>>144
本来は、自由度とストーリーはどちらも両立してなきゃゲームにならない
ストーリーをただ読むだけではゲームにならないし、自由にふるまうだけでもゲームにはならない

プレイヤーはゲーム開始した段階で、自由に好きな行動選択をする前提になっていて
東西南北好きな方へ行ける
進むと何が見えて来るのか?
進んだ先は、海岸線に突き当たってそれ以上進めないかもしれない
その海岸線に沿って進んでいけばまた何か見つかるかもしれない
進んだ場所によって、お城が見つかったり、洞窟が見つかったり
見えていたお城に入るのか?入らないのか?
出て来た洞窟に入るのか?入らないのか?
要するに自由度が高いという事で
そして、どうすればゴールまで行けるのか?
ゴールへ進むのに何が阻んでいて進めなかったのか?
それをどうやってそこを超え、ゴールの場所まで進んだのか?
訪れた町でどんな事が起きたか?
開かない扉に阻まれた部屋、関所に閉ざされた場所をどうやって抜けたのか?
どうやって海を越えたのか?どうやって船を手に入れたのか?
ゴールに至るまでにプレイヤーのとった行動をたどると必然的にそれはストーリーになる
はず

何故か自由度とストーリーを両立出来ない現代人

何故ストーリーになるか?
それは起きた出来事に意味が存在するから
何故意味が存在するかというとそれはゲーム目的が提示されているから

OWで適当に散策していてお城が出て来ても
それは何の意味もないし、そこに何の物語性もない
通りすがったただのお城に過ぎない

ゲームとして織り込まれたRPGで出て来たお城には意味が存在する
例えば魔王を倒す旅に出た主人公、魔王のお城までの道が様々な壁によって阻まれている
そこで出て来たお城には、ゲーム目的の魔王を倒しに旅をしていて出会ったお城で
そのお城はゲーム目的に対してどういう意味を持つのか?
明確に意味が出て来る訳で
そのお城は目的達成のために何らかの関りを与えられているのか?

そして目的を持って旅をしている途中に出会ったものは物語性を持つ
ただ、何の目的も持たないでただ散策している最中に発見されたものや出来事はただの偶然に過ぎない(としか認識出来ない)
けれど、目的(結末=物語の結末)に向けて進んでいる途中で起きた出来事は濃密な物語として感じ取られる