【ベイビー】BUMP OF CHICKEN 17【アイラブユーだぜ】
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>>217
言いたいことがなさ過ぎてあり過ぎて白紙のままそれでも届けたくて出した手紙ってことかな > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 Aurora2番サビで、ラジャーやらエナジャーやらジャーが聞こえるんだがなんて言ってるの?
既出の「見えなかった」には聞こえない 逆に「見えなかった」にしか聞こえないな……なんだろ >>215
明らかに「じゃ」が入ってない?
みえなじゃみたいな >>224
あーたしかに、「見えなかっ(ジャー)だけ」みたいな感じで被って聞こえるかも >>225
「か」っていう有声音?っていうのか分かんないけど喉の奥から出てる声が聞こえない
見えなじゃった未来へ に聞こえる
他の人はどう聞こえてるんだろ? 藤原の声は空耳になりやすい
既発曲ですらいまだに
「ずっと冷めないままの夏が脈を打つ」
って聴こえるし
あとこれは自分だけだと思うけど
RIPの「悲しいことは宝物になった」が
「ざなしいこと」にしか聴こえない 確かにTwitterで歌詞のっけてるひとも「見えなかった」だ…
でも空耳じゃないレベルで「見えなじゃった」に聞こえるんだよな…
俺の耳がポンコツなのかなぁ >>228
その人がここの歌詞を参考にしてる可能性あるからまだ分からないよ 213 ありがとー
自分でちゃんと聞きとれないから助かる
見えないじゃなかったとか?
あと白い手紙は今のところ
書く必要がない手紙と思ってるけど 227のおかげでファイター思い出した!
歌詞の中にオーロラってあるね なぜ宛名のいらない手紙、書く必要のない手紙と解釈したの? 手紙を届けたい相手がいる訳じゃないと思ったからかなぁ
宛名や 内容を書かなくても分かる人がいるからね でもわかんない
まだ、考察中なので深く考えきれてない 手紙がそのまま手紙なのかわからないしね
頭真っ白で文章どころか言葉にならないことを白い手紙と言ってるのかもしれないし >>179
今は昔以上に他人のことは完璧には理解出来ないと痛感してるからじゃない? 考えすぎじゃないよ そういう闇の中にいて
勇気の眼差しで 次の足場を探してるだけ
こういうのよく書けるな
救われるわ… 生きようとして 生き抜いた 稲妻
これメタファーじゃないの? >>246
稲妻っていうのは一瞬=イマしか現れないもの
それはつまりイマという瞬間を精一杯生き延びたものとして表してるってことだろう BUMPの歌詞の良さって、直接的にも間接的にも下ネタだったり人を蔑むことだったり言わないことだよな >>248
本当そこだよね
蔑む事は悲しい事だと思う 因果応報 Aurora2番Aメロの
「歪な線」って歌詞に違和感覚えるの俺だけ?
歪っていう単語は形あるものというか、立体的なモノに使うものであって平面的なモノにはあまり使わない気がする >>252
お前の道には上り坂や下り坂は無いのか?
解釈以前の問題だな
出直してこい >>252
いびつな線ってのも線自体の話じゃないんじゃない?
その線が描かれる過程を指していびつな線っても取れるから
歪な成長を遂げたとも言うしね >>254
同意
そもそも実際に線なんて見えないしな >>252
俺は分からんでもないけどな
「歪な形の線」じゃなくて「歪な線」はちょっっとだけ違和感がある
辞書開いてみても、歪って言葉は形あるものに使う場合がほとんどらしい >>254
同意
歪な(経歴を持った)線
とかBUMPの歌詞じゃよくあると思う というか平面とか関係なく「歪んだ」だと悪い印象があるから
「歪でも歩んできた証だよ」って意味で歪って響きを選んだんだと思う
子供が作った粘土細工や下手でも一生懸命作ったケーキとかをいびつだけど〜って言ったりするじゃん
藤原は辞書的に正しい言葉よりもニュアンスを重視するからな 歌詞の場合、音やリズムにうまく乗せないといけないから
ある程度、端折った表現になるのは仕方がないし、許容範囲だと思うけどねえ >>260
マジ?俺の地元ではザリ釣りって略されることあるぞ 自分は、いびつは、でこぼこまるい地球の上
みたいなイメージが浮かんだかな。 結局話がしたいよの太陽圏か太陽系かはどうなったんだろ GOの歌詞解釈
サーカス(目標)に向かう主人公の姿は、サーカスのように華やかで輝かしい。
凸凹丸い地球の上を歩く主人公=玉乗りするピエロ
「心が宝石を生む度に高く浮かべて名前つけた忘れられてもずっと光る星空」
はサーカスの演出に使われている電飾的な比喩?
こういう感じに解釈してるんだけど同じように解釈してる人いる?
fireflyで言えば「同じ色に傷は輝く」のような意味合い
眩しい夢を追う主人公の姿は夢と同じくらいの光量がある的な >>267
fireflyは諦めた地点にいる人への激励の歌詞だけど
GOは諦めた後脇役としてそれなりに生きてきた人が心踊るなにかを見つけて、でも自分はその主役になれないとわかっていて、それでも心踊る気持ちに嘘がつけず走り出したい気持ちになっているのに対し
「とても素晴しい日になるよ」と太鼓判を押す歌詞だと思う >>267
「でこぼこ丸い地球の上」はストレートに苦難が多いのに同じ所ばかり転がってしまう(球体はどこまで行っても延々同じ周囲を回ってるから)って意味でピエロとかは考えすぎだと思う GOはどっちかというとstage of the groundに近い
fireflyは「自分は(他人から見て)特別な才能や魅力のある存在ではない」という現実を見て諦めた傷が輝く歌だが
GOやstage of the groundはその傷を飼いならしてる人に「たった一つしかないように見える太陽や圧倒されるような星空も君の人生においては全て君のものだ」って歌 >>269>>270>>271ありがとう
なるほどなあ。ピエロ解釈はやっぱりないか笑
そうするとなんで唐突にサーカスを出したのかが凄い気になるんだよね
主人公冒頭で泣いてるし、ピエロの涙マークの事にこじつけれなくもないし
妄想は膨らむばかり笑 GOは1番がstage of the ground
迷いなが間違えながら選んだ未来
2番は これからは 自分で選ばない流れに身を任せてみる未来を選んだ曲だと思ってるけど
でこぼこ丸い地球は 日常のこと
よくわかんないサーカスは非日常なことかなぁ >>272
「ステージ」の上で行われる物を考えるとサーカスの他に演劇やトークショー、マジックショー等が浮かぶけど
この中で一番人間らしいモチーフはサーカスだと思う
演劇は「作り物」だし、マジックショーやトークショーはあまりに知的、技術的な印象が強いから人間味がやや薄い
サーカスはもともと見世物小屋、他に行く場所がない人々の集まりみたいなとこがあるから、華やかさとは真逆の悲しみもある人間らしいステージのイメージとしてはぴったり
あと注目すべきはサーカスが「来た」っていう歌詞
このサーカスは移動サーカス←ここがポイント
GOの主人公は自分から光ある場所に赴く度胸はまだないが
向こうからやってきた輝かしい物に向かって走り出そうとする勇気はある これからは自分で選ばないけど とても素晴らしい日になるって信じてる
自分を信じる曲 >>268さんもありがとうぅ
fireflyは確かに気持ちは諦めてるけど、それでも
「色々と難しくて続ける事以外で生きている事確かめられない」
って行動は止めてないから、諦めた地点からまだ進んではいるよね
GOの主人公も気持ちは諦めてるけど、身体は進んでるというか
そういう観点で行けばほぼ同じ性質の曲に思えるから、>>267の解釈に辿り着きました
違い曲同士で考察混ぜるとややこしくなりますね、、すません いやいや自分で選ぶだろ
藤原が自分で選ばないとか言わないだろ
自覚がなかっただけで自分の未来は自分で選んだものだし
それに気づいた今日はとても素晴らしい日になるよって曲だろう >>276
大前提としてfireflyは本人視点の歌
GOは第三者からの励ましの歌だから
そこが決定的に違うだけで同じ内容なのはあながち間違ってないと思う >>274
ものすごく腑に落ちました・・・なんかそれで全部まとまりますね
サーカスは華やかなものとしか捉えてなかったのが原因でした。ありがとうございます
>>276
GOの主人公気持ち諦めてるって書いたけど全然諦めてないですね訂正します; >>277
流れに身を任せる事を選ぶ
だから自分で身を任せる事を選んでるよね まわりの人を信じてるだから身を任せる
だからGOは信じる曲 深い森に迷い混んだ化け猫は人間の言葉を知らない。その森は存在するようで、存在しない世界。地球のどこかにあるようで、ないような。時々、その深い森に音になって光が差し込んでくる。
生きているよここにいるよって、命の鼓動の歌。化け猫はその世界をみてみたくなるのだが、臆病な化け猫は森から出れない。だから風に頼んで言葉を伝えてもらう。
その生きた証しはその人達みんなの誉れなんだよって。 GOは「思いをひとりにしないように」ってフレーズがいい
したかったけど結局しなかった、という何気ない出来事は無邪気に先走った心を置き去りにする悲しい行為だったことに気づけた
BUMPに心と体を別物として描いた曲は多いけど、これが一番心という存在の切なさを表している気がする なるほどねー 心と体かぁ
私は心と心と解釈してるなぁ
ただ話しがしたいよは そのまま心と体が疲れてると思ってるけど HAPPYの
消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう
って
消えない悲しみがあるなら 消えない喜びだってあるだろう
ってことなんかね?
悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
と対比すると >>287
消えない悲しみがある=あなたが存在しているという証拠がそこにある
だから生き続ける意味があるってことだと思う >>287
そこと対になる詞なのに、
消えない悲しみがあるなら 喜びだってそういうものだろう
としなかったのは、それも含むけどきっともっと大きい意味だからだよね
たとえば“消えない悲しみ”が何かを失ったことに起因するなら、それだけの大事な空っぽを抱えて生きていく意味とか
>>288もあると思うし というか、消えない悲しみがあるなら喜びだってそういうものだろうと思える人はそもそも悩まないからな 単に事実として喜びは消える
悲しみは消えないものもある
少なくとも藤原や藤原の書く詞に共感するような人はそうだろう >>291
消えない喜びもあるんじゃない?
rayやmorning glowにあるように、別れは出会ったこととつながってる
お別れしても出会った事実はなくならない
それと同じで、消えないほど大きい悲しみの前にはきっとそれだけ大きな喜びがあったはずで、
悲しみにかき消されたように見えてもその喜びがあった事実は消えてはいないと思う >>292
それはわかるけど過去に喜びがあったという事実だけで生きていけるほど人間は強くない
さらに言うと悲しみの前に喜びがあるとは限らないからな 基本的にHAPPYが響くらいメンタル的に落ち込んでる人にとっては「喜び」は禁句
過去に喜びもあっただろうとかこれから喜びもあるよと言うのは鬱病の人に頑張れと言ってるのと同じ
悲しみは消えると言うなら喜びだってそういうものだろう
↑これは悲しみや喜びが消えるかどうかってこと自体が言いたいわけじゃなくて
「悲しみもいつか消えるから大丈夫だよ!」って無責任な励ましをする人がいるから
たった今悲しみしか感じられずにいる人に「それを言うなら喜びだって消えるよな」って共感してるんだと思う
最後に「消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう」と喜びに触れなかったのも
たった今悲しみの中にいる人に喜びではなく悲しみで勇気を与えようとしたから 他人の無責任な励ましを対にして逆説的に解いたのが
「消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう」と思った
そうでないと自分はこの最後の詩の意味が掴めないな >>295
逆説的に解いたっていうか
消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろうは>>288で
そこに「僕と一緒に」歌おうと言ったりHAPPY BIRTHDAYととにかく生きてることを賛美することで
喜びとか悲しみとかよりもただただ味方がいるからと伝えてるんだと思う まとめると悲しみがいつか消えるなんて言えないし喜びもあるよとも言えないけど
悲しみがあるということは「君」は確かに生きているってことで
それは藤原にとってHAPPY(「喜び」ではなく「幸せ」)なことだから生きて欲しいって歌だと思う >>288とは思わないかな
色んな解釈があっていいだろうしね
いい曲であることに変わりはない Smileや望遠のマーチの歌詞でよくわかるけど藤原は良いことでも悪いことでも保証のないことで人を説得はしないよね
HAPPYは悲しみが消えないと思い込んでる人に寄り添うために優しい言葉の雨は乾く〜とそれこそ喜びが去る一場面を書いてる 個人的には藤原自身は>>292みたいな考え方も出来る強さのある人だと思う
最近なら記念撮影なんかまさにその強さ前向きさが現れてる
けどとてもそんな風に考えられないくらい弱ってる人がいるのもわかっていてそういう人には>>296みたいに語りかける
>>296みたいな歌詞に励まされたBUMPファンがだんだん>>292みたいな考え方になっていく
BUMPってそういう力がある HAPPYが1番の名曲やと思うな
歌詞とかすげえもん >>292は単に過去に喜びがあったからとか、これから喜びがあるから生きていけるってことが言いたいんじゃないんだ
悲しみと喜びは表裏一体だと思うんだ
消えないほどの悲しみって自分は喪失のイメージ
無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて って歌詞もあるし
それだけの悲しみがあるってことはそれだけ大きな存在があったってこと、それと出会えたこととかともにいられたことが消えない喜び
消えない悲しみがあるってことこそが消えない喜びがある証
だから生き続ける意味があると言いたかった
これでもまだうまく表現できてないかも、難しいな 生き続ける意味もあるだろう
いつまでも消えない悲しみを抱えてる人
そういう人ならばいつかきっとまた喜びや幸せにも出会える可能性があるって意味は含まれてないの? >>304
そこまでは言ってないと思う
どうせいつか終わる旅と言ってるし
いつかきっと喜びに出会えるよとは言えない >>303
>喜びと悲しみは表裏一体
その場合もあるしそうじゃない場合もある
例えば家庭に恵まれない人が喜びを感じられないまま失った子供時代とか
それでも失くしたという事実はあってそれ自体が愛しい
喜びにしろ悲しみにしろ感じてる間は大丈夫
本当にやばいのは何も感じられない時だから >>306
可能性だよ
出会える可能性もあるって話だよ
断言はしてない
藤原って一筋の希望を歌詞にするよね
喜びには出会えないは絶望過ぎる
でも喜びに出会えるとははっきり断言出来ない
でももしかしたら…
だからこその「生き続ける意味もあるだろう」なんじゃないの? 藤原は出会える可能性があるとも言ってないしないとも言ってない
喜びにもしかしたら会えるかもしれない…と思うのはHAPPYを聴いたリスナーが自分で見出した希望
藤原はそれを何より重視してる >>309
だからそれが「生き続ける意味もあるだろう」って歌詞に全て含まれてるんじゃないの? >>310
藤原が示したのは「喜びに出会える可能性もある」という希望じゃなくて
「生き続ける意味だってある」という無条件の全肯定
「喜び」ではなく「存在」の保証
それをリスナーが喜びに出会えたと感じる >>311
それじゃなぜ消えない悲しみを対比してるの?
存在だけなら悲しみとか言わなくて良くない >>312
今喜びがなくて悲しみだけでもその悲しみも立派な生きてる証だってことでは?
喜びを持ち出したのは対比じゃなくて強調だろう >>313
対比じゃない?
その前も恐怖に対して勇気とかこの歌詞ってずっと対比させてない? >>314
恐怖と勇気が対比って…?
続きを選ぶ恐怖の途中続きがくれる勇気にも出会う
これ対比か? >>315
対比じゃないの?
二つの性質の違うものを並べたら? >>316
対比っていうのは例えば
朝の月は白くて
夜の月は黄色い、みたいなもののことで
HAPPYのは例えば
自然は敵にもなるし味方にもなるっていうようなことだぞ
そこで敵と味方を対比しても意味ないだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています