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 ☆ポツダム宣言の「民主主義的傾向の復活?化」に關して

昭和廿年十月廿日-廿二日、朝日新聞?載、美濃部達吉博士寄稿

 「私は所謂「憲法の民主主義化」を實現するためには形式的な憲法の條文の改正は必ずしも絶對の必要ではなく、
現在の憲法の條文の下に於ても、議院法、貴族院令、衆議院議員選擧法、官制、地方自治制、その他の法令の改正及びその運用により、
これを實現することが十分可能であることを信ずるもので、假令結局に於てその改正が望ましいとしても、
それは他日平穩な情勢の恢復を待つて愼重に考慮せられるべき所で、今日の逼迫せる非常事態の下に於て、
急速にこれを實行せんとすることは徒に混亂を生ずるのみで、適切な結果をえる所以ではなく、
隨つて少くとも現在の問題としては憲法の改正はこれを避けることを切望して止まないのである。
(略)
 私は民主主義の政治の實現は現在の憲法(帝國憲法)の下に於ても十分可能であり、
憲法の改正は決して現在の非常事態の下に於て即時に實行せねばならぬ急迫した問題ではないと確信する。
 敢へて冗々しく詳述する迄もないが、「憲法」と云ふ語には實質的の意義と形式的の意義とを區別せねばならず、
又「民主主義」と云ふ語にもそれと同時に法律的(形式的)の意義と政治的(實質的)の意義とを區別せねばならぬ。
 實質的の意義に於ての「憲法」とは國家組織の基礎法とも謂ふべきもので、
この意義に於ての憲法は形式に於ては必ずしも憲法として規定せられて居るものと同一ではない。
殊に日本の憲法(帝國憲法)は條文が極めて簡潔で實質上は憲法に屬すべきものでも、形式上は憲法の條文を以ては規定せられず、
他の法令や實際の統治習慣に任されてをるものが甚だ多い。