最近のゲームはつまらない2
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プレイヤーがゲーム内でリアルタイムでプレイした体験は、プレイヤーがリアルに感じた確実な実体験と記憶。 主人公の過去のプロフィール、設定、エピソード等は、プレイヤーは聞かされただけでゲーム内で実際には体験してない。 プレイヤーは実際にゲームで体験してないので、プレイヤーは想像で補うことになる。 ここがプレイヤーの想像力、スタンス、感情移入次第で大きく変わる曖昧な部分。 曖昧とは、その設定を背負いつつ自分自身とも思えてくるのか、そもそも気にしないのか、自分で実際体験してない体験を聞かされた段階で違和感を感じるかはプレイヤー次第ということ。 懐レコくんは、記憶喪失の自分はなんだかわからないもの、なんだかわからないものになって自分目線で進められるのかと言った。 なんだからわからないものは懐レコ君のイメージであって、なんだかわからないものに感情移入できないならなろうとする必要もない。 俺がブレワイやった時は、過去凄いことやってきたけど全部忘れた自分をぼやっと想像して、過去も未来もわからない今のリアルな感覚でプレイした感じ。 主人公に感情移入して主人公になりきった自分でプレイするのか、俺のようになりきるというよりは素の自分の感覚でいたい人もいるし、ゲームにもよる。 つづく。 そもそも記憶を忘れてない設定のゲームでも、マリオやる時マリオの過去なんてあまり気にしたことない。ぼやっとただの自分という感覚しかほぼない。 あつ森やるとき主人公の過去なんて背負うだろうか?ただ島の住人になりたいという設定ぐらいで、ほぼ自分自身の感覚だ。むしろ詳細なバックボーンなんて自分自身の感覚をじゃまするものになってる。 島を発展させたいという自分自身のリアルな思いという自分そのものだ。 前に言ったようにドラクエ1 の冒頭の設定で過去にひかりのたまで魔物ふうじこめたのはあくまで自分じゃなくてロト。もし、自分がやったという設定なら、自分がゲーム内で実際にやってないことを過去にやったと思えということ。それよりはロトが過去にやったということにして、自分が子孫でその使命があるというようにしたほうが、はるかにすんなり設定を背負うことができる。 ちなみに、思い入れがある世界観、例えばドラゴンボールのような自分自身というより、悟空という人物を背負って感情移入する場合、悟空になりきったほうが面白いのはわかる。 ゲームを進めていくうえで(記憶はある設定で)、ゲーム内でプレイヤーがリアルタイムでプレイした体験というものがあり、そのプレイヤー(自分)の体験してないプレイヤー(自分)の体験を聞かされた時、乖離を感じる場合がある。 ここも最初に設定を背負う時と同じで、曖昧な部分だから人によって感じ方は違う。さっきと同じで自分が体験してない自分の体験を聞かされ、体験したと思えということだから。 プレイヤーはゲームとわかっているから、それを受け入れて気にしないか、飲み込むか、ただ自分自身の感覚でプレイしてたことに水をさされるかはプレイヤー次第。 主人公の記憶を無くすメリットは、その実体験と体験してない体験を聞かされたの時の不一致の起こるポイントを記憶喪失という設定で矛盾を解決してくれること。矛盾をかかえたままだと、人によってはこれは所詮ゲームだからと処理して自分自身と思えず現実とに乖離してしまう可能性があるが、記憶喪失でそのポイントをつぶせるということ。 デメリットは、主人公という設定を背負ってなりきりたい人には、記憶喪失という設定に感情移入しづらい魅力がないと思う人がいるかもというのと、記憶喪失のストーリーになりがちということか。 壊レコ君は意思決定権の時だけが乖離すると言ってたが、上記のようにそれだけじゃないということ。自分が実際に体験したことない自分の体験が存在するってそもそも別の自分、別の意思があるようなもので、意思決定権がなかったということなんだよね。ゲームが始まる過去で意思決定されたことだから記憶喪失という設定で自分の意思決定ということにできるけども。 主人公が記憶なくす手法は、別に古いゲームあるいは新しいゲームの特有の特徴ではなく、これ以上の議論はスレ違いなので、あしからず >>184 その例えもおかしいな。 もしグーとチョキしか再現しなかったら、何回勝負しようが永久に引き分けになる >>187 個人の頭だけで考えても厳密にはゲームではないしゲームをしてる感覚にはならないはず 個人的な目標と感じる 何故なら、公式に宣言している場合外部との駆け引きが出て来る 連続するためには、どんな手を出そうか? >>185 じゃんけんは運ではないはず 人が最初に出しやすいのはグー 人は続けて同じものを出すのをためらう傾向 前より強い手を出そうとする けどその裏をかけば 裏の裏をかけば 一回手を出すだけにそれだけを考える >戦略性が増し ゲーム性は下がっている ゲーム性とはどれだけゲームに落とし込めているか?の判定性の事 自分の出した手(プレイング)がどれだけゲーム結果に影響を与えるか? 一つのゲーム結果に関る要素が増えれば一つの要素当たりの影響が減るのは避けられない 要するにプレイヤーがより多い行動選択をしても結果が変化しない状態になる 要するにゲーム性は下がるのは避けられない >>186 >GK以外は手を使ってはいけない 正確にはそのようなルールはないし ゲームでは出来ない事は何もない ゲームルールとは、プレイヤーがやった場合に返す処理を作る事 サッカーではGK以外も手を使う事は出来る ボールを手で触れた場合、 ハンドという反則を取る と記載されているのがルール ゲームのルールというのはやった場合どう返すか? ルールを守るという考えは適当ではない ルールは処理を返すだけ ルールを守るという考えだから、教えられたとおりにやろうとする癖がついて来るのでは ルールとは処理を返すだけ プレイヤーの考えるべきは、どうやってルールの裏を突いてやるか どうルールの裏を突けば、ゴールまで行けるか? またはゴールまでが近いか? これが本来のゲーム参加者の思考 >色々なシステムが考案され実践されている 決まったやり方をなぞるようになるとゲーム性は低下するはず 特定の動作や特定のシステムをゲーム側が作ってしまうと要するに、勝利への戦略性が低下するのは避けられない 選手の特性は再現されていない という事はプレイヤーの特性がゲームに影響するという事になる? このプレイヤーだったらどんな戦術をとるか? それがゲームには大事な事 全てプレイヤーがその決まったルールの中でどう行動を判断するか? その結果どうなるか? 既存選手の再現や、現実のサッカーで使ってる守備を再現するのはごっこ遊びでしかない 一人ないし二人プレイの、コンピューターゲームのサッカーは プレイヤーは一人な訳で、11人いる訳ではない その事を分かっていないのでは? その一人がどんな戦術をとったら勝てるのか? そこを突き詰めるのがゲーム性 >>199 壊レコは>>198 と>>199 で言ってること矛盾してるな 現実のサッカーでは確かに手を使うことはできるし、意図的にファウルをすることや、ギリギリファウルを取られないように、相手を手で押したり、ユニフォームを引っ張ったりできる 審判に見えないところで、ファウルをしたりとかね 現実のサッカーは、やれることがたくさんある分、戦略性が上だという証明でもあ? >>193 現実世界でも今の自分の認識はただ自分で勝手に認識してるだけで、確かかどうかは分からない 記憶違いかもしれない 他人の記憶と食い違ってもめる事も それでも自分が自分でないとは感じない そんな中で確かなのは、現在やっている事だけ だから、そこが自分の意思と食い違うと自分が自分でないと感じる >素の自分の感覚でいたい人 どちらかというと、逆ではない? 自分の素の感覚でいられる方が自分のプロフィールを知ってる状態(知ろうとする必要がない) 要するにこれからする事だけを見ればいい 記憶のない場合は、現実の自分は記憶を持っているのだから 現実の自分のように、先の事だけを見てればいいって訳にはならない いちいち今というものにに振り回される これから学校に行こうとしている人にとってはただ学校に向かおうとすればいい訳で そしてこれから魔王を倒そうとしている人は魔王を倒そうとしていればいい訳で その二つの肉体のようなものが入れ代って主観者が入れ代っても全然違和感ない 学校に行こうとしていた人が、魔王を倒そうとしているに代って魔王を倒しに行こうとしても 魔王を倒そうとしている人が、起きたら学校へ行こうという前提に立たされていても何の違和感も感じずに学校へ行こうとする 何故なら、人は自分の過去を常には考えないからで 自分の過去はただの前提で、その前提をもとにこれから何をしようとしてるか?を考えるため 要するに自分は学校に通う前提という自分を背負っていて、今自分の考えている事は学校へ向かうにはどうすればいいか? 記憶がなければその前提がない訳で もっと分かりやすい考え方をすると 昔のRPGかなんかをやっているプレイヤーは 主人公になり切っているか?それとも自分の感覚で遊んでいると思うか? また、今のOWのゲームは主人公になり切ろうとしているか? それとも、自分の目線でプレイしているか? どう見ても昔のゲームの方が現実の自分の目線でプレイしている訳で そして、今のOWは主人公になり切ってプレイしているはず そもそも主人公になりきる必要がなければ、そのような設定を作る必要がない訳で >>194 マリオの過去なんて気にしたことない その通りで それはまさに、自分のプロフィールが定かだから 自分はマリオだと思っていれば、過去などいちいち考えない それはまさに、これからする事だけを考えられる 自分はマリオなのは大前提で、自分の考える事は亀をどうよけるか? これはまさに自分の素の感覚では? 自分はマリオなんだからいちいち自分の過去について考えず、マリオのやろうとしている事だけをマリオの目線で考えてる マリオというプロフィールを背負っているからこそ 自分は自分のプロフィールを考えない 要するに主人公のプロフィールや設定は プレイヤーがそこをそれ以上考えないようにするためにこそ必要で 記憶がない事にすると、逆にそこから考えなきゃいけない状態になる 自分がマリオだったら、自分とは何者か?なんて考えない そんな事はさておいて、さっさと亀をよけて旗まで到達するにはどうすればいいのか? そこだけを考える 要するにマリオが実際考えている事と同じ目線で同じ事を考えている状態 ゲーム世界の中のマリオは亀をよける事だけを考えているし プレイヤーも亀をよける事だけを考えている 完全に一致して乖離していない 要するに自分は自然にマリオそのものとしてふるまっているといえる (逆に言えば記憶を覚えていない主人公だとそういう状態にはならない) >>195 ここは何故最近のゲームはつまらないのか? なので、記憶喪失の主人公がつまらない事の原因だ というのならスレ違いではないはず この記憶喪失の主人公は前々から今のゲームの問題として言ってる事なので 体感的には、これやれ、それやれ と命じられ続けるゲームになりやすいはず 記憶喪失という事は、ゲーム側から命令されなければ行動出来ない という設定なので 記憶を覚えていれば自分から行動出来る >>168 ゲーム目的とはそのゲームの勝敗条件の事 プレイヤーは前提としてそれを達成する為にゲームに参加し その目的を達しするために、またはその達成を常に念頭に入れて試行錯誤する前提におり その目的を達成すれば勝ち、出来なければ負け そこで競い合うのがゲームで、ゲーム目的とはその目的の事 その目的へ向けて試行錯誤する前提にない目的はゲーム目的ではないか、ゲーム目的としての性質が薄い ゲームとは所謂勝敗競争 いかにしてそのゲーム目的を達成するか?を競う より簡単に達成出来るか? または、より楽に達成出来るか? 短絡出来る場所は短絡する方が高得点になるのは当然で プレイ開始した段階でゲームの目的(またはいかにその達成するか)を特に頭で考えず、行ってみたい場所を放浪するのが目的の前提で出されている目的がゲーム目的かどうかは疑問符が ルールに関しては、全てのゲームルールはそのゲーム目的によって成り立っている どんなプレイをした場合達成出来、どんなプレイや行動選択をした場合達成出来ず負けか それを振り分けるために敷かれるものがゲームルール 要するに、ルールとは参加者を合格者と失格者に振り分ける目的で作られる 全てのプレイヤーの行動と選択は、一挙一動一つの行動レベルで審判によって裁定される前提 (または、いかにそこを突き詰めて、行動一つレベルを裁定できるように突き詰められるか?がゲームとしての完成度の高さ(=ゲーム性の高さ)で、突き詰められず一行動がゲーム目的への影響が減ると間延びする、また一行動に対する審判が突き詰められていないとそれもまた間延びする=ゲーム性が低い) 参加者を合格と失格に裁定するためのルールが敷かれているか? OWでは基本的に余計な行動が多いはず 挙げられた大半はその目的を達成する為に試行錯誤し、その目的を達成すれば勝利、出来なければ負け プレイヤーは、その目的達成のために自由に選択する立場に立たされており、全ての行動選択はルールにより裁定され、合格と失格に分けられる ではその結果、プレイヤーのプレイ内容は、どのような結果採点になったか? という構成にはなっていないはず またはそれを突き詰めた構成になっていない >>199 >プレイヤーは一人な訳で、11人いる訳ではない >その事を分かっていないのでは? >その一人がどんな戦術をとったら勝てるのか? >そこを突き詰めるのがゲーム性 多分、今のサッカーゲームをやったことないから、的外れなこと言ってるんだろうけど、事前に戦術を詰めて、場面場面でどういう動きをするか、決めておくんだよ リアルタイムで戦術の切替もできるしな あと選手の個性を再現しているのも重要 クリロナがいるチームなら、クリロナに出せば決めてくれるみたいな戦術が取れるし、いないのに同じような戦術はとれない、そういった戦略性がでる フォーメーションの概念も、オフザボールの動きも再現されていない昔のサッカーゲームで、そういった面白さが得られるか?って話だ >>204 特定の選手を出したら決めてもらえるって考えがそもそもゲームの思考とはずれて来るはず ゲームは、自分が 自分がどんな行動選択をするか? その場合どうなるか? それを楽しむもの >>204 1人のプレイヤーが正確には11の駒を動かしてどう勝つか? 要するに将棋と同じ >>205 つまり、現実の世界で、エースストライカーにゴールをアシストするプレイヤーは、ゲームの思考とずれた下らない存在と言いたいわけだな ゴールを決める可能性の高いプレイヤーに、質の高いパスを出すというのも高い戦略だろうに >>207 現実世界のサッカーはきちんとしたゲーム 11人プレイヤーがいて、ゴールのためにはどうすればいいか?試行錯誤する コンピューターゲームの今の言っているところのサッカーは現実世界のサッカーのごっこのような感覚では ゲームとして突き詰めたらそんな形状にはならない訳で 1人のプレイヤーが11の駒を使ってどうすれば勝利するのか?というのと、11人のプレイヤーがいてどうすれば勝利出来るのか?では根本的に別物だから 突き詰めれば別物になる >>208 少なくともファミコン時代のサッカーゲームより、今のゲームは戦略性が増してるが >>209 その理屈で言っても、昔のゲームは、1人のプレイヤーが11の駒を動かせるようにできておらず、今は11の駒を動かせるようになってきてるんだよ >>210 戦略性が高いのは条件だけを設定した昔のゲームでは? その条件でプレイヤーがどうすれば勝てるか? そこを突き詰められるのはルールのみを作っている方で 昔のサッカーはそもそもそこを突き詰めるまでやっていない 将棋はそこを突き詰めた結果が今 https://youtu.be/xZ0Wn2al3uc このゲームに戦略性があると思うなら、よほど猿並みの知能なんだろうな そもそもやったことあるのか? >>213 特定のレールが出来れば、戦略性が下がるのは当たり前で ルールだけを用意すればどう戦略性を立てるか?プレイヤーが考えなきゃいけない訳で 作られた方が戦略性が高いというなら コンピューターゲームのシミレーションRPGが将棋より戦略性が高いと言ってるのと同じで 何も余計なものを作っていない将棋の方が当然戦略性が高い 要素が複雑なほうが戦略性が高い チェスと将棋を比較すればわかる そろそろ将棋もコンピュータにかなわなくなってきつつあるが、チェスは将棋より早くに人間では太刀打ちできないくらい、コンピュータのほうが強くなってる これは、将棋の方が奪った駒を手駒にできる分、要素が複雑だから、コンピュータが攻略するのに時間がかかるほど、戦略性が複雑だったということ もっといえば、将棋よりRTSのほうが戦略性が高い Age of empireでは、限られた資源のなかから、生産ユニット・戦闘ユニット、どこに比重を置くかをリアルタイムで考えながら、より速く生産し、相手より速く攻略する必要がある >>217 手の多さ、複雑さと、要素の多さは別で 将棋は奪った駒を手駒に出来て手の多さが増えるけど 反対にコンピューターゲームのサッカーは型が増えるたびに手のバリエーションは減る 現実で実際に起きた、または現実で使っている特定の何かを再現するという事は、要するにその分自由性を奪うという事で >>218 RTSではその要素だと、考えるのは そこだけでいい事になる 将棋は比較には及ばない程、考えうる事が多い RTSで上手な人が、将棋を始めたら同程度の将棋指しより強いか? と言ったらそんな事はない訳で RTSの方が戦略性が高いのなら、そこでより高い戦略を立てて来た人間の方が将棋指しよりも高い戦略を立てられ強い事になる >>219 サッカーゲームで型が増えるたびにバリエーションが減る理由は? >>220 >RTSで上手な人が、将棋を始めたら同程度の将棋指しより強いか? 将棋上手い人が、RTSを始めたら同程度のRTSプレイヤーより強くないと、その比較はフェアじゃないね >>221 型っていうのは行動をひとまとめにまとめたものだから 一つ一つを自分で決定出来る方が当然バリエーションが多い >>222 それでも将棋上手い人に勝てないのでは? >>223 >>213 のゲームでバリエーション豊かなプレイをして、動画アップしてくれ 他に趣味もない枯れたおっさんが 今のゲームにも取り残されてグダグダぼやいていたいだけのスレだな 論じてる気になって色々書いてるが内容がない 「つまらない」分析を延々として、自分が何かを悟ったと思いたいんだろ 面白い物に目を向けるエネルギーはとっくにないんだよ >>227 「つまらない」の分析はイコール面白いとは何か?でも在る 今ゲームをつまらないという人間は、理論が伴っていないからつまらないとただ言っても飽きただけだと否定される どこがどうつまらないか? どうだったら面白いのか? つまらない理屈を探す事は面白さへの追求と同義 つまらない理由、面白い理屈の分析の先に、本当に面白い作品が作られる 何故つまらないか?どんなだったら面白いのか?を自分で探さずに 今与えられるもので楽しんだふりをする事こそなんのエネルギーもいらない そしてそうやっている内に面白いものがどんどん減って廃れる また、何故つまらないのか?どんなだったら面白いのか?を他人が考える事が不愉快な人間が多い 要するに面白さへの追及、探求をやめ、代用で満足する事は妥協で在り、それこそエネルギーがない人間のする事 またその探求を妨げようとする事自体、ゲームというものを破壊しているのと同じでは ジャンケンの戦略性なんてどうでもいいんだよ…。 最低でも、コンピュータゲーム(かボードゲーム)の戦略について、語ってくれ。 くっだらないことを子供みたいにいちいち書くから、締まりのない長駄文が増えるんだ 世界中のゲーム作家達よりも、自分の方がゲームを深く理解しているという 馬鹿げた妄想世界の中に生きてるから、一切聴く耳もたないだろうけど >>228 >つまらない理由、面白い理屈の分析の先に、本当に面白い作品が作られる キミの屁理屈で、おもしろい作品が作られるわけないでしょ。 ゲーム作家達による分析の邪魔をする人なんか、このスレにはいない。 君であっても、分析すること自体は構わないんだよ。メモ帳にでも書いて5chをやめるなら >他人が考える事が不愉快な人間が多い 他人(多数)が、ではなくて君個人の長文が不愉快なんだよ。 スレを見て分かる通り君に対する批判一色だ >探求を妨げようとする事自体、ゲームというものを破壊しているのと同じでは 根拠も因果関係もないデタラメをいわないこと。 君は常にそうだが、現実の認識を尽く歪めて無効の空論を返してるだけだよ 「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」 この言葉が本当にふさわしい やったゲームも見た論文もあげずにひたすら脳内理論で話し続けるんだから 相手する必要ないぞ な〇う作者様は知識も経験もないくせに俺様ナンバーワン脳だから会話にならないかと 文章の特徴から誰かは特定できるけど弁護士様ww呼ばれても困るので黙っておく 過去に執着しすぎなんだろうな・・・ ゲームをいろいろやってきた人ほど変に「物差し」が出来ちゃうから 過去のあれが良かった・ここが良かったという部分はあるよ それは分かるんだけど 自分が小学生の頃のような興奮というのは難しいと思うよ それを得ようと思ったら最低限その頃と同じような遊ぶ意欲が必要だから 物(ゲーム)の問題じゃないんだよ 対象年齢から外れたんだから つまらないのは当たり前 ファミコン時代からゲームをやってるけど、なんだかんだ新しいゲームが面白くて、特に古いゲームをやろうとも思えないんだけど、どうしたらいいでしょうか… >>202 要するにゲームを遊び人間が求める情報は何か? ゲームを遊ぶゲーム人は、自分の出生の背景を知りたい訳ではない 自分が誰かを、またこの世界の背景を探りたい ゲームを遊ぶ人はこのゲームを攻略するための試行錯誤をしたい訳で 要するにマリオとは何か?なんて考えず マリオのプロフィールについては事前にさらと知っておいて ゲームを開始したらもうそんな事は決着付いているので考えず マリオとして亀をよけて旗まで到達するためにはどうすればいいか? そこを練って欲しい訳で それで、プレイヤーとしては自分は何者かは決着して分かってる上で、そこから先ゲームをどう攻略するか? そこを考えてる それに対して、主人公とは何か?を問題提起してそっちを考えろ(または考えるな)というところに戻されるから乖離が起こる マリオの過去気にしないうんぬんは俺の言ってるようなことでいいとして、記憶を無くすという設定だけで、解釈が飛躍しすぎ。 記憶を無くしている状態で、自分の過去を知らされるのはあくまで、ただ単に自分の過去やったことを客観的に知らされているだけ。覚えてないんだから。 乖離するとしたら、主人公が記憶を思い出したというお話しになった場合。プレイヤーはゲーム内で体験してない記憶を思い出しようがないんだから。 プレイヤーが記憶を無くす前の過去を考えようが、知らされようが、乖離とはまったく関係ない。 自分が何者か?と考えるのはそういうお話しなんだから、当たり前なことで、主人公と同じ目線で、目の前にいるクリボーを倒そうと思うこととなんら変わりがない。 >>237 このスレ来る必要ないだろw 俺は逆で新しいゲーム楽しみたいけど楽しめくて 気づいたら昔のゲームばっかやってしまう PS4やスイッチのゲームよりPS1やSFCのゲームの方が面白く 気づいたらそっちのプレイ時間の方が長くなってしまってる 最新ハードでレトロゲームの配信ゲーム多いのは 俺みたくレトロゲーマーの需要があるからでしょう >>239 こう考えたら分かるのでは? プレイヤーがゲームを遊ぶのは何のためか? プレイヤーのやりたい事はゲームで在ってゲームからの話を聞きたい訳ではない 要するにプレイヤーの過去等含めてゲームから語られる事を聞きたい訳ではない プレイヤーがやりたい事は、旗の場所まで到達するにはどんな手順が必要か? だからゲームを始める上で記憶喪失等の設定は邪魔な訳で 自分はもうマリオという存在だと分かった上で、マリオとして旗へ到達するにはどうしたらいいか? ゲームではここに考えを持って行きたい訳で 自分が誰だかどうかはもう始める前の前提で、誰だか分かった上で では、その人物のやろうとしてる事をどうすればいいか?考えたい訳で 魔王を倒すにはどうすればいいか?その部分を考えたい訳で こう考えてみたらどうですか? マリオが自分の名前も自分がだれで何をするかも分からないという設定を伝えたとする そのとたん乖離すると思いますよ? 自分は誰だか分かって無いのに ゲームを始めたら旗まで行かなきゃいけない 今自分のしてる事、しなければいけないと思ってる事と 設定上の状態がかみ合ってないのだから なんで朝起きて自分が誰だか分らなかったら亀を超えて旗を目指すのか? >>240 最近のゲームはつまらないって人が挙げる最近のゲームって、だいたいPS2-PS3時代のものが多くて、今のゲームともちょっと違うなと思っており それ最近のゲームじゃないだろ、というために、このスレに来てる 自分がつまらないと感じてるのに新しいゲームをやるのは縛りになってるよな >>240 みたいに柔軟に自分が楽しい状態を作ればいいじゃん 俺も古いゲームでやり過ごす時期はあるよw 新しいゲームだろうが、つまらないと感じながらプレイしてる時間の方が損だわ >>241 プレイヤーは目覚めたら何も覚えていない では姫を助けに行け 命がけで、怪物を超えて 自分だったらそんな事しない=乖離 普通に考えて、いきなり自分の大切な命を捨てて世界を救いに来たいか? 答えはNO そこにゲーム目的として魔王を倒し世界を救え なんて命じられたら乖離する では、自分はもともと姫を助ける前提にいたらどうか 自分はこれから姫を助けるものだ 姫を助ける事が勝ちだ これだったら、姫を助けるにはどうすればいいか? それを考えるゲームとして乖離はしない プレイヤーが自分から考える 自分が自ら姫を助けに行きたいと考える事に違和感を感じないのは、自分が姫を助けるために旅立った英雄だからで 自分がそうでなかったら、朝起きて学校行ってる自分だったら、そんな事はしない 自分が旅立った英雄だからこそそこに何の違和感も感じない 記憶を奪うという事は、それを奪うという事になる >>241 目が覚めて何もわからないから、とりあえず目についた旗とかあったら行くのも自然なこと。敵に襲われればやっつけるし。 ブレワイだったら、わけもわからず動きまわってるうちに、声が聞こえてきて、100年ぶりに目覚めたこと、とりあえずの目的とか、使命とか聞かされて、何もわからないからこそ、声を信じるしかなく、自然と目的をもって自分自身という感覚で冒険に出かける感じなんだが。 >>244 記憶喪失という何もわからないからこそのシチュエーションを活かさず、適当にゲーム作ってるから違和感感じてるだけでしょ。 >>246 ゲームに一切非がなくても彼は何百行分の文句を言うよ。 批判材料はいくらでも無から創出してしまうので、永久機関のごとく止まらないw ゲームの議論なのだから、実際のタイトルをあげられない議論は以後、禁止 >>245 自然ではないと思うけど 記憶を持っていて、旗の場所まで行かなければいけない使命を持った主人公と ただ興味本位で行ってみたいだけとはそもそも別で 旗の場所まで行かなければいけないからこそ、どうすれば試行錯誤してそこへ行けるか? 敵をどうやって躱すか? 考えられる 自分は何の使命も自分からは持っていない状態で ただ敵とされる者が自分を加害して来たら それは不快感を感じるだけ 普通に何もしていないのに他人が自分を叩いて来たら、ただストレスにしかならない 自分がもともと使命を持ってるから成し遂げようと努力する構図と 追い立てられてやらざるを得ない状態に駆り立てられるのとは全然違っていて やらなきゃいけない状況に追い立てられ仕方なしにやらされる構図は、受け手にとっては不愉快でストレスになる 自分を攻撃して来る敵をよけて、目的地まで行かなければいけないという前提だからこそ 何も考えずそれだけを出来る訳で 記憶のない状態で、得体のしれない声に命令されるのも不愉快でしかない それはただ命令されている関係で、実質のお使いになる BotWで不快感を感じないのは、ゲームの外のプレイヤーがもともとLinkとは何か?ゼルダの伝説とは何か?に付いて知っているから 運び方の上手さも在るだろうけど、それは本来ではない ゲーム本来とは、もともと何を達成すれば勝ちなのか?が明確で 参加者はもともとそれを目指す事を試行錯誤しなければいけない段階にいる そこから始まる前提 その何のために?の背景作りが主人公は何か?の簡単な説明 背景の必要のないようなゲームでは、ただ勝利条件、要するにゲーム目的だけを提示すれば済む話で 逆に背景を伴ってしまうものは、主人公がそれを達成しなければいけない理由や理屈が求められる >>249 ゲームの議論だったら必要ないのでは? ゲームについて話すのなら 理論のバックボーンが脳内だけという主観的意見の塊はいらんです(・ω・) >>250 結論ありきの苦しい辻褄合わせばかりしてるから、誰も説得できない。 結論=主人公の記憶喪失はプレイヤーの感情移入を阻害する これ自体が本質的に間違ってるので、理路も当然錯誤する 詭弁にも巧拙があるが、君が騙せるのは知能未発達の子供か障害者くらい 多分、主人公が記憶ないとか、その世界について知らないって設定について、ドラクエを想定して言ってるんだろうが、 この設定自体、古いゲームにも新しいゲームにもよくある手法なんだから、いい加減スレ違い 近年にもホライゾンゼロドーンとか、主人公アーロイが世界について何も知らないとかやってるしね >>253 まずどこが間違っていると思うのかを書いて下さい 本質的に記憶喪失の人間に気持ち分かるよと感情移入する人は少数ではないかと または、記憶喪失に不快感を感じない人間は少数 何故、記憶喪失にすると感情移入しやすいと思うのですか? >>254 このスレッドの本題の一つではないかと 今のゲームのつまらない原因の一要素だとは思う >>255 ゲームのことを語るスレなのに、じゃあ面白く昔のゲームとつまらない新しいゲームの具体的なタイトルを挙げろ、といわれてもそれに答えず 何の根拠もなく、今のゲームはそういう構造になっている「はず」と自分の想像を根拠に語ってることが間違い 間違っていないところがない 乖レコ君の言ってる乖離はそもそも、強制的に動かされてる感覚とか、目的がなく適当に動いててもゲームじゃないとかのことだろ。 前にも言ったが俺の言ってる乖離は、現実世界の自分を感じること。 主人公が勝手にしゃべって勝手に行動するとか、自分の体験してない自分の体験を聞かされたりすること。通常ありえないことで、自分自身というつもりでやってたのに、プレイヤーはゲームとわかってるから、主人公と現実の自分とに乖離する感覚。 それを、自分の体験してない自分の体験を聞かされるのは記憶喪失という設定で打ち消せるということ。 記憶喪失という設定が、自分の意思で動いている感覚を損なうというなら、それは記憶喪失という設定をうまく活かしてないでプレイヤーを誘導してるそのゲームの問題。 記憶喪失の主人公の視点とプレイヤーのその世界のこと何もわからない視点をうまく活かせば、むしろ主人公=自分自身の感覚はよりリアルになる。 ということで、この話題はスレチと言われているし、延々と続くので、終わり。 昔のゲームはクリアし終わった時の達成感が凄かったな 最近のゲームはクリアし終わっても感動が薄い クリア後のやりこみ要素やらはやる気おきん >>260 多分、それは昔のゲームはゲームオーバーになると、1面からやり直しなのに対して、 今のゲームは、途中から再開する形を取ってるからだと思う 同じところを繰り返しやる機会がないから、思い入れが薄くなるんだろうね >>260 昔のゲームは解くって言ってたしな それくらい謎解きもアクションも難しかった記憶あるわ 90年代のファンタジー作品って、妙にSF要素盛り込んだストーリー多くなかった? 最初は剣と魔法の王道ファンタジーかと思ったら、中盤からロボットなどのSF要素が出て来て 主人公の住んでいた世界が実は宇宙コロニーでしたとかで、ラスボスが人工知能のコンピューターってやつ 子供の頃、そう言う展開が妙にワクワクしたんだよな >>260 >>261 昔のゲームは まずゲーム目的が最初に提示されていて、プレイヤーは初めからそれを達成出来るか?出来ないか?でゲームをやってる だから無事ゴール出来ると達成感が出る 今のゲームは、ゲーム目的がなかったり、提示されていない または、プレイヤーは基本的にゲーム目的を達成するかしないかでゲームをしていない ストーリーテラーのゲームなんかは、一本道を進んでいると、勝手にエンディングになる 昔のゲームはゴールまでの最短手順が短いが横には広い 正しい道以外に行ける場所が多数存在する前提 行き止まりやバッドエンディングが存在する それらを避けられ適切な手順をとった場合にのみ正しいゴールへ行ける 行き止まりや間違った道が多いという事は様々な結果が起こりうる 今はエンディングまでの長さが縦に長いが一本道で横がない シナリオが縦に数珠繋ぎになっており、既定の手順を手順通り進むだけで それをエンディングまで延々と続ける またプレイヤーに求められる事は作業的で反復的 だから疲れる >>261 一面からやり直しは アーケード文化の悪しき延長だなー 上手いヤツほど長くプレイできて金かからない ファミコンくらいの容量ならまだしも PSの時には既にコンシューマー専門タイトルからも見捨てられつつあった要素 昔は容量小さかったからマリオ2みたいな難易度でも頑張ったが 今時のボリュームでやられるとセーブ機能あっても無理だな どんなマゾゲーかと 今のゲームは、ゴールまでが縦に長いけど横道の一切ない一本道 昔のゲームは失敗や行き止まり等の横道に溢れてるけどゴールまでの距離は短い 今のゲームの方が終わりまでは相当長い気がする クリアEDがあってもそれは途中みたいなもんで クリア後のやりこみ要素からが本番みたいなゲーム多すぎ >>266 「反復的」などと言って批判する資格は、君にはない。 どこまで間抜けなのか >>267 悪しき文化になっちゃうかね? スーパーマリオのWorld1や魔界村の1面なんかは今でも覚えていたりするけど、 NewスーパーマリオUなんて、World1すらどんな面だっけ?ってなっているように思えるのよね 今はボリュームが多いからしょうがないけど、クリアした面は振り返ってやらないし、ゲームクリアしたらそれで終わりみたいに、思い入れもしなくなるとは思うのよね 昔のほうが良いと言うつもりもないんだけど PS3のファークライ3,4、GTA5やったけど 序盤とはいえ難しいめんどくさい強制ミッションが連続であるのが苦痛で辞めた オープンワールドとかいうならPS2のGTAみたくすぐに自由に動けるようにしてほしかった まぁ、最近のゲームは情報過多で大ボリュームではあるな それが必ずしも悪いわけではないんだろうけど PS2あたりの頃のゲームはまだ手軽に遊べた印象はある >>271 反復的と試行錯誤の違いは 試行錯誤は、一つの問題に対しどういうやり方をすればいいかを繰り返し考える事で 反復的というのは、一つの問題はすぐ解ける、同じような問題をもう一度出される それを繰り返す事 >>272 一つの問題を試行錯誤してやっと答えにたどり着けたものは記憶に残る 行き止まりや分かれ道を隅々まで試した結果だから 見えない場所に思いがけない出来事や結果が詰まっている 長いけどただ直進しただけのものは記憶には残らない >>274 どちらかというと、今のゲームは情報が少ないはず だから簡単に進めて一本道になる >どちらかというと、今のゲームは情報が少ないはず 何度も指摘されてるとおもうけど、〜〜な「はず」とか事実にもとづかない、自分のなかの思い込みを根拠にしてる書き込みに価値なんかないんだわ >>274 最近のゲームはやり込みが前提なの多くて 取り逃しがないように攻略サイトとにらめっこで疲れることがある 普通にプレイすればいいのになぜか完璧目指しちゃうんだよな マリオも昔はただクリアするだけだったんだけど Newだと赤コイン全部とるまでやり直してしまう そうそう、マリオもそうだよ 昔は赤コインなんてなかったじゃん 今はなんとかマリオに変身したりとか まぁ、それでもマリオに関しては面白いから良いけど 「情報」っていうのはあらゆる物に対してだよ システムやギミック・アイテム・キャラクター 今のゲームの方が情報が少ないという事はないはず 俺も「はず」って言っちゃったけど たとえばストIIにしても、今は体力ゲージの他にスタンゲージ・EXゲージ・Vゲージとかあるじゃん いろんなモードがあったりして それが悪いわけじゃないけど、覚えること多いよねっていう >>275 その>>271 への返しもまともじゃないんだよな。 常識的な言葉を無駄に説明して誤魔化すパターンは前にもあったが 他投稿者が誤解するといけないので補記すると、以前 同一の誤魔化しパターンを見たのは前スレ PS3以降のチンタラ銃撃戦ゲームつまらない 旧バイオみたく自動照準じゃないし こちらは1人か少人数なのに敵は腐るほどいて たいてい隠れながらチマチマ撃つ、時間かかる それが延々と続く 本当に何が面白いの、あの作業? 昔のゲームでもガンシューティングはあったけど面白かった ローリングサンダーなんて、打ちまくるゲームだったけど ストレスは全く感じなかったし面白かった PS3以降の銃撃ゲームは面白くない ローリングサンダーをガンシューのカテゴリーに入れる人初めて見た 同時期だとオペレーションウルフとかあるけど ああいうのとはまるで違うゲームだから 2Dガンシューティングていわない? 魔界村、ソンソン、メタルスラッグ、魂斗羅、ゲバラ、ローリングサンダーとか 3Dだとガンシューティング、FPS系 バイオガンシューティング、ハウスオブザデッド、ゴールデンアイ007 DOOM、オペレーションサンダーボルトなど それらと比べてPS3以降のシューティングゲームは爽快感ないしつまらん 地球防衛軍なんかは面白かったけどな PS2あたりの時代は開発も冒険が出来た時代だったんだなーと思う その代わり、最近のゲームの良いところは大ボリュームゆえにハマれば長く遊べるところだと思う ジャンルにもよるけど グラセフとかPUBGみたいなやつ 魔界村は連射というより、的確に撃つ、避けることが重視のアクションだな。そして元祖死にゲー。 >>285 メタスラがアクションシューティング名乗ってたくらいじゃねーか? そんであの路線はほぼsteamとかに流れた IGAみたいなのがたまにインティと組んでコンシューマー機向けにも出すくらいかな そんで3Dガンシューに関しては doomはむしろ新作がヒットしてるし元々FPS それ以外のアケ系はほぼレールシューティングだから ガンコン必須で家庭用機との相性が死ぬほど悪い バイオのなんちゃらクロニクル等のレールシューすらそこまで当たらなかった辺りでお察し そらそうだ アケ基準のレールシューを コントローラーでちまちま照準合わせるとか 何の罰ゲームだよって感じだしな Wii/WiiUのWiiリモコン、ちょっと仕組みは違うがXBoxのKinectみたいに、手の動きで照準合わせる仕組みはあっても、 昔のガンシューティングみたいなのは出なかったというのはそもそもの需要がないんだよ 情報の取り扱いもそうだけど、対立軸は昔のゲームと今のゲームじゃなくて、和ゲーか洋ゲー(洋ゲー的な国産ゲーム含む)かじゃないかね https://youtu.be/1vLDzAcncFs IGN JapanのJRPGとは何なのか?という討論が面白いかったけど、37:40くらいからか、以下の特徴があると語っている ・ドラクエなど国産ものは既存の役を演じる →その世界に生きる人々が演出する物語にフォーカスがあてられる ・スカイリムなどは自分の作り出した役を演じる →世界・ワールドにフォーカスがあてられていて、世界観やどんな種族がいるのかを作り込む これはRPGに限らないと思うんだけど、ゲームはゲームとして面白ければいいじゃんと日本人は捉えるから、細かい世界の描写・演出は気にしないけど、 洋ゲーは、ゲームが作り出す世界観を細かく作り上げるから、それがリアリティの追求につながっていくんだろあね 最近はなくなってるけど、Withcer3みたいに一昔前のゲームは変な慣性モーションが付いてるのもその流れなんだろう 洋ゲーの哲学にある、ゲームが作り出す世界観の作り込みやそれによって影響受けるゲーム性、これが合うか合わないかが、最近のゲームを面白く感じるか、感じないかの差なんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる