空想を守るものは何でしょうか。。お金として、稼がなければいけない空想を
私は痛みを持って迎えるようです。宗教は優しく教え導くようです。けれど
絶対や教えの価値観によりその人自身を忘れてしまうこともあるかも知れないです。
この国に、そんな空想の時間を守る価値観はお金であったり、何か苦しいものを
感じます。人権的に見ても、多くの時間を奪われ、現実の中で個人の尊重も
感じられないくらいにあるかも知れないです。その事を気付きながらも心の、
そして感覚的なもの個人の想いですので、憲法や決まりごととして自由が訴えられて
いますので、その中で、守るものもなくて、お金で解決する事に慣れ親しんで。
自尊心も、プライドも、何もかもを自由の中で個人の意思もお金の流れで
見てしまう事こそに、布石を打たなければその事に立ち向かえる個人こそを
尊重しなければ、その力強さを感じて行くためにも、やはり守り尊重し言葉にし合いながら
確認を重ね、訴えて行く事は、必要に感じます。