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初代潜水艦スレに記載したものを転載しようかな
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そもそも「面白い」とは?
ブレストを行い、おおまかに以下の3つの大項目へと分類できるのではないかという結果を得た。
@心を動かす系
A興味を刺激する系
B問題解決系
これらを小項目に分解すると、
@心を動かす系→楽しい、笑える、泣ける、嬉しい、悲しい、懐かしい、怖れ、カタルシスがある、同情、安心、リラックスできる、等
A興味を刺激する系→好奇心を刺激する、意外性がある、新しい、奇妙、変化がある、考え方が広がる、知識が増える、複雑、混沌、残酷、エロ・グロ、等
B問題解決系→勝利、成功、成長、自由、克服、征服、所有、闘争、逃走、承認、優越、豪華、才能、等
これらが僕の考える「面白さ」ということになる。
上のようなポジティブな要素(一部除く)を描くためにネガティブな要素を材料として集める必要があるのは皮肉だ。
さて、「面白さ」の要素数が思ったより多かった。ここには書かなかったものも多数ある。
改めて考えてみると、「詩というのはこれらの要素をコンパクトなボリュームで満たすことのできる、かなり便利なツールではないか」と仮説を立てることができる。
そうすると、このインターネット社会で「表現」し、それを「多くの人に知ってもらう」には基本的にテキストのみで作ることができる詩は最適で、
今後拡大していく可能性を秘めた表現手段ではないだろうか。
これは他の表現手段と比べて言語の持つ特性を存分に活かすことができるということあって、
「詩というのはダイレクトに文章自体の面白さを表現できるものである」という仮説も立てることができる。
とは言え、「文章自体の面白さ」を追求して詩を書くと難解になってしまいがちになるだろう。
それが良いということもあるかもしれないが、「わかりやすさ」を意識して書くことも
広く通用する普遍的な詩を書くために大切かもしれないという点について次レスでごく簡単に説明してみる。 「面白い詩」とは?
ブレストを行い、おおまかに以下の2つの項目へと分類できるのではないかという結果を得た。
@共感できる系
A新しい発見・体験がある系
これらに関連する要素を書き出すと以下のようになる。
@共感できる系→感情を動かす系の要素がある、考えや体験を共有ができる、あるあるネタ、リアリティがある、わかりやすい、等。
A新しい発見・体験がある系→独自の視点がある、単語等の意外な組み合わせがある、非日常がある、オリジナリティがある、考え方が変わる、等。
大きく2つに分類してしまうとヌケ・モレがありそうだが、自分の考えとしてはとりあえずこんなところだ。
共感という言葉は良い使い方をされていない場合もある気がするが、まず第一に気にしなければならないだろうと考えた。
ともすれば「文章自体の面白さ」を追求して難解になりがちな詩をこれからの時代に適応させるならば
特に「わかりやすさ」を意識すると良いかもしれない。
こと詩において、「わかりやすさ」と「共感」は関係が深い気がするからだ。
新しい発見・体験があることと、「わかりやすさ」がかけ合わされば
その詩の影響範囲が広がり、拡散されやすくなるに違いない。
だが僕は「書いていて楽しい」ので多少複雑な詩を今後も書いていくつもりでいる。
なぜならば、新しい発見・体験が「文章自体の面白さ」の本質的なものであると思うからだ。
新しいものを生み続けるのは楽しい。
それが僕が詩を書くにおいての強力な誘因になっているのは否定できない。
また、「わかりやすさ」を意識しすぎると大切な要素が削ぎ落されてしまう可能性があることも否定できない。 僕が「面白さ」に拘るのは、それが創作においてちょうど良い快楽だから
快楽の段階
3大欲に根差した身体的快楽→楽しさ→面白さ→勝 利 感 覚 楽しさ→面白さ
ここの違いは病んでるかどうか
言い換えると人間のダークサイドに切り込めるかどうか 音楽界で言うと米津玄師は人間のダークサイドを良く知っている
彼の作品は音楽を通り越して「音面」の領域やな←どないや
それが優れているかどうかじゃなくて、個人的快楽を超えて人間社会の広い範囲にインパクトを与える快楽ちゅうこっちゃな 快楽の段階が上がるほど抽象度、難易度、影響範囲が上がるイメージだね
他にもパラメータはたくさんあるけど、今日はこの辺にしといたる所存
ねるわ 過去に起こった悪い出来事を全てを赦しましょう
それが人生の裏技
その方が笑えるからな 全部全部笑っちゃおーぜ
さっさと踊れよ馬鹿だまり
byハチ(米津玄師) 恨みを表現したいなら
まずは恨みを手放すところからだな 個人的属性を引き剥がすことによって客観性が生まれる
それがエンターテイメントに繋がる 人生の肥やしにした方が楽しいぜ?
という悪魔の提案 さぁあなたはどこまで感情をコントロールできるか
という話ではある 実は感情と論理はケンカしない
まぁお互い頑張っていきましょうや 法律って個人での復讐を阻止するシステムという側面があるよね??
民法くらいしかしらんけど
感情の問題もルールに則って量るという
果たしてどうあるのが正しいのだろう
人間には感情の体系もあるとは思うけど
その辺の兼ね合いだよね