伏見 当時、あなたがやっていたのはUC-GALOPでしたが、あれ、なんだったんですか?
斎藤 UC-GALOPって、アッパーキャンプ・ゲイ&レズビアン・オンライン・パーティの略なんですよ。
伏見 そこでなにを話してたの?
斎藤 よた話だよね。
エスム あと、ブルのパーソナリティが変わるとネットの雰囲気も変わる、というのが端から見てるとあって、
初期のころはオタク系でほのぼの牧歌的な感じだったのが、ブルがクラブに行くようになって、ずいぶん変わりましたね。
斎藤 オタク女がちょっと気取り始めたっていうやつ(笑)。
エスム ブルの中にパソコンネット・オタク・リブみたいのが芽生えてきて。「パソコン・オタク=ダサい」というイメージを変えたいという気持ちがあったんだよね。
ほのぼのしたものから、言葉にすると恥ずかしいんだけど、都会的な方向性に(笑)。
斎藤 思い出した! 最初はアッパーキャンプじゃなくてアーバンキャンプだった(笑)。
エスム そのころはGOLDやイエローが華やかで、アフター・アワーズとか朝方にやるパーティもありました。
みんなではしゃいで遊んでて、「あの子たち、絶対薬やってる」って陰で言われたこともあります(笑)。
でも都会的な匂いのするネットに変わったことで、ほのぼのした雰囲気が好きだった人は、大量に辞めたよね。
斎藤 ただ、あれは作為的だったかも。オタクを排除したかったかも。それが93年か94年ごろ。
伏見 今聞いていて感慨深かったのだけど、ブルちゃんたちも青春を語る年頃になったんだね。
90年代はアッパーキャンプがゲイシーンを席捲したという感じが僕の印象としてあるんだけど、最初はマイノリティな感じで始まってたんだね。
エスム 94年の9月に UC-GALOP の周年パーティを Delight(現在のACE)でやったんですが、
そのころニューヨークでルポールというドラァグクィーンが流行っていて、「こういうのおもしろいからやりたいね」という話になった。
ブルはクラブ系の情報も早く入手して、ルポールのミュージック・クリップを見ていたんだよね。
斎藤 UCのメイクは関西系の先輩に習ったんですよ。東京系はきれいでそつのないメイクで、関西系はやりすぎメイクなんです。
UCはそれを真似て、しかも技術は拙かったので、本当に汚くなっちゃったんです(笑)。
伏見 最初は「ドラァグクィーンになるんだ」という志しでもなかったんだ。
斎藤 なんとなくパーティで楽しいかもということで。
伏見 ゲイムーブメント的な意味では、どんな意識だった?
斎藤 あんまり対社会は意識しなかったよね。
エスム 自分たちがやりたいことだけやってた。
斎藤 当時のUCに共通するのは、学生時代は真面目なむしろネクラぐらいの優等生系が、「大学でゲイ」というキーワードではじけて、というのがほぼ共通していたので、
そういう特殊な環境下で育った人たちのいびつさが、業界的に珍しくてインパクトが強かった、ということだったと思う。
要は鎖国状態だったところから生まれたことで、バーやクラブの中で培われたのとは違ったヘンなことをしてる人たちがいるって、おもしろがられたのかもしれない。
伏見 94年にパレードがあって、ブルちゃんは参加してないんだよね。
斎藤 当時はゲイだっていうことで表を歩くなんてとんでもないと思って(笑)。
伏見 でも、翌年は女装して堂々歩いてたよね(笑)。
斎藤 OKが出たら早いタイプで、最初にリスクを負うことはしたくないんです(笑)。