>>974
なるほどね。
日本は、多神教だったのですが、
太平洋戦争の時、一神教になったのです。
意味わかるかしら。

ユダヤ民族は、弱小でありながら気持ちを一つにすることが
民族存亡の生命線となった。
戦乱を生き抜くために民の意識を一点に集中させることが、
必須であり、その意識から自然の神々への畏敬よりも
人間の生き延びる必要性から人工的ともいえる
一神教に集中する民族的背負いがもたらされたのです。

日本は様々な戦乱があったけれども、個々の生活にあった
神仏に勝を祈り、戦(いくさ)にいどんでいた。

しかし、ついに海を四方から超える、つまり陸続きの民族と
同じ攻めを受ける時代がやってきた。
日清日露は、まだそこまで行っていない。

兵器の格段の変化によって、太平洋戦争では、
陸続きと同じ状態に置かれた。
一神教で国民総動員というのは、そういう経過をたどる。

アサハラ真理教は、戦後一神教を解散した
日本の中の、小さな一神教として兵器も装備して
日本社会内に激震をもたらした。

一神教と相反するのは、単にいろいろな宗教から
考えを取り入れた宗教だという
ことでない。