気を許すと、自分の天然が炸裂するらしいです
その空気の読めてなさに、一気に顔が、怒りの表情だけで占めてる人を見ました

はあ?

真に受け過ぎて、何気ない軽いシャレでさえ、この有様です

もう吐くのも、気を許すのもやめてしまいましょうか
って、瞬間的に思うわけです

でも、それは自分を我慢してることになる
昔ならそれで全然良かったです
嫌いな争いになるくらいなら、別に簡単に譲ってました
そもそも保持してた意識もないし、それほど欲しかったものでもない
だから、譲ってる気すら希薄でした

なんなら、渡す方が、自分の好きな自由を獲得できた気になれました
それだけ、まだ選択肢が実際にあったってことです

現在、そこに戻る気はないです
譲り過ぎる結果を知ったので、もう譲れない
譲らないための理由を見つけたのかもしれないです

できなかったこと
まだ実力不足だったこと

その状態にまでは戻れない
きっとそこで生まれる不安には、もう出会いたくはない自分が居ます

でも、気は抜きたいです
天然炸裂だろうと、もう平然と開き直り続けてみたい
気を張りながら、空気をちゃんと読み続けるって、なんのため?
自分の立場的な?
もうそろそろ、本格的にそんなものが要らなくなってくるでしょう

誰かや世の中に、合わせるため
そのためだけに生まれてきたわけでもない自分なので

優先順位、秩序の履き違えよ
間違えることでしか学べないことなんて、価値も意味もなし
相変わらずそれは、学びとは言わない
単なる、くだらない事実を知ったという話なだけ

くだらない嫌みに、違う強みで反抗でもするしかないのか
それすらも面倒だと思う自分こそ平常
勝手に怒っててももういいね
勝手に嫌みを吐かれても、仕方ないね

俺ももちろん、そんなことどうでもよくなってきてる
どうでもいい、という事を書くくらいではまだあるけど
それだけまだ、気にしないといけない自分は少し残ってるはいるらしい

それも面倒だけど。仕方ないね。そんなもんだね