22/07/14 15:00
便器の下からタケノコのように大便が盛り上がる…災害時の仮設トイレで必要な「便ならし」という作業
阪神・淡路大震災で起きた「トイレ危機」
PRESIDENT Online
山本 耕平
(一社)日本トイレ協会災害・仮設トイレ研究会代表幹事

大災害の避難所ではどんな問題が起きるのか。日本トイレ協会災害・仮設トイレ研究会代表の山本耕平さんは「阪神・淡路大震災ではトイレの問題が深刻だった。発災当時は1696人に1基しかなく、ようやく仮設トイレが行きわたってからも不衛生な状況が続いてしまった」という――。
※本稿は、日本トイレ協会『災害とトイレ 緊急事態に備えた対応』(柏書房)の一部を再編集したものです。




避難生活の最大の課題はトイレにあった

災害時のトイレが注目されるきっかけは1995年1月に起こった阪神・淡路大震災である。大都市を襲った直下型の大地震で、その被害の大きさはもとより、避難生活を余儀なくされた多くの市民がもっとも困ったことの一つがトイレであった。

ピーク時には神戸市では7人に1人、22万人が避難し、約600カ所の避難所が開設された。被害の大きかった長田区では5000人もの避難者が押し寄せ、2000人以上の人が就寝した小学校もあった。当時のトイレ事情は推察するしかないが、きわめて深刻な状況であったことは間違いない。

仮設トイレの設置数は震災翌日の1月18日は全市でわずか79基、21日でも524基しかなかった。トイレに対する認識の甘さと行政にその深刻さが伝わっていなかったことが大きな原因だが、仮設トイレの手配や交通の寸断された被災地への搬入に手間取ったことも大きな要因である。

神戸市にはイベント用の「移動トイレ」(牽引けんいん式のトイレ)が4台あったが、災害用仮設トイレの備蓄はゼロ。災害対策用の組立式トイレは、東海地震の備えが進んでいた東京や東海地方の自治体から提供を受けた。

当初は避難者150人に1基を目標としていたが、2週間後には平均して100人に1基程度まで普及した。60~70人に1基となった頃から、数の不足に対する苦情はほとんどなくなったという。