>>381
> 乙巳の変までミカドと呼ばれていたのは、蘇我氏。

譯文大日本史卷の二百三十一
列傳第一百五十八
逆臣
蘇我馬子 子、蝦夷 孫、入鹿

 弑逆は人~共に憤る所、而して、天地の容れざる所なり。
一度弑逆の臣あれば、則ち、人人、得て之を誅す。

明年冬、入鹿、二家を甘橿岡(あまかしのをか)に營み、蝦夷が家を稱して宮門(うへのみかど)と曰ひ、己が家を谷宮門(はざまのみかど)と曰ひ云々。