京極夏彦 Part.93
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妖怪作家・京極夏彦を語るスレ 

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●お化け大学校 
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※連投・コテハン荒らしは徹底放置・絶対に触れない事。 

荒らしに構っているレスは全て荒らしの自演です。 

釣られて反応しないようにしましょう。
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 妄想ばっかりだな
そんなこと言ってもなんにもならねーじゃん
過去作でも読め
怪と幽の話題もほとんどなかったし 話題がほとんど出ない作品についてはそれ自体が答えだよ
そもそも需要がないか読んではみたけど語る気になれない凡作ってことだ
傑作はむろん問題作でも賛否両論賑わうもんだ >>382
なんとでも言え
想像力もない読み手なんぞ
うんちでしかない 想像力ある人間は誰かを糞呼ばわりなんてしないと思うがなあ 宴の直後は大佐の中国編を妄想してみたこともあったりした
でも雫を読んだらご想像にお任せしますの方がいいと思った 寒川英輔はなんで診療所に運ばれたんだろう?
厄介な碑のことよりそっちが気になる Twitterで京極が「マーダーミステリー」をやったと呟いてるけど、なんぞ?
へたくそな京極でも出来るテレビゲームか? 鵺は原発ネタって言うかどっちかと言うと
「当時日本軍が作ろうとしてた原爆」ネタ
だったんじゃないかと 難しい題材だし頓挫 ヒトごろしの土方は(沖田や山崎も)異常者というより現代人っぽさが勝った
巷説の時は各キャラいかにも江戸時代末の人って感じがしたんだけどな
敦子や美由紀も拾遺だと戦後じゃなく今の若い女性と大差なくなってる気がする 原発でも原爆でもどっちでもいいけどなあ
邪魅の雫が731を扱ってるってのと同じくらいどうでも良くね?
あれをして731ネタって言われるとなんか違うと思うっしょ?
単に道具立てとして持ってきてるだけでそこは重要じゃないと言うか >>394
幕末とはどう考えてもキチガイ染みた正義観が横行してた時代で
新選組を現代人は美化するけど当時の京都の人間は毛嫌いしてたわけで
現代人は昔よりも先進的で合理的というわけでもなくて
むしろ今の人間は正義とか愛とか夢とかそういうファンタジーを好む上に
なまじ生活水準に余裕があるもんだから過去の人間より保守的で非合理的だったりする矛盾
ヒトごろしの土方はそういう矛盾を突くキャラクターだと思う
だからあえて呼ぶなら現代人というより京極人だろうか 志水アキ氏の漫画に木場修はいつ出てくるんだろうか。。もう結構出てないなぁ。。 >>393
だから原発ネタは一ファン(一読者)が
そうだったのかも?と想像したというだけなんだよ。 京極ってとことん理屈の人だけど完全な合理主義者でもなく
おばけみたいな馬鹿な、無駄な物が好きなんだよな
それは馬鹿らしく見えるけど実は無駄じゃなくて日本人の持つ豊かさの証なんだと
例えば節分の豆まきだってあれで鬼やら不幸を追い払えるなんてあり得ないけど昔から続いてるわけで
迷信だ愚かだと切り捨てるのじゃなく人々の切実な願いや豊かさを大切にして残すべきだと
巷説シリーズはその豊かさを描くシリーズだと思う 合理主義と精神世界の尊重は何も矛盾しないと思うぞ
科学と神秘主義などもそうだ
例えば男鹿半島のなまはげなんてのも単なる宗教的行事ではなくて
各世帯を回ってそれぞれ抱える問題のリスニングをしたり子供に規範意識を植え付けたり
共同体への帰属意識を高めたりと言った実用的な側面も大きいわけで
「豊かさ」なんて曖昧なものだけではない
妖怪にしたって怪異をそういう風に説明するのがもっとも「合理的」だからそうなったというのがある
妖怪ウォッチの歌と同じだよ
妖怪のせいなのねそうなのね、とするのが最も賢いやり方だった
>>401はそういうのを「無駄なもの」「バカなもの」「でも豊かなもの」規定することで昔の人々の知恵を見下しているのに気が付いていない気がするな ああ、書き方悪かったかな
おばけというのは馬鹿で無駄な愛すべきものって書いたら良かったかな
おばけとナマハゲは違うだろう
当時の秋田の人もナマハゲと一つ目小僧やらろくろ首やらと違うのは解ってたろう
ナマハゲに限らずムラ社会におけるそういう風習はもっと日本各地にあったはず
ただムラという共同体がなくなってナマハゲくらいしか有名なのが残っておらず他の個別なモノはほとんど消えたのは事実
それはやっぱり明治以降の人々が非合理的と切り捨てたからだろう
社会や共同体の仕組みそのものが変わったなら合理的なシステムとして役目があった風習が消えるのも仕方ないさ
でも弔堂にもあるけど柳田國男なんかはそういう、消えていくものの中にある日本人性というか
心の豊かさは失くす前に記録して日本人の心の中に残しておくべきだと考えた人だろう
怪異の説明としての袖引き小僧やら天狗とは違って
おばけってのは最初からシステムとか合理とは全く別にエンタメとして消費されるだけの存在として
庶民に届いたから絵本の中にマチの人々の心の中に残ったけど
それでも昭和に水木しげるがいなかったら今ようには残ってないし
ジバニャンなんか生まれなかったのは間違いない
エンタメとしておばけを消費すればナマハゲとかの文化に触れられない他地域の人々にも豊かさを届けられる
そういう存在がおばけだし京極たちが推進してるものだと思う つまり「ないものをある」とするのが心の豊かさであり
日本の言葉や風土はその豊かさを育むのに優れている
それがおばけとして今なお残っているのが素晴らしいところなんだというのかな >>403
>>404
そういう趣旨なのは巷説シリーズというより豆腐小僧シリーズじゃない?
巷説シリーズはお化けの合理的利用法を扱ってる作品だと思うけど >>405
怪異の合理的解釈だった化け物が、キャラクターとしてのおばけになる変節を描いたのが豆腐小僧だろう
巷説シリーズの又市ほかの仕掛けって小豆洗いだの柳女だの全部黄表紙に出てくるお化けで
当時の子供だってそんなの信じないレベルの物語を用意して始末をつけてる
でも当時の人々には「それでいいじゃないか」と思う心の豊かさがあったからこそ成立する仕掛けだろう
まず昔の辛い苦しい悲惨な現実なんて今の時代の比じゃないのだし「ないものはない」じゃ救いがない
そんなものよりは化け物のせいにした方が後味悪くないじゃないか、
「ないものはある」でいいだろうその方が、と作中全員が思ってる小説だと思う
だって袖引き小僧みたいな合理的解釈がまだ有効だった時代なのだからさ >>406
そもそも巷説シリーズは妖怪を『無駄なもの』としては扱ってない
『説明』であったり『言い訳』であったり様々な活用をされてる
なので>>403言うところのおばけには出番がない
特に仕掛けの被験者達は「ないものはある」などと呑気な態度はとってない
ガチ。ガチで騙されてる。だって結果死んだりもする「それでいいじゃないか」とかそんな余裕はない
とは言え、主張通りの読み方も出来る懐の深さを持ってる作品ではあるとは思う
でも、ザ・無駄な妖怪豆腐小僧がレゾンデートルを自問するロードノベルなあちらの方が
より貴論に合致した内容じゃないかと思うのだけど 読んでないけどまたなんかウスラトンカチが湧いてる感じ? 巷説の時代は怪異の合理的解釈としての化け物が有効な時代で
明治以降はその解釈が通用しなくなった結果無駄だと切り捨られたわけだけど
でも柳田國男はそこに日本人の心の豊かさという価値を見出し文章に残して
一方黄表紙やらで作られたキャラクターとしてのおばけは最初から馬鹿で無駄だけど面白いから本やら講談やらに残ってた
それらを統合して昭和に水木しげるが「妖怪」として甦らせた
怪異の解釈としては妖怪は現代じゃ当然機能しないけど
漫画アニメゲームと増え続けて日本人の心の豊かさを継承する役目を帯びて生き続けてる
って考え 巷説って時代劇なんだけど「化け物とか迷信だ」というような人物ばかり出てくる
「そんな物は神経のせいだ」という説は実際に江戸時代流行ってたらしいし
仕掛けのターゲットは肝を冷やして始末されるけど
巷説で起きるいざこざはすっきり白黒つけて片付くような
そんな単純な問題じゃない、
あちら立てればこちら立たず、真っ当な手段じゃ誰も幸せにならんから
複雑怪奇な仕掛けで煙に巻いてしまうオチ
そういうわけのわからないもんは昔から化け物の仕業と相場が決まってるのだ、
ならそういうことにしとこうよってのが巷説の人々だろう
いや、日本人は昔からそうやって理不尽な事柄に対処してきたのだってのが巷説シリーズだと思って読んでる 長文はいいけどもうちょっと論旨をまとめろ
5chはおまえの思考の流れを書く場所じゃないんだぞ
神経云々って言い方が流行ったのは江戸じゃなくて明治だ
明治政府や井上円了が近代国家を目指して啓蒙しようとしたけど
庶民は結局納得しなかったってのが実際のところだよ
大衆的なレベルでは江戸と明治にそこまで決定的な断絶はない
なまはげは突出して有名なだけで、似たような風習はいくらでも残ってる
時代なんか関係なく人間にはそういう心の拠り所が必要なんだよ
だから巷説は江戸だけじゃなく明治も舞台にしてるわけだし
まあ本当はそれは心の豊かさじゃなくて、人間の弱さだと思うけど
いるかいないか、あるかないかなんて実は大した問題じゃないんだな
京極も「昔の人も本当は妖怪なんかいないって分かってた」って言ってるし
巷説の人たちだって、描かれてないだけであれで完全に納得してるわけがない 例えとして妖怪を料理に言い換えてみる
豆腐小僧は料理の歴史や材料などを料理自身がレクチャーする小説で
巷説百物語は料理を食べる人間と作る人間のドラマの小説
どちらも料理がテーマで面白いけど
その料理の持つ「美味しさ」がより読者に伝わるのは後者だと思うのよ
>>411
すまんね
でも思うんだけども
どうしようもない理不尽な出来事の責任を誰かに負わせて叩くことこそ弱さの証でなかろうか
一方妖怪というありもしない存在の責任にしてしまえば誰も傷つけずに済むだろう
それこそが心の豊かさの証ではないかと 心の拠り所ね、それが時代や人によっては神になったり妖怪や宗教になると >>414
神仏は今も昔も形而上のものだけど、
妖怪は形而下のもっと身近なものだと思う
いや、昔の日本人には身近なものだったというべきか
水木しげるの言うところの妖怪感度が備わってた
だからこそ合理的解釈としての機能が果たせてたのだろう
ただ、その感度が失われた現代人にとっては形而上の神仏と似たものとした方が理解しやすいのかも
当時の人々的には心の拠り所というより、心のゆとりに妖怪が湧くという感じ
そのゆとりを持ってることが心の豊かさと言うのだと思う 流石にいい加減にしてくれと言いたいな
論旨どうこうの話じゃない
このスレはお前の感想文を書くところじゃない
だらだらと同じ事をいつまでも書き散らしたいならブログでも作ってそこでやってくれ まあね、長いかも
一つの作品の一場面の解釈とかならまだ話引っ張るのも理解できるけどね 長文は読む気まるでなし。スルー。
書く自由も有れば読まない自由もあるわけで。
かまってチャンはムシに限るね。 自分に経験がないから「いない」と断定するのはどうもね 目に見えない未知のものに感じる不安とか恐怖を
怨霊とかタタリというネガティブなものにするのはオカルトの分野かな
一方存在しないものに姿や形を与え、愉快でポジティブなものにしてしまったのが妖怪
ありもしないものに怯えるよりは笑えるものにしようという先人の智慧であり賢さ
しかし妖怪感度の低くなった現代人には後者より前者の方が浸透してるみたいだな 真木姫ちゃんとか、京極堂、ネタにしないのかな?
あのツンとした感じとか、誰かさんに似ていて、すごくお似合いなのに 真木姫(40歳)男児持ち
製造業やってる主婦のおばさん >>421
全然違う
画図百鬼夜行見たら分かるけど、普通に怨霊や悪霊も載ってるでしょ
そもそも妖怪ってカテゴライズが近代的な概念でしかない
妖怪って言葉もインテリは知ってたけど昭和中期まで全然一般化してないし
更に水木しげる的な定義だと怪奇現象やオカルトだって妖怪の中に内包できる
笑い飛ばすために作られたとか、そんな単純なもんじゃないよ >>424
こんにちの妖怪とは意味が違うものさ
画図百鬼夜行なんかは昔から絵師が描いてきた化け物画に
地方から輸入された不可思議の解釈としての化け物、さらに石燕の創作なんかが混じった絵本
しかしあくまで滑稽本、エンターテインメントとして作られたものでホラーじゃない
生霊なんかも載ってるけど全然怖くないしみっともない、醜い人間の性を揶揄してるのばかりでむしろ石燕のジョーク的な遊びに近い
やっぱり当時の人々にとって子供を除けば化け物なんかは恐ろしい対象ではなかったとわかる
そもそも不可思議に形を与えて不安や恐怖を無くそうとして作られたのが化け物なのだし
そうして残されたものなんかを水木しげるが漫画にして妖怪というコンテンツになった そもそも日本の宗教観からすりゃ怨霊や祟りの方が古くからあるものだしなあ
荒御魂だの和御魂だのというのがそうだ
天変地異や疫病や数多の悪いことを誰々の祟りや為政者への天罰と解釈して人心を安んじていたわけだ
これをしてオカルトと断じられてはたまらない
科学とは違うやり方だけど合理精神の賜物だよこういうのも 画図百鬼夜行って化け物の絵の中に石燕がジョークを入れてるんじゃなくて
石燕のジョークが画図百鬼夜行の化け物たち
100%ウケ狙い
そもそも解釈としての化け物は名前だけで姿なんてなかったのに
これ面白くない?ってインパクト重視で姿を作られた上に名前にちなんだダジャレまで描いてる
大元の百鬼夜行の絵巻に出てくる化け物だって付喪神的などう見ても実在じゃない奴らなのだし
怖いだろう、化け物だぞお、て意図で出されたのじゃなく笑って頂戴的なキャラ達だろ
江戸時代の人間はそんな物が実在すると信じる程馬鹿じゃないし
怖がるような絵なんて一つもないのだし よく言われる「零落した神」が由来のやつってそんなにいないんだろうな
天目一箇神ぐらいか 絵になってるものだけが妖怪ではないでしょ
>>424 >>426 はもっと総括的な意味で言及してるように思うけど 妖怪はエンターテインメントだよ
その中には解釈としての化け物だったり
大昔の怨霊や鬼も一緒くたに混ぜたりしたけど本来別物
絵になった妖怪は娯楽として江戸庶民に流行り
解釈としての化け物は共同体の変容の中で役目を奪われた
今の妖怪は水木しげるがそれらを拾って漫画として蘇らせたもの
漫画やアニメの中じゃ妖怪は恐怖の対象みたいに扱われたりするけど
過去に解釈として生まれた化け物は恐怖や不安をなくすために作られた存在であり怖さとは真逆
ホラーだろうがギャグだろうがエンターテインメントの材料なのは変わらない
いずれにしろ楽しくポジティブなものが妖怪 別に間違ってるとは言わないけど、ちょっと一面的過ぎ
妖怪の正体には、被差別民、身体障碍、精神障碍などネガティブなイメージを包括してる奴も沢山いる
例えば、頭髪の薄い人を『河童』とあだ名して揶揄する。あり得ないことじゃないですよね?
概念の用途として殊更不適切だとは思わない、まあからかってる側にとってはエンタメ利用でしょう
でもやられてる方はどうでしょうね。ただの悪口でしょ。ポジティブな印象は多分持たないよ
たんに妖怪を怖がってる人もいる。そういう人に妖怪は怖くないよエンタメだよと説得してもなかなか聞き入れてくれない
成立過程や文化論を解説しても無駄でしょう。啓蒙が成ればいいけど失敗したらハラスメントになるだけ
京極さんも妖怪の定義はできないっていってる訳だし、いろいろ複雑、娯楽性だけで処理できるような簡単なもんじゃない
一面的な見解じゃコンセンサスは得れないよ 京極小説で言えば河童とひょうすべの話から何を学んだの?って事になるよね
妖怪の成立過程だけに限っても一対一に対応したものなど無いとあれほど書かれていたのにw
もうNGにしたから読んでないけど
この人一度自分で思い込んだらそれ以外何も見えなくなってしまうようだね
妖怪は娯楽だというのは河童の話で言えば無数にある髪の毛の一本に過ぎないのですよ >>431
河童って色んなルーツがあって被差別民なんかも含まれてるのは間違いないけど、それだけじゃなく大陸の伝説やら宣教師やら
各地域の川で起きた事故なんかの解釈としての化け物とあれこれを結びつけた上に
やがて河童というキャラクターが生まれたとされてる
妖怪という言葉が示すのはそのキャラクターであり、
裏には差別などの日本文化のネガティブなものを秘めつつも
キャラクターの河童は愉快で絵本になるようなポジティブなもの
差別され虐げられた者たちの怨念といった扱いをすればホラーや心霊の分野にいくけど妖怪とはベクトルが違う
人が暮らしの中で抱き続けた負の部分が妖怪の背景にはなるものの、それを負のまま出したら妖怪にはならない
妖怪感度が低い現代の人には妖怪なんてそれこそホラーや心霊と変わりなくて
過去には妖怪=怖いってイメージが強かったのをそれは違うと作品に書き続けてきたのが京極夏彦だろう
妖怪とは先人たちがネガティブなものをポジティブに変えて生み出された日本の素敵な文化なのだと 宴の始末の、中盤で多々良先生と光保さんが揃って話をする場面で散々解説していたと思う >>434
顔面偏差値の低い人を『妖怪みたいな顔』っていうことがあるんだけど。これ普通悪口なんですよ
そういう文化が残存してる以上は民俗学的にいっても『妖怪』って言葉にはネガティブな意味『も』包括されてるんですよ
それとも妖怪感度の高い人にとっては『妖怪みたいな顔』は褒め言葉なのかな? 妖怪よりも宗教をテーマにして小説書いてる作家いませんか? 妖怪からすると、
「妖怪などいない」と思わせたほうがいいんだろうし、
仮にいることがバレても、「妖怪はいいもの、ポジティブなもの」と思われたいんだろうね 雨月物語の蛇性の婬かな(妖怪が「自分は妖怪じゃない」って無理矢理証明する 最終的にはバレる) フェリシモで安珍清姫モチーフのアクセが出ててワロタ 女性を評価するのに
「人形みたい」って言うと悪口になって
「お人形さんみたい」って言うと褒め言葉になるよね >>441
面白い指摘だね
日本語習い始めた外国人が聞いたら「え?何が違うん?」と混乱しそうだ
ちょっとだけ考察すると
「人形みたい」も「お人形さんみたい」も殆どの場合で対になって使われる文脈とセットで覚えられているからだろう
前者は外面は綺麗だけど感情に乏しい、意思や表現が無い、何も出来ない、などいう、負の要素を含んだ内面を言いたい時に使われる
後者は内面には言及せずもっぱら外面が整っていて可愛くて綺麗だという表現で使われる
言葉にするそれぞれ5文字と8文字だけどそれは氷山の一角で
水面下にもっと大きな情報量が隠れているって事だ
日本人はその文脈を承知しているから5文字と8文字でそれぞれ何を言いたいかが伝わるけど外国人にとっては最初わけが分からないだろうな >>436
妖怪って見た目は怖いというより馬鹿馬鹿しくて
美しいというより不細工じゃん
目に見えなくて不可解なものに対する不安や恐怖を
馬鹿馬鹿しくて不細工な姿にして矮小化する
つまりこれがネガティブな事象をポジティブに転化するということ
まあ、妖怪のような顔と形容する場合馬鹿馬鹿しくて不細工な顔って意味だろう
顔が怖いならそのまま怖いと言えばいいのだし
普通に考えれば言われて気持ちのいい評価ではないが
馬鹿馬鹿しくて不細工ってのは笑える顔だということでもある
言われた当人はまず傷つくから問題あるからネガティブな表現に違いないが
お笑い芸人だとしたらこれはネタになるわけで
「不細工で悲しいわ」と思うより「人を笑わせられる」と思えばポジティブになる
つまり馬鹿馬鹿しさを楽しむ心の余裕が妖怪感度
京極始め妖怪好きは馬鹿を好むのよ なんであれ
物事をネガティブに捉えれば辛いけど
ポジティブに捉えれば生きていきやすいもの
昔の日本人からしたら辛さや不安に別の名前や姿形を与えることで矮小化して
現実を強く生きる術としたのだろう
その術こそ妖怪 長々と書いてしまったのは
これって妖怪の話とちょっと似ていると思ったからだ
それこそ「宴」の河童とひょうすべの話で触れられていたと思うけど
名と造型を与えられキャラクターとして成立した妖怪だけを見て水面下の文脈を読み解く力が無くなってしまうと本質を見誤る
「人形みたい」と「お人形さんみたい」の隠れた文脈が分からなくなってしまうと
河童とひょうすべは同じでしょう?と質問してしまうことになる 妖怪を単に恐ろしいものと捉えた場合心霊やオカルトと同じで
「存在しないものに怯えるなんてくだらない」として否定されてしまう
でも妖怪ってのは存在せず手が出せない恐ろしいものを「ある」として馬鹿馬鹿しく滑稽な姿にすることで
現実の辛さや苦しさを乗り越えてきた先人たちの智慧なんだとすることで
単に過去の迷信ではない、素晴らしく豊かな文化だとして未来に残り
しかも漫画やアニメゲームとなって受け継がれていく
つまり我々は過去の人々の生きる智慧から学ぶことができるということ
それが柳田國男が記録として保存し民俗学として日本人に説いたことだろう ざけんなよ「アクロイド殺し」で検索したら思いっきりネタバレされちまったよ
ネタバレ禁止の法律作ってくれよ 妖怪シリーズの短篇集で風とか雲とかあったけど面白い?
この前鬼河童天狗と読んだからそれよりは面白ければ今更だけど読んでみようかなと >>448
天狗かっぱなど足元にも及ばない面白さだぞ >>450
豆腐小僧や虚言少年、オジいサン、南極あたりの京極小説が好きで
平山夢明とやってたラジオ聴いてたのなら凄く面白く読める
百鬼夜行や巷説みたいなのが読みたいなら期待外れだと思うよ長いし この間のティーンの前で語るやつをYouTubeで見たんだが、京極の語り方がちょっと
気持ち悪いなと思ってしまった。
子供をだましてる悪人みたいだ。 >>450
怪、幽あたりの作家なんか少し知ってると面白い >>452
いい大人なのに、俺あの本買ってしまったよ 自分でも言ってたけど、胡散臭えよな
わざとらしく声色や声の強弱変えてるのがまた小賢しい
しかも最低限の自己管理もできてないデブの言うことだし
子供には反面教師にしかならないんじゃないか >>455
なんでそんなになっちのことが嫌いなの? 自分も似たような疑問ずっと抱いてた
作品さえ良ければ作家自身の容姿や声なんてどうでもよくないか
不摂生が原因で体調を崩して新刊無期限延期や連載落としまくりなら話は別だが 俺も同じ感覚だ
作家個人のパーソナリティなんて気にしたことが無い
妖怪研究と水木さん関係以外の京極夏彦は俺にとってはどうでもいい
でも作家をスター視するのは珍しい事でもないし
京極はかなりメディアに露出してキャラクターを売ってる人でもあるからまあ分からないでもない 文豪ストレイ……なんとかでも出てるし、仕方ないよな(えーと、羊じゃ無くて猫じゃ無くて……) 前スレ荒らしてた奴じゃ無いの
見かけたら即NGにしてるが 個人的には作家個人を気にするだけ損だと思うけどな
作家に左右されて本の面白さが純粋に楽しめないのってすごく損してる気分になる
まああんまり作者の顔が透けて見えると萎える事も多いけども わざわざ表に出るタイプなんだから
ある程度言われても仕方ないと思う
岩井志麻子といえばアレだし
楳図かずおといえばアレ ツイッターで学歴差別発言をした古野まほろだけは絶対読まない >>459
これ名前だけは聞いたことあったけどググって初めて内容を知ったわ
実にくだらなくてバカバカしい(褒め言葉)発想だなw
異能力「ドグラ・マグラ」だの「人間失格」だの
富樫のマンガあたりが直接の源流っぽいが 和服に指ぬきグローブというアイコンもあるしなあ
わざわざ自分でイメージ作ってる まあ京極が常に自然体の人かって言われると違う気がするな
常に理論武装して外殻作ってる気がする。
でもそういうイメージを周囲が抱く事を自覚している感じはする。そしてそれを面白がってそう
故にこうやって「京極はこういう人」と俺達が語ろうとする事もなっちーの掌の上なのだ…
個人的には「しゃらくせえ」という言葉が一番似合う 京極夏彦自身が作家のパーソナリティに興味を寄せる人物だしね。
ていうか、文学部で作品研究・作家研究するのに普通にやってることだし。 妖怪って、時の権力者が作る正史には含まれない、民俗情報が含まれてることが結構多いよね
時代の変化によるもの、権力闘争による変化、正史に含まれない個人に至るまでの情報を理屈に合うように
整理したいという願望があるように感じる どういうこと?具体的には?
歴史って別に民族情報をフォローするためのものじゃないぞ
化け物や怨霊の類は古代の正史には普通に出てくるし
正史に対置されるのは稗史、偽史の類だろう
義経がチンギス・ハンになったとか明智光秀は天海だみたいなやつ 歴史に残らない大衆の生活史や風俗があるって事は理解出来るが
そこにあえて正史と対立して妖怪を絡める意図は良く分からないな
サンカが山爺であるみたいな例はあると思うが大上段に言うほど特別なもんでは無かろうとしか >>472
そう言われると自分の解釈が大仰だったかなあとも思う
ただ、そういう民俗文化や史料というのは好きで調べないとあまり巡り合わないんで、それらを
調べるきっかけを作ってくれるから妖怪は面白いなあと いや俺が正史っていう言葉に過剰に反応しただけだから
正史に残るものの方が少ないやろって考えてたからさ >>452
今昔百鬼拾遺の天狗読んでるんだが、
登場人物にこの動画で語ってることそのまんま、語らせてるのな
面白いからいいけど
ちなみに、榎木津が結婚式めちゃめちゃにしたミヤコね 17才講座で語ってることの8割は小説で書いてることだしな
そもそも京極は同じことを何度も繰り返し小説で説いてる 占星術殺人事件を読んだら、御手洗潔が鬱病でびっくり。
関口も探偵役になる素質、ワンチャンありますかね? >>476
本の収納の話もいろんなインタビューで話してる事だね 榎木津や京極堂が濃すぎるから目立たないだけで関口もほかの作品なら探偵役ぐらい務まりそう 勘違い2割
間違い2割
嘘1割
思い込み5割
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