>>501
>だから其を「惰弱であり惰性」と謂ふのさ。

それはあなたの個人的主観的評価。「実際、受け入れている」という事実の前で何をギャーゴ、ギャーゴと喚いても無駄。

>其は御前個人の見解に過ぎぬ。

違います。「誓う」の辞書的な意味から必然的に導かれる結論。
これにイチャモンをつけているあなたの見解の方が、「日本語の意味を完全に無視した個人的見解」なのです。

>其は法の妥當性では無い。

違います。法とは社会の求めに応じて作られ、変えられていくもの。
「社会がそれを認め、実際にそれに基づいて社会が運用されいている」という事実こそが「妥当性」の証。

> 「議院内閣制に基づく間接民主制の国家」だから議會での議決が其の儘法の正當性を意味すると云ふのは法律にのみ云へる縡であり、
>帝國憲法の憲法改正には全く通じぬ論理である。

法律はOKで憲法改正がNGだという理由・法的根拠が示されていないので話になりません。

>熨斗を附けて御前に返すよ(嗤)。

「実際に受け入れ、変えようと思えば変えられるのにそうしてない」という事実の前で何をギャーゴ、ギャーゴと喚いても無駄。

>國會の決議も無いのに何うして受入れた縡になるのかね(嗤)。

草案に対して国会の議決を経ています。その後、GHQが去っても変えようとしていません。
つまり日本人は民意として日本国憲法を受け入れているのです。

「押し付けだ」というのは、受け入れに関わっていない人間が後からギャーゴ、ギャーゴとイチャモンをつけているだけ。