斎藤 女装は鎧を着てるから大丈夫なんですが、普通の状態でゲイの私として存在するのがすごく怖くて、
そのギャップを埋め合わせるかのように、閉ざされたゲイへの思いが高まるという感じですね。
伏見 じゃあ、古式ゆかしいリブガマの動機と近い。
斎藤 昔の怨念系ですよね。女装のキャンギャルをやったことで、女装で外に行くのはOKになって、
女装してノンケに対して何かを言うというのは、楽しい作業に変わったんですけど。
あとは壇上とか守られた立場で素顔でゲイを語るのも多分OKなんですけど、普通の人としているときは、やっぱりまだ怖いんじゃないかな。
伏見 ゲイの共同性の中でヌクヌクしてるわけね。怖いから外に出られない。
斎藤 怖い、ノンケ怖い! 本当にノンケ、怖いんですよ。
伏見 『バディ』では下の世代に向けてメッセージしていますが、違いは感じますか。
斎藤 怖さみたいのはなくなってる人は多いですよね。KABA.ちゃんみたいな素晴らしいキャラのお陰で、クラスでオカマキャラとしての存在が許されているような、
そんな世界が広がっている気はするんですよ。だから防御壁を張らなくても良くなっていて、以前よりはガス抜きされてるのかも。
自分はこの防御壁のお陰で、ドラクエで言うと気合いをためた状態だったんですね。自分が突拍子もないことができたのだとしたら、気合いをためていた期間が長かったから。
逆に今のゲイの子がもしたれ流しのようにガス抜きができているのなら、強烈なゲイ性のおもしろみにはなっていかないのかもしれないですね。
伏見 エイズ・アクティビズムについて違和感を感じるって言ってますよね。
斎藤 えっ、そんなことないです(笑)。
伏見 『バディ』でいやがらせのように「危ないセックス特集」するでしょう。
斎藤 あれは違いますよ(笑)。団体系の方だと、お金が出ている先が国だったりするので、いわゆる社会運動的な立場からのアピールしかしにくいと思うんです。
真面目な団体が発行するものも大事なんですが、世の中の考え方の作られ方って、週刊誌とかバラエティの影響がすごく大きいじゃないですか。
商業誌がもしそこに食い込むなら、要は人の興味をそそるということが大前提で、ブッチャケ系な記事をやるべきじゃないかと。
それを自分の仕事の範囲でやってるだけで、今あるものがダメというわけではなくて、足りないことがやりたかっただけなんです。