>>493
>唯の惰性つて丈だらう(嗤)。

あなたの個人的かつ勝手な『評価』でしかありません。
「変えられるのに、変えなかった」というのは紛れもない事実。つまり日本人は自らの意思で受け入れたのです。

>詰り「誓ふ」とは其の占領憲法の出自から云へば明かにGHQに對しての約束と云ふ縡である。

違います。日本国民自身の「決意」なのです。「誓い」の意味からして、約束の相手は「自身」でもいいのです。

>詰り御前の論理には法の妥當性と云ふ縡は一切關係無いと云ふ縡である。

社会が認めていることがすなわち妥当性。

>其が答になつてゐない(嗤)。

何がどうマズいから「答えになってない」のか説明がないので、反論になってません。

>唯の惰性(嗤)。

繰り返しますが、そんなのはあなたの個人的かつ勝手な『評価』でしかありません。

>GHQの強制、命令、認可、許可の下にな(嗤)。

GHQが去った後も変えなかったということはつまり、日本人は自らの意思で受け入れたのです。
日本国憲法は、その過程に国会議員が関わっていますが、帝国憲法は議員でもない人間がそれをやっているのです。