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リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko


日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
ブラジル優勝秘話(後編)
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 2002日韓W杯。一発勝負の決勝トーナメントが始まった。難しい試合が続いたが、日本がブラジルに力をくれた。特に神戸で行なわれたラウンド16のベルギー戦は、決勝よりハードな試合だった。しかし、スタンドの90%の観客はブラジルを応援してくれ、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督は「ここはホームだ」と感激していた。
 もうひとつ、この試合でブラジルに力を与えてくれたものがあった。ハーフタイム、前半を0-0のまま終えたブラジルは、どこか苛立っていた。チーム付きの私はロッカールームの前にひとりで立っていたが、突然、後ろから声をかけられた。
「中に入れてもらってもいいかな?」
 振り返ると、そこにいたのはサッカーの王様ペレだった。彼はテレビ局のコメンテーターとして日本に来ていた。もちろん、部外者を中に入れることは禁じられている。ペレもそれは知っていたはずだ。だが、通路に私以外のFIFAの人間の姿はない。私は彼に背中を向けて言った。
「私は何も見ていません」
 彼は3分間、ロッカールームの中にいて、その後、出てきた。帰る際、彼は私のスキンヘッドにキスをしてこう言った。
「今日は勝つよ」
 その言葉どおり、後半、リバウドのゴラッソでブラジルは先制し、その後はロナウドもゴールを決めて2-0で勝利した。


大会得点王となったロナウド。その髪型は日本では「大五郎カット」と呼ばれた。photo by Reuter/ AFLO大会得点王となったロナウド。その髪型は日本では「大五郎カット」と呼ばれた。photo by Reuter/ AFLO
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 次の試合は静岡で行なわれるため、我々は宿泊地の静岡に戻った。ブラジルへの期待が高まってきたのか、毎日、練習には2000人近くの記者やサポーターが詰めかけた。私はそれにほぼひとりで対応せねばならず、目が回るほどの忙しさだった。
 準々決勝のイングランド戦の前、リバウドは精神的に落ち着きを失っていた。それまでの全試合でゴールを決めていたにもかかわらず、ブラジルのマスコミは相変わらず彼を叩いていて、彼の不安定さは周囲の人間にも感じられるほどだった。ロッカールームを出る5分前、私の目の前で、スコラーリ監督はリバウドのお腹に手を当て、こう言った。