>>963
他人の返答を「なかった」ことにして勝利宣言を重ねる。
その直前に、わざわざ相手がウンザリするほど長くなる質問形式で問い直す。
君、よくもまぁ、ソレで他人を云々できるな。

さて、持論を述べろとな。
これだけ話してんだ。もう↑を読めっつった方が早かろうが…
…一回こっきりだ、今後一度でも問い直したらウンザリ戦略の実施者と認定してやるよ。

人間とは何か。生き物よ。
それも群れでの生活を基本として設計された生物だ。
生物ならば必ず生存戦略の最適解が存在する。
本能と言い換えても良いんだろうけどな。
畢竟、そいつこそが俺曰く正義やら人権やらの根源よ。

当然、そいつは属する環境で最適化する。
砂漠で発展したユダヤ教は、出所不明の肉の販売を禁じた。
水の乏しい地域で発展したイスラム教は、水を要する豚の食肉化を禁じた。
何故か。共同体の要求? それじゃあ足りない。
人々の間に「砂漠で生き抜くにはかくあれかし」が存在しなけりゃ経典にゃならないし
そもそもに「多少割喰ったって生き抜きたい」って衝動が皆になけりゃあ、話にもならん。
ヒトにはどういう状態を生物として「快」とするかのカタチがある程度決まってる。
即ち、法も、正義も、道徳も、人類がそいつに近づくためのツールよ。

社会が発展して複雑化した人間社会をここまでシンプルに割り切るのは不適当だが
それでも近代以降も、人間様の中にゃ漠然とした共通の「在るべきモノ」が存在する。
慣習なんざソレの上にしか成り立たず、法定化ってのはその具現に他ならない。
そのベースの何かを自然法ならそのまま自然権、法実証主義なら功利やら正義やら道徳やらと呼ぶだけよ。
或いはヒューマニズム、或いはまさに天賦の人権と呼んじまっても良い。
そこの呼び方の好き嫌いは個人の勝手さな。