好きなことなら、いくら縛られてもいいはずですよね。嫌な気なんてするわけがないのだから
でも世の中、残念ながら、嫌な事は存在してます
だったら、そんなことに縛られそうになる前に、自分の理想をちゃんと作って、その理想に自分を縛っておくわけです
それは、世の中や現実がすべてである、という事を否定したい自分でもあるからです
その証明や保障として、やっぱり理想ってのは必要で、他人に絶対に作らせちゃいけないですよね
本当にできる限り純粋な自分でもって、ちゃんと偽り一つもない理想を密かにでも持っておかないといけないと思ってます

それさえ本当に持って生き抜けるとするなら
どれだけ世間的に負けの部類だとしても
本当は全然勝ちだと思ってるですね。俺はどこかで

負けてもいいほどの、それでも理想を貫けること
負けながら、実は一番勝ってると、俺は勘違いできるようになりたいってことなんだと思います

現実を突き詰めると、どんな手を使ってでも勝つ方法を、常に模索するようになる
それを実際に試みた俺は結果、適応ばかり選び、現実の奴隷へとちゃんとなっちゃったわけです
これで喜べたなら、俺はそのまんま、手段を選ばないほどの勝利への追及を今もしっぱなしのはずで
優先を勝つことだけにできる自分になれたはずです
でも無理でした
達成感も全くないですし、何よりも当たり前すぎるのが死ぬほど嫌いな自分らしいです

手段を選ばなかったら、そりゃ勝つ確率なんて、嫌でも上がると俺は思ってます。実際そう感じました
でも、そんな当たり前の勝利。なんの意味もないと、俺は確信しました
最悪な人を見れたのが、本来の自分に帰るべきと決断させてくれた、最後のきっかけです

本来の目的を平然と忘れてしまうと、人は平気で、理不尽をしてしまうと思います
その人がバカなだけ、では済ませられない
悪質ってやつです
信念を間違ったり、完全に消えたりすると、悪い方向へ迷ってしまう
悪質ってのはそんな末路でもあると思うし、絶対にそうなってはいけないと、一生誓うべきだと思えました