良く判る尖閣諸島の経緯【★は重要、▲はスパイ工作】
◎1884年
 日本人実業家の古賀辰四郎が尖閣諸島を探検し、その後も日本が尖閣の帰属調査を続けた
◎1895年1月15日
 閣議決定で尖閣諸島を領土に編入した。
 古賀辰四郎が1896年に尖閣諸島に住居工場を建ててアホウドリの羽毛採取等の事業を始め、一時250人余りが居住していた。
◎1920年5月20日
 魚釣島の日本人が遭難した中国人31人を救助し、中華民国の駐長崎領事が感謝状を日本人に贈る。
◎1940年
 古賀辰四郎の子孫が尖閣での事業を止めて、尖閣が無人島になる
◎1969年5月
 アジア極東経済委員会ECAFEが、東シナ海の沿岸鉱物資源調査報告で石油埋蔵1千億バレルと公表する
◎1969年5月頃
 中華人民共和国国家測絵総局が中華人民共和国分省地図「台湾・福建省」を作成し、尖閣諸島を 日 本 領 土 / 魚 釣 島 と表記した。
 なお地図は、巻頭に 毛 沢 東 と周恩来のお言葉まで記載した由緒正しいものです。
 ★つまり毛沢東は尖閣諸島を日本領と認めていた
 ★この毛沢東の見解を否定することは、「毛沢東のウソ吐き、毛沢東のブタ野郎」と叫ぶことです、、、草草草
◎1971年12月30日
 中国が初めて尖閣諸島の領有権を主張「明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域にふくまれている」 
◎1972年5月15日
 沖縄返還
◎1978年10月25日
 ケ小平の 嘘 吐 き 会見、、、幹事の日本経済新聞とケ小平とはグルです
 「尖閣列島をわれわれは 釣 魚 島 と呼ぶ。呼び方からして違う。
  確かにこの問題については双方に食い違いがある。国交正常化のさい、双方はこれに触れないと約束した」
◎1992年5月25日
 中国が、「中国領海及び隣接区法」を制定し、尖閣諸島を中国領土と明記して、侵 略 宣 言 した
 ▲東京大学阿呆学部卒の宮澤喜一総理は、アタマの悪さを遺憾なく発揮してポカーンと黙認していた。
 ▲この頃から神田古本街等では、シナ人が尖閣周辺の古い地図を高値で買占めてた。
 ▲近くの図書館にある尖閣周辺の古地図はシナ人に切り取られていたので、他の図書館も同じハズです。