多分「政治的」という言葉も人によっていろんな含意がありますよね。
大別して、流行りものとしての時事ネタを扱っているということと、きちんとしたインフラを統治する人々にいきわたらせ社会を社会として成立させているスープラまで、深いレベルまで視点を掘り下げているという意味があるでしょう。
それと、第三には、広い意味での人間の社会的活動、あるいはその習慣・習俗。
個人的な考えでは、文学が文学であるためには前者における政治性ではなく後者ふたつの意味における政治性を追求すべきです。
というのは結局前者ばかりを追えば外面的な描写に終始して自分自身の心を通じた描写は無視されがちになるから(だから私は「政治的文学」などというものは無価値だと思う)。

自分自身の心を通じて世界と対決できないのでは心理を心情描写として深堀りできないので、近代文学としては失敗作になる。
そしてポリシーというのは本来多分第二の意味のもの、「社会の同じ釜の飯を食う他者」と共有されることが前提のはずのもの、という、広い意味での「政治性」と結ばれている。
なのに、そのポリシーが「社会の同じ釜の飯を食う他者」の批判を受け付けない、他人に対して閉じられているのでは本末転倒だ。
それは、ただ自己に対して無批判を貫かんがために風向きを読んで「戦略的・合理的」に愛をいけにえに捧げる人々と何ら変わりはしない。