エレカシの一歩一歩は、そりゃあ、ファンにとっては、それぞれに愛おしく、輝かしいものだろうけれど、それに終始したら、エレカシの歴史のダイナミズム、その動因は見えてこない。それぞれのそれぞれに矮小化されるんだな。
ああ、かけがえのない、それぞれ。
誰かの靴に足を入れてみる、というのは、アダム・スミスを引き合いに出すまでもなく、他者理解の基本的な形式であり、社会の紐帯の基礎だ。
ナルシシズムとともに、赤ん坊も流しちゃったのか、しらん。
ま、こんなところで。