そもそも記憶を忘れてない設定のゲームでも、マリオやる時マリオの過去なんてあまり気にしたことない。ぼやっとただの自分という感覚しかほぼない。

あつ森やるとき主人公の過去なんて背負うだろうか?ただ島の住人になりたいという設定ぐらいで、ほぼ自分自身の感覚だ。むしろ詳細なバックボーンなんて自分自身の感覚をじゃまするものになってる。
島を発展させたいという自分自身のリアルな思いという自分そのものだ。

前に言ったようにドラクエ1 の冒頭の設定で過去にひかりのたまで魔物ふうじこめたのはあくまで自分じゃなくてロト。もし、自分がやったという設定なら、自分がゲーム内で実際にやってないことを過去にやったと思えということ。それよりはロトが過去にやったということにして、自分が子孫でその使命があるというようにしたほうが、はるかにすんなり設定を背負うことができる。

ちなみに、思い入れがある世界観、例えばドラゴンボールのような自分自身というより、悟空という人物を背負って感情移入する場合、悟空になりきったほうが面白いのはわかる。

ゲームを進めていくうえで(記憶はある設定で)、ゲーム内でプレイヤーがリアルタイムでプレイした体験というものがあり、そのプレイヤー(自分)の体験してないプレイヤー(自分)の体験を聞かされた時、乖離を感じる場合がある。

ここも最初に設定を背負う時と同じで、曖昧な部分だから人によって感じ方は違う。さっきと同じで自分が体験してない自分の体験を聞かされ、体験したと思えということだから。
プレイヤーはゲームとわかっているから、それを受け入れて気にしないか、飲み込むか、ただ自分自身の感覚でプレイしてたことに水をさされるかはプレイヤー次第。

主人公の記憶を無くすメリットは、その実体験と体験してない体験を聞かされたの時の不一致の起こるポイントを記憶喪失という設定で矛盾を解決してくれること。矛盾をかかえたままだと、人によってはこれは所詮ゲームだからと処理して自分自身と思えず現実とに乖離してしまう可能性があるが、記憶喪失でそのポイントをつぶせるということ。

デメリットは、主人公という設定を背負ってなりきりたい人には、記憶喪失という設定に感情移入しづらい魅力がないと思う人がいるかもというのと、記憶喪失のストーリーになりがちということか。

壊レコ君は意思決定権の時だけが乖離すると言ってたが、上記のようにそれだけじゃないということ。自分が実際に体験したことない自分の体験が存在するってそもそも別の自分、別の意思があるようなもので、意思決定権がなかったということなんだよね。ゲームが始まる過去で意思決定されたことだから記憶喪失という設定で自分の意思決定ということにできるけども。