朝鮮半島南部に住んでる奴らほど、任那の倭人を殺戮しまくった新羅人の子孫

『日本書記』より抜粋
【任那の滅亡】
二十三年(562年)春一月、新羅は任那の官家(みやけ)を打ち滅ぼした。総括して任那というが、
分けると加羅国(から)、安羅国(あら)、斯二岐国(しにき)、多羅国(たら)、率麻国(そつま)、
古嵯国(こさ)、子他国(こた)、散半下国(さんはんげ)、乞きん国(こっきん)、稔礼国(にむれ)の
合わせて十国である。

夏六月、(天皇は)詔して、
「新羅は西に偏した少し卑しい国である。天(きみ)に逆らい無道で、わが恩義に背き、官家をつぶした。
わが人民を傷つけ、国郡(くにこおり)を損った。
神功皇后は、聡明で天下を周行され、人民をいたわりよく養われた。新羅が困って頼ってきたのを哀れんで、
新羅王の討たれそうになった首を守り、要害の地を授けられ、新羅を並み外れて栄えるようひきたてられた。
神功皇后は新羅に薄い待遇をされたろうか。わが国民も新羅に別に怨があるわけでない。しかるに新羅は
長戟(ながきほこ)、強弩(つよきゆみ)で任那を攻め、大きな牙、まがった爪で人民を虐げた。肝を割き足を切り、
骨を曝し屍を焚き、それでも何とも思わなかった。


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