具体的にみても緊張を基調とした表現は背景として狂気や狂人の存在を前提にしていた
アートなんかはそれがわかりやすいけど
慢性の病気になるかどうかは置いといても
一時的な分裂病状態を目指していた表現者はいっぱいいる
麻薬をやってたのもそういうこと
今の人が麻薬と芸術語ると「良い曲はかけるか」とか音楽教室みたいな平板なテーマに還元しちゃうよね

まとめとしては、それなりによくできてた宇多丸の麻薬と音楽論もそういう意味では社会的文脈への視点が乏しかった