流石朝鮮、中国、韓国人の口からは適当な嘘が良く出てくるものだ、ホテルの便座じゃないんだから我我日本人の復讐心を侮って貰っては困る (嗤) 反日は死ね、キモい、寄んな 0659名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:34:33.33ID:x5rzfpjW NHK 日本海軍反省会400時間の証言 第3回 戦犯裁判 第二の戦争
ナレーター: 米内はこの時、東條だけでなく嶋田元海軍大臣にも責任を取らせる準備があると伝えました。 しかし、結果として死刑となったのはフェラーズの言葉通り東條初め陸軍関係者6人、 海軍は1人も居ませんでした。 0661名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:37:54.30ID:x5rzfpjW . 0662名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:39:00.38ID:x5rzfpjW ハーバート・ビックス「昭和天皇」2001年ピュリッツアー賞受賞作
寡頭政商の中には皇族財閥も含まれる。 共和主義者が直接、諸外国と反寡頭的な政治をするべきでしょう。 0671名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:53:00.60ID:XCthkO5w オールコックは、幕府支配に代わる雄藩連合政権を構想し…しかし、彼が雄藩連合を支持したことは、 雄藩が武力に訴えても、幕府を打倒するのを支持したことを意味しない。 オールコックの雄藩連合政権構想は、雄藩の貿易参加への支持と表裏をなしている… 彼は、互譲・妥協によって内乱ないし外戦を避けつつ、幕府が政権を雄藩連合に委譲すること… むしろ幕府が雄藩連合のなかにとけこむこと、を日本における政治的改革の理想的形態とした。 これが、幕府の貿易独占に由来する国内紛争を避け、 日本という市場をもっともよく拡大できる途であると信じたからである。 しかし幕府が雄藩連合の途を棄てて、「徳川絶対主義」への途を直進するとき、 オールコックによる日本改革の理想像は到底、実現さるべくもなかった… 後任として駐日公使になったパークスは、前任者にくらべ…対日政策において慎重であった。 パークスの有能な助手サトウの…『英国策論』が、パークスの対日政策を代弁するとみるのは誤りで… むしろ、オールコックの対日政策の展開とみるべきで…薩長同盟の成立によって、 幕府と倒幕勢力との対決が鮮明になったとき…外相クラレンドンがパークスに発した訓令は… 日本の内紛には中立を厳守すべきであるが、対日貿易を発展させるには、 幕府と諸藩の間の調整が必要であるとされ…その調整にさいして、外国人は 表立った役割を演じるべきではなく…「示唆」にとどめ、 日本における改革は、もっぱら日本人から出るように見せかけるべきだ、という… 0672名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:54:15.00ID:XCthkO5w ところが薩摩藩は、サトウの『英国策論』をそのまま、イギリスの対日政策と信じこんで、 パークスによる天皇との間における条約締結の提議を合図に、外圧を利用する政治的術策によって、 幕府を倒そうとたくらんでいた。 『英国策論』の線を実践できると思っていた薩摩藩の誤算に乗じて、徳川慶喜は、 兵庫開港を外国側に公約し、兵庫開港の勅許を獲得…薩摩藩の「切札」をとりかえし…た。 ここに薩摩藩は、政治的術策による「平和的」倒幕から、「挙兵討幕」へと戦術を切りかえる…
このように明治維新の政局が…自主的な展開をとげたのは…イギリスの対日政策によるところが大きい… 当時、「世界の工場」を誇ったイギリスは、自由貿易主義を貫徹することによって、 もっぱら商品の力で世界を支配するのを理想とした。 そして産業資本の利潤を減らす…軍事費や植民地経営費は、できるだけ削減する方針がとられた。 このようなイギリスの世界政策がもっともよく展開されたのは、 一八六〇年代の後半から七〇年代の前半である。この時期はあたかも、 明治維新の動きがクライマックスに達した時期と重なる… 東アジアにおける資本主義列強の圧力は、市場価値の大きい中国に集中され… 中国の比ではないとみられた日本では、 中国にくらべて外圧が緩和されていたという事情も考えなければならない… 0673名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:55:08.93ID:XCthkO5w 以上のような国際的条件のもとに、中国では、国内の動きが外国の動きによって規制されてしまったのに、 日本では、明治維新の過程でも見られるように、外国の動きによって規制されながらも、 なおある程度、国内の動きは独自性を保つことができた… しかしこのことは、さらにその後における両国の行きかたをもかえてしまった。
半植民地化した中国では、 民族のすべての抵抗のエネルギーが帝国主義列強とそれに従属する国内の買弁的勢力に向けられ、 ついに新民主主義革命となって結実した。 これにひきかえ、資本主義列強と結んだ脱アジア的近代化から帝国主義国に上昇する途をたどった日本では、 天皇制国家権力は、植民地の保有とその拡大によって、ある種の幻想と いくらかのおこぼれを国民の一部に与え、 自己に向けられるべき抵抗のエネルギーを弱めたり分裂させることに成功した。 しかもその遺産は、なお今日にまでおよんでいるようにみえる。 中国の新民主革命から四分の一世紀をへて、ベトナムが完全に解放されたいま、 私はつくづくその感を深くするのである。 0674名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:56:55.90ID:XCthkO5w >半植民地化した中国では、 >民族のすべての抵抗のエネルギーが帝国主義列強とそれに従属する国内の買弁的勢力に向けられ、 >ついに新民主主義革命となって結実した。 >これにひきかえ、資本主義列強と結んだ脱アジア的近代化から帝国主義国に上昇する途をたどった日本では、 >天皇制国家権力は、植民地の保有とその拡大によって、ある種の幻想と >いくらかのおこぼれを国民の一部に与え、 >自己に向けられるべき抵抗のエネルギーを弱めたり分裂させることに成功した。 >しかもその遺産は、なお今日にまでおよんでいるようにみえる。 0675名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:58:19.67ID:XCthkO5w >正論です 恐縮にございます。 0676名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:07:42.12ID:3AFim1KQ>>673 >これにひきかえ、資本主義列強と結んだ脱アジア的近代化から >帝国主義国に上昇する途をたどった日本では、 >天皇制国家権力は、植民地の保有とその拡大によって、 >ある種の幻想と >いくらかのおこぼれを国民の一部に与え、 >自己に向けられるべき抵抗のエネルギーを >弱めたり分裂させることに成功した。 >しかもその遺産は、 >なお今日にまでおよんでいるようにみえる。
日本が戦後の1947年から 1980年代迄の急激な経済成長を遂げたのに対して 中国大陸は1945年から中国共産党が政権掌握する前迄は 未だに内戦状態であり 日本が満州国という国家で支配していた地域は 1945年8月からの旧ソ連のつまり共産党の侵攻によって 中国共産党支配迄の旧ソ連支配という コミンテルン支配になった 0677名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:09:44.31ID:uqDtxEGD 「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、 真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。」 『日本のあけぼの―建国と紀元をめぐって―』三笠宮崇仁、1959 0678名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:23:38.67ID:3AFim1KQ>>665 戦前の革新官僚は旧ソ連を手本にしながら 看板は国体や日本精神を売り物にして 看板は八紘一宇と大和は国のまほろば論で 表面的には国家神道の精神を標榜 実はマルクス主義とスターリン主義や 旧ソ連の全体主義を推して行った (戦前の革新官僚で検索の事) だから、戦前というと 戦前の革新官僚の全体主義や 国家神道の押し付けが思い起こされるが、 実はマルクス主義やスターリン主義の暗黒面に堕ちていたのであろうか? 暗いイメージがつきまといがちだが 現実の戦前の社会はそこまで暗いイメージでは無かったようです 0679名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:29:21.32ID:+GFOV+7P>>664 昭和天皇は、自分の身を犠牲にしようとしてまで、国民を助けようとしてくれたんだが。 お前はもう少し勉強しろ無能。 0680名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:34:14.52ID:+GFOV+7P>>663 昭和天皇は権限の殆どない立憲君主だったということを知らんのか。 お前は無理やり天皇に責任を押し付けたいだけだわな。 0681名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:46:53.25ID:x5rzfpjW 雑誌「選択」2014年7月号 岩井克己「宮中取材余話 皇室の風 鋼鉄製金庫内の革製金庫」
外相重光葵は昭和三十年八月に訪米して ダレス米国務長官と米軍撤退を含む安保条約改定などに関し会談する予定だった。 ところが出発三日前の同月二十日、那須御用邸に出向き内奏した際に昭和天皇から重大な発言があった。 「渡米の使命に付て縷々内奏、陛下より日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり」… 重光日記の記述通りなら、昭和天皇は 天皇の政治関与を禁じた日本国憲法第四条を逸脱し外相に「下命」したことになる。 防米した重光はダレスに米軍撤退の話は持ち出さなかったといい、天皇の「下命」が影響を与えた疑いも出てくる。 国会で答弁に立った藤森次長は一般論で逃げ… 質問者の一井淳治委員も次のように釘をさしただけで、それ以上は追及しなかった。 「昭和二十六年に日米安全保障条約が結ばれまして(略)日米関係をどうしていくか…が 一つの国内の大きな問題になっており…また、 米軍基地をめぐる基地反対闘争ということがずっと…大きな政治問題になっておったわけでございます (略)日本の防衛力を強化して、そのかわり駐留軍には撤退してもらおうと (略)重光外相などそういうお考えではなかったのかという気もいたします…そういう中で、 『日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可』だというふうに言われることは、 非常に高度の政治的な内容を含んでいる」 0682名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:48:17.47ID:x5rzfpjW 昭和天皇が国内外の共産主義勢力を極度に恐れて米軍の長期駐留を望み、 時には政権の頭越しに米側とやりとりする「二重外交」を試みたことは 連合国軍最高司令官のマッカーサーやリッジウェーとの会談記録や米側外交資料などでも明らかになっている。 とりわけ国際政治学者進藤榮一が発掘した「沖縄メッセージ」は衝撃的だった。 GHQ外交顧問ウィリアム・シーボルトが昭和二十二年九月十九日、 宮内庁御用掛寺崎英成から伝えられた天皇のメッセージをマッカーサーと ジョージ・マーシャル国務長官に報告した書簡「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」である。 「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。 0683名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:48:30.97ID:x5rzfpjW 軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、 長期の(二十五年から五十年ないしそれ以上の)貸与をするという擬制の上になされるべきである。 天皇によればこの占領方式は、 アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、 それによって他の諸国、特にソヴィエト・ロシアと中国が 同様の権利を要求するのを差し止めることになるだろう…」(進藤『分割された領土』) 北方四島や台湾との兼ね合いのなかで天皇は日本の潜在主権を残す形での沖縄の米軍事基地化を希望し、 冷徹なリアリストぶりをみせている。昭和三十年の重光への「下命」は、 講和・日米安保条約締結後もなお天皇が米軍撤退に強く反対したことを示すものだった。 0684名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:49:06.75ID:x5rzfpjW >昭和天皇が国内外の共産主義勢力を極度に恐れて米軍の長期駐留を望み、 >時には政権の頭越しに米側とやりとりする「二重外交」を試みたことは >連合国軍最高司令官のマッカーサーやリッジウェーとの会談記録や米側外交資料などでも明らかになっている
>ジョージ・マーシャル国務長官に報告した書簡「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」である。 >「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。 >軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、 >長期の(二十五年から五十年ないしそれ以上の)貸与をするという擬制の上になされるべきである。 >天皇によればこの占領方式は、 >アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、 >それによって他の諸国、特にソヴィエト・ロシアと中国が >同様の権利を要求するのを差し止めることになるだろう… 0685名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:50:26.28ID:x5rzfpjW 川田稔「昭和陸軍の軌跡−永田鉄山の構想とその分岐」
翌年七月、絶対国防圏の要衝サイパン島が陥落。 それによって日本本土がアメリカ長距離爆撃機の空爆範囲内に入ることとなり、 本土主要都市への本格的空襲がはじまった。 これを契機に東条内閣は重臣や宮中側近らによって総辞職に追い込まれる。 ただ、東条失脚後も陸軍内ではなお統制派系幕僚が主導権を握っていた。 この段階では、太平洋の戦局からみても、国際情勢からみても、 すでに長期的には日本の敗北は確実となっており、即時休戦ののち講和協議へ入る選択肢も当然ありえた。 だが、陸軍内では、非統制派系の戦争指導班…や 参謀本部情報部の一部で、ソ連を通じた早期講和が模索されていたが、 統制派系の主流派は継戦方針を変えなかった。 太平洋戦争中の日本人兵士戦死者二三〇万人の大部分、民間人死者八〇万人のほとんどは、 このサイパン陥落以後に犠牲となったのである。 0686名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:51:59.06ID:XCthkO5w 堀田善衛 『破滅型 近衛上奏文について』
太平洋戦争についての、特に政治経済軍事外交などの責任にあつた人々の記録や回想録をだいぶ読んだ… みなそれぞれに興味深かつた。 そして大体それらの全部を貫いて、一つ二つの共通するものがあることに気付いた。 その一つは、国民というものの無視、或は敵視である… すなわち、国民は戦争を、或は自分たちを、何と考えているか、という疑いを通じてしか考えていない、 そういう考え方である。 これを最も露骨にあらわしているものは、近衛文麿の書いた天皇に対する上奏文である… これは恐らく歴史に残る文書であろうが、 とにかく当時の上層部が何を考えていたか、まざまざと見る思いをさせられるものであり、 一種の傑作であるとさえ僕は思う。 …近衛氏は、共産革命を防止し、国体と称するものを守るためにのみ、戦争終結を急いだのだ。 そしてこの国体と称するものも、要するに自分たちと天皇ということにほかならぬと思われる。 これは原田日記などにも明らかに見られる考え方である。 国体、国体とお題目のようにかつぎまわる右翼も、近衛氏によれば「国体の衣を着けた共産主義」である。 この上奏文全体を何度読んでみても、九十九パーセントの国民の苦難など、痛快なほどに無視されている。 要するに、「敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存候。」というわけで、 国民の苦悩、「生活の窮乏、労働者発言権の増大」などは、 「共産革命達成」の道具としてしか、この意義に於てのみ憂うべきものだのである。 その道具にさえならなければ、さまで憂うる要なしと存候である。 近衛氏から見れば、戦争継続を主張するものは共産主義であり、憲兵から見れば平和を主張するものは赤である。二つあわせれば―そして後世の歴史家は―戦時日本はマッカッカだつたというかもしれない… 0687名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:52:20.64ID:x5rzfpjW ところが、この同じ近衛氏が、如上の上奏をしてから四ヵ月たつた六月十二日、 モスコウ行の勅諚を拝し、これを引受けるにいたつては、 また彼の先生の西田幾多郎博士がソヴエトを論じ、 「将来の世界はどうしても米国的な資本主義的なものではなく、やはりソヴエト的なものになるだろう。 日本本来の姿もやはり資本主義よりはああいつた形だと思ふ」などと…近衛氏に話す、 これに対して辞去してから近衛氏が「実にかざり気のない人だ」と評する(…上奏の日より二日後) にいたつては、近衛氏という人をどう表象したらいいのか…つかみどころがない… 哲学者西田幾多郎の意見が「かざり気のない」ところを表明したものと認めるのならば、 二日前の上奏文はどうしたことなのだろうか。被害妄想性ヒステリーか。 …杉山元という小磯内閣の陸軍大臣は「外交による転換」(降伏)の場合、 軍は動揺するだろう、といわれ、 それだからこそ元帥という肩書でどうにかなると思つているのである。(同「細川日記」による) ここまでくると、もう常識でも判断できない。死者に対して礼を欠くかもしれないが、キチガイである。 ジャン・ジュネは…「泥棒日記」のなかで王宮と監獄の等質性を力説しているが、 あの戦争中、日本の軍政のピラミッドの、雲の上に近いところにいた人々は、社会から完全に離脱して、 そして社会の側から云えば、社会から斥けられて、実に驚嘆すべきことを考えていたものである。 グロテスクと云つていい。(雑誌『新潮』 1953年10月号) 0688名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:52:59.64ID:x5rzfpjW >…近衛氏は、共産革命を防止し、国体と称するものを守るためにのみ、戦争終結を急いだのだ。 >そしてこの国体と称するものも、要するに自分たちと天皇ということにほかならぬと思われ >この上奏文全体を何度読んでみても、九十九パーセントの国民の苦難など、痛快なほどに無視されている。 >要するに、「敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存候。」というわけで >ここまでくると、もう常識でも判断できない。死者に対して礼を欠くかもしれないが、キチガイである >あの戦争中、日本の軍政のピラミッドの、雲の上に近いところにいた人々は、社会から完全に離脱して、 >そして社会の側から云えば、社会から斥けられて、実に驚嘆すべきことを考えていた >グロテスクと云つていい 0689名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:53:32.39ID:/tzC8PQ2>>679 自分がしっかりしてなかった為に国民を不幸のどん底にたたきこんだんだから、 自分の身を犠牲にするのは当然だろ。別に偉い事でも何でもない、当たり前の 罪滅ぼしだろ。 0690名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:54:33.61ID:x5rzfpjW >太平洋戦争中の日本人兵士戦死者二三〇万人の大部分、民間人死者八〇万人のほとんどは、 >このサイパン陥落以後に犠牲となったのである。 >とりわけ国際政治学者進藤榮一が発掘した「沖縄メッセージ」は衝撃的だった。
>お前はもう少し勉強しろ無能 無能=GFOV+7P 0691名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:56:33.66ID:x5rzfpjW これを教えてくださった以下の方に感謝いたします。 ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/konoe/jousoubun.html 堀田善衛 『破滅型 近衛上奏文について』 0692名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:58:00.78ID:x5rzfpjW >そして大体それらの全部を貫いて、一つ二つの共通するものがあることに気付いた。 >その一つは、国民というものの無視、或は敵視である… >すなわち、国民は戦争を、或は自分たちを、何と考えているか、という疑いを通じてしか考えていない、 >そういう考え方である。 >これを最も露骨にあらわしているものは、近衛文麿の書いた天皇に対する上奏文である… >これは恐らく歴史に残る文書であろうが、 >とにかく当時の上層部が何を考えていたか、まざまざと見る思いをさせられるものであり、 >一種の傑作であるとさえ僕は思う。 0693名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 15:00:50.77ID:bxlk+uRB 679,680はお花畑。 663,664が正しい。 0694名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 15:00:52.79ID:x5rzfpjW >…近衛氏は、共産革命を防止し、国体と称するものを守るためにのみ、戦争終結を急いだのだ。 >そしてこの国体と称するものも、要するに自分たちと天皇ということにほかならぬと思われ >この上奏文全体を何度読んでみても、九十九パーセントの国民の苦難など、痛快なほどに無視されている。 >要するに、「敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存候。」というわけで >ここまでくると、もう常識でも判断できない。死者に対して礼を欠くかもしれないが、キチガイである >あの戦争中、日本の軍政のピラミッドの、雲の上に近いところにいた人々は、社会から完全に離脱して、 >そして社会の側から云えば、社会から斥けられて、実に驚嘆すべきことを考えていた >グロテスクと云つていい
>太平洋戦争中の日本人兵士戦死者二三〇万人の大部分、民間人死者八〇万人のほとんどは、 >このサイパン陥落以後(戦争末期の一年間)に犠牲となったのである。 0695名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 15:09:28.83ID:x5rzfpjW >近衛氏は、共産革命を防止し、国体と称するものを守るためにのみ、戦争終結を急いだのだ。 >そしてこの国体と称するものも、要するに自分たちと天皇ということにほかならぬと思われる。 >これは原田日記などにも明らかに見られる考え方である。 >この上奏文全体を何度読んでみても、九十九パーセントの国民の苦難など、痛快なほどに無視されている。 >要するに、「敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存候。」というわけで、 >国民の苦悩、「生活の窮乏、労働者発言権の増大」などは、 >「共産革命達成」の道具としてしか、この意義に於てのみ憂うべきものだのである。
>昭和天皇が国内外の共産主義勢力を極度に恐れて米軍の長期駐留を望み、 >時には政権の頭越しに米側とやりとりする「二重外交」を試みたことは >連合国軍最高司令官のマッカーサーやリッジウェーとの会談記録や米側外交資料などでも明らかになっている。 0696名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 15:11:11.51ID:+GFOV+7P>>689 お前は、安全な場所から好き放題言ってるだけ。昭和天皇の御苦労を知らんのだな。可哀想なヤツよ。 0697名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 15:13:08.79ID:+GFOV+7P>>693 お前は何も知らないドアホウだな。 0698名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 15:20:41.42ID:bxlk+uRB お花畑が股キタ。 0699名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 15:35:52.59ID:bxlk+uRB 昭和天皇は金儲けの為に戦争を推進した。