>>111
そもそも、君「総意」の意味を勝手に「100人中100人全員の同意」だと思い込んじゃいないかい?


 ・ 昭和21年7月12日 衆議院帝国憲法改正案委員会 金森徳次郎国務大臣
   日本国民ノ総意ト云フモノハ、統合シテ一ツニナツテ居ルモノデアリマシテ、一人々々ノ人間ニ繋ガリハ持ツテ居リマスルケレドモ、
   一人々々ノ人間其ノモノデハアリマセヌ、サウ云フモノガ過去、現在、未来ト云フ区別ナク、一ツノ総意ガアル訳デアルト思ツテ居リマス

 ・ 昭和54年4月19日 衆議院内閣委員会 真田秀夫内閣法制局長官
   天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと書いてございます場合のその総意というのは、一億何千万の国民の一人一人の、
   具体的な国民一人一人の意思というような意味ではなくて、いわゆる総意、いわゆる総体としての国民の意思ということでございますので、
   特定の人がその中に入っているとか入ってないとかいうようなことを実は問題にしておる条文ではないというふうに考えられます。

 ・ 昭和54年4月19日 衆議院内閣委員会 真田秀夫内閣法制局長官
   いまの憲法ができますときに、これは帝国憲法の改正の形をとりましたけれども、当時の帝国議会で衆知を集めていろいろ御検討になって、
   そして国民の総意はここにあるのだというふうに制憲議会において御判断になった、それがこの条文の規定にあらわれておると、
   こういうふうに言わざるを得ないのだろうと思います。


こう言った形で、政府解釈では総意は「全体としての意志」ぐらいのふわっとした形で解釈されている(そしてこれを違憲とする有力な説があるわけでもなし)

とすると、米国が作ったに等しい憲法を、独立後も国民が改正しなかったことは、その内容が国民に追認されているものと見做せるし、
【国民が何十年間も追認してきた憲法の内容は、天皇制含め、国民の総意に拠るものである】と言えるんじゃないかな。




大体、日本国憲法否定し始めると面倒だぜ。
例えば君のロジックは「信教の自由は国民の総意に基づいていない、何故ならばあれはGHQの押し付け憲法で…」と、他の項目でトンデモ論を生み出すぞ。