無条件にお互いを受け入れ合うんであれば、
それはもはやロボットみたいに「ウケイレアウウケイレアウ」ってプログラムされて動いているようなものであって、
そこに何の感情・判断・知性もないわけでお

それはもはや人間ではないお…
キモチワルイと思って当然だお

確かに受け入れ合うことは素晴らしいとは思うし、
紆余曲折を経てそこに到達した人達は尊い何かを感じ取ることもあるだろうけど、
それというのは「人間」が前提だお

人間は感情に振り回されたり、知性でいろいろと考えたりすることができて、
受け入れる・受け入れないを考えることができる
つまりYES/NOの判断ができる
そのYES/NOの二択があるという前提が重要であって、
その前提を乗り越えてなおYESという選択をした、
そのことに尊さなどがあるわけでお

そもそも人間が何も判断しなければ「尊さ」という概念すら存在しないはずでお

そんなことを考えると漏れは拒絶は許容すべきと思うわけだお

拒絶は許容する[MAY]けど、推奨はされない[NOT RECOMMENDED]
つまり拒絶に対して社会は強制的に排除すべきではない、というのが漏れの考えお
ただしやんわりと推奨されない旨を伝えるべきだし、自分でツケを払う可能性も伝えるべきとは思お
だけど行き過ぎると問題なので差別は許されないというのは、最低ラインとして社会が押さえておく感じお

社会が個人に対して受け入れることを強制するのはおかしいお