>>757
 相變らず文化つて者の價値を判つてゐないのか。
國語表記も着物も日本文化の根幹に位置する者だ。
文化たる國語表記は國が何うかうする者では無く―― 當然國が學校ヘ育の範圍や一部表記の混亂を正す縡はあつても……、
國語表記の變化は飽く迄も民間の文化的活動に因る漸次の變化に委ねる可きであり、國が大上段で國語表記の方向性を強制させるのは宜しくない。
然も其の強制は國家主權を喪失してゐたGHQの占領統治下で行はれた者だ。
そんな者に唯々諾々と從はねばならぬ理由は何も無いし、從ふ氣もさら/\無い。
 着物も同樣である。
着物の著方や格式云々は國や着物業界が勝手に決めて強制される可き者では無く、民間の實生活の中の自然な變化に委ねられる可きである。
然るに今では民間での着物の着裝率も減り、さう云ふ本からあつたであらう着物觀も今では殆ど見る陰も無くなつて仕舞つてゐるが……。