<<尖閣諸島の経緯>>
◎16世紀
 明・清が尖閣諸島を福建省台北州管轄として統治
◎1884年
 日本人実業家の古賀辰四郎が尖閣諸島を探検
 日本政府は「同島は清国の領土につき……」と古賀に警告
◎1894年7月25日
 日清戦争が勃発
◎1895年1月15日
 日本政府が「尖閣諸島を日本の領土に編入」と閣議決定
◎1895年5月10日
 日清戦争で日本が清国に勝利、清国から日本へ「釣魚島」が公式に割譲される
◎1945年9月2日
 日本がポツダム宣言に調印、「釣魚島」が中華民国に返還される
◎1949年10月1日
 中華人民共和国政府が樹立される
◎1952年4月28日
 日本が世界48カ国とサンフランシスコ平和条約を締結、日本は中華民国・中華人民共和国とは条約締結せず
◎1952年8月5日
 日本と中華民国の間で日華平和条約が発効、日本は尖閣諸島の領有権を主張せず
◎1969年5月
 アジア極東経済委員会ECAFEが、東シナ海の沿岸鉱物資源調査報告で石油埋蔵1千億バレルと公表する
◎1969年5月
 アメリカが尖閣周辺海域での石油採掘権を中華民国に求める
◎1972年9月29日
 日本と中華人民共和国が共同声明、日本政府が「日華平和条約」を廃棄
☆現在の争点
 日本「日本と中国の境界線はサンフランシスコ平和条約で定められた」 中国「日本は中国とはサンフランシスコ平和条約を結ばなかった」
 中国「日本はポツダム宣言を守れ」 日本「ポツダム宣言は敗戦で抵抗できなくなった日本に対して戦勝国が勝手に押しつけたもの、受諾したからと言って日本が宣言を守る義理はない」
 日本「日本が中華民国へ返還した『釣魚』とは日本語では尖閣ではなく台湾北方三島を意味する」 中国「中国で『釣魚』と言ったら普通は尖閣のことだ」
 日本「尖閣諸島は地理的には『琉球諸島に付属する島々』なのだから日本が中国の領土と認めた『台湾に付属する島々』には含まれない」 中国「尖閣諸島は福建省台北州管轄だったのだから行政的には『台湾に付属する島々』に含まれる」