>>921
辞めてくれと懇願されても俺はまず君は認識外=不在とはなり得ないと認識するべきと説きますよ全てはソコが始まりです
さらに具体論で言うならば相互承認を契機とするならば承認への参加者には個々の権利論が内心に存在し
さらに承認が成り立つからにはソコに共通解が既に存在しており承認プロセスでソレが発見されたことになります。
また慣習が実定法となるには慣習上当然に何かを受益または労務していた者が居るわけです居なければ慣習も有りませんからね。
即ち慣習または個々の人格の内心等にあった潜在的な権利が法定により実体化してるとも説明が付くわけです。
ちなみに法価値論を否定しない一般的な法実証主義ならば例えば功利や共同善が根源とされソレは潜在的な権利と置換できますが
君の法定前の一切を否定する法実証主義にそのような価値判断基準があるのですかね?
まさか個人の善悪論とは言いませんよね法とは正当性とそれ故の強制性を持って初めて法ですよ
君は国家の存在の軽視や人権を抑圧する国家が云々と最初に述べましたがならばこそ君の論は君自身の振る舞いに合致しません
君の相互承認論ではどこまで抑圧的でも承認さえ有ればよくさらに当人が否認しても第三者が押し付けられるなら
凡そどこまで独善的且つ差別的な法でも法に合致すれば人権抑圧は君の法実証主義では「不在」故に発見され得ませんから君の憤りに説明が付きません。
君自身が当該共同体に法定=発見されざる人権抑圧を発見し憤っているのでしょうに何を拘泥しているのですかっと。