自分は、どこかで間違えれば自分がそうなっていたかもしれないと思うから素直に怖いと思うし怖いと言う。
でも、周りの目があって、怖がると逆に自分が被害に遭うかもと思ってる子たちは、怖いというその感情を「キモイ」と言う。旧日本軍の捕虜がそうしたように笑い飛ばそうとして、……難しいことだと思う。
子供は社会の鏡だ。
以前の主流だったように拘束して手足の自由と独立心を奪うならそれを臨終まで面倒見る福祉関係者の数を増やさなければいけないけど、
それでは福祉の財源をどうするのかや人間を何のために生かしているのかという話になるわけで、自由にしても社会人にする教育をしなければ外での危険が増えるだけ。
放置されたまま成人してしまった子供が人格崩壊から立ち直るってよほど優れた人格を持った人間が傍にいて陶冶するのじゃないと無理だ。人は教育者の言葉によって教育されるのではなく教育者がどういう人間であるのかによって教育されるのだから。

だから、教育者の教育という問題を避けて福祉に投げるのは欺瞞。
欺瞞っていうか、学校教育や家庭教育で避けた問題(人間を生かすためには本質的に避けられない)が福祉の分野でより難度が高くなって再燃しているだけだ。
被害者も加害者も、根は同じ問題から来ている。

そういう、日本が抱える根本の問題を、つまらない、だってさ!
笑うしかねーよな!