日本が天皇制から共和制に代わって何が困るの?
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
共和制に代わって、国家としての格が落ちるというなら、そのエビデンスくらいだせよ。
そんなものが無い限り、共和制になっても誰も困らないんだよ。 中学生の引き籠り君
反社会的行為は 逮捕し即処刑だ
このスレで反社会的人間をチェックしているのだ >>879
>「ある」から、間違いに対して過剰な反応
間違い?何が?過剰?何処が?判らないから教えて欲しいだけだけど。
>このいい加減さ
「これに関して」を省くと、いきなり「いい加減」なのかい?w本当に日本人?w
>おまえの「オレ様は日本人」も
ゴメン。よく見たら「根拠」じゃなくて「証拠」だったね。有るよ。いくらでも。
キミには「自己申告」って言われるだけだし今まで話した誰にも「複雑にも程がある」しか
言われなかったから…。今まで話した皆には姉弟関係しか話してないのにキミには、それだけじゃアレだし。
>契約書とか機器の取扱説明書
契約書は兎も角、其方の世界には在るんでしょ?「手の上げ方説明書」や「歩き方説明書」。
>逮捕理由を説明しなければならないという義務がある
キミ、誰か逮捕したの?私?私、何かした?w >>880
>剥き出しかどうかと、エンジンが何でできているかは別
其方には「ケース」も無いの?「ポリタンク」って知ってる?w
>一個人の根拠なき感想
根拠なき?「堪ヘ難キヲ堪ヘ…」を聞きながら翌日に乗る筈だった機体を眺めていた彼の感想が?w
>テレビに対する絶大な信頼
「コンプライアンスにうるさい頃の」は完全無視!w
>状況証拠が有るということに関しては異論はねーんだな
キミ等、所謂「在日」か「半島民」と違うから「状況証拠ダー」とか云われてもねぇ…w >>883 おー、トンマなこっちゃ。日本語だと、どちらも同じことだよ。 >>887
お前のようなとんまジジイには日本語が難しいらしいな >>888 馬ーー〇。こちらがジジイと名乗れば本当にじじいだと思うとんま。 >>887
ああ、同じに見えるんですね。「違い」のわからない、哀れなおサルさん・・・・・・ こちらが「ジジイ」と呼べば「本当にジジイだと思ってそう呼んでいる」と思っているおサルさんを発見しました。 >>891 無駄レスしか書けないトンマヒヒを発見しました。 ttps://twitter.com/KazuhiroSoda/status/1183910491594334208
竹田さんが天皇でなくてよかったと、心から思います。
しかしちょっと間違えば竹田さんのような人が天皇になってしまう可能性も現実にあるわけで。
それが天皇制の恐ろしさです。想像してみてください。
竹田さんのような人が天皇になり、竹田さんのような発言を繰り返すような事態を。
僕が天皇制に反対なのは、下手をすると竹田さんのような人が皇位につくかもしれない
というリスクを抱えた制度だからというのもあります。
血筋だけで決まっちゃうので、資質とか関係ないし、任期もない。
酷くても解任できない。憲法を守る気のない人だったらどうするんでしょうか。
ディストピアですよ。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ttps://twitter.com/levinassien/status/1183893178870403072
内田樹 認証済みアカウント@levinassien 16:51 - 2019年10月14日
哲学も「現実に存在しないもの」にどれだけリアリティーを感じられるかによって深み奥行きが変わってきます。
そうやって考えると、
人間の営みの質は「そこに存在しないものにどれだけリアリティーを感じられるか」によって決定する
といって過言ではないと(ちょっと過言ですが)。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/353-355
フロイト「モーセと一神教」、プラトン「国家」のコンセプト
ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/348-351
〇〇〇〇の如き人間が目指す《テクノロジー・カルト》国家の自己破滅 ttp://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/148-150
丸山真男「日本の思想」
>憲法政治ハ東洋諸国ニ於テ曽テ歴史に徴証スヘキモノナキ所ニシテ、
>之ヲ我日本ニ施行スル事ハ全ク新創タルヲ免カレス
>然リト雖モ二十年前既ニ封建政治ヲ廃シ各国ト交通ヲ開キタル以上ハ、
>其結果トシテ国家ノ進歩ヲ謀ルニ此レヲ舎テヽ他ニ経理ノ良途ナキ
>欧州ニ於テハ当世紀ニ及ンテ憲法政治ヲ行ハサルモノアラスト雖、
>是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ発セサルハナシ
>欧州ニ於テハ憲法政治ノ萌セル事千余年、独リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、
>又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。
>然ルニ我国ニ在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ
>我国ニ在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ。
>是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ専ラ意ヲ此点ニ用ヒ君権ヲ尊重シテ成ルヘク之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。
>乃チ此草案ニ於テハ君権ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、
>敢テ彼ノ欧州ノ主権分割ノ精神ニ拠ラス。
>固ヨリ欧州数国ノ制度ニ於テ君権民権共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是レ起案ノ大綱トス 絶対王政を偽憲法で覆い隠した詐欺国家
イスラム教やキリスト教を崇拝する深い歴史文化を持つ多くの人民が、
信ずるその価値観を妄りに侮辱することは危険なことであり、避けるべきである。
当然、日本の天皇制のような、日本人が高貴と信ずる対象に対しても、
これをいたずらに侮辱することは避けるべきだろう。
だが、ユダヤ教などの宗教は、
(数千年の歴史過程を経た教訓を基に打ち出された思想であり、その考え方に数学的な裏打ちを持つ)
架空の理想化された神を絶対視するのに対し、
日本の歴代の天皇は(高貴な生まれというものの)只の人間であり、欲も有れば間違いも起こす。
この不完全な存在を人々が絶対視したら、どうなるのか。
それが太平洋戦争の結果に悲劇的な形で顕れている。
だから生身の人間の判断行動を神聖視して、これに対する批判を一切受け付けない、
というのは民族絶滅への道である。
この意味で(バラバラの人民を、統合する機能は同じでも)ユダヤ教やキリスト教のような超越的宗教と、
日本の天皇制とはその内実は全く異なっている。 ユダヤ教やキリスト教の世界では、現実に存在するもの
(自然界に生起する現象、物体、人間、その中でも権力者による行為、など)は全て批判の対象である。
批判されない存在は、(架空に想定される)神だけだ。
現実に存在するものは、全て神によって相対化(矮小化)される世界である
(これに関し山本七平が――日本人に顕著な臨在感的把握を徹底的に排除した相対化の世界
=ユダヤの世界を――『空気の研究』で論じている)。
全ての正しい根拠は神にのみに在る。
しかも神(=真理)自体が何であるか、は(無限遠点のように)永久に決まらない。
神(=真理)自体が何であるか、は日々、常に追求されている。
現代物理学が今も宇宙の究明を続けているように…。
伊藤博文は日本にキリスト教のような宗教が無いことを理由とし、
バラバラの人民を束ねる思想的根拠が日本には皇室以外に無いことを認め、
大日本帝国憲法の序文を『天皇は神聖にして冒すべからず』とした。
しかし、これは大変な間違いである。
そもそも憲法とは独裁者(の勝手な暴走)を封じるために発案されて存在する。
何故ならば歴史上、幾多の独裁者が勝手なことをして人々を大量死させ、(自分の)文明を潰してきた。
その教訓から一神教や哲学は生まれている。 その要諦は、独裁者の“主観を”神の目の客観の下に《相対化する》ことにある。
だが人類社会は一人の英雄、独裁者による統治から中々脱出出来なかった。
独裁者に苦しめられながらも、その統治に縋り続けたのだ。
結局モーセの言葉は後世に正しく伝わることは無く、
邪悪で抜け目無き覇王支配、絶対王政が(自己を高貴と偽りつつ)続いていた。
だが、(乱れた世に疑問を抱く者が主導する)宗教改革が起こり、絶対王政はフランス革命で打倒され、
モーセの言葉は近代的な言葉に訳されて復活した。それが啓蒙思想であり西欧近代合理主義である。
立憲主義=憲法政治はこの(モーセの一神教、プラトン哲学の要諦を近代的な言葉に置き換えた
――むしろ西欧近代は古代の宗教観を否定して成り立つのではなく、
その精神を“批判的に乗り越えて”復活させて成り立つ――)西欧近代合理主義を基礎として成り立っている。 だがこの日本の歴史を通じ、モーセもプラトン(の価値観)も無い世界に、
絶対王政と同じ天皇を神聖視する文言を“憲法として”社会に強制することは狂気に等しい。
不完全な個人の判断や行動を絶対視して、その他の人々にそれを信ずるように暴力を用いて強制する。
本来の憲法精神とは正反対ではないか?
つまり明治とは、徳川将軍の首を天皇にすげ変えて、より中央集権的に日本社会を造り変え、
しかもその王位に絶対的な権限を与えながら、
西欧と同様の立憲的・議会主義的・民主的社会に内外に向かって見せかける、
という“詐欺で”成り立つ世界であったのだ。これが太平洋戦争を止められなかった真の原因である。 751 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2012/08/06(月) 00:39:06.67
プラトン「国家」のコンセプト
「民主主義社会だから何も決められない、決まらない」、のではない。
真の民主主義社会=哲人政治であれば、
全ての判断は決定可能(ゲーデル不完全性定理の指摘する不能性を除き)であり、
正しい推論(議論)によって証明された決定は、常に正しい。
そうなるように、予め設計されているのが民主主義社会である。
古代より人間は空(天空)を観察し数学を操作してきた。正に種として生き残らんがために。
天空の運行はリズムを刻み農業繁栄に直結した。
宇宙は全ての存在に対して唯一で共通の空間であり、全てはそこから一歩も出られない。
その宇宙を表現し記述する原理は唯一であることが望ましい。
であれば最終的には人間に意見対立は有り得ない。意見対立を基にした争い、内部分裂も有り得ない。
その原理は一組の「公理」を要とし、
全ての正しい命題(=自然現象を表現する、或いは解釈可能な有限記号列)は、
その「公理」からの演繹(有限回の推論ステップ)によって到達可能である。
この「公理」を共有した人間同士は、互いに議論(対話)可能、説得可能、連帯可能である。
且つこの「公理」とその演繹体系は外部環境=自然界を完全に表現している。
これはプラトンのアカデメイアで学んだとされる
後のユークリッド、「幾何学原論」で示された方式であった。
こうして人間は組織として一致団結を得て、
且つ、その組織は外部環境に対し完全な適応(正しい判断力の獲得)を得る。
これが数学者プラトンの著作、
「国家」に於いて示された「イデア論」の基本コンセプト(=数学の政治学への応用)であった。 プラトン全集12 『ティマイオス』『クリティアス』岩波書店
『ティマイオス』解説 種山恭子
本編には、そうした自然学説を批判しながら、『国家』の理念を支えるような宇宙論を展開している
『国家』では、魂の正常なあり方と、国家の正常なあり方とがパラレルに置かれて、
次のように論じられていた…個々一人一人の人間にも、理性、激情、欲望の三種類の魂が宿っており、
それに応じて、国家の成員にも、理性的人間、激情的人間、欲望的人間が存在する。
その三種のどれが主導権を握るかによって、個人のあり方も、国家のあり方も左右される
他人の生殺与奪の権を握ることや、自分の欲望の無際限な拡張と充足とに、無上の生甲斐を感じる手合い
(『ゴルギアス』中のカリクレスが代弁しているような連中…)が、政界をまかり通る時に生じる破綻は、
アテナイの現実からも十分見て取れるところであったろうが、
プラトンがまた、「権力政治」から「金権政治」へ、そこから「民主政治もしくは衆愚政治」へ、
そしてついに、最悪の形態たる、
個人の恣意にすべてが委ねられる「専制政治」への必然的な雪崩現象を予測していたこともつけ加えておこう。 「激情の種族」も「欲望の種族」もたしかに、個人においても国家においても、主導権を握る資格のない存在である。
国家で政治の枢要の位置を占める資格のあるものは、「名誉心に憑かれた者(ピロティモス)」でもないし、
「金銭に執着する者(ピロクレーマトス)」でもなく、ただ「知を愛する者(ピロソポス=哲学者)」――
つまり、冷静に推理し、全員にとって何が真に“善い”かを追求し、それを最大の関心事とする者――
だけであろうし、個人においても、衝動的・盲目的な「激情」や「欲望」でなく、
「理性」が主導権を握る状態が、もっとも正常なのである。
逆に言うと、人間の「理性」と同質の、しかしもっと純粋で…もっと強大な「宇宙の魂」が万有を動かしているのだ。
われわれは先に、『国家』では、個々の人間の構造と、国家全体の構造がパラレルに置かれて、
どちらにおいても理性の種族が主導権を握る“べき”だと言った。
本編では、人間の構造が、宇宙全体の構造とパラレルに置かれており、
しかも、宇宙においては、“じっさいに”、理性を宿す宇宙の魂…がすべてを動かしているのである。
「天にある理性の循環運動」は、われわれの「思考の回転運動」を矯正するモデルとなるものなのである…
われわれの理性と同質の、もっと純粋で強力な知的存在が宇宙全体を支配しているという点は、
…まさにそうした…この宇宙論全体の、大前提をなしているものなのだ 紀元前の約500年に、
(人間が生まれて初めて他人と接するその範型たる母子関係を、拡大解釈した親分子分関係の)
暴力支配を超えた数学的な思考によって個々人が、自己の情動を律して得られる人間集団、
これを統率しようとする思想が存在した。情や暴力では無く、数学(的な知性)によって。
その数学とは(人間が住む)世界自体、その全体記述を可能とする、単なる言語を超えたスーパー言語であった。
既に古代、人類中の或る天才は、この有用性の社会的な意義について気づいていたのだ。
これは正に《SF》ではないか?
明らかにモーセの一神教、
プラトン哲学(=幾何学原理)の方が日本の天皇制(=親分子分関係)よりも優れている。
何故なら、その理論の裏付けに
(人間を含む全ての存在が、生まれ、生きて死ぬ、自然環境を正確に描写する)数学的原理が存在するからだ。 >>892
ほら、やっぱり。「違い」がわからないということは、日本語がわかってないのはあなたの方なのです。
ね、マスターベーション大好きなマスター総統♪ >>892
「無駄レスしか書けない=トンマヒヒ」となると、あなたは見事に「トンマヒヒ」ですね。
おめでとうございます。 >>906・907 お前さんが「違い」が分からないトンマヒヒだということさ。
書くに困って、相手の口調をまねるしかなくなったようだな。
半島民はやはり底が浅いな。 >>908
>お前さんが「違い」が分からないトンマヒヒだということさ
いえいえ、実際にあなたは「理由を述べる」「述べない」の違いがわからないんでしょ?
だから、おサルさん♪
>書くに困って、相手の口調をまねるしかなくなったようだな。
「ご自分の真似」を見て、ご自分がいかに愚かかを分って頂きたいので♪ >>909 ははーん、相変わらず、理由を突き付けられないと理解できないわけだ。 >>910
そんなセリフは、「理由」をちゃんと説明できた人間が言って初めて意味のあるセリフ。
あ な た に は 無 理 で す ね。 インタビュー「失敗」を直視せよ
元政府事故調委員長・東京大学名誉教授、畑村洋太郎さん
朝日新聞 2019年10月18日
東京電力福島第一原発事故で強制起訴された旧経営陣3人に、東京地裁は先月、無罪を言い渡した。
事故がなぜ起き、防げなかったのかは、今も十分に解明されたとは言えない。
7年前、自ら提唱する「失敗学」の手法で原因究明を目指した畑村洋太郎・東京大学名誉教授は
「いまも悔いが残る」と語る。「失敗」の訳を聞いた。
――政府の事故調査・検証委員会の委員長を務めた立場から、今回の判決をどうみましたか。
「あの事故を責任問題または刑法の方向からだけ見て、それでよしとする社会は、
『幼稚』という感じがします。
事故から何を学ぶか。再発防止も大事ですが、それ以前に現象がどう進んでいったか、
被害がひどくならないように収める方法はなかったか…
60点と思いたいところだが、30点ですかね」 ――そこまで悔やむ理由はどこにあるのですか。
「失敗学的な考えを委員全員で共有できなかったことが、最大の要因…
約60人いた事務局スタッフの約3分の1は検察や警察からの出向者。
頭は切れて事実を記述する面では優れていました…
一方、私はやればやるほど自分が原子力の門外漢であることを痛感し…
考え方の共有に精力を使うと調査が進まない。検証の重要性を訴えても、周りの誰からも支援がない。
時間と金と考えを共有する人がおらず、『畑村流』はほとんど貫けなかった。
…「福島第一原発の事故では1号機の非常用復水器が作動しなかったことが悲劇を招きました。
スペインの原発関係者によれば『復水器を動かすと、雷のようなすごい音がするからすぐにわかる。
運転中にテストした経験があるから、スペインではみな知っている』という。
一方の日本は運転中のテストはしておらず、多くは復水器の仕組みを知識として知っていただけなので、
事故時に作動していないことに気づかなかった」
「日本の原子力業界は、絶対安全で事故はないんだと言うばかりで
事故がどう進行するかを真剣に考えたことがなく、実証テストをしなければならないとは考えなかった。
そもそも議論が出るのを抑えてきたために、こんな体質になってしまった…
最終報告書では政府や電力会社などに様々な提言をし、
継続的な原因解明や被害調査を求めましたが、ほとんど進んでいませんね」 ――事故を機に原子力業界の「安全神話」は崩壊したのでは。
「事故後に規制のルールも変わりましたが、体質は変わっていません。
万一の際に、格納容器を守るために内部のガスを外に逃す
『フィルター付きベント』の実地テストは義務づけられていない。
放射性物質を外部に出すからという理屈です。
日本の原子力業界は今も安全神話という特有の『気』に包まれているように思います」
「最近は原子力政策を進めた政府がおかしい、業界がおかしいというより前に、
自分の目で見て自分でちゃんと考える国民がいなかったのが最大の要因だと思うようになりました。
危うさを知ったうえで利用する。
その覚悟がなければ、私たちに原子力を使う資格はないと思うのです」
――失敗学を提唱されて30年になります。
「成長や進歩に失敗はつきものです。
失敗が起きても結果が我慢できる程度に収まるように準備することがなによりも重要です」
「日本の国内総生産(GDP)はここ30年、ほとんど伸びていません。
つまり明治維新、高度成長の『成功』の後、『失敗』が続いているのです。
世界中の知識や科学を総動員して日本の行動様式や考え方にある欠陥、欠点を改めるべき時期だといえます。
今こそ失敗学が求められていると思いますが、そうした論調は出てきません」 ――なぜですか。
「日本社会は、失敗に向き合うことが苦手だからです。
明治維新がうまくいったことが苦手の根底にあるように思います。
世界中に手本になるモノを探しに行って、
具合良くできあがったものがどこかにあれば、それを取り込むことにばかり一生懸命になった。
技術を生んだ国はドイツもフランスも300年以上数々の失敗を重ねて、痛い目にあっています。
日本は明治維新から150年しか経っていない。
失敗の蓄積が少ないがために、技術の危うさに気づく人が少ないのです」
「工学では考える領域を限らないと、議論や設計ができません。そこで考える領域を定めます。
その外側には考えないことにした領域が残っていますが、いつしか考えなくてよい領域になり、
ついには考えてはいけない領域になります。
さらに『あり得ないこと』にされ『想定外』が膨らむのです」 ――福島の原発事故を機に失敗学が定着するかに見えましたが、そうはなっていません。
「事故から8年半たったのに今なお文化というか、
物の考え方から全体をみるということができていないと感じます。
日本社会は、福島の事故も形だけ学んだことにして、忘れようとしているのではないでしょうか。
物事を深く考えて語る人が減り、表面的な形だけ整えておしまい、という人が増えているように感じます」
「今は社会の基準や規範を変える最大のチャンスだと思います。
今しなければ、チャンスがあったのになぜ生かさなかったのだろうと
多くの国民が後悔するときが来るのではと懸念しています。
――どうすればよいのですか。
「事故や災害は起こるものとして、被害を抑えるための方策を考え、実施する。
人の一生という短期間の経験だけに頼って起きっこないと油断していると、大変なことになります。
こんなことが起きたら大変だという危惧感に基づいて事前に対策をとるのが、費用対効果からみて一番いい。
何もしないで発生する損害額の千分の1のコストをかければ、
大地震が起きても致命的な被害は回避できるでしょう」 >福島第一原発の事故では1号機の非常用復水器が作動しなかったことが悲劇を招きました。
>スペインの原発関係者によれば『復水器を動かすと、雷のようなすごい音がするからすぐにわかる。
>運転中にテストした経験があるから、スペインではみな知っている』という。
>一方の日本は運転中のテストはしておらず、多くは復水器の仕組みを知識として知っていただけなので、
>事故時に作動していないことに気づかなかった
>日本の原子力業界は、絶対安全で事故はないんだと言うばかりで
>事故がどう進行するかを真剣に考えたことがなく、実証テストをしなければならないとは考えなかった。
>そもそも議論が出るのを抑えてきたために、こんな体質になってしまった ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1528801458/566-567
徳富蘇峰「終戦後日記U」p.160
>日本の将校がかくまで腐敗した理由は、何であるかといえば、
>全く教育の方針が、間違っていた為めといわねばならぬ。
>一口にいえば、正しき意味に於ての教養そのものが全く無視せられて、
>只だ形式だけの教育を施した為めである。
>これを称して鸚鵡教育といってもよし、あるいは猿芝居教育といってもよし。
>兎に角訳も道理もなく、唯だ一つの型を作って与えたまでであって、
>一度びその型を失えば、全く無教育者も同様となって、いわば一箇の野蛮人化するべきは、必然である。
>予は敢て言う。帝国大学あって、日本の腐敗せる官僚政治は出で来り。
>士官学校、兵学校あって、陸海軍の腐敗せる幹部は出て来った。 >いわば日本の官府は…所謂法度万能主義であって、
>彼らの心掛けは、只だ法にさえ触れず、
>丸木橋を渡るが如く、只だ法の筋目を践んでさえ行けば、可なりという事になった…
>人間は只だ法度の番人であって、法度そのものが、自動的に動くかの如く考えたる結果は、
>机の上や紙の上で作ったものが、果たしてその通り行わるるや否やという事には、一切頓着なく、
>それを作り上げさえすれば、我が事已むという訳で…
>責任を法に譲って、人間は全く無責任の位地に立ち、且つ立たしむる事である。
>これが即ち機械的教育の結果であった。
>機械的に人間を製造したる、製造所ともいうべき、あらゆる官学は、
>文武何れの方面に於いても、点取り競争であって、学生は只だ点数さえ取ればよいと心得ていた…
>学問の目的は、所謂る立身出世である。即ち個人的功利以外には何物もない。
>而してその標的に到達する道は、定められたる型通りの筋を践んで行くことである。 >かくて世の支配階級なる者は、文武何れの方面も、軽佻浮薄、無責任、無節操の徒輩の寄合となって、
>飛んでもなき餅を搗き出す事となったのである。 >別言すれば、日本国は、日本の現行教育によって、亡ぼされたと言うても、余り過言ではあるまいと思う。
>要するに我が官学教育は、形式教育であった。また独善教育であった。
>それで軌道の上を走る事は知っていたが、軌道の外に走ることは知らなかった。
>而して自分の知っている事を最善と思い、自分の為す事を最上と思い、
>相手が何者であるとか、如何なる事をするとかいう事には、一切無頓着であった…
>かくの如くにして、日本は形式と独善とで、
>遂に一人角力を取って、自ら倒るるに至ったのである。
>我が官学の教育では、文武何れの方面にしろ、一通りの技術だけは教えたが、
>如何にしてこれを用い、如何なる場合にこれを用い、
>如何にこれをその時処位に適用せしむるかという事は、一切教えていなかった。 徳富蘇峰「終戦後日記W」
武藤氏は、教育の欠陥という言葉に、
恐らくは教育が不足したという意味を、含ませているようだが、
我等は教育の不足とか、僅少とか、不十分とかいう意味でなく、
教育そのものが、根本的に間違っていたのではないかと思う。
改めてここに言えば、現代日本の教育は、直接とは言わぬが、今回の大いなる敗戦を来たし、
我が国家を今日の境遇に陥れたるに於いて、最も大なる分け前を、働いたものであろうと思う。
別言すれば、日本国は、日本の現行教育によって、亡ぼされたと言うても、余り過言ではあるまいと思う。
要するに我が官学教育は、形式教育であった。また独善教育であった。
それで軌道の上を走る事は知っていたが、軌道の外に走ることは知らなかった。
こちらの筋書だけの道は、歩く事を知っていたが、それ以外には、一歩も踏み出す事は出来なかった。
而して自分の知っている事を最善と思い、自分の為す事を最上と思い、
相手が何者であるとか、如何なる事をするとかいう事には、一切無頓着であった…
かくの如くにして、日本は形式と独善とで、
活きた人間の活動というものは、何れの方面にも、及ぼす事は出来ず、
遂に一人角力を取って、自ら倒るるに至ったのである。 我が官学の教育では、文武何れの方面にしろ、一通りの技術だけは教えたが、
如何にしてこれを用い、如何なる場合にこれを用い、
如何にこれをその時処位に適用せしむるかという事は、一切教えていなかった。
従て官学の秀才は、学校で教えられたる所のものを、そのままこれを鵜呑みにして、
これを実際に応用するという事になったから、応用せらるる社会こそ、実に当惑千万といわねばならぬ。
…その為に、政治方面に於ては、人間学を知らない地方官、
司法方面に於ては、人間学を知らない裁判官、…軍隊に於ても亦た同様であって、
彼等は唯だ士官学校や、兵学校や、陸海軍大学校で教えたる通りの事を、施すばかりで、
同僚が何者であるか、上司が何者であるか、部下が何者であるか、
敵が何者であるか、味方が何者であるか。それ等の点には、一切無頓着であった。
かかる人間を掻き集めて、彼等に軍国の大事を托したる、日本国こそ不幸なるもの…
我等は所謂る亡国の種を播いて、亡国の果を収穫したる事の現在を見、
今更らながら、因果応報の恐るべき鉄則に、戦慄する者である。 何故日本の「学問」は文系と理系に分かれているか、その根本理由
西欧哲学(思想)の根幹は数学(幾何学=ユークリッド)であり、
数学によって思考(を統制)する合「理」性にある。日本は近代化(というよりも、
それを生み出した思想や価値観を抜いた“表面的な”工業化、産業化)を進めるため、
先進国から『完成品』を輸入して社会が成り立っている。
それでその輸入元が法律・経済(文系)と工学(理系)に分れている。
つまりクーデターによって武力支配した《閉領域》を、
(流石に帝王の恣意では無く、“一応の”近代的な規則によって)
(人々の、合「理」性による自己認識、
その一致による自治ではなく)《支配する》目的で(輸入された規範=)法律・経済が存在する。
また、その武力支配を維持する=支配者の自分とその他を“物理的に”差別化する、
最新の兵器や機械を製造するために工学が存在する。
つまり、全てが一部の支配者側の都合で組み立てられている。 ところが(大元の文明を創った)西欧社会の成り立ちは全然違う。日本社会とは全てが“逆”なのだ
(エジプトやローマ以前の西欧文明も当初は狼のような動物の群れ社会を基礎とする階層
(全ての人間関係の始まりである母子関係、それを模し、拡張した親分子分関係の)構造、
を絶対視した社会であっただろう。つまり日本と同様の大君を長とする部族社会であった。
だが部族社会は他からの攻撃、
或いは(跡目争いのような)内部要因から短期で滅亡し別の部族に取って変わられた。
何故なら自然界は常に生々流転消滅しているからだ。
自分の思い込みに囚われた大君に、率いられた群れは群れごと消滅した。
その長い歴史の教訓をくみ取った先進文明の或る天才的な人物が、
階層(=親子)構造の部族社会を脱し、一神教(=幾何学)で律せられる社会を考案した。
紀元前に、人間社会の倫理道徳の基礎を“数学を使って”見出そうとするような、
この《超SF的》な考え方を一朝一夕に発案できるはずもない)。
先ず真っ先に、(専制君主にとって“ではなく”)社会“全体から”見て『何が正しいのか』を、
(皆が参加して進める)事実を基礎とした数学的推論=議論によって探索し確定して行く。
そのために哲学(=数学)が存在する。
その哲学とは倫理であり、この倫理を貫徹するために「法」が作られ、
また(この世の真偽を見極める)哲学を実践するSCIENCEからテクノロジー(科学技術)が生れて来た。
つまり「法」も「科学技術」も一切が哲学(=合「理」性)につながっている。
この合「理」性によって原人以来の呪術祈祷(=理屈を解さない原人が、
或る《死の恐怖》と遭遇しその体験=現象を『二度と体験したくない』と、現象を解釈=意味づけする、
誤った自己認識)の世界を変えて(現象とその解釈を正しくつなぎ変えて)行く。
つまり西欧近代合理主義=啓蒙思想とは、社会的に推進される《〇〇〇〇〇〇〇〇》になっている。 このように、哲学は一神教(の世界観=プラトン哲学=3学4課=リベラル・アーツ&サイエンス
=啓蒙思想・立憲主義)や数学(=合「理」的推論)と直結している。
その世界観=価値観を基にして社会が組み立てられており、憲法自体がその歴史観の反映になっている。
超越的原理=哲学(=合「理」性=「理」に適った思考統制)こそが、
強大な権力を握った或る個人――それは嬰児に対する親であったり、
無力な民に対する覇王であったりする、
それ――の動物性(=自己の肉体を誰よりも優先し、より良い状態で維持したいと願う)、
その一方的な攻撃からその他が(もまた)持つ
(自己の肉体を良い状態で維持したいと願う)その最低限の動物性=尊厳を守っている。 ところが日本の文系には(それを生み出すに至った精神的なプロセス、歴史プロセス、
及びそこから生まれる)哲学的な理念が無い。それを支える数学的な精神性が無い。
全ては(圧倒的な外国と結託した、利用する)(クーデターを企てる)支配者の道具でしかない。
(精神性を欠いたところで行なう技巧=)方便でしかない。道具としての(形式的な)手順でしかない。
日本の学問は『全体にとって何が正しいのか』を追求するものではなく、
己の勝手な権力を自在に振り回すための
(土着を圧する外から入れた)単なる“自己正当化の”《道具》
(柔道・剣道、囲碁・将棋に等しい“自己防衛の”ツール)に過ぎない。 ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/417-421
小倉金之助「われ科学者たるを恥ず」
私はながい間、科学(自然科学)を学ぶ一人として、
また科学教師の一人として、生活をつづけてきた。
いま人生の黄昏にのぞんで、
ふりかえって見ると、科学者であることも、教師であったことも、
恥ずかしい気がしてならない。
最近、私は明治以来の科学の全貌について、再検討を加える機会に接した。
調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、私はいっそうその感を深くするのみである。
なるほど、私たちは、いろいろと細かいことを研究したり…して、今までやって来た…
かずかずの業績も現れてきたし、湯川秀樹博士のような人も生まれ出た…
けれども私たちは、何よりも大切な科学の〇〇〇…を守り抜くことができなかった。
われわれは臆病で、つよい独立心をもたず、権力の前に屈服してしまった。 それがために私たちは、科学者としてまた教師として、太平洋戦争を食いとめるような、
合法的な運動を起すことができなかったばかりでなく、
近ごろでは、わが祖国の植民地化をいとわないような、独立心を失った、
あるいは独立心の欠如を恥ともしないような、多数の人々
――その中には科学者も教師も含まれている――を、眺めなければならないようになった。
科学や教育に対する、かような二つの見方の間には、きわめて大きな矛盾があり、大きな断層がある。
けれども私には、自らはげしい恥辱を感じることなしに、
「明治以来、日本の科学は非常な進歩をとげた」などと、書くことができない
なぜ私にはそのように感じられるのか。私は自らそれに答えるために、
ごく大ざっぱな感想を述べてみることにした。私は、科学史を研究する一人として、
われわれが尊敬すべき先覚者をもっていることは、十分に知っているつもりである。
そういう先覚者を恥ずかしめるために、私はこの感想を書くのでは決してない。
反対に…私と同じように恥ずべき科学者・教育者があまりにも多いということを、
きわめて率直に、国民大衆にむかって訴えてみたい… 明治維新のとき、日本の中心課題となったものは、西欧諸国から植民地化される危機をさけて、
日本の独立を守っていくということであった。
そのためには、西洋の進んだ自然科学や技術を学んで移植するよりほかに、取るべき道がなかった…
問題は、日本の独立を守るために、これまでの封建社会から近代市民社会へという、
そういった変革の方向には向かわないで、これまでの封建主義から、
一足飛びに、西洋の帝国主義に追いつこうとした点にある。
従って、西洋の科学・技術を急速に移植しようとしたのも、
それは近代市民文化として受け入れるのではなく、富国強兵のための文明開化であったのだ。
…わが日本では、科学および科学教育は、既製品として、上から与えられた。
しかも近代的市民社会を建設するための科学・教育としてではなく、むしろ反対に、
絶対主義専制による“富国強兵”の一環として、“文明開化”といった、きわめて表面的な、底の浅い形で
――科学的精神を抜き去った、ただ科学の成果ばかりが、温室的に、官憲の保護のもとに――与えられた… 科学界ではどうであったか…かれらは、
「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ、及其蘊奥ヲ研究スルヲ以テ目的トス」と宣言した、
文相森有礼の政策に迎合し…科学者はいまや官僚になった。官僚的科学者の全盛を誇る時代がやって来た…
全く同じように、これまで「教授法ノ研究」を目的としていた師範学校が、
高等師範学校となり、陸軍省から大佐山川浩を迎えて校長とし、軍隊的寄宿制度を行った…
しかしながら、じつは「新日本発展の指導者として雄々しく進」んだという師範教育こそは、
「専ら強圧的に行われ、専ら強権に屈服せしむ方法を取った結果、すべてが画一的に流れ、
何等其の間に個性の展開を許さない。従って青年教育者を人格的に殺してしまって、
皆無気力な、虚飾者、阿諛者たらしめ、徒らに知識の仕入売りの徒と化せしめた」
(前掲『教育五十年史』)のではなかったか。 「国家で統制されたものは、それが国家の運営に深い関連をもつときだけ改変せられ、
後は制度でものごとが動いて行き、国民は上からの命令によってでなくては動かず、
かようにして自由な人間の働きによる進歩は期待し得られないのである…
新しい働きが一般人の間から……盛り上がる傾向の少ないのは、
上からの統制によることはもちろんであろうが、
長い間の封建制がほとんど国民性のようになっているためであろうか」
と、かつての文部官僚、塩野氏に批判されるような始末になったのである。
…思えば、われわれは長い間、科学的精神を学び取らなかった。
近代的市民の精神的・物質的生活における科学の役割と意義について、ろくに考えたこともなければ、
近代における国民大衆が科学教育を、戦いとるまでの努力の跡などについて、
一度も感心をもったことがなかった。
そしてただ単に科学の成果と科学教育の形式だけを、移植したり受け入れて来たに過ぎないのであった。 >>912〜932 無駄レス。誰も読まない。もっと短くまとめないとな。 >はい、間違い。日本本土だけの人口。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%
9C%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7
#現在人口:1920(大正9)年〜1947(昭和22)年
沖縄を除いた北海道から鹿児島までの、
46地域の合計の、昭和20年の『日本本土の人口』が71,998(単位千人)なんだよ。
外地を含めて約一億だ。だから外地も含んだ大日本帝国で、『一億火の玉』と歌っていたんだ。
大人の日本人なら知ってるよ?
ttps://www.youtube.com/watch?v=zYgKAzOoNsQ
国民歌「紀元二千六百年」映像+歌詞付き / Kigen Nisen Roppyaku Nen
誰でも見られる掲示板は小中学生だって見ているかもしれない。
お前は小中学生に向かって『昭和20年の日本本土の人口は4千万人だ』と言うつもりか。言えるのか?
子どもを騙す極悪人。 .
いつも偉そうなことを言いまして誠に申し訳ありません。
『極悪人』は言い過ぎだったかもしれませんので、撤回して(こいつではなく、世間の皆様に)お詫び致します。 ttp://www.taharasoichiro.com/cms/?p=1110
「坂の上の雲」を突き抜けてしまった今こそ必要な「物語と哲学」
投稿日: 2013年8月26日 作成者: ascom 田原総一朗 公式ブログ
明治維新以降、日本は上へ上へと…「坂の上の雲」をつかもうとしてきた。
昭和の敗戦の後も必死に働いて、平和で豊かな国を目指してきた。いま、その夢はほぼ実現した…
「坂の上の雲」を突き抜けてしまった…問題がないわけではない。
それどころか現在、問題は多様化し、複雑に絡み合っている…
これまでは、豊かな社会を夢見て…信じて、がむしゃらに働けばよかった。
日本国民みんなが、ひとつの「物語」を持っていた…では、その夢が実現したら、どうなる…
だからこそ、いま、国民すべてが持つことのできる新たな「物語」が必要なのである。
はたして目指すべき夢を描ける者はいるの…か。
「物語」には「哲学」が必要だ。「哲学」が大事な時代になっている…と僕は思う。
人間は何のために、そして、いかに生きるべきか。
このような時代だからこそ、真剣に考えることが必要…ではないか。 ソクラテス、カント、ショーペンハウエル、ハイデガー、ヘーゲル……。
古代から、なみいる思想家たちが、人間の生き方について考え抜いてきた。
ところが、せっかくの彼らの思想を、現代の哲学者(研究者)は、わかりやすい言葉で語ってくれない。
このことに僕は、おおいに不満を持っている。
僕は何冊も哲学書を読んだ。真剣に「哲学」を学ぼうとした…
しかし、どの哲学書も難解な思想を、さらに難解な言葉で解説している…実にわかりにくい…
理解できないのは、僕の頭が悪いからかもしれない。
けれども、なるべく多くの一般読者にわかるように語…るのが、
この時代に生き…る哲学者や研究者の役目ではないだろうか。
「難解な話をするのがえらい」「研究者仲間でわかればいい」と考えている…とすら思えてしまう。 そんな僕の不満を、若手評論家で、哲学者である東浩紀さんにぶつけてみた。東さんは、こう言った。
「古代の哲学者がどんな人間で、どんな背景があったから、その思想が生まれたのか。
こうしたところから考え、語らなければ、その思想をわかりやすく説明できるわけがない。
これをするには、実は大変な人間力が必要なんです。
ところが、そういう社会性を備えた人は、たいてい大学の哲学科に来ない。
来たとしても、哲学の専門家にはならないんですよ」
彼の答えに対して、僕はなるほどと思った。しかし、それでもなお僕はあきらめられない。
いまも、多くの哲学者に会いに行き、話を聞き続けている。
お会いした哲学者のなかには、実にわかりやすく語ってくれる人、つまり、人間力を持っている人もいた。
こんな哲学者が、これからもっともっと増えてほしいと僕は願ってやまない。
さらに、東さんのような若い論客にどんどん発信してもらい、
哲学を軽やかに学ぶ若者が増えていってほしい。
それが現在の日本、そして未来の日本にとって必要なことだと僕は思う。 >けれども、なるべく多くの一般読者にわかるように語…るのが、
>この時代に生き…る哲学者や研究者の役目ではないだろうか
解るように書いたら次の商売が無くなるから書かないに決まっているじゃないか。 >>933
・・・・・・というセリフもまた、「説明できた人」が言って初めて意味のある言葉。
何の説明もできていないヒトが吠えても、ただ虚しく響くだけ。
「 実 際 、 何 ひ と つ 説 明 で き て い な い 」 と い う
厳 然 た る 事 実 が 残 さ れ る だ け 。 >>935 吉田茂さんがマッカーサーに「国民が餓死してしまう。食料の援助を
してくれ」と申し入れた。「人口は何万人だ?」と訊かれて、当時の
人口統計で答えて、「じゃあその分、食料を出そう」と了解された。
ところが米軍が食料放出を初めてみると、予定の半分くらいで満ちて
しまって、終わってしまった。
指揮官としてのメンツにかかわることなのでマッカーサーが吉田に
「日本の統計はあてにならない」と苦情を言うと、吉田は「だから
日本は負けたんだ。連合軍にとっては良かったじゃないか」と
言い返して、二人は大笑いしたそうだ。
戦時の統計なんか信じるなよ。もっと勉強しろ。 >>937〜940 もっと言いたいことを短くまとめるこっちゃ。長々しい文は
誰もまともに読んでくれない。 >>941 では、お前は「日本の神」が理解できたか。あれだけ親切に教えて
やったのにな。 >>943
文章の長短と「内容が正しいか否か」は無関係。
内容批判ができない無能さんには、そういうイチャモン付けぐらいしかできないんですね。
哀れ・・・・・・ >>945 で、944には答えられないと。ごくろう。 >明治維新のとき、日本の中心課題となったものは、西欧諸国から植民地化される危機をさけて、
>日本の独立を守っていくということであった
>そのためには、西洋の進んだ自然科学や技術を学んで移植するよりほかに、取るべき道がなかった…
>問題は、日本の独立を守るために、これまでの封建社会から近代市民社会へという、
>そういった変革の方向には向かわないで、これまでの封建主義から、
>一足飛びに、西洋の帝国主義に追いつこうとした点にある。
>従って、西洋の科学・技術を急速に移植しようとしたのも、
>それは近代市民文化として受け入れるのではなく、富国強兵のための文明開化であったのだ。
>わが日本では、科学および科学教育は、既製品として、上から与えられた。
>しかも近代的市民社会を建設するための科学・教育としてではなく、むしろ反対に、
>絶対主義専制による“富国強兵”の一環として、“文明開化”といった、きわめて表面的な、底の浅い形で
>――科学的精神を抜き去った、ただ科学の成果ばかりが、温室的に、官憲の保護のもとに――与えられた >日本社会は、失敗に向き合うことが苦手だからです。
>明治維新がうまくいったことが苦手の根底にあるように思います。
>世界中に手本になるモノを探しに行って、
>具合良くできあがったものがどこかにあれば、それを取り込むことにばかり一生懸命になった。
>最近は原子力政策を進めた政府がおかしい、業界がおかしいというより前に、
>自分の目で見て自分でちゃんと考える国民がいなかったのが最大の要因だと思うようになりました。
>今は社会の基準や規範を変える最大のチャンスだと思います。
>今しなければ、チャンスがあったのになぜ生かさなかったのだろうと
>多くの国民が後悔するときが来るのではと懸念しています
本当は70年前に行うべきであった。 共和制になったから宮内庁職員の仕事無くなるやん。
職員は困るんじゃね?知ったこっちゃないけどw
でも共和制もなんかゴタゴタしそうだから、他の政治システムの方がいいわw >日本社会は、失敗に向き合うことが苦手だからです。
>明治維新がうまくいったことが苦手の根底にあるように思います。
>自分の目で見て自分でちゃんと考える国民がいなかったのが最大の要因だと思うようになりました。
明治維新後、本来武士に求められていた忠節を、「忠孝」として国民全体に一般化するための天皇制であり、そのための教育勅語
そうして上に対する失敗の検証は「不忠」という言葉で誤魔化されてきた
さらに幸か不幸か、敗戦後「奇跡的に無能なリーダー」の下でも経済だけは高度成長を果たし、世界有数の経済大国となってしまい
「24時間戦えますか?」なんてCMにも疑問を持たないような、戦後民主主義下における歪んだ成功体験になってしまっている事も
失敗に向き合うことが苦手な「自分で考えられない国民」の要因なのではないでしょうか?
当然、日本の「奇跡的に無能なリーダー」達は、自分達の利権を守るためには非常に都合の良い「自分で考えられない国民」
を維持するよう、日々努力している事でしょう
その一つが、野中広務氏の「言論活動で立派な評論をしている人たちのところに盆暮れ500万円ずつ届けることのむなしさ」なのでは? 誰かと思ったら…
小倉金之助って歴史家でも社会学者でもなく
専門は数学教授で、しかも左派系学術団体の会長さんなのね。
科学史を学んだことがあるなら、
明治維新後みたいな発展期は歴史学より実学が延びちゃうのは
自然の理だと分かると思うんだけどなー…
…何だろ。「今からでも近代市民革命あるべし!」の解に
辿り着くための途中式を必至で埋めようとしちゃった感がある… >>950
野中センセのその発言って、出てきた講演の前後見ると
「評論家がダメだの何だの言ったら、真面目に政権やっててもひっくり返るんだぜ、PEッ!」的な
嘆きっぽいのだが。
だとすると、愚民化推し進めてるのは、むしろ
政権じゃなく、マスコミじゃないかなー?
自民党悪玉論やら官僚悪玉論やらを刷り込んで、
社民党のマドンナ(笑)、民主党の諸々、田中真紀子、蓮舫等々
わっかりやすい「正義の味方」を造って、商売してきたわけで。
その行き着く先が民主党政権の悪夢だったわけじゃん。
警戒すべきは、国家だけじゃない。
既得権益を抱えてるのは、リーダーだけじゃない。
自分のイデオロギーからすらも自由でなけりゃ、本当に自分の頭で考えてるとは言えないんじゃない?
然るに。
今の日本の発展状況と維新後の歴史、周辺の軍事大国の存在とかを考慮して
近代市民革命って日本において「やるべきだけどやれなかった」のか
「やらない方が良いと国民が判断した〜やらなかった」のか。
自分の頭で問い直すべきはそのラインからじゃない? 罪人にとって恩赦がなくなるので困るんだろう
自由の身にしてくれる罪人には神のような存在 野中広務が官房機密費の使途を暴露したのは何故なのか?
>「評論家がダメだの何だの言ったら、真面目に政権やっててもひっくり返るんだぜ、PEッ!」的な
>嘆きっぽいのだが。
(↑ストローマン君の仮説)
野中広務、官房機密費語録
「(政治)評論をしておられる方々に盆暮れにお届け」
「総理の部屋に月1000万円。衆院国対委員長と参院幹事長に月500万円ずつ持って行った」
「政界を引退した歴代首相には盆暮れに毎年200万円」「外遊する議員に50万〜100万円」
「(小渕元首相から)家の新築祝いに3000万円要求された」
・・・ 使途を明かした動機については、
「私も年(84歳)で先がない。政権も代わったので悪弊を断ち切ってもらった方がいいと思った。
自分はできなかったが、政治をゆがめる機密費は廃止した方がいい」と語った。
(2010年5月1日 読売新聞) 日本人の総意での元ならそりゃ困らんだろ
天皇家が日本国を作りましたってことで今日まで継承してきた文化や伝統を終わらせて、明日から違う国としてやっていきます(つまり革命を起こす)ってことに賛成する人がどれだけいるかだ >>956
単なる制度の変更なんてちっぽけな問題じゃない
天皇制を無くすというのは日本が日本としてのアイデンティティが無くなるということだから 「>今日まで継承してきた文化や伝統を終わらせて」ってことなら
過去に例のないはずの、女系天皇に賛成が70.6 %もいるけど? >>957
>天皇制を無くすというのは日本が日本としてのアイデンティティが無くなるということだから
世界の主要な立憲君主国と言えば、イギリス、スウェーデン、デンマーク、
ノルウェー、ルクセンブルグ、スペイン、タイ、オランダ、ベルギーなどが
挙げられよう。
日本人でこれらの国の名前は知っていても国王が存在することまで
知っている者は果たしてどれだけいるだろうか?(イギリスはともかく)
ということは、立憲君主国であることは自国民にはともかく他国民から見れば
大したことではないということだ(どうでもいいことなのだ)。
悪く言えば、これらの国の国民が自国に君主がいることに自意識過剰に
なっているということだ。自意識過剰をアイデンティティに転化させているに
過ぎないということだ。つまり、君主がいなくても他国と対等な外交は
できるのであり、できないなら、官僚とか政治家に問題があるということだ。 たとえば、大学生が友人に向かって「この服昨日買ったんだけど僕に
似合うと思う?」と尋ねたとしよう。きっとその友人はこう答えるだろう。
「誰もお前のことなんて見てねえよ。何着てようがだれも関心ねえよ。」
立憲君主国の国民はかくも異常に自意識過剰に取りつかれているのである。
どんな君主がいようが他国民にはさほど関心をもつべきことではないということだ。 >>958 それは間違い。女系天皇でも「天皇は天皇」だということ。 >>959 昨日のご即位の式典にどれだけたくさんの国の国王ご夫妻や皇太子ご夫妻
が祝意においでになったか、見なかったのか。新聞にも方々のお名前が
載っているぞ。 >>960 お前さんがそういう人間だということ。他人も同じだとは思わないことだ。 >>959
あー……別の意味で「革命」と思われる公算はあるな。
と言うのも、君の挙げてくれた国々が分かりやすいんだが
日本で廃止を標榜してるのは共産党だけだけど、
イギリスとかの立憲君主制国でも王族廃止を唱えてるのって
基本的に、左派か環境政党とかなのよね。
そう言う意味で「革命かなー」
「あれ? 日本左傾化しとったん?」とか思われるかも。 現在の日本共産党は女系派なんだけど
天皇の定義によって女系=天皇廃止にもなるからね > 即位の式典にどれだけたくさんの国の国王ご夫妻や皇太子ご夫妻
> が祝意においでになったか
などというのは、少数の特権階級の結束を知らないだけ。
どの国でも廃止派は存在しているのであって、タダ飯の特権を維持したいがための
結束なんだよ >>966
国民が認めてる活動をして、そのために国民に養われるのを「タダ飯」とは言わんがね。
……むしろ、各国で廃止を標榜してる左翼政党って
フリーライダー=本物のタダ飯喰らいと近しいことすら… >>944
× 教えてやった
○ ぼくが こじんてき しゅかんてきに かんがえる 「かみ」 を かたりました ふむ。学校内での成績の優劣がつかない世界…とφ(..)めもめも >そう言う意味で「革命かなー」
>「あれ? 日本左傾化しとったん?」とか思われるかも。
これはあまりにも短絡的過ぎる思考回路ですね。
日本人がアメリカの与党がどんな党なのか、野党がどれだけ与党に迫っているかを知ることができるように、
各国も日本にはどんな政党があり、どんな勢力図になっているのか、知ることができます。
日本がアメリカの大統領選挙の過程や支持率の推移を見ていたように、
各国も「あるとき突然、廃止された」という結果だけを見るのではなく、その過程を見ているのです。
要するに、左系の政党が支持を伸ばして廃止すれば「左傾化」と思われるだろうし、
左系でない政党が支持を伸ばして廃止すればそうは思われないだろうという、
ただそれだけのこと。
左系の政党が支持率を伸ばして与党を脅かしてきた時点で「左傾化してきたぞ」と思われるわけですよ。
天皇制を廃する・しないに関わらず、左系の政権が誕生した時点で「左傾化した」と見做されるわけで、
「天皇制を廃止したら左傾化したと見做される」というわけではないのですよ。
モノゴトの因果関係というモノを、もう少し時系列に沿って論理的に考えるようにしましょうね。
「国民投票で王制を廃止して共和制に移行」とは、世界ではときどき起こっています。実例があります。
「あの国は左傾化したぞ」なんていう評価、されてますかね?
そもそも「左」って、ナニ? >>968 以来、私は靖国神社に対する態度を改めました、と自白せんかい。 アンカーが抜けちゃった。
>>970は、>>964宛てね。 >>971
わたしは靖国神社に対する態度など何ひとつ改めていませんが。
そういう嘘を平然と吐けるって、まるで缶国人ですね。 >>967
実際、君主制廃止になる国々があるという歴史があるから、おびえるわけよ
世の中の生き死にがわからんと なかなか、この辺の機微はむずかしい 与野党、身障者・難病などの改善提案が無視されています
真実の政治家(保守派通信)
立憲民主党、れいわ新撰組でも、無視している身障者の真実 左翼安倍の海外50兆円ばらまきを一切指摘しない
左翼、立憲民主党、国民民主党、れいわ新撰組は
左翼自民の補完勢力でしかない
お互いに左翼だからこそ、反日の仲間意識が働いている >>967
生活保護程度の金は「タダ飯」とは言わないよ。
近代国家における国民の権利である。
天皇皇族が生活保護程度の生活しているわけじゃないだろ。
特権と権利を混同してはいけない。 天皇皇族には莫大な敷地面積の皇居など必要ない。
国家公務員とりわけ外務省職員並みの生活が保障されれば十分だろ。
国家の寄生虫どもは贅沢言うな。 皇居がいかに巨大であるか中国北京の明清王朝の宮殿である紫禁城と
比較してみよう。
紫禁城は敷地面積72万平方メートル(東京ドーム約15個分)。
皇居が宮内庁管理部分で115万平方メートル、実に東京ドーム約25個分だ。
人口が中国の約13分の1、面積約25分の1の日本の王宮の方がでかいという
とんでもない贅沢をしているのである。しかも中国の王朝は100年も
昔にとっくに消滅しているのにわが王朝は未だ頑迷に存続しているのである。 東京では前途ある有為の多くの若者たちが4畳半1間のぼろアパートで
日夜天下国家を論じているのである。
ちなみに小生は惨状一間の下宿でしこしこしていた。 >>970
そこまで詳細に見ない人の感想ならば、って話よ。
…でも、選挙で王制を廃止というと、戦後の混乱期のイタリアのあれは左派が音頭執ってたし…
ブルガリアなんざその後共産圏にガッツリ入ったし…逆に左傾化のイメージ強くなるっぽいぞ…
どの辺の国をイメージして言ってるのかしらん?
>>977
受給の理由にもよるが、働けるのに働かないで受給してる類は
国民に働きを認められてる皇族・王族より「タダ飯喰らい」度はガッツリ上がるわな。
>>978
皇居って結構公園部分多いぞ…
あとそんな逆恨みこってりの話されても…
「贅沢したけりゃ天下国家論じてないで金儲けしなさいよ」としか… >>981
天皇、いくらもらっていると思っているのよ
一年で、サラリーマンの一生分以上だぞ。仕事に責任がなくて、働いてますといえるか
常識で考えろ >>981
>「贅沢したけりゃ天下国家論じてないで金儲けしなさいよ」としか…
天皇や皇族はいつ金儲けしたんだ?
なんか自分で商売でもしてるのか? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。