0182名無しさん@お腹いっぱい。
2020/08/10(月) 09:38:58.26ID:pyZ5xj8h5日申刻(午後4時頃)に3万人の元・高麗の連合軍が
450艘で対馬西岸の佐須浦沖に姿を現したとの島民の
注進があると、助国はすぐさまに一族郎党80余騎を
率いて、その夜のうちに佐須浦へ向かった。翌6日
丑刻(午前2時頃)に佐須浦に到着した助国は、夜明けの
卯刻(午前6時頃)を待って通辞(朝鮮語を話せる通訳)の
真継男を使者として蒙古軍にことの子細を尋ねさせようと
したが、いきなり船上より散々に矢を射かけられ、さらに
約1000人の軍勢が上陸、合戦となった。宗氏家譜によると
「助国矢を発し、賊を射て数十人を倒す。是において賊兵
競い進み、陸に下る。助国先駆けて衆を励まし、蒙漢の
兵を撃つ。州兵力尽きるまで奮戦し、斬獲甚だ衆しと
いえども、辰の刻に至り、終に大きく破られ、助国また命を
堕す」とある。勝ちに乗じた元軍により佐須浦の人家に
火がかけられ焼き払われると助国は郎党の小太郎と
兵衛次郎を呼び寄せ「戦場から脱出して事の次第を
大宰府へ告げよ」と命じた。こうして助国以下、一族郎党
全員が衆寡敵せず討ち死にをしたが、この死は決して
無駄ではなかった。