
母さんが自殺することで、教師になるって目標は糸が切れた。 六月、進路希望の日。
研究室を決める日だった。
俺はバカなことに、
体育研究室を選んだ。
スポーツ、全然ダメなのに。 スポーツができなきゃ皆から認められない、という思い込みがあったのだろうか。
当然、俺はそこで落ちこぼれた。
母さんが自殺したのもあり、寝込むようになった。 精神病院にも入った。統合失調症だって。
俺は完全に、大学で落ちこぼれた。
三年目、ボロボロな単位を焦って取り戻そうと無茶なスケジュールを組んだ。
担当教諭からは、「何を焦っているんだ」
なにもうまくいかない。
俺は、大学を中退した。
バカもここに極まる。 中退したのは、小説家になりたいという夢があったからでもある。そうでなきゃ、がんばって卒業しただろう。
小説の賞でも取ってから中退すればよかったのに、そこまで頭が回らなかった。バカだよ。 母さんがなくなって、遺産が1000万あった。
俺はそんなもの要らなかったが、受け取らされた。
精神的にボロボロだった。俺は取り敢えず独り暮らしをしようと実家から離れた。 安いマンションを借りた。生産的なことはなにもしなかった。
ネットばかり見ていた。
遺産を食い潰した。
小説家になりたいと思っていたのに、小説は全然書けなかった。 遺産を食い潰して、のめのめと実家に帰って来た。
みんな俺が精神病だから、と遠巻きに見ていた。
ある日、実家の祖母と大喧嘩して、残った遺産で札幌に出た。 札幌で風俗にいって素人童貞を捨てた。25才の時だった。
彼女なんていない。今34才だけど一人もいたことない。
セックスはした。だが想像より気持ちのいいものではなかった。
俺は発狂した。 その時、探偵小説の参考に、と、ガルエージェンシーの探偵講義を受けていた。
それが終了した頃に、童貞を捨てて、狂った。 発狂したって具体的にどうかって?
意識が冴えすぎて、何もかも解ったような気になったんだ。
探偵の授業が終わったあと、道端で探偵の先生にあった。
俺は後ろから忍び寄った。
振り返った。「何だてめえ」
俺は無言で耳を引っ張った。先生は子供の頃、耳を引っ張られ過ぎて大きくなった、と授業で話したのだ。
そして俺は、探偵の名刺をひらひらと振って見せた。
先生は前を向いて歩いていった。 犯罪者っぽい奴とも絡んだ。普段ならおっかなくて話しかけもしないような奴にだ。
そいつと絡んで、警察署までいって、お巡りさんが俺たちの話を聞くと、皆大笑いして、俺をマンションまで送ってくれた。 実家から親戚が迎えに来た。俺はその時、発狂しきっていた。部屋の模様替えを無茶苦茶にやった。
親戚はそれをみて驚愕し、実家のある帯広の精神病院に叩き込んだ。統合失調症。 統合失調症になったとき、小説が書けるようになった。
退院して、バリバリかいた。
就職をせず。
こんな運命的な方法で書けるようになったんだから、必ずプロになれるはずだと。
なれなかった。
探偵になっておけばよかった。講義を受けたのに。 それから何年も書いた。いつかプロになれると思っていた。
時々思い付いたようにバイトもしたが、二ヶ月と続かなかった。
上司や客に怒鳴り付けられたり、嫌みを言われたりするのに耐えきれなかった。
精神が、脆すぎる。 コンビニのバイトでは、割りと美人な女の客がすさまじかった。
「なにちんたらしてんだよ! さっさとやれ!」
「いい加減にしろ!」
「お前いつになったら辞めるんだよ!」
すぐに辞めた。毎日のように来る客だった。 電器店のバイトでは、棚を整頓するのをすぐに忘れてしまい、何度も叱られた。
だけど覚えること一杯あったし、そんなになんでもすぐにできる訳じゃない。
だが上司の大山というメガネは俺を目の敵にした。棚の整理が出来ない。簡単なことなのに。なんにも話を聞いていないんだな、こいつ。
そしてさんざん怒鳴り付けられ、パワハラじみた言動をされた。
俺は仕事覚えるのが遅いんだ。
そこもやめちまった。 他にも交通警備のバイトなんかもした。給料がよかったから。そこはよかったけど、警察の試験を受けるために辞めた。
今から考えれば、楽な方、給料のいい方、とふらふらしていたんだ。
人間のクズだ。
大学やめずに、教師になっておけばよかった。
もう、遅いんだ。 ちなみに警察官の試験は落ちたよ。あたりまえだけど。 ネット小説サイトの時代になった。それまでは新人賞に何本も送っていた。(ちなみに一次審査を通ったのが一回だけ。そこで自分の才能のなさに気づけばよかったのに)
最初はなろうで受け狙いの異世界転移ものを書いた。西洋戦国チート武者って作品だ。(もう消した)
だがたいした反響もなく、俺は学生時代から暖めていた作品を書こうと心に決めた。
最高の大傑作。これさえ読めば誰もが驚愕するに違いない、と。 毎日反吐を吐く思いで5000字書いた。出来上がったのが930000文字の作品。俺のファンタジー私小説。「DIVAS」
まずはなろうに挙げた。
反応はなかった。
運営から、性描写が過激だから書き直せ、とだけ。
いくら書き直してもダメだったので、匙を投げた。
感想がひとつ。
「凄いです! こんな小説、初めて読みました!」
規約違反で、DIVASは削除された。 性描写を抑えて、こんどはカクヨムに投稿した。消されなかった。だが、読まれなかった。
もらった星は20。絶賛してくれたのは三人。
終わった。
すべてを込めた作品が、この程度の評価。
34才、職歴なし。
小説を書いただけの、遊び人。
それでも、絶望するのはもう少しあとだ。 十年間、統合失調症の薬を飲んでいたが、もう面倒だなあと思って、勝手に少しずつ止めた。
四月頃からやめて、九月頃。
頭が弾けた。
なにも怖いものがなくなったような気になった。 十年間、障害年金を貰っていた。親戚が管理してくれていた。
毎月60000円のうち、25000円だけくれて、残りは貯金。
俺は十年間貯金してくれていた金を、使わせろと詰め寄った。
使ったのは、女遊びだ。
女に免疫がないから、それを付けるためだ、と理屈をつけて。 東京に行った。女遊びをしながら、おれはひょっとして役者が向いているんじゃないかと思って、声優の養成所にいこうかと思った。説明会を受けた。
だが、芸能界って縦の序列とか人間関係がめんどうくさそうだなあ、と思ってやめてしまった。バカだ。どんな仕事だって嫌なことはあるだろうに、徹底的に逃げようとしている。
大塚明夫が著書のなかで弟子を募集していたから、マウスプロモーションへも行った。名刺をスタッフに渡したけど、不審者として追い返された。
その時はもう、統合失調症が再発していたんだ。 雀鬼・桜井章一にも会いに行った。仙人みたいな人だった。
統合失調症を発祥していた俺は、二回目に会いに行ったときに、不審者として追い返された。
ただのファンだ、取り次いでくれ、と言って粘った。
スタッフが一度、遠くまで俺を引っ張った。
俺はどうしてもお話ししたい、と言ったが、牌の音に帰るスタッフの背中を見るといたずら心がわいてきて、あとをつけた。
そして気づかれないよう尾行して、スタッフは俺を見つけることなく帰り、結局桜井章一とは会わなかった。
自分でも何がやりたいのか、わからない。
憧れの人に、会いたくはなかったのか? 中野のIってキャバクラで、借金が100万円あるって言う女の子のそれを肩代わりした。
自分で稼いだお金でもないくせに、気が大きくなりすぎていた。
いくらでも金があるような気がした。
ホームレスの前に一万円札を投げ捨ててやったこともある。
キチガイだよ。完全に。 女の子の友達も借金があって、300000くらい渡したかなあ。
ばーか。 30才過ぎたから公務員にもなれない。
小説家になりたいと思いすぎて破滅しちまった。 それでね。東京でいろんな店に行ったけど、サービスのいい店と悪い店があるなあ、って当たり前のことに気づいたの。
それで偉そうにこの店はいい、悪いなんて評価下してね。 羽田空港で、流行りのチーズケーキを売っているお店があったの。
で、俺、店員さん呼んだんだけど、気づかれなくてね。
なんだよ、サービスの悪い店、って思ったの。
それで仕返しのつもりで、チーズケーキ一個万引きしちゃった。 隣の店では、煎餅を売っていた。試食をどうぞ、ってね。
サービスのいいところだなあ、って思ったから、小銭置いてきた。こっそり。 爺さんの警備員がいたんだけど、俺が気配を隠して近付いても気付かなくてね。
あなた、もし僕が犯罪者だったらどうしますかって聞いたら、「想像力が豊かなんですね」って。 気が大きくなっていたから、昔の恨みがある奴等に電話して、恨み言をぶちまけたよ。
皆何の話かわからなかった。俺を覚えてないやつもいた。 そんな非常識な行動ばかり取っていたら、警察が来てね。
万引きしたチーズケーキも見つかって、逮捕された。 俺が正直に話したら、精神病患者なんだってことで帯広に追い返されたよ。従兄弟が空港まで送ってくれた。
帯広に帰ってから、親戚の伯母たちと大喧嘩した。
救急の精神病院に放り込まれた。 音更の緑ケ丘病院さ。トイレの水も自由に流せないようなところだった。
そこで精神科の先生や看護師と色々議論したよ。
一ヶ月くらいで返された。保険福祉センターに訴えたんだけど、その調査が入る前にね。 退院したんだけど、まだ金はあってさ。札幌に行って豪遊した。
そして帰ってきて、母さんが精神病で苦しんでいたのになにもしなかったと祖母に詰め寄った。
生活費だしてくれていたのは祖母だよ。恩知らず。 それで、金のことばかり考えているあんたはおかしいよって言ってやった。救急車呼んで、精神科にみてもらえって言ってやった。
でも救急隊員は、祖母はおかしくない、と。
じゃあ俺が精神科の先生に話してやるって言って、救急車に乗った。
閉じ込められた。(バカ) それから、本来通っていた帯広の厚生病院に転院した。
最初のうちは統合失調症が活発だったから、退院すればなんとでもなると思ってた。
でも治っていくうちに、おれは職歴なしの34才なんだって自覚してしまった。 絶望間で心がいっぱいになった。夜になると背骨が少しずつ曲がっていく。
自殺も出来ない。
腹には贅肉がたっぷりついている。
仕事の宛もない。
小説ばかりで世間に揉まれてこなかった。
楽な方楽しい方ばかり選んできた。
それでこのザマだ。
本当に毎日、夜になると背骨がねじ曲げられていくんだ。
怖い。
発狂する。 発狂してしまえば楽になるかと思って、カクヨムに載せていたDIVASも消してしまった。
でも、発狂しなかった。
俺の唯一の生きた証も、無くなってしまった。
もう退院したら、死ぬしかない。
これが、仕事をしなかったワナビの末路。
頑張って書いた小説も、大して面白くないから評価されない。
それに気づいたとき、小説も書けなくなった。いくら書いても、詰まらない。
退院まであと一ヶ月はかかる。
それまで、背骨がどこまで曲がるか。
怖い……。
……これで、言いたいことは終わり。
みんな、ワナビになるなら、絶対に仕事と言う命綱はつけておけ。
自分には誰よりも才能があるはずだ、って思い続けてきた男が、今こうして精神病院のなかで自殺だけを楽しみに入院生活を送っている。
みんなだけは、俺の轍を踏まないでくれ……。
……さよなら。