>>203
> 帝国憲法が大陸法系になったのは、

 帝國憲法は寧ろ主權論を排した英米法に近いが。

> プロシア憲法を模倣したからだよ。

 普魯西憲法の各章は――
第一章・領土、第二章・人民の權利、第三章・國王、第四章・大臣、第五章・兩議院、第六章・司法權、
第七章・官吏、第八章・財政、第九章・地方行政、第十章・通則、第十一章・經過規定と云ふ法相となつてゐる。

 飜つて帝國憲法の各章は――
第一章・天皇、第二章・臣民の權利義務、第三章・帝國議會、第四章・國務大臣及び枢密顧問、第五章・司法、
第六章・會計、第七章・補則である。

 如上の各章の竝の違は憲法起草に當り、何を一番重視してゐたかと云ふ顯著な例である。
 普魯西憲法の第二章に「人民の權利」が置かれたのは當時の民主主義の勃興に因る影響。
 同じく帝国憲法の第二章に「臣民の權利義務」が置かれたのは普魯西憲法が民主主義の勃興に影響された物の影響では無くして、
君民本末の國體的大義に本づいて第一章・天皇の次に置かれた。
 帝国憲法は西洋の立憲君主政體の憲法の法制に影響されたと謂はれながらも、其の實、全く其の内容は西洋の何處の國の憲法とも異なつてゐる。