どうして怖いゲームを作ろうとして怖いゲームを作れないのか???
もともと昔の怖い話は、何か不思議な事や不可解な事や説明のつかない事が起き
それを解明するという内容か
それか、不思議な説明のつかない事が起きました、というだけの内容だったけど
今は先に原理の説明された現象が起き、それをどう乗り越えるか
という内容になっている
話の筋の例としては、事の始まりとしてまずふとしたきっかけから不思議な出来事が起こる
次にその不思議な出来事から、何か重大な問題が起き問題提起される
徐々にその問題は広がり、様々な被害を出し、何をやってもどうにもならず収集つかないかのような状態になる
ふとしたきっかけで問題の解決手段や不思議な出来事の真実が分かり
盛大に解決する
こんな構成にするとしっかりする 拾ってきた可愛らしぃ生き物
その生き物はとても人懐っこい
・不思議な出だしでは、初め問題提起はされず、主人公に何もかもを与えるような、または輝かしい未来と希望に満ち溢れるかのような描写で出だす
その生き物を家に持ち帰る
すると、何か不都合や悪い事が起こる
・ここで初めて問題提起される
実はその幸運かに見えた不思議な生き物や現象は悪魔のような存在で取り返しのつかない問題を引き起こす
それか、何が原因か分からず問題だけが起き、実はその原因がその不思議な生き物や現象によるものだと知る
それが徐々にエスカレートしてどんどん収集のつかないぐらいにまで広がる
その際様々な被害を出す
気付いたら大惨事になっている事も
そして主人公や登場人物たちがさまざまな解決案を試すけれどどれもまるで効果がない
でもふとしたきっかけで、その問題を解決するための突破口や、今起きている不思議な出来事の原因や真実を見つける
それを試すと、今まで何をやってもどうにもならなかったものがうそのように一気に速やかに解決する
解決したその後にはその一件で起きた様々な被害の爪痕が景色として広がっている
・散らばった割られた窓ガラスや、散乱したゴミ等
・被害の大きさを物語る
・・・・・・・・・・
解決した跡地から実はまだ悪魔は生きていた・・・みたいな演出で締め括る場合も
・すると、問題の根の深さ、しつこさ、恐ろしさを表現できる
・見ているものに不安を与える結末
・すっきり解決にしたい場合はこの描写は不適切
今の話を見ていると、最初から問題の解決策もすべて分かった状態で話を進める
目の見えないけれど音に敏感な魔物に見つからにように目的地を目指す
執拗な魔物に見つかりそうになりながらも隠れつつ先に進む
どう盛り上げようとするかというと(どうすれば解決するかは分かっているけれども)失敗して見つかりそうになったり、失敗する仲間を出したり、人間関係のいざこざをだらだら入れる
これを繰り返しているうちに今まで以上に強い魔物なんかも出てきてそのまま先に進んで物事は解決
・なるようになるしかならないという印象
・必要なのは何をやってもどうにかならないという状態と印象 最近の作品で勘違いしてる事は
・無駄なものを入れるところ
・ゲームに対して無駄なものを入れないところ
・暗闇や血みどろだけなところ
本当に怖いゲームは、無駄なものは何一つない
完全に意味のないオブジェや、意味のない雑貨
手に取って調べられるけど何もないところ
怖いゲームでは、無駄なものがちゃんと入っている
一見関係してそうな意味のないオブジェ、や意味のない雑貨
調べると意味のない事が分かる
違いは、閉じ込められました
無言で無意味にリモコンでTVをつけたり消したりする事はゲームそのものに関係がない
それなのに、主人公が無言でTVをつけたり消したりして、置かれた食器を手で持って裏を調べたりして何もないからそのまま戻しても意味が何もない
けれど、閉じ込められて必死に外に出たいのなら、それに沿って無意味なものに意味を与えられなければいけない
要するに、「外に出たいですよ」が大前提にないといけないので
TVがいじれる、それに対して、外に出たいという前提に従って、反応しなければいけない
TVがいじれる、今は外に出たいだけ、「外に出るのに関係なさそうだね」とか「今はTVをつけてる場合じゃない」とか、必ず今現在の外に出たいという目的に対しての基準で語らなければいけない
台詞でなかったとしてもどうにか主軸の外に出なければいけないに関連付けされてそこを視点にできなければいけない
つているTVに対してただ無言でTVをつけたり消したりできても「?」、背景にTVがおかれているけど完全に触れられない背景でも「?」 みんなの勘違いは
難しい=怖い
だと思ってるところ
実際は
できない=怖い
できるけど難しいっていうのは、難しい以上の感情は沸かない
明確に「できない」状態で初めて感じる
難しいうちはやればできるんだからやろうとする
できなければ、やっとそこで立ち止まる
どうしようか
そのできないっていうのも、簡単に単に設定上できないだけじゃ成立しないし
やろうとすればできるけど難しいでも成立する
「単に固いだけだけどそこを倒して通れ」っていうのは難しいだけ
「そこはとても固い怪物がいるから進めない、でも実は上手にやれば倒す事できたりする」っていうのはできないにはいる
問題になるのは、流れが「そこはできない、引き返すしかない」ってなってるか、「そこを進め、けど難しいってなってるか」 狙いすぎてあり得ない方向性へ
ビックリ系=怖いが固定
グラは綺麗だけどオドロオドロさを感じない ゲームが怖くなくなったのと
ホラー番組で紹介される映像が怖くなくなったのは似てる
どちらもきれいすぎて作り物感がありすぎる
画質の適度な粗さが恐怖を誘っていたのかもしれない 映像作品でもゲームでも話の進め方が一方通行で流されるだけで双方向さや、対話性がない
今の進め方は進んでる(ここには主人公は関与する余地がない)と「血が飛び散る」「気持ち悪いものが出る」「危害を及ぼされる」とゲーム側から一方的に気持ち悪い演出が垂れ流されるだけで
プレイヤーはそれをただ見るだけ
本当は対話のキャッチボールで進める
主人公の行動 → どうなるか
怪しいロッカーを開けてみる → 何もなかった
時計を調べている → 机から缶が落ちてドキッとする(けど何もない)
ベッドの下が不審で気になる、ベッドの下をのぞき込んでみる → 殺される
ライトを持ってベッドの下をのぞき込んでみる → 攻略に対してとても重要な鍵を見つけられる
怖い話は、重きを、実際に起きる悲惨な結果より、悲惨な結果につながるかもしれない前段階に置いている
今の話の構成は、実際に起きる悲惨な結果だけをいかに押し付けるか、だけしか見ていない
だから本当は怖い作品は、プレイヤーのとる一つ一つの小さな行動が重たい
この、ベッドを見てみて大丈夫?この人に話しかけて大丈夫?この選択して大丈夫?ここを歩いて大丈夫?
それこそ、一つ一つ一歩一歩に気になる程に
今式に作ると、一つ一つ一歩一歩の重みがないからプレイヤーや視聴者は常に演出に対して受け身になるだけでいい
本当は、能動的に一歩を踏み出さなきゃいけないのが怖い
自分から一歩を踏み出すなら、その自分で決めた一歩がどんな悲惨な結末になるかを覚悟してから決めなきゃいけない
でも自分はただ待っているだけでいいなら、なるようにしかならずストーリー展開上主人公は助かるって初めから分かってるんでしょう
その上でどんなに殴ったってただの暴力にしかならない
「これから踏み出すたった一歩がどれだけ重要か」「結末に重要な変化をもたらすかもしれないか」そこをどれだけ認識できるか
ベッドのシーツを捲り上げたら、死ぬかもしれないし、何か悪い事が起きるかもしれない
バッドエンド確定するフラグが立つかもしれない、バッドエンドを回避するための大事な攻略のためのキーが見つかるかもしれない
そういう考えが頭の中をグルグル巡って、その大事な大事なたった一歩を決定する権利は主人公に与えられていて、主人公自身が決めなきゃいけない
映像作品ならその立場に立たされている主人公の状態の描写をどれだけ伝えられるか
ゲームならもっと直接的に作れる なんでもかんでもリアル志向になりすぎて想像の余地がないからな
あと 怖い=驚かせばいい ってな風潮がいかん
静かで不気味な恐怖は時代遅れなのかもしれんが 想像の余地というけど実際は、強烈な想像の誘導を必要とする
実際は起きもしない事でも起きると思いこむ状態
例えば「悪魔がやって来る」と信じるのは悪魔が実際にやって来るという様々な意図されたお膳立てによって意図して作られた信憑性
今はどう想像するか想像される像を見てる人に投げてしまうというところで勘違いしている
悪魔はこんな存在で、こんな事をする、これだけ恐ろしい存在なんだ、という想像する先を誘導する
与える情報と、隠す情報、不定にする部分、全部的確に選ばないと怖いものを想像する事ができない
要するに、意味の分からない人陰がいても、普通は何だか分からないと感じるだけ
それを勝手に想像して怖がれというのは酷な話
悪魔がいると先に宣告されているから、その人陰が悪魔に見えて来る
その悪魔は不死身で姿を人を見た人はかみ殺すと吹き込まれていたら、そういう目で見る
今の作り方では、その悪魔という吹込みはしないのに、登場する怪物を凝ったデザインで細部まで描画する
本当は、デザインは凝る必要もないし完全に見えないように隠すという手段も
教え込まれる部分と、見たいけど見えない部分
怖い悪魔というのは分かるけれど、その全貌は見えない 静かで不気味な恐怖をちゃんと目指しているけど単に作れないだけ
そう作ろうとしているんだけど出来上がりは驚かしになってる
できないから驚かすしかない
驚かすって事は驚かす前は静かって事で
作り方を知らないから試行錯誤した結果脅かしに
それと現実志向というけど、実際に現実に近づけられているのは本題とは無関係な部分だけで
必要な現実面はそれどころか、おろそかになっている
例えば、人は怖い化け物がいれば、まず何とか助かろうとするから武器になるものを探したりするはず
でも頑なに丸腰で、敵を回避しながら進んだり
本当に恐ろしいと思う敵がいたら、戦おうなどとはしないで回避してそこを避けて通りたいはずなのに、態々そのど真ん中を敵をやり過ごしながら真剣勝負して進んだり
閉じ込められたなら僅かな隙間からも抜け道を真っ先に見つけて逃げたいと思うのが心理だけど、何故か敵に向かって進んで挑んだり、と
その場に本当にいたら何を気にして、どういう行動をとりたいか、きちんと考慮されていないし、それに伴った現実的な反応も考慮されてない
本来は、その場から外に逃げたいなら、窓から出ようとしたら、だったらどんなひどい目に合うか…話を作りやすい訳で 心地よい恐怖の感じる展開っていうのは
自分の不安な予測に対する意思決定に対する不安的中という結果
具体的に言えば
「この真っ赤なシーツ怪しい」
そこで二つの選択を迫られる
「そのシーツに関ってみる」「そのまま見なかった事にして立ち去る」
だから怪しければ怪しい程、調べてみたい気持ちも強まる
悪い結果が予想されているのにでも調べてみたい衝動が強まる
それに対して、結果、結末をつける
「大丈夫だった?」「思い過ごし?」「悪い予感は的中?」
そういうのと上の話と絡めてまとめると
「窓」
「窓から外に逃げようと」「窓を調べてみる?」「やめる?」
窓を開け外に出ようとしたら突然首を切られ闇の中へ引きずり込まれて行きました…
何が起こるか予想できてないと恐怖はまず感じない
これから扉を開けると、何か悪い事が起きてしまうんじゃないかって感じている時
その扉を開けるか、開けないかの選択権は主人公が持っている
そこで、敢えてその不信感の強い扉を開ける時に感じるのが恐怖
そこ誤解している人が多いから、予想できない状況でいきなり脅かす
もう一つ誤解してるのは、主人公の意思決定と無関係にその脅しを実行する事を恐怖だと思ってるところ
例えばただ歩いていたら、いきなり何かされる
似たようなものだけれど、この怪しい曲がり角を曲がるか曲がらないか、悩んで出した曲がるという決定に対して何か悪い事が起こる
これなら恐怖を与えられるけれど
主人公はそんな意思決定がなければいきなり交通事故に遭ったのと同じで恐怖を感じない 絵にかいたような展開というのは
冒頭で恐ろしい怪物がいる伝説が話題になるが、誰も信じていない
何だかんだ展開して気付いたら夜、うっかり眠ってしまっていたようだ
(建物に閉じ込められていた)
最初に行ける場所
横には不自然に真っ赤に染まったシーツ
>調べた場合、昼間話してた知り合いの死体を発見
>2度目調べると別の反応
>3度目調べるとさらに別の反応後、怪物が出てきてひどい目に合う
外に出たいがために、行ける場所をガチャガチャいじる
まずは正面の入り口の扉、ガチャガチャ…鍵がかかってて出られない
窓…覗き込む、ここは9階、ここから降りるのは無理そう
エレベータ、電源が切れていて呼べない
一通り出られそうな場所を調べ終えてここから本格的に探索
エレベータの電源を入れられるか?窓から降りるための梯子でも見つけられるか?扉の鍵か何か見つかるか?それとも第3の出口?
各行ける場所を調べる
条件をそろえないと侵入できない場所も
建物内を探索するといろいろと不審な場所、怪しい場所が出て来る
ちょっとした小さなものが外に出るための大事なヒントになる事も
いかにも怪しいものから、一見関係なさそうなものまで
その中に恐ろしい思いをする結果も
また、一見恐ろしい思いをしそうな不審な場所に悪い結果を回避するためのキーが隠されている事も
冷蔵をを気になったので調べてみる
するとカットシーンに切り替ったりして、冷蔵庫の中に知り合いの死体を発見しおう吐しそうになる、とか
必ずしも敵が出現するだけが恐怖ではないから
間違った解決手段によるゲームオーバーの演出も効果的
短い梯子を見つけ窓にかけるが下まで届いていない
それでも物は試しと、そこから降りようとするとやっぱり届かず、引き返そうとすると梯子を外され転落
一見助かるように見えて返す結果演出も難解さ不安さを印象付けできる
正面入り口の扉の鍵を、手に入れ正面の扉から外に出る…
カットシーンに切り替って、外に出ると怪物に殺される
その時、こんなんで出れちゃって大丈夫?という不安さを伴う状態は必要 受け身性が必要
最近の作品に多いのは、主人公の悲鳴やコメントを自発的に発する
主人公が勝手に発するから、主人公の台詞がプレイヤーの代弁にならない
どうすればいいかというと、プレイヤーの行動や選択や判断を待つ
プレイヤーの行動や選択に対して、プレイヤーの気持ちを代弁するコメントや態度をとる
主人公一人だけが勝手にヒーヒー言ってキャーキャー言っても、プレイヤーからはかい離する
その付近をきちんと作れていない なぜ怖いゲームを作れないかというと
作り手の思う恐怖と、求める側の受けたい恐怖が別物だから
求める側が怖いものを作って欲しいというと作り手はどれだけ凄惨な体験性を与えるか?
この点を詰め込もうとするけど
求める側の求める恐怖っていうのは、スーッと空気が通り過ぎるような恐怖
もしかしたら恐ろしい事が起きるんじゃないか
それは現実になる
タイプが全然違う
受け手自身も勘違いしていて怖いのが欲しいけど、どういうのを求めてるのかも分かってないから
作り手の勘違いと同じ思考回路で兎に角凄惨さを求める 「怖いコンテンツを作りたければTVゲームという手法をとるな。」
これにつきるってことか。 TVゲームは怖いコンテンツ作りに向いている
自分で操作できるという点で特に
むしろルート通りに凄惨な体験を順番に与えたいため、プレイヤーの操作性を殺して
プレイヤーを拘束するのは、ゲームの特性を殺している
作り手の恐怖を与えるためにはと聞いてゲームで行ってるのは
恐怖を与えるためにどれだけ、プレイヤーをなぶり殺しにするか?
その発想の時点で間違い
考えるべき事は
その場所その空間で
「どんな事が起こりうるか?」
「何か起こるとしたらどうなるか?」
「何が起こりそうか?」そして「何が起こりそうで起きないか?」
プレイヤーの想像力をどうたどるか?
プレイヤーを殴ったって意味ない グロテスクでダークなダンジョンできもいクリーチャーが迫ってくるより
ここは安全だろって時に不意を突かれる方が怖いな
スズメバチや蛇が近くに居てもふーん怖いねって感じだが蜘蛛の巣に気付かず顔から突っ込んだらパニックになるのと同じような感じ 不意を突かれても驚かされてるだけ
”Horror”っていうのは、そもそも、恐怖を認識していないと成り立たない
もちろん不気味で暗黒なダンジョンで敵が襲って来るっていうのも違う
”Horror”っていうのは、「自分で怖いと思っているものが、『そこに出て来る』のが怖い」
というジャンル
この扉を開ければ中には、自分のイメージする恐ろしいものがいる、きっといる、きっといる・・・
ここをのぞいたらきっと殺人鬼に殺された死体が出て来る・・・きっと出て来る・・・
これが”Horror” 絢爛舞踏祭クリアした後に再度電源入れたら、
OP画面に「もうゲーム止めろ」ってメッセージが出てきたときはビビった 最近の作品は「衝撃的な演出」「衝撃的な体験」を恐怖っていってるだけだから
ただショッキングなだけで怖い訳ではない ファミコンしてる横で母ちゃんが掃除機かけたりするのが一番のホラーだよ
たまに掃除機の先がほんたいにコツンと当たったり 一番の間違いは、プレイヤーを怖がらそうとするところ
脅かし演出や恐怖演出がどこに向けられているかというと”プレイヤー”
だからその作品の中身自体は恐怖の世界でも何でもない
世界の外のただ見てるだけの人の吃驚ドッキリを狙っただけの内容になっている
グロ描写も、見ている人がそれを見て下さいって作っていて
いきなり登場だって見ている人を狙ってやったもの
恐怖っていうのは世界観を作りこまなきゃ得られないから
中身はスカスカ ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
国会の発議は可能です。お願い致します。☆☆ 壊レコさんここにもいるのか…それはともかく
ホラーゲームじゃないほうが怖い、ってことあるよね
お化け屋敷にいたらべつに普通だけど普通の夜道で同じ奴現れたらマジビビるわ!みたいな
不意打ちとか倒せない敵とかも、そういうのばっかりなゲームより
基本的には正面から戦っていけば倒せる、でも忘れたころに、みたいなやつのほうが
「ホラーゲーよりホラーしてるわ」とか言われる >>1
デッドスペースは、目から鱗の面白さだった
日本語翻訳サイトも、日本語字幕動画もニコ動、youtube両方にあるし
ガイドマーカー付いてるから日本語版なくても詰まるところがなかった
マジ名作
日本のホラゲーは・・・もういいんじゃね・・・ ゲームサロンもおもしろけど自分で小遣い稼ぐ方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
08U5J 本当に怖いものを作ろうとすると規制が入るからに決まってるわ 意外と本当の怖さって、規制が入りそうな残虐なシーンとか直接見せなくても、
シチュエーションとかで演出できたりするんじゃないかな。
見た目や音でビックリさせるのではなく、極端な事言えば文章だけでも
精神的に来る怖さは表現できそう。 ・受け手から見るとどう転ぶか分からない未来の不確定性(未知)
・受け手から見てその不確定さが、悪い事に転ぶ現実味
・その状態からどうやっても抜け出す事のできない状態
今の人たちはみんな、抵抗できないのが怖いんだというけど
実際は正反対
抵抗するから怖い
どんなに抵抗しようとしてもそれがカットされて抜け出す事ができないから怖いと感じられる
抵抗しようとしなければそもそも、本気で抵抗すれば実は助かるって猶予が残ってる >今の人たちはみんな、抵抗できないのが怖いんだというけど
不可視の「今の人たちみんな」
まあレス内容からして壊レコだろうけど
数年ぶりに来たのにまだこいつがゲサロで猛威を奮っているのがホラー
>>348
意外と怖い怖いと言われているゲームには過激なグロはないものが多いしな
残虐描写抑えめの方が作中唯一のグロシーンに強烈なショックを与えられそれが強く印象に残ったりする
恐怖を感じやすい人間は想像力が豊かな人が多いと思うので
想像の余地を残す程度の描写ってのがポイントになるのかもしれない バイオハザード1〜3
昔はなんであんな怖すぎるゲームをプレイできたのか・・
大蜘蛛怖すぎ 今やったら心臓麻痺で死んでしまう 想像の余地って呼び方は適当じゃない
どう想像するかを誘導
何を考えてもOKじゃダメ
そこを勘違いしてる人多い
作者のイメージ通りの想像をするように誘導するにはどうするか?
今の人たちは受け手に丸投げ
なんか表示してそれでどう感じるか?
惨殺された人間を表示⇒どう感じるかは丸投げ
なんだか分からないものを表示⇒どう感じるかは丸投げ
本来はどう感じて同恐怖するかまで作者が指定して
そう感じるように作らないといけない
それまた下手糞 とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
0JR 【スーパーマリオはわいせつだ!】
まず、男二人が主人公で、捕まるのは女性。これは明らかに女性差別です。
主人公が好色なイタリア人の男。これも子供の教育にはよくありません。
特に二人のあの鼻!!卑猥すぎます。
ブラザースが土管に出入りする、つまり穴兄弟です。
ピーチ姫って、ピーチですよ。オシリです。明らかに性の象徴じゃないですか!!
そして敵がクリボーにノコノコ。これらはキノコに亀です。
明らかに男性器を象徴しています。
ブラックパックンやパックンフラワーなんてもう・・・女性器そのままです。
ゲッソーも性器の形ですし、プクプクもまんま電動フグじゃありませんか!!
ハンマーブロスですって!!まぁ!!
パワーアップアイテムもそうです。キノコに花。これも男性器と女性器です。
しかも、大きくなるんですよ。勃起です勃起。子供には早すぎます。
あのスターってなんですか?よく男性の読むいかがわしい漫画で
女性の乳首や性器を隠すのに用いられるのが星マークですが、
それが逃げる、マリオが追いかける、
こういった姿は見せたくないものを無理やり剥ぎ取ろうとするレイプを連想させます。
あぁ、もう言い尽くせません。
マントマリオは当然女性器の俗称をもじったものですし、
しっぽマリオなんてネーミングも外見も全てがセクシャルハラスメントです。
コインを集めると1UP、これはお金さえ出せばもう一回できるということです。
コインがたくさん出るブロックなどを叩く姿などは
ピストン運動そのものではありませんか。
無限増殖はクローンの大量生産。倫理上とてもよくないことです。
さらに、クリアー時のお城は子宮、花火は女性の絶頂とまたは妊娠を表しています。
ドクターマリオが出てから女性の飲み物に
薬物を混入する事件が増えたと思いませんか?
マリオカートはレースゲームとしてイカサマ、妨害なんでもあり、
どんな手を使ってでも 良いゲームです。つまり、これはレイプです!
マリオゴルフは穴に入れますし、マリオテニスは男性性器をもじっています。
さらにマリオパーティーは乱交パーティーを連想させます。
まさにわいせつの宝庫ですね❤ >>358
逆、今の恐怖演出が老化した人向け
受動的で止まってる人に向けて”ガバッ”
本当のhorrorの恐怖っていうのは、能動的なもの
受け手が能動的
受け手は勝手に頭の中で『〜だったらどうしよう』といろいろ頭を巡らす
それを誘発するようにする
そういうのを考えられないような人間に向けての演出が、今のただ暗かったり、脅かしてやろうって演出
脅迫に近いので上記の人にとっては不快感を感じるだけ だって全ての人がトラウマになるくらい怖かったら売れないもん どちらかというとトラウマになる方が好まれる
トラウマになるぐらい怖いから、それを見たい衝動になる
今言ってる自称怖いっていうのは、単に『痛い』だけ
痛いだけだから、態々お金払って痛い思いする趣味の人は一般人じゃない
ただグロいだけとか、殴られたり目をえぐられる映像が垂れ流されたり
そういうのを好き好んでみる人以外には、売れないでしょう
この世界の裏には実はこんな不思議が合ってさ
それを覗いて見るかい?
人間はこれにただ弱いから
そして、今の人はそれを何故か作れない そりゃじわじわ型の地味なホラーなんて売れないからな
まぁ有名なのはホラーというかモンスター相手なら何してもいいっていう
バイオレンスゲームなんだよ エコーナイトはバイオ1の大蜘蛛に比べれば怖くないかな >>366
ただ、いきなり顔出すだけで、云々以前の問題 ビックリ批判はビックリしない事が前提条件な
求めてるのとは違うってのと怖くないのは別だからな 「吃驚する」のは「怖い」とは別物
吃驚するっていうのは過去への感情
過ぎ去った出来事に対する感情
何かがいきなり登場したから吃驚した
怖いは未来への感情
これから襲い掛かる事が怖い
この扉を開ける、先に待つものが怖い
自分にこれから訪れるかもしれない未来が怖い
注射を打たれるのが怖い
まだ訪れていない未来への感情
これから訪れる出来事への警戒が「怖い」
だから全然別物で混同しようがない
似て非なるものですらない
けど何故か混同されてる そもそもホラーにビックリは付き物だろう
なにしろ低予算でもできるからな どっちかというとその正反対
吃驚の運び方=「まさか何も起きないだろ」と想っていていきなり何か起きる
horror(以後HRR)の運び方=「ここを開けたら何か起きるかもしれない」⇒そこを恐る恐る開ける、と、何も起きなかった
まさか何も起きないだろと思って何か起きる
⇒何か起きるが主人公は驚かされるだけでそれ以上何も起きない
=何か起きるたびにただのこけおどし
なんだこけおどしか(受け手の頭の中)
こけおどしになるので、もっと脅かそうともっと脅す
常にこの流れの悪循環
頻繁に何か起きる(脅しがね)けど、こけおどし
吃驚っていうのは何か起きるけど何も起きない
脅かすための演出をするけど、脅かしただけで主人公にとっては驚かされただけで何も害は起きてない
HRの場合
ここにいるかもしれない⇒いない
=もしも、いたらとんでもない事になるに違いない(受け手の頭の中)
何も起きずに済んでよかった・・・
という好循環
まれに、本当に何か起きる(悪い予感が当たると)
本当に何か起きたらそれは大変な事
受け手、主人公、共にそれが大事と受け取るように作る 脅かすだけで実際には何も起きない
のと
もしも何か起きたら大変な結果になる
それが起き、その結末訪れるのを常に恐れている
のと
どちらが恐怖か
吃驚と恐怖の違い
受け手はそれを理解してる
どんなに脅されても吃驚するだけでそれ以上何も起きないと
受け手はいつか恐ろしい結果、結末が訪れるのが怖いと思ってる
それなのに何も起きないで脅かされるだけの前提
必要なのは、本当に訪れる実を持った結果 恐怖を感じるのは未来に来ては困る結果が迫って来ている事に感じる
脅しとパフォーマンスだけで、絶対に自分が悲惨な結末にならない前提の脅かしや脅迫が吃驚
これだと絶対に恐怖にならない
この脅かされてるだけで何も起きない事がみんなの言ってる慣れる
だけど、これはそもそも恐怖じゃない
本当の恐怖というのは慣れない
本当に未来に来る結果を危惧していたらその危惧が晴れるまで恐怖心というのは消えないのが前提
恐怖は正反対
パフォーマンスはしないでいつか結果が訪れる不安だけが煽られる
基本嵐の前は静かなもので
脅かしのうるささとは正反対
日常を装う、整然としていて平常かのように見えて
そこで胸騒ぎは育つ なぜ今の人たちは恐怖の対象を作れないのか
今の人間たちの作る恐怖の対象と昔の怖かった頃の恐怖の対象を比べると違いが見えて来る
今の恐怖の対象は「見た目が恐ろしい」と受け手が感じるようにデザインし、「受け手が恐ろしい」と受け取るように目指して、デザインや態度などを設定する
受け手を脅かして、怯えさせようとする
昔の恐怖の対象は「気になるもの」「分からないもの」「知りたいもの」「覗いてみたいもの」「興味を引き付けるもの」
それは何をするんだろうか?
受け手が聞きたい
聞きたいっていうのは怖いものを覗いてみたいという気持ちの事
怖いもの見たさ
脅かされるというのは、叩かれるのと一緒
ただ常に鞭でたたいてる
怖いもの見たさを作れないと恐怖の対象にはならない
恐怖っていうのは自分で想像するから怖いと感じられる
鬼の顔をした存在は何をもたらすんだろうか?
それを自分で想像しようとするから恐怖が膨れ上がる
知りたさに自ら恐怖の世界へ一歩足を踏み入れる
怖いもの見たさ
知りたい未知の対象は神秘的に見える
今の恐怖の対象は神秘性が何もない
ただ威嚇してるだけ 今の人たちのやってるのは脅し
恐怖ってのは自分の内側から湧き上がって来るもの
脅しってのは外から第三者が与えるもの
グロい表示をしたり、凶器を振りかざすのは第三者が外から脅しているだけ
恐怖を感じるためには、自分で怖いと感じなきゃいけない
そこを勘違いする人間ばかり
いきなり脅かしてやる事が恐怖だと言ってる事がその最たるもの
心理についてまず勉強した方がいいのでは どちらかと今の人間の作る恐怖は全て「別の意味」
脅しにしろ脅迫にしろ
基地外の発狂にしろ
驚かすのもグロも痛みも >>381
エターナルダークネスはその点凄かったわw
ハタから見るとギャグなんだけど
初見で食らった当人は
「は?…えっ?ゥワァァァッ!?」
ってなる演出が複数あるからな
ホントゲーマー殺しな演出やで… >>384
アレを恐怖と認識できない時点でゲーマーじゃねぇなw
絶妙なタイムラグで
「えっ?…嘘だろ…やっちまった…あ、あぁ、あーー!!」
ってなるアレを単なるビックリに含む時点で
あんた恐怖を理解してないよw 恐怖というのは未来への感情
驚きというのは過去への感情
驚きというのはもう起こった出来事に対する反応
例)いきなり化け物が出て来て吃驚した
恐怖とはこれから来るかもしれない未来への警戒心
例)これから注射を打ちに行かなきゃいけない怖いな
恐怖とは未知の世界へ一歩踏み出す直前に感じる感情
この箱を開けたら中には悪いものが入ってるのではないだろうか?恐る恐るそこに手を伸ばす
この壁に向かってずっと立っている明らかにおかしい人、近付いて見ても大丈夫だろうか?恐る恐る近付いてみる
バスルームからガチャガチャ音がする・・・一歩一歩バスルームに近付き、恐る恐るカーテンを捲る為に手を伸ばす
不穏さ
嵐の前の静けさ ホラーゲーに関しては
製作者が作ったモノしか出ねぇってわかりきってるから
バスルームでガチャガチャやろうが今更怖くもなんともないんだよね
それやって何も出ないって事のある作風の
サイレントヒルシリーズの方がバイオなんてエセホラーよりよっぽどホラーしてたんだよなぁw ホラーはハリウッド映画の脅かし系が多い
ゾンビものか怪物が定番
日本人的には文化の違いもありあまり怖く感じない
そこで本格派の心理ホラーを作るとなると開発者達が祟りに遭う
四谷怪談などの題材は避けなければならない >>387
そもそも発想が逆
今の典型的な知られると怖いと感じないという発想だけど
本来は知ってるからこそ恐怖を感じる
何故何度指摘されても知らない事が恐怖につながるという人が後を絶たないのだろうか?
バスルームからガチャガチャ音がするが何も出ない事に恐怖したって表現は正しい表現の一つ
恐怖というのは自分の頭の中にしか存在しない
自分の頭の中で怖いと思い込む心が恐怖心
だからもともと恐怖心を感じるなら、何が起きるかを知っている前提
そしてそれをその段階でもともと恐れている前提
要するに、バスルームでガチャガチャ音のする事に恐怖を感じるなら
その演出の前段階でもう恐怖は出来上がっている状態
この段階で恐怖が出来上がっていないのにそこから何か脅して恐怖を感じる訳がない
バスルームからガチャガチャ音がするのが怖いのなら、もしバスルームからガチャガチャ音がしたらどんな怖い事が起きようとしているかもう理解出来て出来上がってる状態
その段階まで何もやって来なかった仕込んでこなかったのに、ガチャガチャ脅してみても恐怖にはならない
要するに恐怖とは未来への感情
自分のないメインに存在する何かを恐れる気持ち
それを怖いと思ってるところに、何かガチャガチャが音がしたら
それはその恐れている何かの起きる暗示
その自分で恐れている出来事が
恐怖とは自分の心の中にしかない
自分が恐れる気持ち
虚像 >>388
というかね
日本のホラーゲームって言っちゃ悪いけど
海外物含めたホラージャンルの小説、漫画、映画のパクりなんだよ
良くも悪くもねw
そしてその構図は今もあまり変わってない
変化あるとしても人気シリーズのネタ元が
外からシリーズ内の要素に変わったくらい 恐怖物って、男子向けより少女向け媒体で活発なジャンルなのよ >>392
その通り
だからこそ勘違いが問題になる
今の人たちのいう恐怖というのはグロや凄惨さを詰め込んだだけで
これを恐怖と言ってるから
ではこれがその少女の求めてる恐怖の事なのか?という話
恐怖ものの恐怖っていうのは怖いもの見たさ
探究心の事で
恐怖というものをそもそも理解していない事が問題になっている ゾンビも悪魔も
こっちが直進してる最中に車で右折突っ込みしようとするご年配には
恐怖の発生源としては勝てない そもそも恐怖って感情が何のためにあるかっていうと
人を危険から遠ざけるための人体の防御システムだから 分かる
今やリアルの方が怖くなってきてるから恐怖ゲームとか作られても何も響かない
グラもリアルになり想像の余地もなくなってきたのでゲームがリアルの下位互換に 現実が怖いとは矛盾
恐怖とは本来見ないもの、まだ来ていないものに対して恐れる気持ちの事なので
現実に起きた物事に感じる感情は恐怖ではない
また現代人は身近なものを強いと言いたがる傾向
これは自分の身近なものを上げたい気持ちで恐怖とは正反対の受け入れる気持ちの現れ
歓迎の気持ち >>397
的外れな難癖だな。
「実世界の恐怖はフィクションに勝る」という話を、「未来の恐怖は現在の恐怖に勝る」に歪曲した上で、余計な否定をしてる
「他人を否定したことは一度もない」という大嘘を何度も吐いてきてるわけだが、実態は否定をしないどころか全く不要でも平気でするんだよ。
その動機は他見にかこつけて自説を強引に唱えるためだ。
これは利己的な迷惑行為。だから君は駄目なんだよ。
以前君に対して「議論をする資格なし」と言ったが、意味が1%ぐらい分ったかな? いや0%か 倒す事が出来る相手ってのはあまり怖くないからな
倒せないからこそ怖い。しかし、敵を倒さず逃げ回るだけのゲームだと
面白みが薄い。このジレンマがあるからホラーゲーム作るのは難しい ”否定であっても理由が建設的であればそれは否定にならない。よって他人を否定したことは一度もない”
君はたしかこういう理屈付けをしてたと思うが、これ「否定」の概念自体に余計な条件付けをしてるだけだよ。
論理的欺瞞のみならず主要語の辞義さえ歪める点と嘘ばれ無懸念の点が、知的健常・普通レベルの嘘吐きより無節度といえる 創作の恐怖物って結局ギャグだからなぁ
頑張れば頑張るほどお笑いに近づく 勘違いしたヤカラはグロやゴアに突っ走るが
それは恐怖ホラーではなく不快物スカムってこと。
もちろん恐怖の代償で四肢切断首チョンパ流血血しぶき血の池地獄はアリだけど
それだって一歩間違うとギャグだからねー >>401
ホラーとギャグは紙一重
追う側の視点で描けばギャグになり
追われる側の視点で描けばホラーになる
って梅酢かずおが言ってたらしい >>401
>>404
それは間違った認識
恐怖には本質的には受け手側しか存在していない
だから追いかける側って概念が存在出来ない
恐怖とは受け手の頭の中で抱いている不安や恐れによって作り出される実態のない虚像の事
闇に立っている柳が幽霊だと思えれば受け手は怖い
扉を開けばそこには悪魔が立っている、と信じるからこそ恐怖が成り立つ
別に悪魔を信じていない人間に、実態を持った自称悪魔が実際に立ってたからと言って恐怖が成り立つ訳ではない
逆にただの人間なのにそれを悪魔で災いをもたらすと信じ込めばその人は悪魔でなかったとしても恐怖の対象となる
恐怖は感情で質量を持ってはいない、物質、物理ではないって事で
その感覚や欲求に対して作る事で初めて恐怖は生まれ作られる
受け手が、このトイレの扉を開けば恐ろしい化け物が覗いて来る、とその様に思えれば怖い
トイレに隠れても上から覗いて来るかも知れないし
建物の外へ逃げようとしたら鍵が閉まってるかもしれない
何の変哲もない箱、その中には恐ろしいモンスターが潜んでいるかもしれない
ベッドの下には恐ろしいものが隠れているかもしれない
恐怖とは受け手の感情で物理の事ではないので与える側って概念が存在出来ない
受け手が恐れれば、不安にかられれば、後ろで振り切ったはずの悪魔が前から出て来る
頭の中なので何でも起こるし物理や理屈も無視出来る
どんなに心臓を刺しても、焼き殺しても、何でもでも蘇り、それを恐れる感情を持つ限りそれはそこに戻り続ける
恐怖で出て来る化け物や悪魔は、本質的には受け手の内面の投影で実態がない 逃げ回る壊レコw
規制されているというのも嘘だったか
嘘しか言わない男 >>405
>何でもでも蘇り、
なぜちゃんと「何度でも蘇り」と書けないのかw しかしゲームサロン版ってなんで変人が多いんだろうなw