「真言」は、それをただ唱えれば何かがかなえられるという魔法の言葉ではありません。
本来、「真言」は経典や 仏の智慧を心の中に呼び起こして保持するための言葉です。
「真言」を唱える瞑想の中で、集中力の高まった直観的な智慧の体験を何度も経験していて初めて、「真言」を唱えることが条件反射的に智慧の体験を導くのです。
一般に「真言」の内容は、教説を凝縮した象徴的な言葉であったり、祈願や帰依の言葉ですが、「真言」は日常の言葉とは異なっていることが望ましく、言葉の意味よりも響きが重要とされます。
そのため、『般若心経』の「真言」も音訳されることが多く、上の訳では、インドの原典の発音をカタカナにしました。