●天皇制廃止のメリットを書いていくスレ其の26●
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>>243
そうではなくて、たとえば、天皇が統治するという規定の根拠付けを
問うているのだよ 理由がないなら、徳川がその欽定憲法を発布しても
同じことだ つまり、封建社会とかわりないということだよ 岸田秀氏も『ものぐさ精神分析』だったかその著の中で、(敗戦直後の中学生のとき?)
新聞を読んでいたら(日本政府がGHQから頼まれもしない前に女を集めて)
《アメリカ兵専用の慰安施設を作った》という記事を見て呆れたそうだ。
だがそれは『自分らが中国大陸で行なった蛮行に怯えたからだ』という。
自分がやったからやり返させるのではないかと。自分の影に自分で怯えた訳だ。
他人を警戒したり他人を誹謗中傷、非難する強迫観念の中に、
自分も過去に、(今でも)同じことをしてきており、
それで“今度は”相手から自分がされるのではないかと怯えている。
その怯え、恐怖から逃れようと強迫的に他人を誹謗する。
ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/250-254
終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1531453918/868
徳富蘇峰「終戦後日記U」何故摘発せぬ 将校の不正行為
ttp://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/
徳富蘇峰「終戦後日記U」呪縛された特攻精神 神鷲はなぜ顛落したか
ttp://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471157733/796-798
堀田善衛 『破滅型 近衛上奏文について』 貴志謙介「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」
(この本に書かれていることは既にジョン・ダワーの本に書かれていることだが、
細かい事実を引用して敗戦直後の一年をコンパクトにまとめ、何が起こったかを俯瞰できるように書かれている)
徳富蘇峰の日記に軍の隠匿物資を軍人が掠め取って自宅に持ち帰る様が書かれている。
これは敗戦の混乱で指揮系統が緩んでいるために、一部の不良軍人が起こした不祥事だと思っていたら、
首相の鈴木貫太郎が進駐軍の進駐前(米軍に押さえられる前)に、
決戦に備えて軍や国家が国民から集めた物資を軍人と官僚らで山分けする指令を出していた。
つまり国家の危機だからと、国民を騙して集めた物資を軍と官僚ら、
その御用商人らが盗んでいた
(それら本土決戦に備えて国民から徴発した物資は国民生活の二年分在ったという。
だから軍と官僚らと、その御用商人たちが独り占めし、それを高値で闇市に“チビチビと”放出することなく、
国民に公平に一気に配れば敗戦直後の(当然、農村には食料は在ったが)
都市住民が飢え死にすることは無かったのである。国民にとっては戦時中よりも敗戦以後の方が食糧難だった)。 それで戦地から戻って職の無い復員兵や、戦争未亡人ら、
敗戦で解雇されて収入を絶たれた者らが喰うに困って闇屋をやっていた。
するとそこへ警察が取り締まりに来る。
喰い詰めた“素人の”戦争未亡人らを国営の売春宿で《性の防波堤》として米軍兵士にあてがう。
自分らが南京でしたことに怯え、『同じことを米軍にされたら叶わない』と。
それを元首相の近衛文麿と警視総監=国家のトップが計画する。
自分らの失策を(自分らの責任で作り出した)更に苦境の国民に押しつけて解決を図ろうとする。
本末転倒の不条理さである。
勝手に敗ける戦争を始めた者らが、案の定、敗けて空襲が始めると、
「防空法」によって空襲される都市から国民が逃げることを禁じ、多くの国民を焼き殺した。
そうした者らが敗戦したら敵のアメリカに寝返って罪を免れ、
自分ら高級軍人らには(国民の税金から)恩給を出し、戦争被害者の一般国民には何の保障もしなかった
(政府主導で米軍専用の慰安所は作ったのに戦災孤児らは単に見捨てられた)。 彼らは占領軍に取り入って戦争責任を免れようと、焼け野原の中、
GHQの高官ら家族を皇室が鴨猟等に招いて接待していた。
(『国家の非常事態だから』と、国民から集めた物資を軍と官僚、財閥らで山分けした現実は、
正に時代劇の悪代官と御用商人の《悪だくみ》そのままである。こうした)
現実を知れば知るほど戦前、戦中、敗戦後の日本の支配層とは、
一般国民に対する犯罪集団であることが解る。 731部隊が人体実験の資料を米軍に渡して戦争犯罪追求を免れたことは早くに暴露されていたが、
日本軍全体と昭和天皇が、GHQと取り引きして罪を免れていたことは知らなかった。
ダワーの書やNHK『海軍反省会』という番組を見るまでは。
それで驚いていたら、実は昭和天皇が戦争推進側で226の将校らが対英米戦争反対派だったという。
それで今回、闇市が何故成り立っていたのかを知った。良く見たらダワーの本にも書いてあったが、
(其々の事実を並べてみると)これほどまでに日本の政府が酷いとは思わなかった。
国民を守る気が全く無い。むしろ国民を盾にして自分らを守っている。
堀田善衛氏が『日本の“上の方は”国民が塗炭の苦しみに喘いでいたとき、驚くようなことを考えていた』
『アウトローである』と語ったが、正にアウトローである。 ttp://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471157733/796-798
ttp://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/konoe/jousoubun.html
堀田善衛 『破滅型 近衛上奏文について』
>太平洋戦争についての、特に政治経済軍事外交などの責任にあつた人々の記録や回想録をだいぶ読んだ。
>…みなそれぞれに興味深かつた。
>そして大体それらの全部を貫いて、一つ二つの共通するものがあることに気付いた。
>その一つは、国民というものの無視、或は敵視である…
>すなわち、国民は…自分たちを、何と考えているか、という疑いを通じてしか考えていない…
>これを最も露骨にあらわしているものは、近衛文麿の書いた天皇に対する上奏文である…
>これは恐らく歴史に残る文書であろうが、
>とにかく当時の上層部が何を考えていたか、まざまざと見る思いをさせられるものであり、
>一種の傑作であるとさえ僕は思う。
>その非常識滑稽は、社会から斥けられた法外者(アウトロウ)、犯罪者の抱く歪んだ社会観に近い。
>近衛氏は、共産革命を防止し、国体と称するものを守るためにのみ、戦争終結を急いだのだ。
>そしてこの国体と称するものも、要するに自分たちと天皇ということにほかならぬと思われる…
>この上奏文全体を何度読んでみても、九十九パーセントの国民の苦難など、痛快なほどに無視されている。
>要するに、「敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存候。」というわけで、
>国民の苦悩、「生活の窮乏、労働者発言権の増大」などは、
>「共産革命達成」の道具としてしか、この意義に於てのみ憂うべきものだのである。
>その道具にさえならなければ、さまで憂うる要なしと存候である。
>あの戦争中、日本の軍政のピラミッドの、雲の上に近いところにいた人々は、社会から完全に離脱して、
>そして社会の側から云えば、社会から斥けられて、実に驚嘆すべきことを考えていたものである。
>グロテスクと云つていい。 >>244
それでも試行錯誤して来た者達は有ったと思われます。 >>247
いや、彼等が作ったワケ無いしw数年前の流行語大賞の1つにも成った日本人の性向ですけど。 つまらんコピペが貼られているが
日本人が知るべきは日米戦争がイカサマだったことだ
日本の石油の備蓄が1年分しかなかったが、
アメリカがこっそり売ってくれたのでアメリカと戦争することができた
つまり、アメリカの支配層も、日本の支配層も、国民を家畜としか思っていない
つまり、日米の上の方は勝ち負けの関係ではない
これは決定的に重要なことであり
これを理解できたなら、戦後の日米関係を全て見直す必要が出てくる
GHQは天皇と同等、または下にあった
GHQのやったことは天皇の意思だ
・敗戦国の日本人は鍋釜が作れるだけの設備があれば良いと
日本の工作機械を韓国に運んだ
・東京裁判で陸軍に戦争責任を押し付けた
・米軍はスコップを持って仁徳天皇陵に入って荒らした
・サイクロトロンを密かに破壊して海中投棄した
などなど、GHQがやったと思っていたものを、
天皇がやらせたと見ると、天皇がいかに卑劣な野郎であるか分かってくる
仁徳天皇陵については、仁徳天皇の墓ではないので天皇としては破壊して欲しかった ttps://mobile.twitter.com/yohichi1/status/629991543697309698
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>255
はい、伝聞ではなくて、お前さんが実証すること。できなきゃ、嘘つき民族だわな。 >>257 〜 261
すべてスレチ。スレタイに沿った意見を書く能力は無いのか。 >>262
人間の話じゃないの。猿の話なの。よーく見てからレスを書いてね。 >>263
あっち向いてホイが好きなんだな。猿が船を漕いで対馬海峡を渡れるはずはないでしょう。
アンカーをたどってどこから議論が始まったのか確認して。 >>264
そう、良かったね。もう病室に帰ろうね。 >>269
彼等が猿化したのは約500年程前なので縄文の頃に来たのは、きちんと人間ですよ。
>>270
上記の通り、当時は猿ではなかったので、ちゃんと漕げたんじゃないですか?
因みに「縄文時代から」発言は私ですよ。 ID:ZBSr6RDTは認識が間違っているのだから他人を批判・罵倒してはならないと何度言えば分かるのかね? インチキ
ttps://mobile.twitter.com/someone5963/status/1041674803994800128
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 偽物
ttp://mazeranmisogi.jugem.jp/?eid=2969 >>274
見て来たワケではないので。
只、出土した土器を見る限り、普段使いではない土器を作った理由が他に思い当たらないもので。 >>272
あなたは半島に住む「類人猿のような人たち」を対象に書いているわけだ。だけど私は半島
の本物の、動物の「猿」を対象にしているよ。人を対象に書くのはヘイトですよ。 >>273
そう?。で、どんな認識が「正しい認識」なのかな?。正しいということは価値観が前提に
有るけど、お前さんの価値観はどんなものかな?。はっきり書いてみろ。 ttp://mazeranmisogi.jugem.jp/?eid=2969 >>278
>半島
>の本物の、動物の「猿」
…は、抑、航って来てません。日本に存在する動物の猿は全てニホンザルです。 日本人が知るべきは日米戦争がイカサマだったことだ
日本の石油の備蓄が1年分しかなかったが、
アメリカがこっそり売ってくれたのでアメリカと戦争することができた
つまり、アメリカの支配層も、日本の支配層も、国民を家畜としか思っていない
つまり、日米の上の方は勝ち負けの関係ではない
これは決定的に重要なことであり
これを理解できたなら、戦後の日米関係を全て見直す必要が出てくる
GHQは天皇と同等、または下にあった
GHQのやったことは天皇の意思だ
・敗戦国の日本人は鍋釜が作れるだけの設備があれば良いと
日本の工作機械を韓国に運んだ
・東京裁判で陸軍に戦争責任を押し付けた
・米軍はスコップを持って仁徳天皇陵に入って荒らした
・サイクロトロンを密かに破壊して海中投棄した
などなど、GHQがやったと思っていたものを、
天皇がやらせたと見ると、天皇がいかに卑劣な野郎であるか分かってくる
仁徳天皇陵については、仁徳天皇の墓ではないので天皇としては破壊して欲しかった >>284
何故、日本人が知るべき?多分だけど殆どの日本人(!)は戦争に駆り出されてないのに。
でなきゃ、日中戦争開戦時に30才の大地主(4〜5人の子持ち)165cm以上がチビで医療班は無い。
それと、太平洋戦争直前に子供時代は片道(?)4qを泳いで遊んでた庭番の孫が金槌で造船班も。 >>285
化けた(^^;
4kmを泳いで遊んでたの。 靖国神社に祀られてるのはほとんど日本人ではなく、旧軍の遺族も日本人ではないということか
日本人の発言とは思えんな。 >>254
封建
領土を分ち與へて(封ず)、諸侯を建つる縡。―― 佐傳。
封建時代(名)
封建制度の行はれたる時代。我が國にては鎌倉時代より明治維新に至る迄の稱。
封建制度(名)
諸僕に封土を與へ、是を世襲せしめ、一定の大綱を授けて、其の領内の政治を執行はしむる制度。
(大日本國語辭典より) >>280
はい、立証をどうぞ。立証できなきゃ、嘘っぱちだな。嘘つき民族よ。 >>282
ははーん。政府が阻止しているから、自説の証明ができないってか。自説に自信が有るなら
それでも障害を乗り越えて自説の証明をせんかい。腰抜けか。 >>283
そう。正解!。だから半島の猿が船を漕いで日本列島にやって来たことは無いのですよ。 >>284
コピペ。コピペは無脳(脳味噌無し)のしるし。 >>287
誰に向かって書いているの?。アンカー付けることもできないの?。
靖国神社は軍人だけでは有りませんよ。例えば樺太の大泊の電話局の電話交換手の女性
たちも祀られている。当時日本だった韓半島出身の軍人、台湾出身の軍属なども祀られて
いる。軍馬・軍用犬・伝書鳩なども顕彰されているよ。 こんな非常事態に声も上げられない天皇など神でも何でもない。いらない。
日本国民!大虐殺中!
いま日本国内で連日救急車が鳴り響く異常事態!
犯人は、こいつだ!
「指向性エネルギー兵器」
https://ameblo.jp/stop-electronic-torture/entry-12103041614.html
このスレに被害者の方がおられましたらガイガーカウンターなどを駆使しあらゆる証拠を残してください。
そして被害者の集う機関がありますので逐一報告願いたいと思います。
これは人類社会において許さらざるテロ行為である。 自分が間違っているのに他人を批判・罵倒してはならない。 何度言えば分かるのかね?
答えなさい。
何度言えば分かるのかね? >>291
でも縄文期に在日が居たのは事実。証拠は土器の形です。 >>293
285 >殆どの日本人(!)は戦争に駆り出されてないのに。 横から失敬→
>>295->>297
「間違っている」と云うからには、彼が、どのように間違い、正解は何なのかを示すべきなのでは? 明治の内閣は『日本の近代化』をスローガンに掲げてた訳で天皇の犬じゃなかったのにね
天皇は田舎侍のお飾りに過ぎなかったのにね
頭が良い人だったら天皇制無駄遣いは辞めるべきだと気づくでしょ
先進国は頭が良い人、魅力のある人がトップ
役にも立たない天皇忖度して後進国一直線
無駄遣いしてる金を他に役に立てること出来るだろう
天皇より頭が良い人材、魅力的な人材を育成した方が国の宝になる >>287,>>299
ふむ。即ち昭和初期の165cm 以上はマジでチビ、テストで先に潜って後から潜った者と同時に上がった
「泳ぐ」他に遊びが無かった「カナヅチ」が先に潜って、後から潜った者の方が特攻隊だった…と。 大正天皇は正常だったので戦争させるのに都合が悪かったので暗殺された
それで知恵遅れ皇太子が昭和天皇になって英国の指示通りに戦争をやったが
大正天皇は死んでおらず、意識を取り戻したが
なんだこいつー、まだ生きてるじゃんと再びころころされたようだ
それが現在の皇室と似ているのではないか
今の天皇も相当に頭悪いんだが、戦争は嫌がってるようだ
それで退位させてプチエンジェル天皇に戦争させるのだろう
プチエンジェル事件の真相をバラすぞと脅せば、天皇の権力を使える
それだけじゃなくて宮崎勤事件とかいろいろやってるぽい
アヘはさっそく自衛隊を海外派兵してウォーミングアップ ttp://mazeranmisogi.jugem.jp/?eid=2973 >>242
> ヒロヒトが、天皇制批判者を死刑にできる立法をしたことはどう思うか
そんな法は何處にも存在しない(嗤)。 >>141
御前はやはり無效の概念を解つてゐなかつた歟。
御前に個別具體的の專門智識が無い縡は明かだな。 >>294
天皇陛下は政治・行政には関係が無い。言うお前がア○ウだ。政府に言え。 >>295・296・297
何が、どう、間違っているのか、指摘も出来ないのか?。よくぞのこのこ出てくるね。 >>298
だから論点が違うの。半島の猿が船を漕いで日本列島に来たことは無い。
半島の民が来たことは痕跡が認められる。しかし縄文時代はおそろしく永く、何時ころかは
特定できない。日本の縄文土器の最古は16500年前だが、半島の最古は3000年前だ。
これから推測すると、せいぜい紀元前1000年頃からだろうな。でかいツラするな。 >>299
そりゃー、女、子ども、老人などは駆り出さなかったわな。ベトナムともシリアとも違う。
戦争の時代とは言え、日本はまだ世界常識を守っていたな。お前は?。 >>301
じゃあ、お前、そういう国へ行け。日本から出て行け。
日本人はそうは考えない。 >>302
きっちり、日本語を書いたほうがいいぞ。他人には伝わらないレスだな。 >>303
はい、自説をすべて証明するように。してから書け。証明できない嘘つき民族だな。 天皇には政治の権限が無い→寝言
勉強不足。
もの知らず。
やり直し。 ID:YBdBGf0eは他人を批判・罵倒してはならない。 >>311
>殆どの日本人(!)は戦争に駆り出されてないのに。
>大地主(4〜5人の子持ち)165cm以上がチビで医療班
>庭番の孫が金槌で造船班
>後から潜った者の方が特攻隊だった…と。
これが、女、子ども、老人の話かね >>310
何故「伝来」限定?例えば「華道」や「茶道」って生活の何らかに役立つ?
精々、床の間の掛軸が本物だったら何万かからオークションに出せる→売れたら生活費が助かる程度。
じゃ、何の為に存在する?日本人なら解るでしょ?客分に茶の一服も出さないのが日本人ですか? >>306
国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他
指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑 天皇はID:YBdBGf0eにとってオウム真理教の松本死刑囚みたいなもん?
なんでも肯定してID:YBdBGf0e自身洗脳者と思ってるし気味が悪い >>319
御前は天皇批判者だと云つてゐた筈だが。 天皇は外交に関与
ttps://mobile.twitter.com/sohnandae/status/1042301888245293056
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) プチエンジェル
ttps://mobile.twitter.com/JunjiHattori/status/1026481598026272769
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>315・316
相変わらず理由の無いレスだなー。馬鹿の書くレスだなー。 >>317
それは論争相手に聞け。誰でもいいからカラムのか?。 >>318
じゃあ、お前は何の役に立つのか?。まずそれを考えるこっちゃ。 >>320
オウムみたいな下司と天皇陛下を並べるな。格が格段に違うぞ。それも分からんア○ウか。 >>324
御前好い加減過ぎ。
因みに治安維持法で死刑に處された人は一人もゐない。 >>330
自分で「死刑にできる立法をした」と云つておきながら今度は撲殺に話を變へるのか(嗤)。 >>327
私が役に立つか否かは関係ないでしょ。取り敢えず私の生活に花や軸は邪魔なだけですが。 1930年代、物理学者が核兵器が作れると騒ぎ出し新聞にも載った
それを知った世界の富の半分を所有すると言われる資産家は
そんな一発で国を消滅させられるような新兵器は自分だけが所有しなければならないと考えた
そこで物理学者を独占するために、ヒトラーに暴れさせて
打倒ヒトラーのためにアメリカに行って核兵器を開発しましょうと誘う計画を思いついた
天皇に与えられた役目は、アメリカと戦争状態を作って、完成した核兵器の実験場を提供することだった
しかし最初に原爆を開発してしまったのは日本だった
天王星をUranusと言って、天皇はウランに拘ったのだ
ウラン原爆というのは、アメリカが開発するプルトニウム原爆と違って
重くて、大きくて飛行機に乗らないので自爆にしか使えない
だから戦後各国が原爆実験をしまくったが、全てプルトニウム原爆なのだ
しかし人類初の地上の太陽を作り出すのは日いづる国の俺だとばかりに京大に開発を命じた
そしてアメリカのプルトニウム原爆より半年前に名古屋で核実験に成功した
鬼塚氏が言っていた「ウラン原爆はとうに完成していた」はこれなのだ
そして日本はアメリカがプルトニウム原爆を完成させるのを待った
アメリカがプルトニウム原爆を投下する直前に日本の自爆原爆を炸裂させて
両方ともアメリカがやったように見せかけるためだ >>333
ハイ妄想、5963w当時の日本でウランが入手可能だった証明を4649w 大川周明(おおかわしゅうめい、1886年12月6日 - 1957年12月24日)
貴族院議員の《徳川義親侯爵と親交が深く、徳川から金銭的援助を受けており》、
徳川は、大川やその他日本改造主義者たちの経済的パトロンであった。
三月事件・十月事件・血盟団事件など殆どの昭和維新に関与し、
五・一五事件でも禁錮5年の有罪判決を受けて服役。
徳川義親(とくがわよしちか/ぎしん、1886年10月5日 - 1976年9月5日)
1886年10月5日、元越前藩主である《松平春嶽の五男》として生まれる。
1908年4月、尾張徳川家当主徳川義禮の養子となって義親と改名する。
同年5月、養父の後を受けて同家19代となり侯爵を襲爵する。
松平永芳(まつだいらながよし 1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、
日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。
靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。
東京に生まれる。《祖父は松平春嶽》。父は春嶽の長男・松平慶民(子爵。宮内大臣戦後は宮内府長官)。
母幸子は、新田家一門岩松氏の男爵新田忠純の四女。 妻充子は、侍従武官・侯爵醍醐忠重(海軍中将)の二女。
また、尾張徳川家を継いだ侯爵《徳川義親(靖国会初代会長)は、叔父》に当たる。 吉田裕「昭和天皇の終戦史」1992年
宮中グループを中心にして、ファシズム期における
日本のパワー・エリートの内部構成を分析した岡部牧夫は、
「武家、公卿、皇族のような伝統的特権支配層と、
明治以後の新階層である藩閥政治家ないし官僚、軍人、ブルジョアジー」とが、婚姻を通じて、
「多角的に接合」している事実に注目し、
そこにパワー・エリート内部の「意図的な血縁同盟」の存在を見出している(「日本ファシズムの社会構造」)。
本書にたびたび登場する松平康昌を例にとるならば、本人は福井藩主松平春嶽の孫にあたり、
夫人の綾子は公爵徳川家達(いえさと)の長女、妹の銀子は三井財閥のトップ、三井高公の夫人、
また、重臣の岡田啓介は福井藩の旧藩士であり、
その関係で岡田内閣の組閣の際に岡田は組閣費用を松平から借りている(『岡田啓介』)。
宮中グループは、このような婚姻関係を通じて、
さまざまな勢力との間に独自の人脈と情報のネットワークをつくりあげることに成功していた。
東条首相の秘書官でその側近の一人であった元陸軍大佐の赤松貞雄は、右の松平康昌について、
「親しく交際していくにつれ、宮中、政府内、財界、政界および言論界の各方面にわたって
なかなか強い潜在勢力を持っており、広い情報網を握っていることを、痛い程理解させられた」としながら、
「当時の華族関係、貴族院関係など、いわゆる雲の上の状況を知ることは、
東条首相も私も不得意であったので…
松平氏の世話にならざるを得ない実情であった」と回想している(『東条秘書官機密日誌』)。 この「独白録」の作成に際して、天皇からの聞きとりにあたっているのは、
侍従次長の木下道雄、敗戦時の宗秩寮総裁で四六年一月には宮内大臣となった松平慶民、
宗秩寮総裁の松平康昌、宮内省御用掛の寺崎英成、
松平康昌のあとをうけて四六年二月に内記部長に就任した稲田周一の五人だが、
この五人は、天皇からの聞きとりの会を「五人の会」と称したようである。
「独白録」の政治的意味あいを知るためには、この「五人の会」の活動がポイントとなるが、
そのなかでも、とりわけ重要な政治的役割を果たしていたのは、寺崎英成と松平康昌であった。
「五人の会」のもう一人の重要人物は、松平康昌である。 松平が四五年中からGHQ関係者との接触を開始していたことはすでに述べたが、
四六年五月に東京裁判が開廷すると、その活動にいっそうの拍車がかかった。
外務官僚の加瀬俊一によれば、高松宮は、「天皇と裁判を分離するために」、
GHQの幹部を夫人同伴で高松宮邸の晩餐にさかんに招待したが、
その人選には松平と加瀬があたっている(「高松宮の昭和史」)。
また、前掲『天皇家の密使たち』が明らかにしているように、
松平はキーナン主席検察官と来日早々から頻繁に接触していただけでなく、
自宅にも東京裁判の関係者やGHQの幹部を招待して派手な饗応をくりひろげた。
その晩餐会では宮内省大膳寮のコックが直接料理を担当したというから、
このような「接待攻勢」は、まさに宮内省ぐるみの活動だった… 当時、主厨長として、「天皇の料理番」をつとめていた秋山徳蔵も、
GHQ要人の接待の際には、自分が直接料理を担当しただけでなく、
彼らへのさまざまな付け届けなども欠かさないようにしていたと回想している。
秋山によれば、この時代は、「太鼓もち同様のことをやった」という意味で、
「一生のうちで最も屈辱的な時代であった」…。
同時に松平は、国際検察局の尋問にも積極的に協力して、
戦争を推進したと目される人物についての彼自身の人物評を供述している。
たとえば、四六年五月二〇日の尋問のなかでは、
すでにA級戦犯容疑者として起訴されている人物について言及している。
その内容は、橋本欣五郎・星野直樹・永野修身・大島浩・嶋田繁太郎・鈴木貞一は対英米開戦を支持し、
広田弘毅はなすべき時に何もなさずみずからの責任を回避した、
また、松岡洋右は最もドグマティクな人物で、
大アジア主義を実現するための戦争と三国同盟を強く支持した、などというものである。 >この五人は、天皇からの聞きとりの会を「五人の会」と称したようである。
>「独白録」の政治的意味あいを知るためには、この「五人の会」の活動がポイントとなるが、
>そのなかでも、とりわけ重要な政治的役割を果たしていたのは、寺崎英成と松平康昌であった。
>「五人の会」のもう一人の重要人物は、松平康昌である。
>そこにパワー・エリート内部の「意図的な血縁同盟」の存在を見出している(「日本ファシズムの社会構造」)。
>本書にたびたび登場する松平康昌を例にとるならば、本人は福井藩主松平春嶽の孫にあたり、
>夫人の綾子は公爵徳川家達(いえさと)の長女、妹の銀子は三井財閥のトップ、三井高公の夫人、
>また、重臣の岡田啓介は福井藩の旧藩士で 豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
「口頭」と「文書」の天皇のメッセージは、それが送られたタイミングとその内容において、
文字通り「天皇外交」と称することのできるものである。
「口頭メッセージ」は、朝鮮戦争が勃発した翌日の五〇年六月二六日に、
天皇の側近松平康昌が、宮中と太いパイプをもつ
米誌『ニューズ・ウィーク』の東京支局長パケナムを介してダレスに伝えたものであった。 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
その上でキーナンは田中に、「最後はマッカーサー元帥が定める所であるが、
私としては、天皇を無罪としたい。貴君もそのように努力してほしい」と、“支援”を要請したという
(田中隆吉「かくて天皇な無罪となった」『文芸春秋』一九六五年八月号)。
さらに、同じ頃に同様の天皇発言を田中に明かしたのが、
キーナンと密接な接触を続けていた松平康昌であった。
田中の狙いは、
「出来るだけ少数の人に重い罪を背負ってもらって、その範囲をしぼるように努めるよりほかはない。
またそれが多数の容疑者を救う唯一の途でもあるし、
誰も罪をかぶらないと、お上に責任が及ぶことになりかねない」というものであった。
従って、満州事変の実行者をはじめとした、数々の内部告発の激しさを非難されると
田中は「おれの真意が分らぬのか。
俺は天皇を裁判にかけないことに努力しているのだ」と反論したという(吉田前掲書、一一三頁)。
いずれにせよ右の田中証言から明らかなことは、
昭和天皇の「全責任」発言は、まさに“裁判対策”として活用された、ということなのである。
そうとすれば、「絞首台に上がる」覚悟を固めていたはずの昭和天皇が、
クルックホーンへの「御回答」や英国王への「親書」や、あるいは独白録において、
ひたすら東条などに責任を負わせ、自らの戦争責任については釈明に次ぐ釈明に終始したことも頷ける…
すべては、東京裁判への訴追を回避するという至上の課題に絞り込まれていた >この「独白録」の作成に際して、天皇からの聞きとりにあたっているのは、
>侍従次長の木下道雄、敗戦時の宗秩寮総裁で四六年一月には宮内大臣となった松平慶民、
>宗秩寮総裁の松平康昌、宮内省御用掛の寺崎英成、
>松平康昌のあとをうけて四六年二月に内記部長に就任した稲田周一の五人だ 松平慶民氏と松平康昌氏は昭和天皇の免責に動いたキーマンである。 松平慶民氏と松平康昌氏は昭和天皇の免責に尽力した《キーマン》である。
松平慶民氏と松平康昌氏は、幕末に水戸藩の徳川斉昭と共に(桜田門外で切り殺された)
井伊直弼と鋭く対立していた松平春嶽の、実子と養子の子供である。 ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/42-43
豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
>この歴史的な危機にあって昭和天皇は、
>天皇制の維持が確保された新憲法の制定と、自らは免訴となった東京裁判の結果を、
>内外情勢を踏まえつつリアルな判断で受け入れ、事態を主導した
>マッカーサーに対して率直に「謝意」を表した
>時代は下って、一九七〇年代後半になって靖国神社へのA級戦犯の合祀が問題となったとき、
>昭和天皇は「親の心子知らず」と厳しく批判した…。
>「親」とは、占領期に側近中の側近として昭和天皇を支え続けた宮内大臣の松平慶民であり、
>「子」とは、靖国神社の宮司として一九七八年に
>「東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできない」との信念でA級戦犯の合祀に踏み切った、
>慶民の長男の松平永芳のことである。 靖国神社にA級戦犯を合祀したのは松平慶民氏の長男である松平永芳氏である。 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
昭和天皇にあっては、「松平親子」の関係が問題なのではなく、
A級戦犯の合祀が天皇家と靖国神社の関係、靖国神社の存在それ自体、
さらには国際社会における日本の立ち位置を危うくすることが問題であった 貴志謙介「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」
…この本では、戦後ゼロ年の東京、
すなわち、一九四五年九月のマッカーサーによる東京進駐から始まって、
翌年の夏、敗戦一周年を迎えるまでの虚脱と狂乱の一年間を、
おおむね時の流れに沿い、追体験していく。
そして、新たに発掘された資料や映像を手掛かりとして…
戦後ゼロ年の時空を俯瞰するパノラミックな透視図を作ってみたい…
もし、その透視図を現在の東京の姿と重ね合わせることができれば、
“なぜ日本社会がこうなっているのか”、その仕掛けがおのずから透けて見えてくるに違いない。
戦後ゼロ年の「東京ブラックホール」には、時空を超えた通路がある。
おそらくその通路は、七三年後のいまに直結する、秘密の抜け道になっている。 >もし、その透視図を現在の東京の姿と重ね合わせることができれば、
>“なぜ日本社会がこうなっているのか”、その仕掛けがおのずから透けて見えてくるに違いない
>(東京ゼロ年と現代との間には)時空を超えた通路がある。
>おそらくその通路は、七三年後のいまに直結する ttp://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/151-153
永野健二「バブル−日本迷走の原点
>ある興銀幹部が自嘲気味につぶやいていた。
>「歴代の頭取以下、あらゆる幹部が、ジャパンライン問題の当事者なんです。
>だから、誰にも責任を取らせることは出来ないのです」。
>ジャパンライン問題は、興銀の「終わりの始まり」だった。
>しかし、この問題で責任をとった経営幹部はいない。
>そして、興銀とアングラ社会のつながりは80年代のバブル時代の「そごう問題」、
>「尾上縫事件」にまでつながり、興銀の命脈を絶つのである。 太平洋戦争は“彼らの”戦争であって日本国民の戦争では無かった?!
正に《占領期に造られた構造》が今につながっている。
それが様々な未解決事件の裏に在るのかもしれない。何故ならそれは権力犯罪だからだ。
或は権力の過失だからだ
故に国民に開示できない。開示したら権力の権威が失墜する。正統性が崩壊する。
だが『戦後ゼロ年』が今につながっている“だけ”ではない。
『戦後ゼロ年』に自分らが仕掛けた大戦争の、責任回避に動いた者は誰なのか。
松平慶民や松平康昌ではないか。彼らは松平春嶽の実子であり、家督を譲った養子の子だ。
ペリー来航で250年の権威=幕府に外圧がかかり、その権威・権力が動揺した。
そのとき、その“揺らぎに”乗じて幕府主流に《クーデター》を仕掛けた“非主流派が”居た。
幕末に徳川斉昭と松平春嶽は幕閣主流派の井伊直弼と(開国か否か、及び次期将軍を廻って)対立し、
井伊を桜田門外で切り殺した。殺したのは斉昭の配下、水戸藩「天狗党」である。
靖国神社に祀られる者らの“3割は”水戸藩関係者(「天狗党」)だ。 春嶽はその斉昭の盟友だった。それで斉昭らは、実子の一橋慶喜を次期将軍にゴリ押しようとした。
(自分らだけでは不安だった)彼らは徳川“内部の”クーデターに、
加勢として薩摩の島津斉彬と西郷隆盛を引き入れた。
だが西郷は後に長州と組み、(外国である)イギリスの力を借りて徳川“自体を”滅ぼした。
斉昭と春嶽らの徳川“内部の”《クーデター》は
(外部をまき込んで拡大し)徳川“自体を”潰す結果に終わった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています