>>940
あ〜…もういいや。普通にやろ。

えっと、まずは慣習法の話。
前にも書いたと思うけど、君の法実証主義が実定法以外の法を存在すら認めないなら、
民法や商法で「慣習法に従う」とあっても、参照すべき慣習自体が君の法実証主義では「存在を認めず」になるのよって話。
(PCに例えると「特定のファイルを(隔離ではなく)消去します」ってプログラムを走らせたあと、
 幾ら消されたファイルにショートカット貼ったって応答しないでしょ?って話よ)

さらに言うと、そもそも慣習法の法理自体が
実定法以前の(場合により漠然とした)権利関係の存在を前提にして
それを固定化してるモノであって、
仮に実定法以前の権利関係を無とすると、それで損害を受ける側に取っちゃ正当性皆無の話になるのよ。

そう、君の法理論に決定的に欠けてるのは、正当性の話でさ。
そして君はソレに半分気付いてる。

君は奴隷制の是非について「国際法が〜」と言ったよね?
アレは、何故?
相互承認論に全てを委ねるならば、他の共同体ですら「あの共同体がそれで良いなら」とならざる得ない。
さらに言えば、君の相互承認論は本人の同意を要しない=第三者の押しつけを是とするわけであり、
コレが支配的な考え方ならそもそも他の共同体が「『望まぬ苦役』を強いられたって何か問題が?」と考えなければおかしい。
だが、現実は?
人権抑圧は国際問題となり批難される。
国際社会に背を向けてる=超巨大共同体内部論の届き得ない北朝鮮等の独裁国家ですらね。
誰も「多様性なんだからいーじゃん」なんて思ってない。
俺が言ってる矛盾とは、それサ。

人類は全てを「多様性」に委ねては居ない。
それはおそらく本来の、法価値論を放棄しない、法実証主義でもそうだ。
その普遍的な、或いは最大公約数的な何かこそが、通念なり功利なり基本的人権なのだろうし
それを否定するなら「奴隷制?どうぞお好きに」の世界に逆戻りサ。