>>◎1884年実業家の古賀辰四郎が尖閣諸島を探検し、その後も日本が尖閣の帰属調査を続けた

古賀が願い出たが、清国がかねてより釣魚島として扱っており、領土問題になる恐れが有るからと明治政府は却下。

>>◎1895年1月15日閣議決定で尖閣諸島を領土に編入した。

日清戦争の勝利が動かなくなったので、清に遠慮する必要もなくなり、勝手に閣議決定で決めただけ。
しかし、単に身内の閣議決定だけで、国際法上、何の意味もない。国標すら立てない。そもそも、明清時代から中国領なので、先占の論理は使えない。

>>古賀辰四郎が、1896年には尖閣諸島に住居を建ててアホウドリの羽毛採取事業を始めた。

既に日清戦争後の下関条約で、台湾全体が日本へ割譲されているので、台湾の付属島嶼の釣魚列島も当然日本領となったのであるから、日本の領土に日本人が住居を建てただけで、別に何の意味もない。

その後日本の敗戦。
カイロ宣言、ポツダム宣言、サンフランシスコ条約でも、台湾(含む釣魚)の中国への返還が求められている。

ポツダム宣言で日本の主権は本州、北海道、九州、四国、及び我ら(連合国)の決定するかかる(such)小諸島と限定された。釣魚列島はかかるでもないし、連合国に日本の主権が有るとも認められていない。決定権は連合国である中国側。
ポツダム宣言第八項は、1972年の日中共同声明でも「厳守する」と再確認。

>>◎1969年5月頃、、、★★★ここが最も重要です★★★中華人民共和国国家測絵総局が中華人民共和国分省地図「台湾・福建省」を作成し

その表紙の裏には、この地図は以前の資料に基づく暫定的なものだと注釈がなされている。単に間違いを訂正して終わりになるような話し。国家同士の取り決めではない。

>>◎1971年12月30日中国が尖閣諸島の領有権を主張「明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域にふくまれている」

明代の『籌海図編』にも描かれている。妥当な評価だな。江戸時代の知識人もそのように了解していた。

台湾のホームページでも書かれているし、井上清氏の『尖閣列島の史的解明』にも書かれている。