ものの、チームは年間順位で16チーム中15位と低迷しJ2へ降格してしまう。

2001年、背番号を前年の26から10へと変更。リーグ戦37試合出場7得点という結果を残し、チームのJ1復帰に貢献する。

2002年、黒部光昭、朴智星らと共に、クラブ初タイトルとなる同年度の天皇杯優勝に貢献する。