>>807
>蘇我氏はミカドと呼ばれたことなんてないぞ。

量産型ネトウヨってほんとゴミでポンコツ
二言目には朝鮮がァー、中国がァーと始める
すべての基準と関心が中韓に向いている
中韓に親を殺されたのかと思うほど固執している
しかし彼らの口からドイツでは、フランスではとか聞いたことがないのがお笑い
量産型ネトウヨはロクな教育も受けず低レベルの教養しかないくせに堂々と分かってるふりをして、知ったかぶりを平気でやる
間違いを指摘しても全く反省なんかせず、謝るフリだけしてケロッとしてまた知ったかを始める

『〜644年11月、蝦夷と入鹿は、甘檮岡の上に家を雙(なら)べ構えた。この家が、蘇我本宗家の終焉の地となる。蝦夷の邸宅は「上の宮門(うえのみかど)」、入鹿の屋敷は「谷の宮門(はざまのみかど)」とよばれた。
家の外には城柵をめぐらせ、門の傍らには武器庫が設けられた。門毎に水を蓄えた水槽がひとつと、木釣数十本が置かれ、火災の備えとされていた。
そして、常に東国出身の兵士が武器を携えて邸宅の警護にあたっていたという〜』(引用 奈良文化財研究所飛鳥資料館のサイトより)