>>485
>だから御前だつて云つてゐるだらうに「他人に対して約束する」「自分に対して約束する」つて(嗤)。
>主權國家が何處の誰に約束するのよ(嗤)。

主権国家の国民が、国民自身の決意を文章化してるんじゃん。

>一主權國家が其の國家的意志表明するのは飽く迄も「宣言」しか無く、何處の誰かと約束するのでは無い。

「宣言」とは対外的なモノ。「誓い」とは自分自身に向けたモノ。
対外的な上っ面だけのモノに留めず、「中身のあるモノ」にするためには、「誓い」でなければならないのです。

>其が政治的な決議として存在しない限りに於ては民意がさうであるとの斷定は出來ない。

断定できるのです。なぜなら、みんな従ってるから。「従わない者に対する罰則」に異を唱えないから。

>而して歴史的に占領憲法が有效たる決議も無ければ、帝國憲法の排除決議も何も做されてゐる。

日本国憲法の成立の過程において、議員による多数決が行なわれました。
つまり、「今後は帝国憲法は無効で、日本国憲法が有効」という決議がしっかり為されているのです。

>だつた固より占領憲法も必要無いよな(嗤)。

社会が要請しているので、必要です。
「実際に、この社会は日本国健保によって運営されている」という現実の前で何をギャーゴ、ギャーゴと喚いても無駄。

>憲法典よりも社會とやらが上位概念なんだから(嗤)。

当然です。社会の要請があり、法が作られる、あるいは変えられるわけですから。